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あの夜から3日が過ぎた。街角を彩る華やかなイルミネーションや店頭に並ぶクリスマスケーキのパッケージ。どこもかしこも浮ついた雰囲気に包まれ、街中が華やいでいる。
そんな中、理人は一人店を訪れ、怖い顔をして唸りながら商品を覗き込んでいた。
今まで、特定の相手を作ったことは無かった。クリスマスプレゼントなんて自分には無関係だと思っていたのに、まさか自分がこんなにも商品選びに悩む日が来るなんて。
――瀬名に、何を贈ればいい?
正直、何も思いつかない。
別に、恋人でも何でもないのだから、贈り物なんて必要ないだろう。そう、思っていたのだが……。先日その話になった時、ナオミに叱られるは、湊に甲斐性が無いと罵られるわで散々な目にあったのだ。
「たく、あいつら好き勝手言いやがって……」
人の事を人間味がないだとか、情緒が欠落してるとか言いたい放題言いやがって……。そんなにおかしいか?
恋人でも何でもないのにプレゼントを贈ること自体が恥ずかしいと思ってしまうんだが?
悶々と悩みながら、陳列棚を端から見ていく。
だが、瀬名が喜ぶ顔を見るのは悪くない。……ような気もする。
「別に、特別な意味なんて無い。ただ、クリスマスの時期にわざわざ行きたくもない出張に出てくれた労いも兼ねてるんだ……」
誰に聞かれているわけでもないのに言い訳をしながらも、視線は商品を追っていく。
「あいつならアクセサリーとか喜ぶんだろうが……」
瀬名なら好みに外さないものをあげるのがベストな選択なんだろうが……。もし自分が貰ったとしたら正直困る。どんなものが好みなのか全く見当がつかず首を傾げつつ、理人は再び目の前の棚へ視線を戻した。
そういえば、瀬名は甘いものが好きだと言っていたような気もする。
だとしたら、食べ物が妥当だろうか? だが、ケーキだけを買って言ってもなんだか味気ないような気もする。
だいたい、あいつの事だ。生クリームたっぷりのケーキなんて用意したら、なんだかんだと理由を付けていやらしい方向へと持って行ってしまう可能性だってある。
「……取り合えず、ケーキ以外のものを……」
一瞬、不埒な妄想が頭を過り、フルフルと頭を振って否定する。店内をぶらつきながら悩んでいると、ふと目に留まるものがあった。
『大好きなあの人へマフラーを贈ろう』――
そんなポップに惹かれるように、理人の視線は自然と吸い寄せられていた。
目の前に並ぶのは高級カシミア100%のマフラー。手に取ってみれば、柔らかく滑らかな手触りが心地よい。
「……暖かそうだな」
呟いた瞬間、ふと瀬名の姿が頭に浮かんだ。
無造作に首に巻きつける様子。寒空の下で笑いながらこちらを振り返る姿。
――妙に、しっくり来る。
赤や青の鮮やかな色合いもあったが、理人が選んだのは落ち着いた深いグレー。派手さはないが、瀬名が纏えばきっとその明るさで引き立つだろう。
「……別に、特別な意味なんかねぇ。ただの労いだ。……労い、だ」
誰に言い訳するでもなく口にしてから、胸の奥に妙な熱が広がる。
気づけばマフラーをしっかり抱え込んでレジへと向かっていた。
後2日……2日経てばアイツが戻って来る。
そうしたら真っ先にこれを渡そう。果たして喜んでくれるだろうか……?
特別な意味なんて無い。そう思いながらも、渡したときの瀬名の反応が楽しみで仕方がない。
そんな風な事を考えるようになった自分が何となく可笑しくて、理人はふっと小さく笑みを溢した。
紙袋の中には、きっちりと包装されたマフラーが収まっている。
それだけで胸が温かくなり、思わず袋を握り直した。
空は生憎の曇天で、今にも雨が降り出しそうな天気だったが、何故か不思議と気分は晴れやかだ。
――早く、あいつの顔が見たい。
胸中に燻る想いが、知らぬ間に確かな形となり芽吹いているのを感じながら、車通りの少ない道を軽やかな足取りで歩いていく。
その刹那。
薄暗い路地裏から、黒光りする車体が突如飛び出した。
ヘッドライトの強烈な灯りが視界を焼き、反射的に足がすくむ。
巨大な猪のような質量を持った車は、理人に狙いを定めたかのように真っ直ぐ迫ってきた。
「――理人さんっ! 危ない……!!」
耳に届いたのは、聞き慣れた声。
ありえないはずの声。
――え?
と思った瞬間、背中を叩きつけるような衝撃が走る。
誰かに突き飛ばされ、道路脇の茂みに転がり込む。
その直後、鈍いドンッという衝突音が夜気を裂いた。
「……っ!」
嫌な予感に突き動かされて顔を上げる。
そして、視界に飛び込んできた光景に血の気が引いた。
(瀬……名……?)
