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藤白りいな…お転婆で学校のマドンナ。天然で、先輩や後輩など学校のほぼすべての人が名前を知ってる。
はるきと付き合ってる。海と仲が良いが、最近結構意識してる
天童はるき…ツンデレの神。りいなのことが大好きだが、軽く、好きなど言えない。嫉妬深い。
男子と仲のいいりいなが誰かにとられないかと心配してる。海に嫉妬中!
佐藤海(かい)…りいなのことが昔から好き。りいなと好きなど軽く言い合える仲。
結構チャラめ(?)デートなどはゲームだと思ってる
月下すず…美人だがなぜかモテない。はるきと海の幼馴染。りいなのことは好きだが、嫉妬中(?)
はるきと海のことが気になってるが、どちらかというとはるきのほうが好きらしい(?)
海目線
遠くの海辺。 夕陽はもう海に溶けていて、空は淡い群青に染まっていく。 波打ち際には、りいなとはるきのふたり。 手をつないで、指を絡めて、ゆっくり砂を歩いている。
かいは、テントの陰からその光景を見つめていた。 何も言わず。誰にも見られないように、ただひとりで。
「……手、つないだんだ」
ぽつりとつぶやいた声は、波音にすぐ吸い込まれていった。 笑いながらジュースを渡したり、冗談ばかり言ってた自分とは違う。 はるきは、ちゃんと言葉にして。 りいなは、ちゃんと応えてた。
かいの足が、砂の上をギュッと踏みしめた。 だけど、進まなかった。 動いたら、壊れそうだったから。
「俺が一番最初だったのに…… それ、守れると思ってたのに……」
誰にぶつけるでもないその言葉。 でも、かいの胸では、確かに音を立てていた。
すずが近くにいたわけでもない。 誰にも見られていない。 けれど——この“負けた感じ”は、誰よりも静かに自分を包み込んでいた。
少し風が強くなった。 テントの端がパタパタと音を立てた。
かいはそれに気づいて、小さく笑った。
「……全部、遅かったのかもな」
そう言って目を伏せたその瞬間—— りいなの笑い声が、遠くからもう一度風に混ざって届いてきた。
その笑いは、はるきに向いていた。 もう、迷いじゃなくて。
かいは黙って背中を向けて、 砂の上に、まだ誰にも踏まれていない道を、 ゆっくり歩き始めた。
りいな目線
砂浜に足跡を刻みながら、はるきの手を握って歩いている。 風が髪に絡んで、潮の香りが胸の奥まで染みてくる。
りいなは、さっきのはるきの告白を何度も思い返していた。 ふざけた笑い方で答えようとして――やめたこと。 ちゃんと「本気だから」って言えたこと。 そして今、手の温度がずっと隣にあること。
「…うれしいな」 りいなの心は、優しく灯っていた。
でも、視線の端に映るもうひとつの影。 テントの陰で、黙って海を見ていたかい。
ジュースを持った手をぶらりと下げたまま、笑っていないのに笑ってる顔。 言葉も、動きも、何も追いかけてこない。
けれど、彼の沈黙が、ずっと“気づいている音”に思えた。
その胸の奥に、りいなはふと触れた気がして。 波が寄せては返すタイミングで、そっと、心の中で言った。
「……かい、ごめんね」
それは、誰にも聞かれない声だった。 はるきにも届かない、小さな、ひとこと。
夕焼けの中。 波だけが、それをやさしくさらって、遠くへ連れて行った。
帰りの車内、誰もが少し静かだった。 お祭りの喧騒が遠ざかり、疲れと余韻が混ざりあって空気をゆるめる。
