テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
法雨と京が、かの探偵殿の初恋を案じて過ごした秋も、いよいよと次季に移り変わろうとしていた十一月の事。
その日の日中――、ちょうど、ティータイムを過ごすのに最適な時刻に、都内は、突然の豪雨に見舞われていた。
「――はぁ……。――最悪だわ……」
(――こんな豪雨になる予報なんて、今朝はされてなかったのに……。――お天道さまは本当に気まぐれねぇ……。――丸一日のお休みなんて久々だったから、気合い入れてお買い物しちゃった後なのよ? ――もう……)
さらに、そんな法雨に、水どころか止めを刺すかのように、その気まぐれ豪雨は、法雨のなけなしの折り畳みの傘をも破壊した。
(この傘も、お気に入りだったのに……。――これじゃあ修理も難しそうだし……、――残念だけど、お別れするしかないわね……。――もう……、非道いんだから……)
法雨は、窮地で見つけた“準備中”のバルの軒先で雨宿りをする中、その――すっかりと元気をなくしてしまった傘を見やりながら思うと、次いで、ざんざんと豪粒を非情に降り注がせている天に向け、不満げに口を尖らせた。
すると、そんな法雨に、ふと声がかけられた。
「法雨さん……?」
その声の方をはたと見やると――、そこには、法雨が随分と久しく感じる男が立っていた。
― Drop.019『 The EMPRESS:R〈Ⅰ〉』―
まさか、このような豪雨の中で“ウワサの探偵殿”との再会を果たすとは夢にも思わず、法雨は、驚きながら紡ぐ。
「――あ、雷さん!? ――ど、どうしてここに……」
すると、豪雨にも関わらずコンビニにでも行っていたのか――、小ぶりなビニール袋と立派で頑丈そうな傘を手にした雷は、心配するような声色で言った。
「すっかり雨にやられてしまってますね……。――法雨さんこそ、どうしてこんな所で……、――あぁ、――傘がダメになってしまったんですね……」
そして、法雨の傘のあられもない様子から、その様々な事情を察したのか、雷はそう言うと、手早く続けた。
「――実は、この上が、丁度うちの事務所なんです。――法雨さんさえよければ、――雨が止むまで事務所にいらしては」
その雷が指し示したのは、法雨が雨宿りをしていたバルが入った、背後のビル右手の階段口だったのだが――、そこには、ビルに入っている店名などが示された鉄製プレートが並んでいた。
そして、それらを確認すれば、一階にはバルの店名が記されており、その上の二階には、法雨にとっても随分と馴染みのある――“雷探偵事務所”の名が、確かに記されていた。
「まぁ、本当! ――まさか、こちらの上が事務所だったなんて。――全然気付きませんでしたわ」
その表記を見るなり、法雨が苦笑すると、雷は穏やかに笑み、言った。
「ははは。――こんな豪雨の中ですからね。――足元か空くらいしか見てられませんよ」
そして、そう言うなり、雷は、ビルの案内プレートを見るため、軒先から半身を出した法雨を、豪雨から傘で護る様にした。
法雨は、その雷に気付き、慌てて言った。
「――アラ、ごめんなさい。――雷さんが濡れちゃいますから、アタシは大丈夫ですわ。――それと、先ほどのお話ですけど、――依頼人でもないのに、事務所にお邪魔してよろしいんですか?」
法雨が、さっと軒先にその身を引っ込めながら言うと、雷は変わらぬ笑顔で頷く。
「勿論です。どうぞ遠慮なく。――それに、毎日忙しくしておられるんですから、風邪をひいてしまっては大変でしょう」
雷の云う通り、法雨は、家族が代々営んできた大切なバーを営む事も、自身の生き甲斐としているだけあり、風邪などをひいて、望まぬ休日など作ってはいられない――というのが本心だ。
それゆえ、法雨は、この度の雷の厚意を、丁重に受け取る事にした。
「――そうですね……。――それじゃあ、恐れ入りますけれど……、――今回は、お言葉に甘えさせて頂きますね」