此処にいるはずのない瀬名が、血まみれの姿でアスファルトに倒れ伏していた――。
目の前にじわじわと広がる血だまりに全身の血の気が引いていく。
心臓がバクバクと煩いくらいに鼓動し始め、呼吸が浅くなっていく。
瀬名はぐったりと地面に横たわりピクリとも動かない。その顔色は紙のように白く、瞳は固く閉ざされたまま。
――瀬名が……何でこんな所に……いや、それよりも……自分のせいで……! 呆然と立ち尽くしていた理人はハッと我に返ると、慌てて瀬名の元へ駆け寄った。
「瀬名! 瀬名っ!! しっかりしろ……っ、き、救急車……っ」
パニックを起こしながらも何とか携帯電話を取り出し、震える手で119番のボタンを押した。たったこれだけの事なのに手の平に変な汗が滲み、スマホが滑って落ちそうになる。コール音がやけに長く感じられ、永遠とも思える時間が流れる。
「チッ、早く出ろよクソがッ」
焦ってはいけないと理解はしているが、気持ちばかりが急いてつい口汚く悪態を吐いてしまう。そうこうしている間にも時間は刻一刻と流れていき、ようやく救急車の要請が済んだ頃には事故から既に5分が経過していた。
「おい、大丈夫か!?」
そっと胸に耳を押し当てると、とくん、とくんと弱いながらも心拍を感じる事が出来た。
まだ生きてる――! その事実に少しだけ安堵して息をつく。しかし、身体は異常なほど冷たく、唇も色を失っている。
理人は慌てて自分が着ていたジャケットを脱ぐとそれを瀬名の身体に被せて抱き締めた。耳元でかろうじて浅い呼吸音が聞こえてくる。
不意に頬に、冷たい雫が滴った。
視線を上げると、暗い空から糸のような雨が静かに降り注いできた。それは見る間に濃くなって、周囲を包み込んでいく。
「……ん……理……さ……」
そのかすかな声に、理人は息を呑んだ。
「……瀬名? おい、俺だ。理人だ……分かるか?」
閉じられた睫毛が震え、瀬名はうっすらと唇を動かす。
「……理……さ……よか……った」
「喋るな。もうすぐ救急車が来る。お前は助かるから……安心しろ」
必死に言い聞かせるが、その顔色は悪くなる一方だった。氷のような手を強く握りしめても、温度は戻らない。
「僕……理人さん……に会えて……幸せ……でした」
「……っ、バカやろ……ッ」
感情が喉の奥で弾けた。
「そんな縁起でもねぇこと言うんじゃねぇよ……ッ! ふざけんな……ッ」
涙が堰を切ったように溢れ、頬を濡らす。
「カハッ……ッ」
鮮やかな赤が瀬名の唇から零れ落ちる。
理人はただ必死に抱きしめることしか出来ず、胸が張り裂けそうになる。
遠くから近づいてくるサイレンの音。
それが希望の合図であるはずなのに、やけに遠く、届かない。
(神様なんて信じたことは一度もねぇ……けど……)
理人は奥歯を噛み締め、震える声で心の中に叫ぶ。
(頼む……コイツだけは、連れていかないでくれ……ッ!)
ほどなくして到着した救急隊員に瀬名を託し、以前東雲から受け取っていた瀬名についての報告書を見て彼の両親へと連絡を入れた。その後、駆け付けた警察官からの事情聴取を受け、理人が搬送先の病院へとたどり着いたのは日付の変わる少し前の事だった。
幸い瀬名はすぐに処置を施され、現在は手術室の前で待機するよう看護師から指示を受けている。
理人はソファへ腰を下ろすと両手を膝の上で組み、祈るような思いで手術中のランプが消えるのを待っていた。
手の震えが止まらず、まるで小動物みたいにガタガタと怯えているのが自分でもよく分かる。瀬名にもしもの事があったら――そんな最悪の事態ばかりを考えてしまい、思考がどんどん悪い方向へ傾いていく。
「――あの……っ」
どのくらい時間が経っただろうか? ふと声をかけられて理人は顔を上げた。見れば、60代と思しき女性が青白い顔をして立っていた。
一目で瀬名の母親だと認識できるくらいに、彼女の面影が瀬名とよく似ていていて驚いた。
「もしかして……貴方が電話をくださった……」
「はい、上司の鬼塚と申します……今日は突然電話してしまい申し訳ありませんでした」
「やっぱり! じゃぁ、貴方が理人さんなのね? 常々息子から話は伺っております」
「は、はぁ……」
常々……一体アイツは自分の親に何を話しているんだ!?