すずが先に乗り込み、くるりと振り返る。
「はるきくん、こっち来て!」 まるで無邪気なようで、計算された位置取り。
はるきは少し戸惑いながらも、すずの隣に座った。 それで、自然とりいなは別の席へ。 隣にいるのは、無言のかい。
りいなの目はとろんとして、頬に夕焼けの残り香が差している。 言葉もなく、足も肩もだらんとしていて、 次の瞬間――電車の揺れに身を任せるように、かいの肩へと寄りかかった。
かいは、息を止めた。 鼓動だけが騒いで、けれど、動けなかった。
「……ずるいな、こんなの」
誰に言った言葉でもない。 でも、その一言には、今日の全部が詰まっていた。
すずは振り向かず、窓の外に視線をやったまま。 はるきも、静かに何かを考えている。
揺れる電車の中、沈黙がそれぞれの心をくすぐった。 りいなの寝息だけが、かいの世界にそっと降りていた。
海目線
電車がカーブを曲がるたび、りいなの頭がわずかにかいの肩に沈む。 眠気に負けたその小さな重さが、かいの胸を締めつけた。
「起こすべきだよな……」
そう思った。 ほかの人に見られたら、きっと誤解される。 はるきにも。すずにも。 りいな自身にも。
でも。
「……このままでもいいって、思っちゃうのは俺のわがままか?」
彼女が無防備に肩を預けてくるなんて。 そんなの、都合よく期待してしまうに決まっている。
「疲れてるだけ。俺のことなんて、意識してない。……それでいいのに。 なのに、なんでこんなに嬉しいんだよ」
電車の窓に映る自分の顔は、どこか情けなかった。 でもその情けなさの中に、今だけの幸福があった。
りいなの髪がふわりと動くたび、かいの内心は騒いで。 目をそっと閉じた彼女に、声をかける勇気が、まだ出なかった。
「起こさない。……いや、ほんとは、起こせない」
彼女の“選ばれなかった肩”に宿る、その一瞬の居場所を、 かいは静かに守っていた。
朝の空気は、昨日の夜よりもずっと澄んでいた。 けれど、かいの胸の中には、ひと晩じゅう溜まっていた熱が冷めずに残っていた。
りいなの寝息。 肩の重み。 自分を選ばなかった事実。 なのに残るあのやさしい瞬間。
それを、もうしまいきれなかった。
校舎の影で、はるきと向き合ったかいの目には、静かな決意があった。
「はるき――俺、勝負させてほしい」
はるきは目を瞬いた。 冗談だと受け流そうとして、かいの真剣な顔を見て飲み込む。
「勝負って……何を?」
「りいなの気持ち。どっちが彼女を本気で向き合わせられるか。 選ばれたいんじゃない。俺は、選ばれる理由になりたい」
はるきは黙ったまま、少し顔を伏せて笑った。 その笑いには、苦さと友情と、火が灯る前の静けさが混ざっていた。
「俺も、まだ終われないと思ってた。いいよ、かい。……本気でやろう」
朝の光の中で握られる手は、友情か、宣戦布告か。 それはまだ誰にもわからなかった。
でも、その日から、物語は確かに動き出した。 りいなの知らないところで、二人の思いがぶつかる日々が始まったのだった。
教室には、ガムテープのカサカサ音と、脚立を引きずる鈍い音。 夏の終わり、文化祭へ向けての準備が本格的に始まった。
黒板には「3年C組『波打ち際の約束』」と大きく書かれた文字。 そう、彼らが描くのは“海辺の青春劇”。
はるきは背景班。絵筆を持って、海のグラデーションに集中してる。 りいなは衣装係。白いワンピースにレースをつけながら、すずと相談中。 かいは大道具班。波をかたどった木材にペンキを塗っている。
