「おはよう。」
最近、やっぱり中々寝付けないし、眠りも浅い気がする。
おかげで今日は少し寝坊してしまい、リビングに入ったら既に朝食のいい香りが漂ってきていた。
キッチンの方からは、二人の声が聞こえてくる。
「おはよー!」
「おはよ〜!」
声に導かれるようにキッチンへ向かうと、ダイニングテーブルには、いつもの朝食がきちんと並べられていた。
湯気を立てるスープが、なんだか温かくて、安心する。
「ごめん。寝坊しちゃった。」
「全然大丈夫だよ〜。今出来たとこだし。」
「夜更かしでもしてた?」
「うん、まぁ、そんな感じ。」
軽く謝りながら席に着くと、朝食の準備を終えた二人もそれぞれ席に着き、三人で手を合わせた。
「「「いただきます。」」」
「うん、今日のは4位だね。」
「涼ちゃんの朝食占い?」
「そう。若井も食べてみ?」
「どれどれ…お、これは4位だ!」
「でしょでしょ?」
「ねぇ〜、やめてよぉ。その微妙な順位。」
「「いや、めちゃくちゃいい方だから!」」
最後に若井と声が揃い、思わず顔を見合わせてケラケラと笑った。
涼ちゃんはちょっとむくれた顔をしていたけど、それでもやっぱり笑っていた。
朝から、ふわっとした幸せに包まれ、温かい朝食と一緒に心まで温かくなった気がした。
・・・
「いってらっしゃ〜い。」
「「いってきまーす。」」
今日、涼ちゃんは講義が二限からな為、玄関で見送ってもらい、ぼくと若井は二人で大学に向かった。
「そういえば、来月学祭だけど、若井、サークル入ってるしなんかやんの?」
昨日、大学のトイレに行った時に、隣で用を足していた二人組が、来月の学園祭の話をしていたのをふと思い出した。
ぼくはサークルに入ってる訳じゃないし、人混みはあまり得意じゃなくて、そんなに興味がなかったので、その時は『もう、そんな時期なんだー。』くらいにしか思わなかったけど、そういえば若井はサークルに入っていて、若井にとっては他人事ではないはずだと思いなんとなく聞いてみた。
「あー、焼きそばの屋台やるらしい。」
「へぇー!若井が焼くの?」
「んー多分ね。」
「じゃあ、買いに行かなきゃだねっ。」
「来て来て。サービスするわ!」
「楽しみー!」
大学に入ってから初めての学園祭。
なんだか少しだけ楽しみになってきた。
・・・
「もー、あの先生、話長いっつーの!」
「まだ連絡ないけど、涼ちゃんもう食堂居るかな?」
「いやー、まだなんじゃない?」
二限の先生が、チャイムが鳴ってもなお延々と話し続けるもんだから、結局、ぼくと若井は予定よりも遅れてしまった。
いつもなら、【席取ってるよ〜】って、涼ちゃんからLINEが来るのに、今日はそれもない。
…ってことは、まだ涼ちゃんも席を確保出来てない可能性が高い。
「やば、混んでるかも。」
「走る?」
「えー…走りたくないけど…走るか…。」
そんなことを言い合いながら、ぼくたちは少しだけ早足になって、昼休みで賑わう食堂へと向かった。
「わあっ!…すみませんっ。」
「わぁ〜、こちらこそ…って、元貴じゃん。」
食堂へ続く廊下を曲がった瞬間、正面から勢いよく走ってきた誰かとぶつかってしまった。
思わず頭を下げて謝ると、相手から聞き慣れた声で名前を呼ばれて、顔を上げる。
「あ、なんだ涼ちゃんか。」
「ちょっとぉ、なんだってなにさ〜。」
見慣れた青髪が目に飛び込んできて、 なんとなくホッとしたぼくは、苦笑した。
「涼ちゃんも今来たの?」
ぼくの後ろを着いてきていた若井が、涼ちゃんに話し掛ける。
「うん、二限がちょっと長引いちゃってぇ。」
「おれ達も。」
「いやぁ〜、今日は学食無理かもねぇ。」
思わぬところで合流したぼく達は、三人揃って食堂の中を覗き込む。
案の定、テーブルは学生たちでぎっしり。
座れそうな席は、ひとつも見当たらなかった。
「今日は購買でなんか買って、外で食べよっかぁ。」
涼ちゃんはそう言って、食堂には入らず歩き出したので、ぼく達もそれに着いていく。
購買に着いた頃には、お昼のピークを過ぎていたせいか、棚にはパンやおにぎりが少ししか残っていなかった。
ぼく達はそれぞれ残っているわすがな種類の中からなんとか好みの物を選び、お会計を済ませて外へ出た。
外は、暑くも寒くもなく、たまに吹く風が心地いいくらい。
雲ひとつない秋晴れの空に、たまには外で食べるのも悪くないかもな、と思った。