一瞬にして背筋が凍りつくのを感じながら理人が曖昧に返事をすると、「それで……あの子は……?」と瀬名の母が遠慮がちに訊いてくる。
「……今は、手術中です。詳しい状況は分かりませんが、今のところ命に別状はなさそうだ……としか……」
「まぁ、本当に……!? 良かった……っ」
瀬名母は理人の言葉を聞くなり、その場にぺたりと座り込んでしまった。その姿は今にも泣き崩れそうな程弱々しく、見ているだけで胸が痛くなる。
きっと、不安で堪らなかったのだろう。愛している人の容体が分からないままただ待つ事だけがどんなに辛いか。理人にだってその気持ちはよく分かる。
「お母様……大丈夫ですか?」
「あぁ、ごめんなさい……私ったら。年甲斐もなく取り乱したりなんかして。でも、事故に遭ったと聞いて何となくもう駄目なんじゃないかって……思ってしまって」
「……っ、きっと大丈夫です……。彼は……強いので……きっと……」
「ええ、そうよね。ありがとう……理人さん」
そう言って微笑む瀬名母の表情はやはり瀬名に良く似ていた。
それからしばらく二人で待っていると、手術中のランプが消えた。
ストレッチャーに乗せられた瀬名が慌ただしく運び出され、続いて執刀医と思われる男性が姿を現す。
「先生、うちの子が……どうなんでしょうか? あの、命に別状はないんですよね……? お願いします、どうか……!」
瀬名母は勢いよく立ち上がると、医者の腕を掴み必死の形相で詰め寄っている。
「落ち着いてください。ご家族の方ですか? 状況の説明をしますので中へ――。あぁ、付き添いの方はもう戻られて結構ですよ」
「……っ」
診察室へ消えていく母親の背を見送った瞬間、理人は自分が急に空っぽになった気がした。
たとえ誰よりも瀬名を案じていようと、自分はただの“上司”にすぎない。家族という確固たる繋がりの前では、立ち尽くすしかなかった。
膝の上で握りしめた拳に力が入りすぎて、爪が食い込む。
「……俺なんかが……」
そんな言葉が喉までこみ上げ、理人は奥歯を噛み締めて押し殺した。
部外者が無闇に首を突っ込んでいい問題ではない。それは十分理解していたが、現実を突きつけられたようでなんだか酷くやるせない気持ちになった。
それから一週間、理人は毎日病院へと足を運んだ。幸い、命に別状はなく手術も無事に成功したようで、今ではICUから一般病棟へと移っていた。瀬名はというと、頭部に軽い外傷があるものの意識がはっきりしており、順調に回復しているらしい。
親御さんはICUから出たタイミングで自宅へと戻って行った。そして現在、瀬名がいるのは瀬名の両親がせめてゆっくりできるようにと希望した個室である。
「あ、理人さん……今日も来てくれたんですね」
「……体調はどうだ?」
「まぁ、痛いには痛いですけど、無事ですよ。僕の身体思ってたより頑丈だったみたいです」
「馬鹿、んなわけあるか。お前はもっと自分の身体大事にしろ。今回は運が良かっただけだぞ?」
瀬名の軽口に、呆れたように溜め息をつく。瀬名はその様子に苦笑しながら口を開いた。
「すみません……。でも、これが理人さんじゃなくて良かった……」
「…………」
その言葉に、事故当時の記憶が蘇って来る。あの時、黒い車は真っすぐに自分の方へと向かって来ていた。ブレーキを掛ける音は聞かなかったから、もし瀬名が飛び出して来なかったら確実に自分が轢かれ、最悪死んでいたかもしれない。
しかも、片桐課長と同じくひき逃げ――。コレを偶然で片付けるにはあまりにも不自然な点が多すぎる。
「そう言えば……お前はあの日まだ出張中の筈だったじゃないか。なんで、あんな所に居たんだ」
ずっと疑問に思っていた事を尋ねると、瀬名は少し照れくさそうに笑って言った。
「実は――理人さんをビックリさせたくて……出張が伸びたって言ってたのあれ、嘘だったんです」
「あ?」
「あの日、びっくりさせようと思ったのに部屋の電気が点いてなかったから、残業かなって思って……理人さんがいつも通る道を辿って歩いていたんです。ようやく見つけた! って思ったら車が―――。理人さんが死んでしまう! って思ったらいても経っても居られなくて……気が付いたら身体が勝手に動いちゃってました」
悪戯っぽく笑う瀬名に理人は目を見開いた。
「……っ、馬鹿」
理人は思わず目の前の身体を抱き締める。
瀬名を失うかと思った瞬間、心臓が止まるかと思うほど怖かった。また何もできないのかと己の非力さを嘆いた。だけど今こうして生きていてくれて、本当によかった。
安堵のあまり身体が震える。瀬名は何も言わず、そっと背中に腕を回してきた。その温もりにますます涙腺が緩んでいく。
「無茶しやがって……俺だって……怖かったんだぞ馬鹿……っ」
「理人さん……泣かないで、貴方を泣かせるつもりなんて無かったんです……」
「うるせぇ! 泣いてねぇよ馬鹿っ……目にゴミが入ったんだ。畜生」
「あはは……そうなんですね? じゃあ……そう言うことにしておきます」
瀬名はクスッと小さく笑いながら頭を撫でてくる。それが余計に恥ずかしくて、理人は顔を見られないよう瀬名の肩に額を押し付けた。
「あ……そうだ、理人さん……僕のジャケット取ってくれませんか? 多分、ロッカーの中にあるんですが……」
「……? これ、か?」
理人が手渡したジャケットを瀬名は受け取り、ポケットをまさぐる。コホンと一つ咳ばらいすると「そのまま目を閉じてください」と命じられた。