誰も、昨日の勝負のことには触れない。 でも、みんな少し張り詰めてるのは――たぶん気のせいじゃない。
すずがふと、手を止めてりいなに話しかけた。
「ねぇ、衣装、髪に貝殻とかつけるのどう?」
りいなは目を輝かせてうなずいたけれど、隣でペンキの筆を止めたかいの手が、少しだけ震えていた。
(舞台の上で、りいなが誰を見てるか。それを、見届けることになるんだな…)
準備は和やかで騒がしくて―― だけど、誰かの心は静かに煮え立っていた。
すずとはるき
教室の隅、ステージ用の布を吊るすためにすずが脚立に登っていた。 天井近く、手を伸ばすその姿は、少し無理をしていたのかもしれない。
「もうちょっと……あと数センチ……!」
誰もが作業に夢中で、気づくのが遅れた。 脚立が、ほんの少し傾いた――
「っ!」
バランスが崩れたすずの声と同時に、 近くで板を運んでいたはるきが、ほとんど反射的に走った。
金属の軋む音。布が舞う。 そして、すずが宙を抜け――
がしっ。
はるきの腕が、すずをしっかりと受け止めた。
「……大丈夫?」
驚いた顔のすず。 その瞳は、恐怖よりも、なぜか戸惑いの色を帯びていた。
数秒の沈黙。 他の生徒たちのざわめきが、遠くに聞こえる。
すずはそっと、はるきの腕の中から抜け出す。
「ありがと、はるきくん……でも、今のちょっと、ずるいね」
「……なんで?」
「だって、ほんとに落ちるより先に……胸が落ち着かなくなったから」
はるきは何も言わず、ただ笑った。 その笑顔は、誰にも向けられていないようでいて、確かにすずだけに届いていた。
りいな目線
準備中の教室。 カーテンの陰に、りいなは立っていた。 小道具の確認で戻ってきたつもりだった。 でも、偶然、見てしまった。
すずが脚立から落ちそうになって―― はるきが、反射的に走った。 そして彼女を、しっかりと抱きとめた。
「……ありがと、はるきくん……でも、今のちょっと、ずるいね」
笑い合う二人。 怪我がなかったことに、誰もが安堵していた。 けれど、りいなの胸は、静かにちくりと痛んでいた。
(なんでこんなに、見ちゃいけないものみたいに感じるんだろ)
はるきの腕の中にいたのは、すず。 それだけのこと。 なのに―― その距離、その表情、知らない“呼吸のリズム”が、胸に残った。
りいなはそっと背を向けて、準備のフリをして手元の布をいじった。 ワンピースのレースが、少しだけ歪んで見えた。
(わたしだけが、はるきの本気を見せてもらったと思ってた。 なのに…こんなふうに、誰かにも向けられるんだ)
痛みと、自分への責めが混ざり合う。 それは嫉妬でも憎しみでもなくて、 ただ「特別」でありたいという、静かな願いだった。
はるき目線
準備も終盤。 教室には夕方の陽が差して、紙テープとペンキの匂いが静かに漂っていた。
はるきは、使い終わった絵の具を片づけながら、ふと聞こえた声に足を止めた。
「……なんでだろ、選ばれることがこわいって思うのに、選ばれなかったらもっと苦しいんだろ」
声の主は――りいな。 誰かに話しかけていたわけじゃない。 ほんの、独り言。 でもその声には、滲むような本音が隠れていた。
はるきはそっと背後に立っていた。 声をかけようとした指先が、なぜか動かなかった。
(俺のこと…?それとも、かいのこと?いや、すず…?)