「はい。――ぜひ」
そして、そんな法雨が礼を言うと、雷はまたひとつ笑むなり、すっかりとずぶ濡れた法雨を、丁重に事務所へと案内した。
💎
「――どうぞ、中へ」
雷は、事務所のドアを開けると、法雨を中へと促した。
「――あ、ありがとうございます。――でも、このまま入ると汚してしまいますわ……」
そう恐縮し、中に入るのを躊躇った法雨が羽織る秋物のジャケットは、両手に持っていた彼の荷物と共に、すっかりと濡れてしまっていた。
しかし、そんな法雨をも安心させるように笑むと、雷は再度促した。
「大丈夫ですよ。――ですので、さぁ」
「す、すいません。――じゃあ、このままお邪魔させて頂きますね」
「はい。――どうぞ、お気になさらず」
そんな雷の厚意に背を押され、法雨がおずおずと事務所に入ると、扉を閉めるなり雷は言った。
「――ジャケットの中も濡れてしまっていますか?」
「あぁ、いえ。――幸い、ジャケットの中は無事でした」
「それは良かった。――では、こちらにどうぞ。――あぁ、濡れてしまっているところは、これで拭いてください」
「――あぁ、本当にすみません。――ありがとうございます」
雷に促されたソファに腰掛け、髪から滴る雫をハンカチで手早く拭う法雨に、雷は、清潔感のある柔らかなタオルを丁寧に手渡した。
法雨がそれに恐縮しながら受け取ると、雷は笑んで続けた。
「――法雨さんは、紅茶でよろしかったですか?」
その問いの意図を察し、法雨はあたふたと恐縮しながら応じる。
「えっ、あ、あぁ、はい。――紅茶で、大丈夫です……。――もう、本当にすみません……。――何から何まで」
「ははは。俺が勝手にお誘いしたまでですから、そう恐縮なさらず。――それに、空が機嫌を直すのには、まだしばらくかりそうですからね」
タオルを受け取った法雨が、しきりに恐縮するので、一度事務所の奥に向かった雷は、そこから安心させる様にして言うと、次いで、奥から戻ってきては、洒落たティーカップを法雨の前にことりと置いた。
そして、落ち着いた高級感のあるローテーブルを挟んだ向かいのソファに腰かけると、雷は、自身の前にマグカップを置いた。
そこで――、洒落たティーカップの中、温かに煌めくオランジュカラーに対し、向かいのシンプルなマグカップでは、暗い鳶色が温かな水面を揺らしている事に気付いた法雨は――、以前、不意に投げかけられた京の言葉を思い出す。
――姐さんって、コーヒーと紅茶だったら、どっち派っすか?
(――………………。――や、やあね。――もう、今思い出す事じゃないでしょうに……)
そして、眼前の妙な光景から、妙な記憶を引き出してしまった法雨は、心内で慌てて引き出しを閉めると、“邪心”を祓う気持ちでティーカップを手に取り、まずはその香りを味わった。
「――ダージリンは、平気でしたか?」
その――秋摘みのダージリンらしい優しげな香りを楽しんでいると、法雨のやや斜め向かいに腰掛けていた雷が、柔らかく問うた。
法雨は、それにまた少し慌てながらも、笑顔で応じる。
「――あ、はいっ。――とても良い香りです」
「それは良かった」
そんな法雨に、安心したように言うと、雷もまた、コーヒーに口をつけた。
それから、雨音のみが心地よく空間を満たす――しばしの静寂の中、法雨は、温かな紅茶でたっぷりと心身を満たすと、改めて雷に言った。
「――雷さん。――今日は本当に、何から何までありがとうございます。――それで、あの、――お仕事の方は、今日はもうお済みなんですか? ――いくらご提案頂いたからとは云え、突然お邪魔してしまいましたから……、――文字通り、お邪魔になっていないかと……」
それに、雷は、また穏やかに応じる。
「あぁ。それも、ご心配なく。――本日分の仕事は済んでいますし、今日は依頼人が来る予定もないので、――安心して雨宿りしていってください」
そんな雷に、法雨はひとつ苦笑し、改めての礼を言うと、天の気まぐれが落ち着くまでの間、彼の厚意に甘える事にした。