「なんだよ……」
「いいから」
渋々言われた通りに目を瞑ると、自分の手に温かいぬくもりが重なった。死人のように冷たかった手とは此処まで違うのかと驚く程に熱を持った瀬名の手の感触にドキリとする。そして小さな包みを取り出し、理人の手にそっと握らせた。
「……目、開けてもいいですよ」
おずおずと視線を落とした理人は、手の中の小さなリボンに息を呑んだ。
「クリスマス……ちょっと早いですけど。ずっと渡したかったんです」
「……っ、馬鹿。こんな時に……」
声が震えるのを誤魔化すように吐き捨てたが、胸の奥は熱でいっぱいだった。
「……? これ、か?」
瀬名に言われて、理人はハンガーに掛けられた彼の上着を手に取る。瀬名は理人からそれを受け取るとポケットを漁り、コホンと一つ咳ばらいすると「そのまま目を閉じてください」と命じられた。
「なんだよ……」
「いいから」
渋々言われた通りに目を瞑ると、自分の手に温かいぬくもりが重なった。死人のように冷たかった手とは此処まで違うのかと驚く程に熱を持った瀬名の手の感触にドキリとする。
「……もう、開けてもいいですよ」
「……たく、なんなんだ……」
そっと目を開ければ左手を掴まれ目前に突き出される。そこにはシンプルなデザインのシルバーリングがはめられていた。
「……これ、は……?」
「クリスマスプレゼントです。……遅くなりましたけど受け取って貰えますか? 」
瀬名の言葉に、理人は一瞬思考を停止させ、意味を理解するとボッと火がでそうな勢いで赤面した。
「……っこんなの……プロポーズみたいじゃねぇか」
「僕はそのつもりですよ?」
シレッとそう言われて、二の句が継げなくなる。鯉みたいに口をパクパクさせている理人を尻目に瀬名は愛しそうに笑みを深めた。
「……お前、正気か? 10歳も年が離れてるんだぞ!?」
「知ってます」
「それに、男同士だし……」
「そんなの今の時代、関係ないでしょう?」
「……っ」
真っ直ぐな瞳に見つめられてしまえばそれ以上言い返す事が出来ず、理人は黙り込む。
「理人さんは……嫌?」
不安そうに尋ねられれば、首を横に振ることしか出来ない。嫌なわけがない。寧ろ嬉しくて堪らないくらいだ。けれど年の差がありすぎて正直どうして良いのか分からないと言うのが本音ではあるが。
「ちゃんとあなたの言葉で聞かせてください。――僕の事、どう思ってるんですか?」
「そ、それは――……」
自分の中の気持ちはもう、わかっている。だがそれを、臆面もなく言葉に出来るほど理人は器用ではない……。
「……っ……き、だ……」
決死の思いで紡いだ声は、情けない事に酷く掠れて蚊の鳴く様な音にしかならなかった。それでも何とか聞き取ろうとしてくれた瀬名が耳を寄せて来たため、羞恥で死にそうになる。
「……もう、一回」
真摯な眼差しを向けられ、その視線に促されるように震える唇を開く。
「……好き……だ」
いい終わると同時に腕を強く引かれ、唇が重なった。
「……ん……っ、……ふ、っ、ん……」
突然の口付けに戸惑う間もなく、熱い舌先が口腔内に侵入してきて息が上がる。歯列をなぞるようにして奥へと入り込んできた舌は逃げる理人のものを絡み取り、執拗に追いかけてきた。その感覚がまるで性感帯を刺激されているようで背筋にゾクッとした痺れが走る。
「……は………ん、む……っ」
次第に激しさを増していく口づけは、互いの唾液が混じり合い唇の端から溢れ出す。瀬名はそれを気にする素振りも見せず、角度を変えながら夢中で貪ってくる。いつの間にか理人も応える様に自ら舌を絡めていた。
「……ぁ……っ……瀬、名……っ待て……っ」
「待てませんっ」
息継ぎの合間に制止するも瀬名はそれを聞き入れようとはしない。呼吸すらままならない激しいキスに腰が砕けそうになって瀬名の胸にすがりつくと、彼はギュウッと力強く抱き締めてきた。
「っはぁ……ん、……ぅ、ぁ……っ」
酸素を求めてもがくも、容赦なく与えられる快楽に身を捩る事しかできない。
「――困ったな……今すぐ、貴方を抱きたい」
「ば、……馬鹿か、お前は……っ傷に触るだろうがっ」
「大丈夫、きっと理人さんを摂取したら治る気がしま「治るわけねぇだろクソがっ! 俺は万能薬じゃねぇぞコラ。大人しく寝てろ馬鹿っ!!」」
とんでもない発言をした瀬名の言葉を遮って怒鳴りつけベッドに押し付けた。いくら個室とは言えど病院内で何を言いだすんだコイツは。
「でも、この状態は流石に蛇の生殺しですよ……理人さんだってヤりたいでしょう?」
「……たく、てめぇの頭ん中はそればっかだな、クソがっ」
「そりゃあね。僕も健全な男子ですから」
瀬名はニッコリ笑って見せるが、目は全然笑っていない。これは下手に言いくるめるのは難しいと判断した理人は深い溜め息をつくと、ゆっくりと口を開いた。
「……わかった……特別に……てやる……っ」
「えっ?」
「だから、その……アレだよ……っ」
理人は頬を染めながら、上掛けを捲り瀬名の病衣の隙間からするりと手を滑り込ませる。
「……っ」
「お前はじっとしていろ……」
理人はそう言って起き上がると瀬名のズボンに手をかける。まさかの展開に瀬名は戸惑いを隠せない様子だったが、病衣のゴムをずらし前を寛げるとすっかり張り詰めたものが飛び出して来て思わず生唾を飲み込んだ。
「やっぱ、でけぇ……」