すぐに空いているベンチを見つけて、三人並んで腰を下ろす。
その何気ない並びが、なんだかちょっと嬉しくて、ぼくはふと空を見上げた。
「「「いただきまーす。」」」
朝と同じように三人一緒に手を合わせてから、それぞれパンやおにぎりにかぶりついた。
「若井って、お赤飯好きだよね。」
「好き。美味しくない?」
「うん、まあ、美味しいけど買いはしないかな。コンビニとかでもいつも売れ残ってるイメージ。」
「おぉい!お赤飯をバカにすんなよー!」
「バカにはしてないけど、渋いよねぇ。」
「まじ?じゃあ、渋い男を目指してるおれにはピッタリだね。」
「いや、そういう事じゃないと思う。」
「ふふっ。」
基本的に、いつも売れ残っている印象のあるお赤飯のおにぎりを食べてる若井を軽くイジりながら、ぼくはまた一口、自分のパンを頬張った。
「元貴は、焼きそばパンなんだねぇ。」
「うん。朝、若井が焼きそばの話してたから、焼きそば食べたくなっちゃって。」
「…焼きそばの話?」
「うん!来月の学祭で、 おれが入ってるサークルが焼きそばの屋台する事になってさ。」
「そうなんだぁ!じゃあ、ぜひ食べに行かないとねぇ。」
「涼ちゃんはなんかやったりするのー?」
「ううん、僕は呑気に楽しむ勢。元貴、良かったら一緒に学祭周らない?」
「うん!周るー!」
「いいなー…おれも一緒に周りたい…!」
「休憩とかないの?」
「あると思うけどさー。」
「じゃあ、そん時一緒に周ろうよっ。」
若井は、のんびり楽しむ勢を羨ましそうに見ながら、お赤飯のおにぎりをゴクリと飲み込んだ。
・・・
若井は、早速今日から学園祭の準備があるらしく、午後の講義が終わると、『サークルに行ってくる。』と言って、講義室を出たところで別れた。
一人になった帰り道。
キャンパスの正面玄関へ向かって歩いていると、不意に後ろから肩を叩かれた。
「……あの」
聞き慣れない声に、足を止めてゆっくりと振り向く。
そこには、どこかで見たことのある顔があった。
微かな既視感…
記憶の糸を辿っていく…
「…あ。」
微かな既視感…
どことなく若井に似ているその容姿でぼくは、ハッと思い出した。
最近は会う事がなくなっていた為、すっかり忘れていた。
「…おれの事、分かる?」
クールな雰囲気とは裏腹に、少し高めの声と優しい口調。
そのギャップが、余計に若井を彷彿とさせる。
涼ちゃんが昔、好きになった人…
いつもあの連中の後ろで、気まずそうに目を伏せていた、あの彼だった。
「分かります…けど。」
いま彼は一人で、ぼくに声をかけてきている。
どこか申し訳なさそうな雰囲気で、トゲのようなものは感じられなかった。
けれど、どんな顔を見せられようと、 あの時、涼ちゃんを助けなかったという事実は、消えない。
だから、ぼくは少しだけ眉を寄せながら、冷たく訊いた。
「…何の用ですか?」
「…涼ちゃん、元気にしてる?」
「はい。元気ですけど。」
「…なら、良かった。」
ぼくの言葉に、彼はほっとしたように小さく息をついた。
その顔が、少しだけ悔しかった。
元気でよかったと思うなら、どうして…
あのとき、手を差し伸べてくれなかったのか。
「話はそれだけですか?」
「あの…涼ちゃんに…ごめんって伝え欲しい…出来ればでいいから…。」
ぼくの、決していいとは言えない態度に、嫌な顔ひとつせず、そう言った彼は、 きっと、本当は悪い人じゃないのだろう。
それが分かるからか…
若井に少し似ているからか…
ぼくは、他の奴らのように彼を嫌うことが出来なかった。
「…気が向いたら。」
そう言って、ぼくはまた正面玄関へ向かって歩き出した。
後ろで小さく『ありがとう。』と聞こえたけど、ぼくは聞こえないふりをした…
・・・
「元貴〜!」
今度は、聞き馴染みのある声だった。
振り返ると、走ってくる涼ちゃんの姿が目に入り、自然と力が抜けた。
「涼ちゃんっ。」
「お疲れ〜!」
「お疲れー。」
ちょうど正門をくぐろうかというところだった。
さっきの会話の名残が、胸のどこかにまだ引っかかっていたけど、 涼ちゃんの明るい顔を見ると、それは一度、胸の奥にしまいたくなった。
「今日、若井って夕飯食べてくるんだっけ?」
「うん。そうみたい。」
「じゃあ、僕達もどっか食べに行かない?」
「いいね!涼ちゃん何か食べたいのあるー?」
「ん〜、 お蕎麦!」
「蕎麦?涼ちゃんも渋いね。ま、いいけど。」
