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柳原は彩加の頬を両手で掴むと、その唇に改めてキスをした。
それは大きな桃から滴り落ちる蜜を、零れないように吸い取るような、優しいキスで、彩加は思わず照れて笑ってしまう。
「笑うなよ」
言った柳原も笑いながら、今度はほっぺにキスをする。
「お前って笑うと、ほっぺがプクッて盛り上がるよな、この頬骨のあたり」
「え、みんな、笑うとなるでしょう」
「なんねーよ。こんなミッキーマウスみたいには」
「ーーー初めて言われたんですけど」
ますますプクッとさせながら、彩加が笑うと、その盛り上がったところに柳原がまた唇をつける。
「ずっとかわいいと思ってた。入社した時から」
(――――え)
入社した当初を思い出す。
柳原のはじめの印象は、「常にいない上司」だった。
課長なのに、誰よりも忙しくて、朝礼不在の早出は当たり前。夜も終礼までに帰ってくることの方が少なくて、新人だった彩加の左隣は、いつも無人だった。
入社して2週間ほどしたころ、新人研修から戻ってきた彩加は、珍しくデスクに座っている上司にどきりとした。
発注書を書いている姿は、まるで不良学生が嫌々小テストを書いているようで、椅子にふんぞり返り、左手はひじ掛けにつっかけたまま、右手だけ紙の上を走らせていた。
「お疲れ様です」
隣に座ると、こちらを見上げたその顔はひどく疲れて見えた。
ちらりと発注書を見ると、ものすごく綺麗な字が並んでいる。
そのギャップに口元が思わず緩むと、柳原はペンをデスクにあったコーヒーに持ち変えて、こちらをじっと見つめた。
(やばい、笑ったのバレたかな)
思いながら、医療用具のカタログを開いていると、
「ーーー楽しい?」
カップで唇を隠したまま、柳原が話しかけてきた。
「はい?」
「カタログなんて見て、楽しい?」
楽しいも何も。研修が終わってしまえば、終礼までやることなんかない。
カタログを眺めて、商品勉強することくらいしか。
「楽しいです」
何と応えていいかわからずそう言うと、柳原は自分の椅子を引いて、一番下の重そうな引き出しを引いた。
無言のままの動作に、わけがわからず見守っていると、コーヒーがなくなったのか、柳原が給湯室に歩いて行ってしまった。
(開けっ放しだとぶつかると痛いよね)
思いながら彩加はその重い引き出しを両手でそっと閉じた。
「ーーーぷっ」
戻ってきた柳原が吹き出す。
「えっ」
笑いながら再度その引き出しを開ける。
「言わないとわかんないか?」
嫌味なく楽しそうに笑いながら、柳原はその引き出しを覗き込んだ。
その中から、医療機器や医療器具のカタログを何冊か取り出して、彩加のデスクに置いていく。
「病院や施設でしか使わない、マニアックなやつ。眺めるならこっちのほうが楽しいぞ。自動洗髪機とか自動排泄処理装置なんてのもあるから」
言いながらまだクククと笑っている。
「あ、ありがとうございます」
(あ、ご自由に見ていいよってことだったのか)
やっと意味が分かり赤面する彩加を柳原は頬杖を突きながら、至近距離で観察するように見下ろした。
「楽しいね。綾戸さんって」
ーーーーーーーーーー
あれからもう5年だ。
あの当時の彩加は、その上司が、頬にキスをしながら、腹から手を差し入れてくる夜が来るなんて思ってなかっただろう。
いや、どうかな。
なんか他の男とは違う“予感”があったような気もする。
柳原の大きな手が、ウエストあたりから背中の方に入り込む。
それだけで今まで眠っていた女の部分が熱を帯び始める。
いとも簡単に目の前の男を求めて腰が動いてしまう。
「すげえ」
柳原の笑い声が耳の奥に響く。
触れるか触れないかの絶妙なさわり加減で、指先が背中のくぼみを、骨の形を確かめるように滑っていく。
「すげえ、すべすべだな」
「———長男が」
指の感覚に、早くも変な声が出そうになり、言葉が切れ切れになってしまう。
「乾燥肌、なんで。ミルクローション入りの、入浴剤使ってるんです。わ、私まで、無駄にすべすべに……」
「無駄じゃねえだろ」
柳原が笑いながら今度は首筋に唇をつける。
「この甘い匂いはそのせいか。ずっと何の匂いだろうと思ってたんだよね」
「――――ずっと?」
「ずっとだよ」
言った唇が照れを隠すように激しく首筋を吸う。
「あぁっ」
(あーあ、出ちまった)
冷静な頭の中の自分が、ため息をつく。
雌の声が出てしまった。
もう戻れない。
もう誤魔化せない。
この目の前の雄に、喰われるしかない。