落ちて来る前髪を耳に掛け、すっかり臨戦態勢になっているそれに唇を寄せる。先端を口に咥え舌先で弄ってやるとそれだけで先走りの液がとろりと溢れてくる。
「……っ……は、……理人さん……っ」
「ん……っふ、……ん……」
頭を撫でる瀬名の手が心地よくて、喉の奥までいっぱいに満たす。喉の奥を突き上げるような圧迫感にえずきそうになりながらも必死に舐めて吸い付くと、口の中でググッと質量が増した。
「あーやば……、凄く、気持ちいい……」
「ふ……っん、……ぅ……っ」
もっと気持ち良くなって欲しくて根元の方まで口に含む。裏筋から丁寧に舐め上げればビクビクと脈打つのが分かった。
「もうガッチガチじゃねぇか……そんなにいいのか?」
ちゅぷっと音をたてて口を離すと瀬名の顔を見上げて意地悪く笑う。
瀬名はその表情にゴクリと喉を鳴らすと余裕なさげに眉根を寄せた。
「当たり前じゃないですか……こんなの、もう……っ我慢なんて、出来ない――っ」
「?――っ、あ……っ」
次の瞬間、瀬名は理人の後頭部を掴むとグッと押さえ込まれた。
「ぐっ、……っん、んん~っ!」
いきなりの事で対処できず、理人はされるがままに瀬名のものを根元まで押し込まれた。苦しいのに、口腔内の粘膜を擦られる度に甘い疼きが身体を支配して行く。
「っ……は、理人さんの、口の中堪らない……っやば、こんなの、すぐ出そ……っ」
口いっぱいに頬張ってるせいで上手く喋れない。しかし瀬名はそんな事お構いなしに、理人の頭を激しく揺さぶってきた。喉奥を突かれる度に嘔吐感が込み上げてきて頭の芯がクラクラする。
「っ、ふ……ん、んんっ」
しかし、苦しくなればなるほど、恍惚とした快感を覚えた。熱を帯びた声で名前を呼ばれる度、身体がどんどん熱くなっていくのが分かる。口腔内がまるで性感帯になったかのように感じてしまい下半身がズクズクと疼いた。
「はぁ……んむ……っ……ふ……ぅ……」
上顎を突かれるたびに下腹部が甘く痺れる。口の端からはだらだらと唾液が零れ、シーツを濡らしまいそれが余計に興奮を煽った。早く……、早く欲しい。喉の奥に熱い飛沫を叩きつけて欲しい。そんな事ばかりが頭を埋め尽くしていく。
「は、ぁ理人、さん……っ、もう、出そ……っ」
くっと息を詰め、はぁと熱い息を吐きだす。あと少しで達しそう……そう思った、その瞬間――。
「やっほー、瀬名君。お見舞いに来てやったわよ~」
ガラリと開く扉の音と共に、能天気な声が室内に響き渡った。
「「っ!?」」
慌てて身体を離し、布団を被せ、理人は誤魔化すように口元に手を当てながら窓の外に視線を移した。
「あら? 事故に遭ったって聞いてたから結構心配してたんだけど随分元気そうね」
そう言って、顔を覗き込んで来るのは病院のお見舞いには場違いな派手目の服を着たナオミ。それと、カジュアルないで立ちをした湊だった。
「……てめぇら……部屋に入るときはノック位しろ!」
理人は咳払いをすると、わざとらしく不機嫌そうな声色で文句を言う。
その様子を見て、湊は何か想うところがあったのかにやりと口角を上げ、理人に近づくとそっと耳元に唇を寄せた。
「も~、ダメですよ理人さん。来たのが僕らだったから良かったものの……気を付けないと……。たった今までエッチな事してましたって、顔に書いてありますよ?」
「…ッ……!」
何を言われたのか理解するのに数秒を要したが、理解した瞬間、まさにボッと音がしそうな勢いで赤面した。
「ふはっ、理人さん顔やば……っ真っ赤になっちゃって可愛い~」
「なっ……ち、違っ……っ」
「照れなくてもいいのに」
瀬名は、中途半端な状態で寸止めされて不機嫌さを滲みだしているし、にやにやと笑う二人の視線が居た堪れない。
不意に、尻に入れていたスマホが着信を告げた。 渡りに船とばかりに確認すればそれは、東雲からの電話だった――。
理人は無意識のうちに瀬名に背を向け電話に出た。
『あ! 鬼塚さん、無事でした?』
「……何の話だ?」
開口一番、食い気味に話しかけられて若干引きながら問い返す。
緊迫した声色から、自分たちにとってあまり良くない内容なのだという事は察しがついた。
『詳しい事は会ってから話しますけど……以前言っていた件。繋がりが確定しました』
繋がり、とは朝倉と反社との関係の事だろうか。
『まぁ、向こうから接触して来たんですけどね。いきなり暗闇から襲いかかて来たから驚きましたよ。まぁ、返り討ちにしてやりましたけど……。どうやら、例の写真を撮ったオレを探してたみたいで』
「……そうか」
あの写真が流出して困るのは、岩隈と一緒に写真に収まっている娘、そしてその親である朝倉――。
うだつの上がらない出来の悪い男だと思っていたが、どうやら悪知恵だけは働くようだ。
『それで、鬼塚さんの近況も知りたいし、色々と渡したい資料もあるので近々お会いできませんか?』
「わかった、じゃぁ……」
待ち合わせ場所を指定して通話を終える。振り返ると瀬名とナオミ、湊までもが心配そうにこちらを見ていた。
「悪い、急用が出来た」
「アンタ。何かヤバイものに首を突っ込んでるんじゃないでしょうね?」
ナオミが理人の腕を掴み、険しい表情を浮かべる。
「違う、そう言うんじゃねぇから。ちょっとダチに会いに行くだけだ」
ナオミの腕をそっと外し、理人は瀬名へと向き直った。
「理人さん僕も行きます」
