テラーノベル
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森のさらに奥から、何かが近付いてくる気配がした。
先頭を歩いていた魔獣達が一斉に足を止める。
狼型の魔獣は低く唸り、鳥型の魔獣は木々の上を見上げながら羽を膨らませていた。
それは明らかな警戒だった。
だが不思議なことに、敵意とは少し違う。
何かを威嚇しているというより、何かから身を守ろうとしているように見えた。
「来る」
千代が短槍へ手を掛ける。
その隣では大和も静かに森の奥を見つめていた。
しばらく続いた緊張は、意外な形で終わることになる。
木々の間から現れたのは人間ではなかった。
魔獣だ。
それもまた傷だらけの個体だった。
黒い毛並みをした大型の狼型魔獣で、肩口には深い裂傷が走っている。呼吸も荒く、長い距離を走り続けてきたことが一目で分かった。
その魔獣は周囲を見回すと、大和の姿を見付けた瞬間、その場へ崩れるように伏せた。
周囲の魔獣達が集まる。
誰も鳴かない。
ただ静かに見守っていた。
「……追われておるの」
千代が小さく呟く。
俺も同じことを考えていた。
偶然ではない。
北方森林群から来た魔獣達。
傷付いた鳥型魔獣。
そして今現れた狼型の魔獣。
全てが同じ方向から来ている。
「北で何か起きている」
大和がそう言うと、誰も反論しなかった。
もう疑う余地はないのだろう。
問題は、その何かが何なのかだった。
避難の列はその後もしばらく進み続けた。
途中で何度か休憩を挟みながら、山沿いの道を進んでいく。
北方森林群の魔獣達も自然と列へ加わり、今では夜哭きの森の住人達と混ざるように歩いていた。
子供達も最初こそ警戒していたが、それは長く続かなかった。
むしろ。
「見て」
「角大きい」
「すごい」
そんな声を上げながら角鹿の周囲を歩いている。
角鹿の方も迷惑そうな顔をしながら逃げない。
その光景を見ていると、少しだけ肩の力が抜ける。
こんな状況でも子供達は変わらないらしい。
「安心しました」
隣から聞こえた声に視線を向ける。
しゆらだった。
#フライギ
にもあえ
229
葉菜
26
「何がだ」
「皆さんがです」
そう言って前方を見る。
歩く住人達。
魔獣達。
子供達。
「もっと怖がると思っていました」
確かに普通ならそうだろう。
知らない魔獣が大量に現れたのだ。
警戒する方が自然だ。
だが。
「自分達と同じだからだろうな」
思ったことをそのまま口にする。
住処を失った。
逃げてきた。
追われている。
違うのは種族だけだ。
そこにいる誰もが、それを理解していた。
しゆらはしばらく考えたあと、小さく微笑んだ。
「そうですね」
風が吹く。
山の匂いがした。
どうやら目的地は近いらしい。
先頭を歩いていた半魔達の足取りが少し変わっている。
大和も前方を見たまま歩き続けていたが、やがて立ち止まると周囲を見渡した。
「着いた」
その一言で列が止まる。
俺も前へ出る。
そして。
思わず息を呑んだ。
山に囲まれている。
左右には深い川が流れ、その向こうには切り立った岩壁が続いていた。
正面だけが開けている。
だが、その道も決して広くはない。
大軍を展開できる地形ではなかった。
「すごい……」
しゆらが小さく呟く。
その気持ちはよく分かった。
天然の要害。
そんな言葉が頭に浮かぶ。
夜哭きの森とは全く違う。
森が隠れるための場所だったとするなら、ここは守るための場所だった。
千代も周囲を見回している。
赤い瞳が山々をなぞる。
「なるほどの」
感心したような声だった。
「確かに守りやすそうじゃ」
「昔から緊急時の避難場所として使われていた」
大和が答える。
住人達も少し安堵したようだった。
だが、その空気は長く続かなかった。
避難を終えたばかりの住人達を見渡しながら、大和が静かに言ったのだ。
「ここで終わりではない」
誰も喋らない。
「夜哭きの森は捨てた」
その言葉は重かった。
分かっていたことだ。
それでも実際に口にされると胸に刺さる。
「北方森林群でも何かが起きている」
大和は続ける。
「そして人間は再び来る」
風が吹く。
山肌を撫でる音だけが聞こえた。
「ならば」
そこで一度言葉を切る。
その視線は住人達へ向いていた。
半魔達へ。
魔獣達へ。
そして俺達へ。
「次を考えねばならない」
その言葉を聞いた瞬間、以前焚き火を囲みながら話した未来の話が頭を過った。
帰る場所。
守る場所。
誰かに与えられるのではなく、自分達で作る場所。
それはまだ夢のような話だったはずなのに、今はもう夢だけでは済まなくなり始めていた。
大和の言葉を受けても、すぐに誰かが口を開くことはなかった。
住人達はそれぞれ視線を巡らせながら、自分達が辿り着いた土地を改めて見つめている。切り立った山々に囲まれたその場所は夜哭きの森とはまるで違い、木々に守られるような安心感はない代わりに、天然の要害と呼ぶに相応しい地形が広がっていた。