涼ちゃんの“渋い選択”に少しだけ笑って、ぼくたちはそのまま繁華街の方へ歩き出した。
いつもの帰り道とは逆方向。
夕焼けに染まる街の中、少しだけ気持ちがほどけていくのを感じた。
・・・
「お蕎麦も渋いと思ったけど、涼ちゃん、更に渋いとこいったね。」
「僕、山菜蕎麦が一番好きなんだよね〜。」
そう言って、涼ちゃんは目の前で美味しそうに山菜蕎麦を啜っている。
昼間に、お赤飯のおにぎりを食べていた若井を『渋い』と言っていたけど、人の事言えないじゃんっ、て思わず笑いそうになる。
因みにぼくはきつね蕎麦。
…きつね蕎麦は渋くないよね?たぶん。
「あのさ…、」
ぼくはお蕎麦の上にある甘いお揚げさんを、一口齧りながら涼ちゃんに話し掛けた。
お蕎麦屋さんに来る道中、話すかどうかずっと悩んでたけど、やっぱり黙っているは気持ち悪くて、ぼくは涼ちゃんに、さっきの事を話す事にした。
「ん?どうしたの?」
涼ちゃんもお蕎麦の上に乗っていた山菜を一口食べてぼくを見る。
「さっき、涼ちゃんに会う前にね… 」
ぼくは、涼ちゃんが昔、好きだった人に話し掛けられた事。
その人が涼ちゃんを心配している様子だった事。
そして…涼ちゃんに『ごめん』と言っていたことを、順番に話した。
涼ちゃんがどんな顔をするのか、不安だった。
でも、最後まで話を聞いてくれた涼ちゃんは、意外にも、あっけらかんとしていた。
「そっかぁ。ありがと!教えてくれて。」
「う、うん。」
ずるずるとお蕎麦を啜る涼ちゃんに、少し拍子抜けしたけれど。
でも、黙っているよりはずっと良かった気がして、ぼくも続けてお蕎麦を啜った。
「あのさ…、」
何となく。
…今なら聞ける気がして、ぼくはもう一度口を開いた。
「ん?」
「その…涼ちゃんが好きだった人って、若井に似てるよね。」
「あぁ〜、そう言えば彼らもそんな事言ってたよね。」
涼ちゃんが言う“彼ら”とは、今年の夏何度も絡んできたあの連中の事。
その言葉を聞いて、気を悪くさせてしまったかと思い、慌てて『あ、変な事言ってごめん!』と謝った。
だけど、やっぱり涼ちゃんは全然気にしてない様子で、『え?全然だよ〜。』と言って、いつもの笑顔を見せた。
「ん〜、言われて見れば雰囲気は似てるかもねぇ。」
そう言って、ふわっと笑った涼ちゃんの顔は、さっきの笑顔とは少し違っていた。
やわらかくて、どこか遠くを見ているような…誰かを思い出すときのような、優しい笑顔だった。
その笑顔が、前に好きだった人を思い出して浮かんだのか。
それとも、もしかしたら、若井の事を思い浮かべているのかも。
…分からなかった。
けれど、 ぼくはこの話をした事を少しだけ後悔した。
「ねぇ、元貴のお揚げさん一口貰っていい?」
「え?うん。いいよ。」
「ありがと〜!僕の山菜もあげるねぇ。」
涼ちゃんは美味しそうにぼくのお揚げさんをぱくりと食べると、自分のお蕎麦に乗っている山菜をぼくのお蕎麦にひょいっと乗せた。
涼ちゃんから貰った山菜を食べてみると、 ほのかに苦くて、少し癖のある味だった。
その独特な苦味が、なんだか今のぼくの気持ちみたいで、 思わず、苦笑いしてしまった。
・・・
お腹がいっぱいになった帰り道。
来たときとは違って、夜風が吹く暗い道を、ぼくたちは並んで歩いていく。
「三人もいいけどさ…たまには二人もいいよねっ。」
ふいに涼ちゃんがぼくを見てそう言った。
「うん…そうだねっ。ふふっ。」
心臓が、ドキンと大きく跳ねた。
案外、ぼくって単純なんだなって思って、つい笑ってしまった。
「えぇ〜、なに?僕、なんか変な事言ったぁ?」
急に笑い出したぼくに、涼ちゃんはちょっとむくれたような顔で聞いてくる。
でも、その顔がなんだかもう可愛くて…
「ふふっ。んーん!なんでもない! 」
「えぇ〜!なによぉ〜。」
その言い方さえも愛しくて、ぼくはまた笑ってしまった。
「ふふふっ。涼ちゃん可愛いなーと思って。」
「えぇ〜、元貴の方が可愛いよ?」
「ほんとー?じゃあ、コンビニでお菓子買ってくれるー?」
「いいよ。1個だけねっ。」
「あははっ、いいんだ。 」
むくれてた涼ちゃんもいつの間にか笑ってて。
澄んだ秋の夜空に、ぼく達の楽しそうなぼく達の声がふわりと響いていった。
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可愛い😭