「ばか!」
リズに思いっきり頭をはたかれて、マシューは頭を抱えた。
「お見舞いに来て、するような話じゃないでしょ!」
「いってー」
私はベッドの上で半身を起こした状態のまま、ちょっと首を傾げる。
「湖って、家の裏の?」
彼は目を輝かせて身を乗り出した。
「そ。湖の真ん中に島があってさ、建物が建ってるだろ?あれが『開かずの修道院』なんだ。迷い込んだら二度と出られないっていう……」
今度は彼女の肘鉄が降ってくる。幼馴染なだけあって、容赦がない。
「くだらない話、しないの!やめてよね、最近行方不明事件が多くて怖いんだから」
「行方不明?」
「あれ?テレビ見てねえ?毎日、ニュースでやってんじゃん。若い男女ばっかり、もう何人も消えてるんだぞ。ほんのちょっとした隙にいなくなっちゃうんだってよ」
ダボっとしたトレーナーの裾をずり上げながら言う。お兄さんのお下がりかな。ちょっとサイズが合ってない。胸に大きく入ったロゴも少しはげてきている。
マシューは嫌がるけど、私は一人っ子だから兄弟っていいなあと思う。
「学校でも注意されてるのよ。あんまり一人で出歩かないようにって」
「これだけ多くの人がいなくなってんのに、まだ手がかりナシでさ。悪魔の仕業だって噂もあるくらいで……」
「アクマ……?」
私の視線を受けて、リズが笑う。
「大丈夫だって!誘拐犯も悪魔も、流石にこんな田舎まで来ないよ。もう、そんな話はやめやめ!それより……じゃん」
彼女は後ろ手で持っていた箱を前に突きつけた。箱には赤いリボンがかけられている。
「お誕生日、おめでとう!!」
「わあ!」
箱の中には、カラフルに彩られたケーキが入っていた。表面にはピンクのチョコレートペンで、HAPPY 14TH BIRTHDAY LENAと書かれている。
「今日はレナの誕生日だもん!やっぱケーキが無くっちゃね!」
「これ、リズが作ったの?」
「うん!頑張っちゃった!」
「すごい!ありがとう、嬉しい!!」
「なあ……これ何?」
さっきから妙な顔をしてケーキを覗き込んでいるマシューが、ケーキの上にチョコペンで描かれた模様を指さした。
「……アメーバ?」
「なんでそんなちっちゃな生命体がケーキに乗っかってんのよ。お花でしょ、お花」
「花ァ!?これが!?」
「別にマシューのために描いたんじゃないもーん。レナが分かればいーの!ね!」
「うん!私、お花に見える!」
「何言ってんだ。これはむしろ地球外生命体……いてっ!」
「誕生日に見舞い来といて、プレゼントの一つも用意してないヤツに言われたくない!」
「うるせーな、別にいいだろ……いてててて!!」
「レナ、ケーキ少しなら食べられる?」
リズはマシューの腕をさらに捻りながら笑顔で聞く。
「もし今、食べたくなければ後で……」
「ううん、食べる。一緒に食べよう」
食欲はこのところ、あまりない。
パンもケーキも、もう随分口にしていない。ぱさぱさしたものを飲み込むのが辛くて、このところ食事はスープやオートミールばかり。だけど、このケーキは食べたかった。二人と一緒に。
「オッケー。じゃ、ナイフとフォーク持ってくるね。お皿も」
私の手からケーキを受け取ると、軽やかに部屋を出て行く。やがて下から話し合う声と食器の触れ合う音が、微かに聞こえてきた。
「えーっと……」
残されたマシューが少し所存なさげにトレーナーの裾を捲り上げる。
「おばさんは?下で見なかったけど……」
「お母さん、おとといからお仕事で主張中なの……」
「レナの誕生日なのに?」
「うん。なんだか今、大きなお仕事を抱えているんだって……」
家には父さんがいない。お母さんは一人で家を守っているから、とても忙しい。寂しいこともあるけど、私ができるのは我慢くらい。だから平気。それに……。
「平気。アーウィンがいるし」
「ああ、あの住み込みのお手伝いさん……」
彼は顔をちょっとだけ顰めた。
そういえば、アーウィンと話しているのあまり見たことない。リズは家に来るとよくお話してるんだけどな。彼女に言わせると、「影のあるオトナの男」らしい。
彼は忙しいお母さんの代わりにいつでも側にいてくれる。だから寂しくない。それは嘘じゃないけど、やっぱり友達とは違うから。
「早く学校行きたいな……」
ポツンと本音が漏れた。
もう一ヶ月近く、学校に行ってない。体調のいい時にはお母さんやアーウィンに教わっているのに、やっぱり学校の勉強からは随分遅れてしまう。大丈夫かな。学校に戻った時、ちゃんとついていけるかな……。
「そうだ!な、レナ!」
黙り込んだ私を元気づけるように、勢いよくベッドの端に腰掛けた。ベッドが弾んで私も弾む。こんなちょっとのことでも楽しくなる。
元気な人のそばにいると、自分まで元気になる気がした。だから、リズとマシューといるのが大好き。
元々体が弱かった私は、生まれてからずっとこの家を離れていた。小さかったからあまり覚えてないけど、遠い町の病院に入っていたんだそうだ。
少し丈夫になってきて、やっとこの家に戻って来れたのが五年前。リズとマシューはそれ以来の友達だ。
「あのさ、今度の夏にみんなでキャンプに行こうって計画してるんだ」
「キャンプ?どこに?」
「湖!」
「湖……?」