何かを察したらしい瀬名が真剣な眼差しを向けて来る。今回の件について、瀬名にはまだ何も説明をしていない。しかし、瀬名も薄々何かを感じ取っているようだった。
不安げな表情を浮べ、理人の服の裾を掴んでいる指先に力が篭る。
「ばーか。お前はまだ絶対安静だろうが」
「でも……」
「大丈夫だ。危ない事はしねぇし……本当にダチに会いに行くだけだから」
理人がそう言って笑って見せると、瀬名は一瞬躊躇ったが、渋々といった様子でようやく理人の袖を離した。
その頭をポンと撫でてやると瀬名は僅かに目を細める。まるで小動物のようなその仕草に胸がきゅんと高鳴った。こんなにも人を愛しいと思う感情が自分の中にある事に驚きつつ、理人は踵を返した。
「そんな心配しないの。大丈夫よ理人は……ある程度のチンピラ位なら瞬殺でやっつけちゃうわよ。――なんたって、高校では喧嘩ではほとんど負けた事なんてないんだから!」
「へぇ、そんなに喧嘩強かったんですか」
「……おい! 出て行き辛ぇだろうがクソが!!」
ナオミが自分の黒歴史の暴露大会をしそうな気配に、理人はナオミをぎろりと睨み付ける。
「あら、まだいたの? 用事があるんでしょう?」
「……チッ。余計なことを瀬名に吹き込むなよ!!」
理人はそう言い捨てて病室を出ると、早足で歩き出す。その背中を、瀬名はじっと見つめていた――。
入浴後、濡れた髪をタオルで拭きながらリビングに戻ると、ソファに座ってパソコンを立ち上げた。
ビール片手に東雲から受け取ったUSBの中身を改めて確認する。
その中に課長のひき逃げ事件についての記事が数枚入っていた。夕刻の薄暗い時間帯、天気は曇り。車は突然課長に向かって猛スピードで突っ込んできている。
目撃情報も少なく、車のナンバーも偽装されていた為犯人に繋がる直接的な手掛かりは少ない。警察は今も犯人の行方を追っているが、捜査は難航している……。
「……」
事故に遭った状況が今回の件ととてもよく似ている印象を受けた。 ブレーキ痕はなく、未必の故意での犯行だと思われる。
同一人物なのかはたまた、組織ぐるみの犯行なのかはわからないが瀬名をあんな風にした犯人を捉まえないと気が済まない。
思わず缶を握る指先に力が篭りぐしゃりと嫌な音が響く。溢れだしたビールが手を伝いテーブルに液だまりが出来て理人は慌ててタオルでそれを拭った。
「チッ……」
舌打ちをして、理人は新しい缶ビールを開けると勢いよく喉へと流し込んだ――。
翌日、病室へ行くと看護師から部屋を2人部屋へ移ったと聞かされた。
入院が長引けば部屋代も高くつくだろうし、それは仕方がないと思うが、随分急な話だ。昨日はそんな話出ていなかったのに……。 と思いながらも理人はその病室へ向かった。
ノックすると「どうぞ」と瀬名の声が聞こえたので扉を開く。そこには、ベッドに腰掛けて隣のベッドの人物と楽しそうに談笑している瀬名の姿と、綺麗な女性を連れた萩原がいた。
「あ! 部長! お疲れ様です!」
「なんだ、君も見舞いに来ていたのか……」
理人が声を掛けると、萩原は何と言ったらいいかわからない表情を浮かべて理人を見た。
「えっと、僕は片桐課長のお見舞いに……そしたら、瀬名さんが居たんでびっくりしてた所だったんです」
「えっ?」
そこでようやく、瀬名の隣にいる人物が片桐だと気が付いた。
「部長は、瀬名君の所に毎日来ているそうだが私の所には全然来てくれないんだなぁ」
「す、すみませんっ! けしてないがしろにしていたわけでは無かったんですが……」
瀬名の事で頭がいっぱいでそこまで気が回らなかったとは言いづらい。理人は冷や汗を流しつつなんとか言葉を紡いだ。
「ふふ、冗談だよ。それにしても、こんな場所が初対面になるなんて僕も思ってもみなかったよ。部長がベタ褒めする社員なんて珍しいから会ってみたいと思ってたんだ」
「ちょっ、片桐課長っ!」
「へぇ……理人さんが僕の事をそんな風に……嬉しいなぁ」
「う……っ、ま、まぁ私だって……人を褒めること位ある」
「でも俺、部長が人を褒めるの見たことないですけどね」
「……くっ」
何気なく言ったであろう萩原の一言で言葉に詰まる。
どいつもこいつも余計な事を言いやがって! 理人は恥ずかしさを隠す為にわざと不機嫌そうに顔を歪めた。
「あ、理人さん、もしかして照れてます? 可愛いいなぁ」
「馬鹿を言うなっ! 照れてなどいない!」
理人が否定すればするほど瀬名は面白がってからかってくる。そんな二人の様子を、片桐と萩原は笑顔を浮かべて眺めていた。
「いやぁ、今日はいい日だ。萩原君の嫁さんもこの目で見れたし……。正月明けの復帰が楽しみだよ」
「もしかして、退院決まったんですか!?」
片桐の言葉に、理人は思わず声を上げた。
「あぁ、無事に今日退院許可が下りたんだ。年越し直前になってしまったが間に合ってよかった」
片桐によれば、定期的なリハビリはまだ少し必要になって来るが、明日にはもう退院できると言う。
「そうですか……良かった。おめでとうございます」
理人は心の底からホッとして胸を撫で下ろした。これでひとまず仕事が少しは減るだろう。
「復帰したからってあまりコキ使わないでくれよ? 鬼塚部長は人遣いが荒いからなぁ」
「なっ!?、いくら何でもそこは配慮しますよ!」
「ふふ、冗談さ。冗談」
「……ったく」
すっかり毒気を抜かれた気分で理人はひっそりと嘆息した。
片桐課長が復帰するとなれば、後はアイツを何とかするだけだ……。