💎
そうして――、それからしばらく、雷との雑談を交わして時を過ごした法雨は、またひとつの話題を終えたところで、意を決し、彼に“あの話題”を振ってみる事にした。
「――………………。――あの……、――雷さん……」
「はい。――なんでしょう?」
不思議そうに自身を見返す雷に、法雨は、慎重に言葉を紡ぐ。
「その……、――もし、失礼な事を伺っていたらすみません……。――あの……、実は……、少し前に……、――京から……、――雷さんの様子がおかしいって話を、お聞きして……」
すると、そうして緊張気味に紡ぐ法雨に反し、対する雷は、驚くでも、怪訝な顔をするでもなく、ただ、苦笑しながら言った。
「――ははは。――あぁ。えぇ。――そういえば、――京君から、法雨さんからもお力をお借りしたと、聞いていました。――彼にも随分と迷惑をかけてしまいましたが、――その節は、法雨さんにも、随分ご心配をおかけしてしまい、すみませんでした」
法雨は、そんな雷が詫びと共に軽く頭を下げるので、咄嗟に両手を前にし、慌てて言う。
「――いっ、いえいえ! ――そんな、――頭を下げられるような事はしていませんから……っ」
そして、その不意の事に戸惑いながらも気を取り直した法雨は、話を戻すべく続きを紡ぐ。
「――そ、その……、――アタシは、そうして頂きたくてお尋ねしたのではなくて……」
「?」
雷は、その法雨にまた不思議そうにすると、問う様に眉を上げる。
そんな雷に、法雨はさらに続ける。
「その……、――京から聞く限り、雷さんは、随分とお悩みなようでしたので……、――もし、機会があれば、――アタシも、自分の出来る事でお役に立てればと思っていたんです……」
「――“役に”……」
法雨は頷く。
「――はい。――アタシは、“あの日”、雷さんに助けて頂いてから、大したお礼も出来ていませんでしたので……、――恩返しとまではいきませんが……、――せめて、お礼になる様な事がしたくて」
そんな法雨に、雷は、“参った”とでも言いたげに、その大きな右手で自身の後ろ首を擦ると、苦笑して言った。
「――法雨さんは……、本当にお優しい方ですね」
法雨は、その言葉に首を振って言う。
「とんでもありませんっ……。――その、お恥ずかしいハナシ……、――アタシは、普通の恋愛らしいモノは、大して経験しておりませんけれど……、――そんなアタシも、お店では、本当に沢山の方々から色々なお話を聞かせて頂いてきたんです。――ですから、そうして、沢山のお客様からお借りしている経験だけは、山ほどありますので……、――きっと、少しはお役に立てるんじゃないかと……」
そして、法雨がそこまで紡ぐと、雷は、さらに困ったような笑みを浮かべ、言った。
「そんなにも気遣って頂いて、本当にありがとうございます。――ただ、そう仰って頂いたという事は……、――“恋愛的な事情で”しばらく難儀している、という事も、既にご存知なんですね。――そうなると、なんと云いますか……、――少し、気恥ずかしいものがありますね……」
その言葉に、しばし驚いた法雨は、慌てて謝罪する。
「ヤ、ヤダ。ごめんなさい。――アタシ、京があれやこれや話すものですから、――“その事”まで、アタシに伝わっていた事も、ご存知かと思って、つい……」
「ははは。――いやいや、いいんですよ。――伝わってまずい話というわけでもないですから、謝らないでください。――ただ、まぁ、情けない話なので」
そんな雷の様子に、法雨は、彼の――これまでとはまた違った柔らかな一面を見たようで、それに心が高揚するのを感じながら、にこりと笑んで言う。
「――“情けない”なんて、それこそ、とんでもありませんわ。――恋をすれば、誰しもが、あれやこれやと苦労するものです」
それに、雷は、またひとつ苦笑すると、しばし間を置いた後、法雨に問うた――。
Next → Drop.020『 The EMPRESS:R〈Ⅱ〉』