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「……順番は、逆になったが……いますぐ、結婚してくれ」
「……は?」
結婚?いま、結婚って言ったわよね!?私を処刑する張本人が夫になるなんて、死神と添い遂げるようなものじゃない。そんなの絶対にお断りよ!!
「私は公爵夫人にふさわしくない女なのよ。だから今すぐ婚約破棄を――」
「責任は取る」
「……はい?」
「婚礼前に、俺はお前に触れた」
「いや、それは作戦上……じゃなくて、その」
「この国で、それがどういう意味を持つか分かっているはずだ」
分かっている。分かっているからこそ、そこを利用したのだ。公爵夫人に相応しくない女。そう思われれば、一発で幻滅されて婚約破棄されるはずだった。
なのに、アレクの堅物すぎる脳内は、予想とは真逆の方向へ突っ走っていた。全責任を負う。つまり、即結婚。
「一日でも早く結婚式を挙げる」
「はあああああ!?」
違う。そこじゃない。責任感の使いどころが違う!まさか、原作のヒロインへ向かうはずだった執着ルートを折ったせいで、その激重な感情が――全部私に向いたってこと!?
嘘でしょ。冗談じゃない。婚約破棄して、ただ平穏に生きたいだけなのに!
「……俺のことを愛していると、何度も……」
(え、そんな重大な告白、した覚えがないんだけど!?)
記憶フォルダを必死に検索し、数日前――「無理ゲー攻略」の夜へと巻き戻す。もしかして、あのとき……?
『……バイオレッタ、愛している。一生、離さない』
『私もですわ……っ♡』
アレクの切実な囁きに、私は広い背中に腕を回し、耳元でこう返したのだ。
(いやいやいや! あれはその場の雰囲気よ!)
(気持ちを高めるための、ただの掛け声みたいなものでしょ!!)
(それを一言一句、真面目に受け取るなんて。この人、見た目に反してちょっと純情すぎるんじゃないの!?)
「……結婚するのが……嫌、なのか?」
私がすぐに答えなかったのが、よほど堪えたのだろう。
目の前のアレクは、さっきまでの威圧感が嘘のようにガックリと肩を落とした。雨の中に置き去りにされた大型犬みたいに、しゅんと俯いている。
「うっ」
良心が、チクリと痛んだ。
(ちょっと可哀想だけど……悪いわね)
(あんたと一緒にいたら、私の人生は破滅エンドへ一直線なのよ!)
(ここで情に流されるわけにはいかないわ!)
ここは逃げるしかない。私は周囲を見回す。中庭には、登校してきた生徒たちが集まり始めていた。このままだと、学院中に妙な噂が広がってしまう。
「……あ、あちらに国王陛下の姿が! 緊急の呼び出しではないかしら!?」
「何……?」
アレクの視線が逸れた。
(――今だわ!!)
スカートの裾を豪快に掴み上げ、校舎に向かって全速力で走り出す。慣れない全力疾走で身体は悲鳴を上げているけれど、ここで捕まるよりはマシよ!
「おい! 待て……バイオレッタ!!」
戦場の英雄に追いかけられる令嬢なんて、この国の歴史に一人もいないわよ!王立魔法学院の複雑な回廊を駆け抜ける。どこか隠れるところは――その時。
「……そんなに慌てて。可愛い子猫ちゃんは、一体何から逃げているのかな?」
甘い香水の匂いが、ふわりと鼻をくすぐった。そこに立っていたのは、陽光をそのまま閉じ込めたような美貌の青年。
プラチナブロンドの髪。ターコイズブルーの瞳。余裕たっぷりの笑み。背後に薔薇の花びらが舞って見えるほど、絵になる存在だ。第二王子、レオン・リュミエール。フローラの正規ルートの相手。つまり、私の最推しを幸せにするはずの王子である。
「レオン殿下……!」
思わず声を上げた。助かった。ここでかくまってもらえれば、アレクから逃げられる。そしてレオンとフローラを引き合わせれば、正規のハピエンルートへ戻せるかもしれない。
「お願いです。少しの間だけ、かくまっていただけませんか?」
「へえ?」
レオンは面白そうに目を細めた。
「そんなに必死になって……痴話げんか?」
「ち、違います! いろいろ事情がありまして!」
全力で否定する。レオンの視線が私の首元に落ちた。
「君、それどうしたの?」
「え?」
レオンは自分の首筋を、長い指でつうっとなぞる。つられて視線を落とし、私は息を呑んだ。走った拍子に、制服のブラウスの第一ボタンが外れていた。そこには、例の夜の名残りがうっすらと残っている。
「……っ!」
慌てて襟元を押さえた。
「ふうん。やっぱり痴話げんかの真っ最中ってわけだ」
「違うって言ってるでしょう!」
「どうかなあ。僕が特別に助け舟を出してあげようか?」
レオンはマントを翻し、私をその陰に隠した。そして、肩を強く抱き寄せる。
「ちょ、近いです!」
「隠れているんだから、仕方ないよ」
直後、廊下の角からアレクが姿を現した。彼の背後には、どろりとした黒いオーラが見える。
「……レオン、彼女を離せ」
アレクの声は、もはや宣戦布告だった。けれど、レオンは涼しい顔で受け流す。
「おっと、ベルシュタイン公爵。淑女をそんな怖い顔で追い回すもんじゃないよ。彼女は今、僕に助けを求めているみたいなんだから。……ねえ、バイオレッタ?」
助かったような、余計に面倒になったような気持ちで固まった。
「来い、バイオレッタ。話はまだ終わっていない」
「私のことはもう忘れてって言ってるでしょ!」
叫んだ途端、回廊の空気がマイナス三十度に凍りついた。レオンは「わあ、怖い怖い」と肩をすくめた。けれど、その口元にはすぐ楽しげな笑みが浮かぶ。
「君たち、ずいぶんとお熱い仲なんだねえ」
(ちょっと王子! 助けてくれるんじゃなかったの? 面白がってないで、早くこの場を収めなさいよ!)
私はレオンを睨みつけ、その腕をポカポカと叩いた。すると彼は、クスクス笑いながら不意に私の顔を覗き込んでくる。
(……ちょっと近すぎない?)
「わかったよ。じゃあ……僕の恋人になるのはどう?」
「え?」
聞き返すより早く。チュッ、と。柔らかい感触が、右の頬に触れた。
「――っ!?!?」
「君が僕の恋人になれば、さすがに公爵も手出しはできないでしょ。悪くない提案じゃない?」
周囲に薔薇が舞うような、イケメン王子の甘く溶ける囁き。けれど、私の頭は衝撃のあまり完全にフリーズしていた。
(なんなのよ!? なんでこの王子は私にキスなんてしてるのよ!)
(私は悪役令嬢よ!? あんたがキスすべき相手はフローラでしょ!!)
……いや、落ち着け。レオンは原作でも、誰にでも甘い言葉を囁くチャラいヤツだった。きっと本気じゃない。だって彼はこのあと、フローラの一途さに心を動かされていくはずなんだから。
「……貴様……ッ!!」
アレクが腰の剣の柄に手をかける。二人の視線が、火花を散らすように衝突した。彼の瞳から、本物の殺気が立ち昇る。
「二人とも、落ち着いて!」
これ、もしかして死亡フラグ!?二人の争いに巻き込まれて、真っ先に私が消されるパターンじゃないの!?その時だった――。
「――きゃあああっ!?」
頭上から、悲鳴が響いた。