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向日葵が散る前に。

第35話 - 𝟹𝟶話　「お礼をしたくて」

2025年08月02日

#ヒューマンドラマ

#感動

#オメガバース

#シリアス

#家族

#ドラマ

猫塚ルイ

それから数日後、俺は医師から抑制剤を処方してもらい
普段通りの生活、とは言えないが

なんとか店にも出ていた。

いつもの時間し仁さんが変わらず顔を出してくれて

「仁さん……！この間は、大変お世話になりました…！」

仁さんに改めてお礼を言ったが

「いいって。それより、お兄さんから聞いたんだ。例の薬のせいで再発しちゃったんだって」

いつも通りの穏やかな顔で俺の体調を心配してくれた。

「あ、はい…すみません……またご迷惑おかけして。それで、その…よかったら…」

「別にお礼とかいいから」

「お、俺が言おうとしたことなんで分かって…？」

「くくっ……顔にお礼しなきゃって書いてるから」

「書いてないですよ！…あと、その……さんが助けてくれたとき、ずっとジャケット借りっぱなしだったんで、返そうと思って……」

俺は綺麗に洗濯して持ってきた仁さんのジャケットを紙袋に入れたまま差し出した。

「そんな、律儀に綺麗にしてくれなくてよかったんだけどね」

と言ってくれたけれど、薬を買ってきてくれたお礼もまだしてないからと言うと渋々受け取ってくれた。

そして帰り際、いつものように花を手渡すときにさりげなくおもいを告げた。

「……またいつ発情するか分からないですけど…しばらく抑制剤飲むことになったので、だから迷惑はかからないと思うので……！」

「これからもその…一緒にラーメン食べに行ったりしたいんですけど、いいですか…？」

そう言うと、仁さんは少し驚いたような顔をしてから

「ふっ……もしかして気にしてたの？行くに決まってるじゃん」

と笑ってくれた。

その仕草が俺にとっては、とても心地よかった。

仁さんの笑顔はやっぱり、安心できる。

────────

──────…

それから俺は定期的に来る発情期に苦しみつつも

仁さんはやはり俺を気遣ってくれて、辛いときはいつも側にいてくれた。

そして、発情期が過ぎたころ

仁さんにいつものお礼も兼ねて久方ぶりに呑みに誘うことにした。

早朝5時ちょうど

朝の準備もあるので、ちょっと朝早いが連絡しておこうと思いスマホ片手に

LINEのトーク画面で仁さんに

【仁さーん、今日って何か予定ありますか？】

と打って送信する。

すると、数分のうちに既読が着いた。

【特に無いよ。どした？】

【じゃ、今日の夜一緒に食べ行きませんか？俺の奢りです！】

そう返すと、またすぐに既読がついて

【店8時ぐらいに上がるから9時からでもいい？】

【はい、丁度いいです】

【店はもう決めてんの？】

【この前、麺処一笑行ったじゃないですか。そこから歩いて20分ぐらいのところに「旨いもん酒場バッチョ」ってとこあるんですよ】

【それ昔よく行ってたとこだわ】

【あー、じゃあ他のところがいいですかね？】

【いや、そこでいいよ。楓くんとは行ったことない

んだし】

【よかった。それじゃ、9時に予約しときますね】

【あんがと】

淡々と話は終了し、時刻は5時10分

スマホの画面をサッと閉じ、

俺は開店準備が遅れたら大変だと思いキッチンに向かった。

キッチンのひんやりとした床が素足に心地よい。

今日は金曜日

朝の空気も、いつもより少しだけ張りつめている気がする。

週末前のせわしなさと

どこかほっとするような緩みが混ざったような

不思議な空気だ。

「……よし、今日はクロワッサンにしよ」

昨日のうちに買っておいた

バターの芳醇な香りを纏うクロワッサンを袋から

そっと取り出す。

表面は薄く焼き色がついた褐色で、見るからに美味しそうだ。

ナイフを横に入れると、ふんわりとした層に心地よく包丁が沈んでいく。

この感触が、たまらなく好きだ。

具は、昨夜スライスしておいた豆腐ハムと、冷蔵庫でシャキッと冷えているリーフレタス。

ほんの少しだけ、粒マスタードを添える。

ピリッとした辛みが、朝の眠気を吹き飛ばしてくれるだろう。

「あ、グレープフルーツもあったんだっけ」

思い出したように冷蔵庫を開け、予め冷やしておいたピンクグレープフルーツを取り出した。

半分にカットすると、つややかな果肉が朝日に透けて、きらきらと光る。

朝の光に果物を透かして眺めるのは、毎日のささやかな癖のようなものだ。

エスプレッソマシンのスイッチを入れると

低くうなるようなモーター音とともに、深く焙煎された豆の香りが部屋いっぱいに満ちていく。

「ん……いい香り。やっぱりこの香ばしさがないと落ち着かないな」

小さなデミタスカップに注がれた濃密な黒。

一口、そっと口をつけるだけで、身体の芯がしゃんと目を覚ますようだ。

苦味の奥に広がる香ばしさが、じわりと全身に染み渡る。

テーブルに並べた朝食を眺めて、俺はふっと口元を緩めた。

クロワッサンサンド、ピンクグレープフルーツ

そしてエスプレッソ。

シンプルながらも、自分にとって最高の組み合わせだ。