答えなんて出ない。 けれど、その“わからなさ”が、はるきの胸をチクリと刺した。
りいなは気づいていない。 自分のひとことが、誰かの心をそっと揺らしたこと。 でもはるきは、その揺れがずっと消えないのを感じていた。
「……俺が、選ばれることばかり望んでて、りいなの重さに気づけてなかったのかもな」
そう呟いたのは、はるき自身の独り言。 その言葉は、誰にも届かなかったけれど、 確かにこの文化祭のステージに、一つの“予感”として刻まれた。
りいな目線
文化祭準備の昼休み。渡り廊下にはやわらかな光が差し、風がプリントの端を揺らしていた。 りいなは衣装係の買い出しのついでに、隣の3-D教室へプリントを届けていた。 そして――声をかけられた。
「君って、3-Cの劇の主役の子だよね?」
声の主は、クラスでも話題の男子2人。 爽やかさの中に圧倒的な目立ち方をする朝陽(あさひ)と、クールな雰囲気を持つ運動部の葉月(はづき)。
「うちでやる“謎解き迷宮”ペアで挑戦するんだ。最後の仕掛けも面白くてさ。 君と一緒に回ったら、絶対盛り上がると思う」
りいなは驚きながらも笑って答える。
「ごめんなさい。自分のクラスの準備で、いっぱいいっぱいで」
笑顔で、でも丁寧に断るその姿は、確かに“光の中心”だった。 そして――その場面を、偶然にも3人がそれぞれ、違う場所から見てしまっていた。
海目線
かいは大道具用のペンキを取りに行く途中、廊下の角に立っていた。 聞こえた笑い声。振り向けば、知らない男子がりいなに一歩近づいていた。
(俺の手が届かない場所にも、りいなの魅力は届いてるんだ。 それを自分が止められるわけじゃないのに……こんなふうに見たくなかった)
胸がざわつき、ペンキ缶を持つ手が少し重くなった。
はるき目線
はるきは海の絵を描いている途中だった。 ふと、窓の外で朝陽がりいなに声をかけているのが見えた。
「……断ってる。でも、それだけじゃ、気持ちが落ち着かないのはなんで?」
その問いが自分に向いてるのか、誰に向いてるのかも分からなかった。 でも、心が少しざらついて、筆先が波を描くリズムを失った。
すず目線
白い布を抱えていたすずは、ふと廊下で立ち止まった。 りいなの表情――少し照れたような、困ったような顔。 朝陽の笑顔。葉月の沈黙。
(あんなに自然に声をかけられることって、わたしには絶対ない。 りいなって、やっぱり“見つけられる側”なんだ)
息をのむように、すずはその場を通り過ぎた。 でも心だけは、あの瞬間に置き去りにされたままだった。
りいな目線(?)
ほんの数十秒の招待。それは、誰も傷つけないはずだったのに―― 誰にも届かない不安と、小さな嫉妬を静かに撒き散らしていった。
りいなは知らない。 その瞬間、彼女の周りで、3つの胸がそれぞれ違う温度で痛んでいたことを。
はるき目線
夜、はるきは自分の部屋で筆の汚れを拭いながら、ぼんやりと目を伏せていた。 窓の外からはセミの声、ゆるやかな夏の終わりの空気。
「……断ってたのは見た。 でも、その顔が……思い出すたびに、何かひっかかる」
りいなの表情。 あの廊下で、朝陽と葉月に声をかけられたとき。 彼女は困ったように笑いながら、丁寧に断っていた。
明るく。やさしく。完璧に。
「ありがとう。でも、今は自分のクラスのことで手一杯で」
その“ことば”が、引っかかった。 ――本当は、俺のことを理由に断ってくれたんじゃないのか? そう願いたくなる自分と、それを信じ切れない自分。
はるきは頬杖をついて、小さくつぶやいた。
「俺が理由になれてるか、わかんねぇな。 言葉にしたはずなのに、ちゃんと届いてる気がしない」
手に持った筆が、少し震えた。 あの文化祭の舞台では、彼女の隣に立てる。 だけど、それは“選ばれた”からなのか、“タイミング”だっただけなのか。
その違いが、胸を重くする。
「……りいなが、誰かに断るとき。 もしその理由に、“俺が好きだから”って気持ちがあったなら―― それだけで、たぶん俺は全部信じられるのに」
言葉って、強いのに、足りない。 はるきはその夜、自分の台詞ノートに一行だけ書き加えた。
「好きだって言葉より、誰を断るかの方が……時々、強く響く。」
すずとりいなとはるき(?)