それから暫く、みんなで談笑した後、萩原と共に病室を後にした。
瀬名と二人きりで話が出来なかったのは残念だが、順調に回復しているようで安心した。
理人が安堵の溜息を吐くと、萩原は不思議そうな表情を見せた。
「片桐課長、思ったより元気そうで良かったですね」
「あぁ、一時は意識不明だったからな。無事に退院出来て良かった」
「じゃぁ、今度は新年会も兼ねて課長の快気祝いですね!」
「……お前、飲み会ばかり企画してないか?」
ジト目で睨むと、横で奥さんがクスクスと笑う。
「ち、ちゃんと家族サービスはしてますから! それに、たまにしかしてないじゃないですかっ」
「本当か? 嫁さん泣かせたりしてねぇだろうな」
「してませんって! ……なんか、部長とこんな話が出来る日が来るなんて……なんだか不思議な気分です」
「なんだそりゃ」
理人は思わず苦笑した。確かに、以前の理人と社員の間では見えない壁があったように思う。自分でも、出来る限り素は出さないようにしていたし、完璧な上司でいるために敢えて厳しく接していた部分もあった。しかし、瀬名に理人の仮面を剥ぎ取られてからというもの、それが上手く機能していないような感じが拭えない。理人が戸惑っていると、萩原はにっこりと笑った。
「でも俺、今の部長が好きです! 人間臭い部分もちゃんとあったんだなぁって安心できるって言うか……」
「……っお前は私を何だと思ってたんだ」
「あはは、まぁ、なんと言いますか……ずっと理想の上司像みたいなのがあって……ちょっとだけ遠い存在に思えてたんですよ。部長は完璧で……完璧過ぎて近寄りがたいイメージが有ったんです。だから、こうやって部下の事を心配したり、一緒に喜んだり……そういう感情を見せてくれると嬉しくて。あ、でも勿論普段の厳しい態度も好きですよ? 俺、凄く尊敬してますから!」
「……」
真っすぐな言葉を向けられると、眩しくて何と答えていいのかわからなくなる。
「あ! そう言えば……俺、ちょっと気になるモノを見てしまったんですよ」
「気になるモノ? なんだ……?」
「朝倉係長に関してなんですが……」
その言葉に理人の眉がピクリと跳ねる。今まさに理人が一番気にしていた話題を振られ、心臓がドキリと高鳴った。
萩原は今回の事件の詳細を知らない筈だ。一体朝倉の何を知っているのか。
「仕事納めの日だったんですけど。あの人、珍しく外回りに出たなぁと思ってたら、真っ黒いスーツを着た怪しい男とファミレスに居たんです」
「ファミレス――……」
「俺、ちょうどそこに居合わせちゃって。なんだかよくわからないけど、話が違うだろ! って怒鳴ってて……凄い剣幕だったので最初は別人かと思ったんですが」
「……詳しい詳細とかは?」
「探偵一人潰せないのか!? とか、なんとか……。後は、気になったのでファミレスの店員さんにお願いしてコレを机の裏側に張り付けてて貰って」
萩原が取り出したのは現在試作品段階の超小型盗聴器。まだまだ不具合が多く実用化は程遠い代物だが、萩原はこういう小細工が得意だ。以前、理人が頼んでおいたのをいつの間にか仕掛けていたらしい。
「一応確認はしたんですが雑音が多い上に、段々と聞くのが怖くなってしまってどうしようかと思っていた所だったんです」
「私が預かってもいいか?」
「はい、元々年が明けて仕事が始まったら、部長に渡すつもりでいたので」
「そうか……」
理人は小さな機械を受け取ると、胸ポケットにしまった。これで、この騒動も収束に向かうだろうか。
萩原と別れ、帰宅すると理人は早速萩原から受け取った音声データを再生した。
―――ガチャッ ノイズ混じりの音に耳を傾けながら聞こえてくる声に耳を傾ける。
――お前らホントに使えねぇな! 鬼塚理人を殺れと言ったんだぞ? それなのにアイツは
何故ピンピンしている? それに、探偵が思ったより手練れだっただと? ふざけるな! 1人が無理なら複数でやれ! 相手の生死は問わん。娘のデータが入ったUSBさえ手に入ればそれでいい――。
そこまで聞いて理人は音を止めて画面を睨みつけた。
(やはりコイツ等は黒……)
さて、これからどうしてくれよう。
証拠を集めて警察に突き出すのは簡単だが、それではこの胸糞悪い気分が晴れない。だが、このまま野放しにしておくのは危険だ。
相手は思った以上に、狡賢い上に悪意に満ちている。こちらも対策を練らなければ……。
理人は無意識に指輪を擦り、唇を噛みしめると今後の対策を考えるために東雲に連絡を取ることにした。
「……おい。東雲……なんでコイツが此処に居るんだ?」
翌日、12月31日の午後、新宿駅近くのカフェで待ち合わせていた理人は、東雲と共に現れた人物を見て頬を引きつらせた。
「なっ、な――っ!? 薫がどうしても相談に乗ってやって欲しい奴が居るって言うから非番でついて来たのに、よりによって鬼塚理人……だと!?」
「あれ? 知り合い……みたい、だね?」
「知り合いも何もコイツは……あの時の変人!」
「変人とは失礼な! おれは間宮大吾だっ!!!」
(チッ、相変わらずウルセェ……)
理人は心の中で舌打ちをして、思わず眉をひそめた。
「……あぁ、そうか。確かそんな名前だったな。で? なんでコイツが此処に居る?」
「なんでって、だから強力な助っ人になってもらおうと思ったんですよ」
「ぁあ? 冗談だろ?」
東雲の言葉に理人の眉間の皺がいっそう深くなった。一体何の冗談だろうか?