左右を流れる川は豊富な水をもたらしてくれそうだったし、正面へ続く道も大軍を展開できるほど広くはない。敵を防ぐという意味では理想的な土地なのだろうが、それでも誰も安堵した顔はしていなかった。
当然だ。
ここは帰ってきた場所ではない。
逃げて辿り着いた場所なのだから。
夜哭きの森を出てからまだ半日も経っていないというのに、もうあの場所がずっと昔のことのように感じる。
子供達が走り回っていた広場。
焚き火を囲んで笑っていた住人達。
魔獣達が当たり前のように寝転んでいた風景。
ようやく見つけた居場所だと思っていた場所は、もう背後の森の向こうだった。
「予紬さん」
不意に名前を呼ばれて振り返る。
しゆらが少しだけこちらへ身を寄せていた。
腕の中ではシエルが眠っている。
移動中はずっと周囲を警戒していたせいか、今は完全に力尽きているらしい。
小さな身体を丸めながら静かな寝息を立てる姿は、以前の巨大な姿を知っていると妙な違和感があった。
「疲れたか」
そう尋ねると、しゆらは少し考えるように視線を落としてから首を横へ振った。
「疲れてはいます」
「疲れてるじゃないか」
「でも、それだけじゃないんです」
そう言って前を見た。
その視線の先には夜哭きの森の住人達と北方森林群から流れてきた魔獣達がいる。
住人達は荷物を下ろしながら周囲を確認しているし、魔獣達もようやく休める場所を見つけたのか、あちこちで身体を横たえ始めていた。
「皆さん不安なのに、誰も立ち止まらないんですね」
ぽつりと零れた言葉に俺も周囲を見る。
確かにそうだった。
悲観している者はいる。
疲れている者もいる。
それでも誰も座り込まない。
誰も諦めていない。
住処を失ったという事実は変わらないはずなのに、前へ進こうとしている。
「慣れてるんだろうな」
そう答えると、しゆらは少しだけ寂しそうに微笑んだ。
「そうかもしれません」
その言葉が意味するものは何となく分かった。
半魔達は昔から追われてきた。
人間社会で生きられず、森へ逃げ、居場所を作り、それを守り続けてきた。
今回だけが特別ではないのだろう。
だから前を向ける。
だから諦めない。
そう考えると少しだけ胸が重くなった。
俺達は研究所を失っただけだ。
だが彼らは何度も居場所を失いながら生きてきたのかもしれない。
風が吹く。
山肌を撫でてきた風は少し冷たく、夜哭きの森とは違う匂いがした。
その風の中で大和は一人、少し離れた高台から周囲を見下ろしている。
長として状況を確認しているのだろう。
その隣には当然のように千代がいた。
肩の怪我をしているはずなのに離れる気はないらしい。
何かを話しているようだが、ここからでは聞こえない。
ただ、大和が何かを言うたびに千代の表情が少しずつ変わっていくのだけは見て取れた。
「仲が良いですね」
しゆらが小さく笑う。
「そうだな」
「千代さん、すごく安心した顔をしています」
そう言われて改めて見てみると確かにそうだった。
森で出会った時の警戒心はもうない。
子供達といる時とも違う。
大和の隣にいる時だけ見せる表情があるらしい。
本人は隠しているつもりなのだろうが、残念ながら隠し切れていなかった。
「予紬さん」
「なんだ」
「私達もああ見えるんでしょうか」
その言葉に思わずしゆらを見る。
紫色の瞳が真っ直ぐこちらを見ていた。
どういう意味で聞いたのか分からない。
分からないが。
何となく答えに困る。
しゆらはそんな俺の反応を見て少しだけ笑うと、シエルを抱え直しながら肩を寄せてきた。
「見えるかもしれませんね」
勝手に納得している。
否定する暇もなかった。
そんなやり取りをしているうちに、避難してきた住人達の間にも少しずつ変化が生まれ始めていた。
誰かが川へ向かう。
誰かが薪になりそうな木を探し始める。
魔獣達も自然と周囲の警戒へ回る。
誰かの指示があった訳ではない。
それでも全員が動いていた。
生きるために。
そして不意に思う。
ここは夜哭きの森ではない。
だが、もしかすると。
本当に少しだけかもしれないが。
この場所もまた、誰かの居場所になっていくのかもしれないと。
コメント
1件
もう…この回、胸がぎゅーってなったよ…🥀 天然の要害に辿り着いた安堵よりも、「ここで終わりじゃない」って大和が言ったあの重さがすごく刺さった。夜哭きの森を“捨てた”って言葉、ちゃんと現実として受け止めなきゃいけないんだね。 それでも誰も立ち止まらないの、すごい。しゆらと予紬が「ああ見えるんでしょうか」ってやりとりしてたシーン、静かに温かくて好きです。逃げてきた場所が、少しずつ“居場所”に変わっていく予感、ちゃんと感じました。葉菜さんの文章、やっぱり引き込まれます…🌙