「よし、いただきます！」

静かに手を合わせる。穏やかな一日の始まり。

この時間だけは、誰にも邪魔されない

自分だけの庭みたいで、ちょっと好きだ。

朝食を味わい、皿を片付けて歯を磨いて顔を洗う。

食べ終えた食器をさっと片付け

同時に顔を洗い歯磨きを済ませる。

いつものトートバッグを手に取って最低限の物を入れると、身支度をしたころには5時45分。

玄関に立てかけてあった家の鍵を手に取る。

「行ってきます」

誰もいない部屋に小さく告げ、パタンとドアを閉めた。

ひんやりとした早朝の空気が頬を撫でる。

まだ人通りの少ない道を、俺は花屋へと急ぐ。

馴染んだ通りの角を曲がると、ひっそりと佇む自分の店が見えてきた。

シャッターを開けるカギを差し込み、ガラガラと音を立ててシャッターを上げる。

開店準備だ。

まだ薄暗い店内は、どこか眠っているような静けさに包まれている。

電気を付け、一旦作業服に着替えようとスタッフルームのある2階へと上がる。

ロッカーの中のエプロンを掛けられているハンガーから外して上から織る。

ひんやりとした空気が、俺の呼吸と共に店の隅々まで染み渡る。

1階に降りると

新鮮な水を張ったバケツを用意し、仕入れたばかりの花々を丁寧に並べていく。

ひんやりとした花びらの感触、朝露を含んだ葉の瑞々しさ。

一本一本、茎を切り戻し、水を吸わせる。

色とりどりの花が、まるで眠りから覚めるように、ゆっくりと顔を上げていく。

俺の手の中で、生命が息吹を取り戻していくよう

だ。

「ふう……」

全て並べ終え、ざっと店内を見渡す。

正面のショーケースには、今日のメインであるトルコギキョウが誇らしげに並んでいる。

柔らかなパープル、清らかなホワイト、そして可憐なピンク。

小さなアレンジメントやブーケの材料も準備万端

俺は最後に看板を店の前に出し

壁掛けのCLOSEとなっていた看板をOPENにひっくり返し、いつも通り店を開いた。

「楓ちゃん、おはよう」

聞きなれた声に振り返ると、にこやかな笑みをたたえる常連の相澤さんがいた。

「相澤さんおはようございます！」

「相変わらず、早いわねー」

仁さんに連絡した今朝から正直、ずっとそわそわしていた。

発情期が過ぎて落ち着いたとはいえ

仁さんと二人きりで飲むのは、なんだか特別な感じがする。

それに「旨いもん酒場バッチョ」は初めて行く店だから、ちゃんと予約が取れているかとか

仁さんは楽しんでくれるかとか、色々考えてしまって。

でも、日頃の感謝の気持ちを伝える絶好の機会だ。

俺がしっかりしないと。

◆◇◆◇

そうして迎えた夜

定時に仕事を終え、一度家に帰って身支度を整え

る。

普段着だが、少しでもきちんとして見えたくてお気に入りのシャツを選んだ。

店の前に着くと、提灯の明かりが温かく

活気のある声が漏れてくる。

俺が店に入ると、笑い声と、焼き物の香ばしい匂いがふわっと漏れてくる。

知らない空間に一歩踏み出すのはまだちょっとだけ緊張するけど

今日だけは俺から誘ったんだから、ちゃんと最後まで頑張らないと。

予約名を告げると、奥の二人席に案内される。

席についたあともなんだかそわそわしてしまう

壁には手書きのメニューがずらりと貼られていて、どれも美味しそう。

仁さんは昔知り合いと来たって言ってたけど

（オススメとかあるのかな…教えてもらお）

なんて考えてしまう。

◆◇◆◇

予約時間の午後9時。

暖簾が揺れて、仁さんが入ってきた。

店の明かりに照らされた仁さんの顔は、昼間とはまた違う、少しリラックスした表情に見える。

「楓くん、待った？」

顔を上げると、仁さんが立っていた。

相変わらず落ち着いた雰囲気で

黒のカーディガンに白T、ラフな服装なのに妙にサマになってて、なんだか目が逸らせない。

「いえ、今来たところです！」

俺は少しどもりながらも、精一杯の笑顔で答えた。

二人で飲むのは久しぶりだし、少し緊張する。

でも、今夜は思いっきり楽しんで、仁さんに感謝の気持ちを伝えよう。

そう心に誓った。

仁さんはいつも通りの穏やかな笑みで俺の向かいに腰を下ろした。

「なんか懐かしいなこの店。前はよく来てたんだけど、最近全然だったからな」

「そうなんですね。でもあの、仁さんが昔よく来てたって聞いて、ちょっと緊張しました」

「なんで？」

「……いつものお礼も兼ねて誘ったので、行ったことない店の方が良かったかなぁと…」

そう言ったら、仁さんは少し目を丸くして、それからふっと笑った。

「なんだ、そんなことか。そんな気にしなくても楓くんとなら、どこでも楽しいってもんだよ」

その一言で、ふわっと胸の奥があたたかくなった。

とりあえずで生2つを頼むと、すぐにジョッキが運ばれてきた。

「じゃあ、とりあえず……乾杯しますか！」

「ん、1週間おつかれ」

「お疲れ様です」

二人揃ってグラスを片手に、カシャンっと鳴らした。

乾杯のグラスが軽く鳴って、その音が俺の心にも響くようで。

向日葵が散る前に。

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