文化祭準備の午後。 裏階段の踊り場では、すずとはるきが並んで腰を下ろしていた。 ペンキの匂いと、夕方の光に染まった風だけが静かに通り過ぎていく。
すずは、言葉を落とした。 その声は、予想よりずっと真剣だった。
「……はるきくんがそんな顔するなんて、ずるいよ。 りいなちゃんにだけ見せればいいのに。 わたし、心が痛くなった」
「ずるいなぁ……ちゃんと弱い顔するじゃん。そういうの、ずるいよ」
はるきは、答えられなかった。 その“ずるさ”は、自分でも気づかないまま誰かを揺らしていた。
──でもその声は、もうひとりにも届いていた。
階段の影、掲示係の資料を取りに来たはずのりいなは、 偶然にもその場面を聞いてしまっていた。
すずの言葉。 はるきの沈黙。 そして、自分の名前。
その瞬間――胸が、ぎゅっと苦しくなった。
何かが“侵された”わけじゃない。 でも、何かが“触れられてしまった”感覚。
──その顔、わたしだけが見ていたはずなのに。 その迷い、わたしのために生まれていたはずなのに。
「……」
何も言わずに、資料を手に取って、背を向ける。 足元だけが、急いでいた。
制服のスカートが風を裂き、 靴音だけが、誰にも届かないように響く。
はるきも、すずも、りいながその場にいたことに気づいていなかった。
でも、りいなの心の中では、すずの言葉が―― まるで“はるきの気持ちの一部”みたいに響いていた。
そのまま、りいなは廊下を走る。 誰にも見られないように。 誰にも、気づかれないように。
逃げるように、でも大事なものを抱きしめるように。
夕方の階段に残ったのは、乾いたペンキの香りと、言えなかった余韻。
りいな目線
静かな夕暮れ、文化祭準備で使われていた旧校舎の物置部屋。 薄い埃と段ボールの山の中に、りいなはひとりで座り込んでいた。
持ってきたはずの掲示資料は、足元に落ちたまま。 目を閉じると、胸の奥に染みついたあの声が浮かんでくる。
「ずるいよ…はるきくんがそんな顔するなんて」
すずの言葉。 聞いてはいけないはずだった。 聞いた瞬間、自分の中の何かが静かに崩れた。
涙は、勝手にこぼれていた。 ポタリ、と床に落ちる音だけがこの部屋を満たしている。
「…わたしだけの顔だって、思ってたのに。 …わたしのことだけ見てるって、思い込んでたのに…」
誰にも聞かれない、でも誰かにぶつけたくなるような独り言。 制服の袖で目元を乱雑にぬぐっても、苦しさは消えない。
そのとき——外の廊下で、誰かの足音が遠ざかっていった。 りいなは、息を殺して耳をすます。 でも、もう誰も呼んでこない。
すず目線
一方その頃、踊り場に残ったすずは、無意識に耳を澄ませていた。 何かの気配を感じたのは、ほんの一瞬。
走る音。 スカートが風を裂く気配。 そして、急に心がざわつく。
「……今のって、誰か通った…? ……え、もしかして、聞かれてた…?」
すずは、はるきの顔を見る。彼はまだ静かに沈黙している。
「やば…りいなちゃんだったらどうしよう……」
焦りと罪悪感が混ざったような気持ちが、すずの胸を締めつける。
その“声”が誰かに届いていたかもしれない。 その“気持ち”が、誰かの心を傷つけたかもしれない。
すずは、胸元を押さえながら立ち上がる。 でも、すぐにはりいなを追えなかった。
風が階段を抜けていく。 取り残されたような二人と、心を逃がしてしまった一人。
すずとはるき
階段踊り場の空気が、急に重くなった。 すずはまだ焦りの余韻を胸に残したまま、目の前のはるきを見つめていた。
その沈黙は、なぜか苦しく感じる。 もしかして——本当に、誰かに聞かれていたのかもしれない。 りいなだったのかもしれない。
「ねえ、はるきくん…さっきの、誰かに聞かれてたかも…りいなちゃん、来てたのかも…」
すずの声は、普段より少しだけ震えていた。 責める気はない。ただ、心の奥からあふれてしまった不安だった。
