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「全く、おれの貴重な正月休みが……なんでこんな浮気男の為なんかに費やさないといけないんだっ!」
ファミレスに入るなり、間宮はテーブルに突っ伏してふてくされたように不満を吐露した。
「……てめぇ、まだそんな事言ってやがったのか」
「えー、なに? 鬼塚さん浮気してたんですか?」
「違う! なんか知らんがコイツが勝手に勘違いしてるだけだ!」
理人は不機嫌そうに眉間にシワを寄せ、ドリンクバーで入れたアイスコーヒーをストローでぐるぐるとかき混ぜた。
「勘違い、だと? 薫とイケメン君をとっかえひっかえしてたじゃないかっ! 人目も憚らずイチャイチャと!」
「するかアホ! おい、東雲。いい加減お前からも否定しろよ。面倒くせぇ……。ただ単に話してただけだろうが! お前の頭ん中じゃ、野郎と話しただけでホモ扱いなのか?」
ぎろりと睨み付けると、間宮はグッと言葉に詰まらせた。何か言いたげに口をモゴモゴさせながら「だって、それは……」と呟いている。
理人は盛大に溜息を吐き、手に持っていたグラスを置いた。
「大体、お前の変な妄想のお陰で、あの後大変だったんだからな!」
恥ずかしい記憶が脳裏を過ぎり、理人は顔を真っ赤にしながら眉間に皺を寄せる。
「あー、大吾……頭はいいけど思い込みが激しいからなぁ……」
東雲が苦笑混じりにフォローを入れるが、理人は呆れ顔で二人を見た。
「それって警察官としてどうなんだ……?」
「問題ない!」
「いや、あるだろうが! 致命的だわ!」
思わず声を荒げると、間宮は勝ち誇ったように胸を張る。理人は頭を抱えたくなった。
だが次の瞬間、東雲がにやりと笑みを浮かべた。
「でもね、理人さん。コイツ、ずっと言ってたんですよ。忘れられない初恋の君がいるって。男を磨いて、いつか見返してやるんだって」
「はぁ?」
「まさか初恋の君が鬼塚さんだとは思いませんでしたけどねぇ。鬼塚さん、モッテモテですね?」
「……本気で言ってんのか?」
理人は呆れと羞恥の入り混じった視線を投げるが、東雲は肩を揺らして笑うばかりだ。
間宮は気まずそうに咳払いをして話題を逸らした。
「こほん……まぁ、その話はいい! 明日の作戦を詰めるぞ」
理人も表情を引き締め、気持ちを切り替える。
「まず、目的は相手の会話を録音し、ひき逃げ事件の裏付けを取ることだ。出来れば現行犯で押さえたいが……」
「会合に使われるホテルの部屋は既に押さえてある。カメラと盗聴器も仕掛け済みだ」
間宮が短く答える。先程までの馬鹿さ加減が嘘のように、プロの刑事の顔へと切り替わっていた。
理人は胸ポケットから、小型の黒いケースを取り出す。
「……それなら、これも使え」
「なんだそれは?」
「新型の盗聴器だ。正確には“電波ジャック装置”。近くの無線やインカムを乗っ取り、こっちの指示を偽装して流せる。実戦での投入はまだだが……お前ら警察の現場なら使い道があるはずだ」
「……!」
間宮の目が鋭く光る。器用に手のひらで転がしながら重みを確かめる。
「面白い。これが成功すれば、奴らを一気に混乱させられるな」
「へぇ? ちょっと前まで構想段階だったのにもう形になったんですか? さっすが鬼塚さん。仕事が早いなぁ」
その一つを手に取り、東雲が感心しきったように呟く。
「……使えるかどうかは保証しねぇがな。それはまだ初期の試作品でまだ一度も試したことがない代物だ。保証は出来ねぇ。扱いは任せる」
「ハハッ上等だ。何事にもリスクはつきものってね。いいだろう。気に入った。責任は俺が持つ」
間宮は自信満々にそう言って、不敵に笑った。その姿は先程まで浮気だの初恋だのと騒いでいた男とは別人のようで、理人も思わず感心する。
――だが、その直後。
「よし、じゃあ今すぐ試してみるか!」
間宮が装置のスイッチに手を伸ばすのを見て、理人は慌てて止めにかかった。
「おい馬鹿! ここカフェだぞ! 下手すりゃWi-Fiも店内通信も全部止まんだろうが!」
「え、だって実戦は明日だろ? 動作確認は早い方が……」
「俺は試作機だっつったろうがっ! こんな公共の場でやるな!!」
理人が声を荒げる横で、東雲は腹を抱えて笑っていた。
「ははっ……やっぱ大吾は最高に面白いなぁ」
翌日、指定された時間にホテルに行くとフロントマンが直ぐに部屋の前まで案内してくれた。
予め伝えていたお陰でスムーズに事が運び、そのまますぐに部屋の中へと足を踏み入れる。
部屋の中にはまだ誰も来ておらず、理人はソファに座って時が来るのを待った。
部屋の中はモニターで監視されており、外の様子は耳に嵌めたイヤモニから逐一東雲から報告が入るようになっている。そして、暫くするとノックの音が聞こえて、何も知らされていない朝倉が部屋に入って来た。
朝倉は部屋に入ってくるなり室内を一通り見渡し、ソファに座る理人の姿を見つけると驚いたような顔をして立ち止まる。
「な……っなんでアンタが此処にいるんだ!?」
「さぁ、なんでだと思う? 今日面白い話し合いがあるって聞いたもんだから、俺も混ぜて貰おうと思ったんだ」
理人は動揺している朝倉に意地の悪い笑みを向けると、ゆっくりと立ち上がった。