思わず窓の外に目をやった。家の裏に広がる湖には、今日もうっすらとモヤがかかっている。モヤの中、小さな建物が見えた。『開かずの修道院』が。私の視線を追った彼が慌てて手を振る。
「違うって!そこの湖じゃねーって。ここからちょっと山の方へ行ったとこにも湖があるんだよ。ちょっと地味なとこだけど、でも水がキレーで。泳ぎまくれる!」
私の知ってる湖は、家の裏に広がる湖だけ。静かで深い緑に澱んだ湖。藻が多くて足を取られるから、遊泳は禁止されている。それ以前にあの陰鬱な色の水では、泳ぐ気になんてならないけど……。
「綺麗な湖かあ……いいなあ、行ってみたいなあ……」
「何言ったんだよ。だからレナも一緒に行こうって!」
「えっ……でも……」
答えに詰まった。だって私にはキャンプなんて……それに……。
「私……泳げないから……」
「えっ、そうなの?」
「泳いだことないの」
「ええっ!マジで!?」
泳ぐのは当たり前のように禁止されていたから、泳いだ記憶がない。泳げないというより、泳げるかどうかわからないというのが正確なところだ。
「ならちょうどいいじゃん!」
マシューが勢い込んで言う。
「覚えようよ、泳ぎ。オレ、教えてやるから!湖でさ」
「えっ……ほんと!?」
「うん!任せろって!……えと、だからさ……」
彼の声が急に小さくなった。でもちゃんと続きが聞こえたから、大きく首を縦に振って答える。
「うん!」
彼は「早くよくなれよな」って言ってくれたのだ。
「私、絶対元気になるね。キャンプに行かせてもらえるように頑張る!ご飯もっとたくさん食べるようにするし、お薬もいっぱい飲む!」
「いや、薬はあんまいっぱい飲まない方が……」
「息止める練習もしておくっ。水の中で目を開ける練習も!」
「い、いいってそんなに気張んなくて!それより……あ、あのさ」
「泳ぎ方の本も読んでおくからーーえ?」
おずおずした声に、興奮して溢れ出す言葉を押し留めた。見ると、なぜかちょっと赤い顔をしている。
「あのさ、オレ、ほんとはーー」
その時、出し抜けにドアがノックされた。マシューが傍目でわかるほど、ビクッとする。
「レナ、入りますよ」
ドアを開けたのは、お手伝いさんのアーウィンだった。片手に、ジュースの入ったグラスを乗せたトレーを持っている。その後ろから、ケーキを捧げ持ったリズが入ってきた。
「おー待たせー!」
「わあ、蝋燭だ!」
ケーキの上にはいくつもの蝋燭が立っていて、火が灯っている。
「蝋燭を忘れるわけにはいかないわよー。ちゃんと十四ね」
ゆらゆらと火が揺れて、ケーキはベッドサイドのテーブルへ運ばれた。炎の数を数えようとしたら、ふとさっきマシューが何か言いかけていたのを思い出す。
「マシュー、ごめんね。さっき、何だった?」
「や、別に!なんでもない!」
ズボンのポケットから慌てて手を出すと、ぶんぶんと首を横に振った。
「なんの話?」
蝋燭の位置を最終調整していたリズが顔を上げる。
「何でもねーって!!」
「何よう、内緒話?」
拗ねたように言う彼女を見て、マシューをフォローした。
「キャンプの話、してくれたの」
「あ、夏の!聞いた?」
「うん、楽しそう」
「そうよー。レナもメンバーに入ってるんだから、夏までに元気にならなきゃダメよ!」
「……うん!」
嬉しくなって勢いよく頷きながら、チラッとアーウィンを見る。彼は口の端を上げて微笑んでみせると、何も言わずに部屋を出ていった。
あの「にこっ」はいいですよかな?ダメに決まってるでしょ、かな?
……ううん、大丈夫!アーウィンが文句言えないくらい、元気になればいいんだもの。
「よしっ。それじゃ、マシュー!カーテン閉めて!」
明るくマシューに指令を飛ばす。
「ええ?」
「いーから、ほらっ。閉めたら、こっち来て座る!」
私たちは顔を寄せ合ってケーキを囲んだ。薄暗くなった部屋の中、蝋燭の炎が互いの顔を照らす。
「何だか秘密の儀式みたいね?」
嬉しくなってリズに聞いた。
「ロマンチックでしょー?」
「……むしろ黒魔術っぽいと思うんだけど」
「ロマンチックなの!ほら、二人とも手握って」
言われた通り、三人で輪になって手を握る。
「本当に秘密の儀式みたいね!」
「オレにゃ、ますます悪魔を呼び出そうとしてるようにしか……」
「ごちゃごちゃ言わない」
マシューを嗜めると、彼女は目を閉じた。私の手を握る手にきゅっと力がこもる。
「……レナ、誕生日おめでとう」
「ありがとう」
「十四歳がレナにとって素晴らしい年になりますように。レナが早く元気になりますように……」
少し考えてから付け足した。
「あと、マシューの成績がもう少しマシになりますように!」
「ほっとけ」
私は思わずくすくす笑う。
「ね。アタシたち、友達だからね。これからもずっと、友達でいようね。約束だよ?」
「うん!約束!」
「…………」
彼はそっぽを向いていたけど、急にいてっと叫んでリズを睨む。彼なりのYESだ。
私と彼女は顔を見合わせると、声を出さずに笑い合った。
「よし。じゃ、三人の友情とレナの誕生日をお祝いして……レナ、蝋燭消して!」
「うん!」
胸いっぱいに空気を吸い込んで、ふうっと息を吹きかける。十四の炎は大きく揺らめいて消えた。
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