その言葉に、はるきはゆっくり口を開いた。
「……俺も、気づいたんだ。 足音、した。風、動いた。誰かがそこにいた気配も」
すずの目が揺れる。 「…気づいてたのに、言わなかったの?」
はるきは目を伏せた。まるで、自分の感情に言い訳を探すように。
「怖かったんだ。 もしりいなが聞いてたら…俺の顔も、すずの声も…全部、傷つけてたかもしれないって。 ……でも、ほんとはりいなにこそ、伝えなきゃいけないことばかりなのに。 俺、向き合うのが怖くて、逃げた」
その言葉は、静かにすずの胸に届いた。
彼の“優しさ”も“臆病さ”も、すずには痛いほど分かる。 でも同時に——その“沈黙”が、誰かの涙を生んでしまったことも。
すずはそっと呟いた。
「……りいなちゃん、傷ついてたと思う。 でも、まだ取り戻せるよ。 きっと、向き合うなら——いまがその時なんじゃない?」
夕暮れの光が、ふたりの間に差し込む。 そのまま、誰も言葉を継がなかった。
でもその沈黙には、“向き合う決意”と“これからの痛み”の予感が、確かに宿っていた。
はるき目線
すずの「まだ取り戻せるよ」という言葉が、 はるきの胸の中で静かに、でも確かに響いていた。
夕暮れ。 階段の踊り場。 ペンキの匂いと静けさだけが残る空間で、 はるきは迷っていた。
りいなの顔が浮かんでくる。 あの、誰にも見せない泣き顔。 ほんとうに大切な人が、傷ついてしまったかもしれない。
「俺……行くよ。 旧校舎。りいな、そこにいる気がする」
すずははっとして顔を上げた。 そして、小さく頷いた。
「うん。走っていった音、そっちからだった」
はるきは階段を降りながら、もう迷っていなかった。 制服の袖を軽くまくって、口元をきゅっと結ぶ。
「俺のせいで泣いたなら、せめて、その涙に……ちゃんと向き合いたい」
旧校舎の渡り廊下は、静かで長い。 ガラス窓に映る夕焼けが、彼の背中を見送っている。
すずは、その背中を見送りながら心の中で小さく祈った。
「どうか、間に合って。 あの涙が“孤独”にならないうちに…」
そしてはるきは、小さな物音を頼りに古びた扉を押し開ける。 その先に、りいながまだいるかどうかは分からない。
でも、もう逃げない。 傷つけたかもしれない“誰か”を、 そのままの気持ちで受け止めるために——
メモは、片隅に落ちていた。 はるきがそれに気づいたのは、彼女がそっとそれを手放した瞬間。
紙には、滲むような字で書かれていた。 震えた指先で、言葉を託すように残されたもの。
「私だけが見てると思ってた。 誰にも気づかれない、あの表情。 なのに、誰かにも届いていたみたい。 誰かに“分けられる”なら、 私の心はどこに行けばいいのかな」
はるきは、息を呑む。 言葉ではなく、心そのものがそこにあった。
彼女の独占欲も、哀しみも、矛盾した気持ちも—— 全部、きれいじゃなくて、でもまっすぐで。
そして、メモの隅には小さな一言だけが添えられていた。
「好きだった。はるきくんの全部が、“私だけ”だったらいいのに」
りいな目線
物置の奥。 段ボールの隙間に隠れるように、りいなは膝を抱えてしゃがみ込んでいた。
光の届かないその場所で、彼女は呼吸すらも小さく、 押し殺すようにしていた。
肩が震えていたのは、泣いていたからじゃない。 泣くのを、必死に堪えていたからだった。
時折、鼻をすする音が空気を揺らし、 でもそれすら誰にも届かないように、袖口に顔を埋めていた。
「……聞こえちゃったんだもん。仕方ないじゃん……」
そうつぶやいた声はかすれ、 涙と感情が喉の奥で詰まっていた。
誰かに「見つけてほしい」なんて、思っていない。 ただ、「誰にも触れてほしくない」だけだった。
けれどそのとき—— 外から、床板を踏む音が近づいてくる。
りいなは反射的に身体を強ばらせ、背をさらに丸くする。
“誰か”が来た。 たぶん、知っている人。 たぶん、傷つけた張本人。