そう思っていると、間宮がドヤ顔でこちらに手帳を差し出してくる。
そこには「警視庁 刑事部 捜査第4課 警視 間宮大吾」と明記してある。
「おいおい……嘘だろ? 男漁りに勤しんでる変態が警察官だと?」
「失礼だな! 勤務中はそんなことしない!」
「当たり前だアホっ! はぁ……日本の警察のトップにこんなのがいるなんて……世も末だな」
「ハハッ、まぁまぁ理人さん……。この人、これでもキャリアはあるし……役に立つと思うんですよねぇ」
「……チッ……」
確かに、キャリア組なら理人にはわからない情報を知っているかもしれない。それに、警察の後ろ盾があると言うだけで随分と心強い気がする。
――が!
「ふふん、わかったか。鬼塚理人! 大体の話は薫から聞いている。お前が頭を下げるんだったらこの件引き受けてやってもいいぞ」
こんな不遜な態度を取るようなヤツに頭なんて下げたくはない。かと言って、今までわかっている情報だけ見ても、自力で何とかできるような相手ではなさそうだし。
「…………」
「鬼塚さん……」
「チッ……よろしく頼む。俺はどうしても、アイツに怪我をさせた朝倉が許せないんだ……」
背に腹は代えられず苦虫を噛みつぶしたような顔をして、眉間に深い皺を刻みながら理人は渋々頭を下げた。
「フハッ、いい眺めだな」
「あ?」
「おっと失礼。いいよ、同級生のよしみとして手伝ってやる。おれに任せておけ」
「……不安しかねぇ……」
こうして、非常に不本意ではあるが間宮に協力を仰ぐ事になり、理人は盛大な溜息を吐いた。
その日の夜、東雲たちと取り決めした内容を確認しながら、リビングで煙草を吹かしていると、不意にスマホが震えた。
画面に表示された『瀬名』の二文字にドキリとしつつスマホを耳に押し当てる。
『あ! 理人さん。良かった、起きてたんですね』
「まだ宵の口だろうが。何か用か?」
『別に用があったわけじゃないんです。ただ、貴方の声を聞きながら年越しがしたくて……」
「……そうか」
ちらりと視線だけで時計を確認すれば、後数分で新しい年が始まろうとしていた。
『本当なら、今夜はずっと一緒に居れるはずだったのに……』
「外泊許可が出なかったんだ。仕方ねぇだろ。それに……来年も、再来年も正月は来るから今年位我慢しろよ」
「……そうですけど」
瀬名は不服そうな声を漏らし、はぁと大袈裟なほど溜息を吐いた。
『あーぁ、理人さんとヒメハジメしたかったのに……』
「……ッ、てめぇの頭はそればっかだな!」
『だって、この間のアレも寸止めされて、今凄く欲求不満なんです』
「~~ッオナホでも使って一人で抜けよ馬鹿っ」
『オナホより理人さんがいい。ねぇ、この間みたいにスカイプで……』
「馬鹿な事言ってると切るぞ!」
電話の向こうから聞こえてくる甘い声と艶っぽい囁きに、全身の血液が沸騰したように熱くなる。全く、新しい年が始まろうとしているのに煩悩まみれの男はこれだから困る。
これ以上付き合っていられないとばかりに理人が通話を切ろうとすると、焦った声で瀬名がそれを制止した。
『冗談ですってば、切らないでください……っ!せめて……あと少しだけ……。年を越して初めて聞く声は、貴方の声がいいんです』
「……っ」
理人の胸がキュウっと締め付けられた。なんだってコイツは、こうも簡単に理人を動揺させるのか。
こんなの、ずるい。反則だ。自分だって本当は今夜位側に居たかった。だが、入院中だから仕方がない。生きていてくれただけで充分じゃないか。頭ではそうわかってはいても、なんともやるせない思いがこみ上げてくる。
『理人さん……?』
黙ってしまった理人を不思議に思ったのか、瀬名の優しい声が鼓膜を震わせる。それはまるで愛撫されているかのように心地よくて、もっと聞いていたいのに……何故か泣きたい気持ちになった。
「なんでもねぇ。それよりほら……カウントダウン始まってんぞ。煩悩も嫌な事も全部忘れて……新しい年を迎えるんだろう?」
「そう、ですね……」
何気なく付けたテレビからは除夜の鐘が聞こえてくる。
煩悩を捨て去るため、108回鳴らすらしい。
――もうすぐ、年が明ける。
『理人さん――』
「え……ッ」
カウントダウンが0になりテレビから大きな歓声が上がった瞬間――理人の耳に響いたのはスマホ越しのリップ音だった――。
『明けましておめでとうございます。理人さん……』
「……、あぁ。おめでとう」
理人は照れ隠しをするように、短く返事をするとコホンと咳払いをした。
『あの……今年もよろしくお願いしますね。それから……早く退院できるように僕、頑張りますから……』
「……あぁ。待ってる……それまでにこっちもケリつけとかねぇとな……」
『え? なんですか?』
「なんでもねぇよ。こっちの話だ」
理人は資料に載っている朝倉の顔を睨み付けると、深い溜息を吐いた。