でも今だけは、まだ顔を見られたくなかった。
「……お願い、ここでだけは……わたしのままでいさせて」
その願いは、小さな震えとともに、空気に滲んでいった。
はるき目線
旧校舎の物置部屋。 薄暗い空気に包まれて、はるきは扉の前に立っていた。
握る小さな紙片——りいなのメモには、誰にも見せない涙が染み込んでいる。 それを見つけたとき、彼はただ静かに思った。
「もし、今も彼女がこの部屋にいるなら——俺は、言葉を置いてく」
そっと扉を押す。きしむ音が少しだけ響いたが、りいなの気配を確かめるように、慎重に歩みを進める。
薄暗い奥の段ボールの間に、見慣れた制服の背中。 抱えた膝。埋もれた顔。そして、震える肩。
はるきは、距離をとって、ゆっくり言葉を編み始める。
「……りいな、ここにいるって思った。 だから、来た。誰かに教えられたわけじゃない。 俺が、りいなの涙を想像したから。そうであってほしくないって思ったから」
「メモ、読んだよ。すごく、響いた。 俺のこと、“私だけのものだったらいいのに”って。 ……そんなふうに思ってくれてたなんて、気づいてなかった。 いや、たぶん、見ようとしてなかった。こわかったんだ」
りいなはまだ顔を上げない。 でも、はるきの声が空気に染み込んでいくように、彼女の揺れが少しずつ変化していく。
はるきは、もう一歩だけ近づく。 でも、手は伸ばさない。この空間が、彼女にとって安全な場所だということを尊重しながら。
「すずに弱い顔を見せたのは、ほんとに偶然だった。 俺が頼っただけだった。だけど、それがりいなを傷つけるって、考えが足りなかった」
「俺さ……誰かにとって“特別”になりたくて、 でもその誰かが、自分の気持ちをどれだけ託してくれてたか、ちゃんと受け止めきれてなかったんだ」
呼吸が浅くなる。でも、逃げない。
「今だけは、俺の言葉、りいなの心に届いてほしい。 ……もし、まだ遅くないなら。 もし、俺が“誰かのために悔やむ”じゃなく、“りいなのために選びたい”なら—— その答えを、ここで伝えたいって思ってる」
物置の埃が、夕暮れの光に舞う。
その真ん中で、はるきの声はずっと、りいなだけに向いていた。
旧校舎の物置部屋── 誰にも見つからないその場所で、恋人同士のふたりは静かに向き合っていた。 涙のあとが残るりいな。 言葉を探して震えるはるき。 だけど、この瞬間だけは、ふたりの心が確かに近づいていた。
はるきは、言葉を探すようにしてりいなに向かって話し出す。
「……変だよな。りいなは俺の彼女で、いつも隣にいてくれて。 それなのに、俺……大事な言葉が、ちゃんと渡せてなかった」
目を逸らさず、でも不器用に。 彼はりいなの涙が染みた袖を見て、そっと言葉を継ぐ。
「好きって、簡単に言えそうなのに…… 何回思っても、“りいなだから”って思うと、言葉が詰まるんだ。 ……気持ちはあるのに、声にならないって、こんなにも悔しいんだな」
りいなは、ゆっくりと目を伏せていた。 でも、それは拒絶ではなかった。 胸の奥に響いた言葉を、静かに噛みしめていた。
「ねぇ……はるきくん。 今、言ってくれようとした“好き”、 ちゃんと聞こえたよ。 私、わかるから。だって……わたしたち、恋人だもん」
その声は、涙を含んでいたけれど、笑顔のかけらもあった。
はるきは、そっと手を伸ばしてりいなの手に触れる。 震えていた指が、りいなの手にすべり込むように重なった。
「……俺は、りいなの彼氏で、りいなは俺の彼女。 それだけで、本当は世界がすごくあたたかかったのに—— 見えなくなってた。 でも今は……見えた。りいなにちゃんと、“好き”って言いたい」
一呼吸、置いて。
「だから次はちゃんと言う。何度でも。 言葉にできるまで、“好き”を届ける。 りいな、俺は——」
声が、少し詰まる。 でももう、その沈黙は怖くなかった。
ふたりは、目を合わせたまま小さく笑い合う。 言葉にならない“好き”が、目の奥で交わっていた。
あたたかさと不安が交じった空気のなかで、ふたりは向き合っていた。 はるきは、りいなの手の近くにそっと自分の手を置いた。 触れるか、触れないか。 その距離が、今の気持ちそのものだった。
りいなが、ゆっくりと彼の手を握り返す。 力強くではない。でも、決して離したくないと願うように。
「……言葉より、こうしてくれたほうが安心する。 さっきから、ずっと胸がギュってなるけど……はるきくんの手、あたたかいから…… 大丈夫って、思えるの」
りいなの声は、まだ涙の名残りを含んでいた。 それでも、ちゃんと届いた。はるきの心の奥に。
彼はその手を、りいなの指の節まで包み込むように握った。 そして、静かに言う。
「これからは—— りいなの泣き顔も、笑い顔も、怒った顔も、全部俺に見せて。 ぜんぶ、ちゃんと受け止めたいから。 りいなは俺の彼女で、俺は……ずっと隣にいたいって思ってる」
その言葉を聞いた瞬間。 りいなの喉の奥で、感情が決壊した。
堪えていた涙が一気にこぼれそうになって—— 彼女は反射的に、はるきの胸元めがけて身を預けた。
「……っ、うぅ……やだ、もう、だめ……」
小さな声とともに、りいなは彼の制服のあたりに顔をうずめる。 お腹のあたり。 一番、安心できる高さ。 誰にも見せない涙を、恋人だけに預けられる場所。
はるきは驚いたように息をのむけど、すぐに腕を回して、りいなをそっと包む。
「泣いていい。ここで泣いていいよ、俺がいるから」
彼女の背中をやさしくなでながら、 はるきは何度も心のなかで“ごめん”と“ありがとう”を言っていた。
制服のしわに染みこむ涙は、 言葉じゃ伝えきれない“好き”の証だった。
物置部屋の静寂がふたりを包む。 もう誰も、触れられない空間。 ふたりだけの、あたたかい余白だった。
物置部屋の静けさを背にして、 りいなとはるきはゆっくりと旧校舎を出た。
扉を開けると—— 窓の外でささやいていた雲が、とうとう言葉を落とし始めていた。 雨だ。
ぽつ、ぽつ。 地面に淡く描かれ始める濃淡のしみ。 風はない。ただ、降りるだけの静かな雨。
りいなが少しだけ肩をすくめる。
「……降ってきちゃったね」
はるきはポケットから折りたたみ傘を出す。 無言で開いて、りいなの方に傾ける。 ふたりが並ぶには、少しだけ狭い傘。
だけど、それがよかった。
「……もう濡れてるじゃん。ほら、もっとこっち」
はるきがそう言って、りいなの肩に傘の影を寄せる。 その瞬間、りいなは小さく笑った。
涙のあとが残るままの顔。 でも、その表情にはもう「安心」が混ざっていた。
歩幅を合わせながら、 雨音のリズムに包まれてふたりは歩く。
言葉はなくても—— りいなの手は、さっきからずっと、はるきの指を握ったまま。
離さなかった。 もう、不安が流れていってしまわないように。
そして、はるきはふと呟いた。
「……さっき、俺が言った“全部見せて”って言葉。 あれ、言葉以上に本気だったから。 これから何があっても、りいなの全部——俺の特別な全部だよ」
りいなは、歩きながらそっと顔を上げる。
その瞬間、涙がまた滲みそうになって—— 彼女はくるりと向きを変えて、はるきの胸元へ、こつんと頭を預けた。
制服の襟が濡れるのも気にせず。 道の途中で、歩きながらそっと。
「……ずるい、そんな言い方。 わたし、また泣いちゃうじゃん……」
はるきは、傘をぎゅっと握り直した。 少しだけ傘の角度が傾いて、ふたりの距離がさらに縮まる。
雨の中のふたり。 言葉にならない“好き”を抱いて、静かな帰り道を歩いていた。
誰も見ていない。 誰にも見せなくていい。
ふたりだけの、“痛みとやさしさがまざった”夕方だった。
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