東雲は事前に打ち合わせした通りの場所に上手く誘導してくれているようで、この部屋の付近には他の人間の気配はない。
今頃は、間宮と共にひき逃げ犯を張り込んでいる事だろう。
東雲が用意していた録音機器を手に取り、理人は朝倉に近づくと、その耳元に唇を寄せた。
「――よくもアイツを傷つけてくれたな……」
自分でも驚くくらい低くてドスの利いた声が出た。途端、朝倉がヒィッと情けない声を上げる。
理人はその怯えた表情を見て、内心で舌打ちをする。今まで、コイツの演技に騙されてきたがもう騙されはしない。目の前にいるコイツは気弱な木偶の坊ではなく、狡賢い犯罪者の一味だ。
「いい加減、猫を被るのはやめたらどうだ? もう全部バレてるんだよ……みっともねぇな」
理人が冷たい声で言い放つと、朝倉はぎゅっと拳を握りしめ震えながら理人を睨み付けた。
「ハハッ、何のことだかさっぱりわかりませんね。誰かとお間違えじゃないですか? 鬼塚部長」
「……チッ、いや。間違ってねぇよ。今日お前が此処で会う予定だった男の名は西谷、だろう?」
名前を出した途端、朝倉の頬がひくりと引きつったのがわかった。
――ビンゴ、だな。
理人は苦々しい気持ちを堪えて笑みを浮かべると、手に持っていたボイスレコーダーのスイッチを押した。
――お前らホントに使えねぇな! 鬼塚理人を殺れと言ったんだぞ? それなのにアイツは何故ピンピンしている? それに、もう一人の男が思ったより手練れだっただと? ふざけるな! 複数でやれ。相手の生死は問わん。娘のデータが入ったUSBさえ手に入ればそれでいい――。
音声を聞いて朝倉の顔から見る見るうちに血の気が引いていく。
「残念だったなぁ、俺を殺せなくて。お前が何にこだわって俺や課長を殺そうとしたのかは知らねぇが……やり方が気に入らねぇ」
理人は冷淡な表情で、俯いている朝倉に視線を落とした。
「……な、んで……っ」
朝倉が小さく呟く。
「あぁ?」
「なんでいつもアンタは僕の邪魔ばかりするんだっ!!」
朝倉は突然叫ぶと、勢い良く顔を上げた。目は大きく見開かれ、その表情は怒りと憎悪に満ちている。
「目障りなんだよ! あんたも、課長も! お前らがいなければ今頃僕は出世街道まっしぐらだったんだ!! なんでだ!? どうしてこんなにうまくいかないんだ!?」
朝倉は顔を真っ赤にして怒鳴るように言い放った。
にわかには信じがたいが、コイツは本気でそう思っているのだろうか?
「チッ……くだらねぇ」
理人はぽつりと呟いた。
「はぁっ?」
「……そんな事で、お前はあの事件を起こしたっていうのか?」
理人は目を細めて朝倉を見た。
「そんな事だと!? 僕にとっては重要な事だ! 僕はエリートコースを歩くはずだったのに……! アンタが! アンタがいたせいで、嫁は男を作って蒸発するし……娘はあんな事に手を出す羽目になったんだ……!」
「自分自身が客観的に見れないなんて哀れだな……」
こんな奴の身勝手な思考の為に、罪もない課長や瀬名が死にそうな目に遭い、東雲は暴漢に襲われかけたのだと思うと腸が煮え繰り返る思いがする。
「うるさいっ! そんなこと言ってられるのも今のうちですよ。鬼塚部長!」
朝倉は激高すると、耳に付けたイヤホンのマイクに叫んだ。
「おい! 入ってこい!! 早くアイツを抑えろっ!!」
しかし……。
「…………あれ?」
待てど暮らせど黒服たちは現れない。それどころか、扉の向こうで
「おい、部屋が違うらしいぞ。鳳凰の間だ!」
「なに? クライアントは10階ラウンジだと指示が来たんだが」
「俺のところには作戦Bに変更だって」
「一体、何がどうなってる!?」
という、荒々しい男たちの足音と話声が響いてくる。
「おい!? 何してる! 早く来いって……! なんで返事をしないんだ!!」
焦りで顔を真っ赤にし、必死で呼びかけるが、部屋に現れる気配は一向に無い。それどころかどんどん足音が遠ざかっていく。
その様子を見ながら、理人は内心で小さく息を吐いた。
「……成功したか。あの装置……ちゃんと敵の通信をジャック出来たんだな」
胸ポケットを指先で軽く叩く。小さな黒いケースの存在が、今の混乱を生んでいる――そう思うと、背筋を冷たい汗が伝う。
実戦投入はこれが初めて。もし上手く働かなければ、この場に雪崩れ込んでくるのは黒づくめの連中だったはずだ。
(……間一髪、ってとこか)
理人は表面上は冷静を装いながらも、内心では自分の鼓動の早さを持て余していた。
「ど、どうなってるんだ……? なんで、誰も来ない……っ!」
「……お前の仲間は来ねぇよ。残念だったな」
「な、なんで……!? そんな、はず……!」
狼狽する朝倉に、理人は冷酷な眼差しを向けて口角を吊り上げた。
「さぁ、観念しろよ。大人しくしとけば一発で許してやる」
「ふ、ふざけるな!! お前なんかあいつらが居なくたって……っ!!」
やけを起こしたのか、朝倉は激高すると、いきなり懐に手を入れ何かを取り出すと理人目掛けて突進して来た。
「――遅っせぇ……な!」
「ぐぅっ!」
間合いに入ったと同時に振り下ろされたナイフを理人は素早くかわし、ナイフを手から叩き落とすと、鳩尾に強烈な蹴りを叩き込んだ。
「がはっ!」
朝倉は後ろに吹っ飛び、床に倒れ込む。そのまま馬乗りになって押さえつけると、理人は朝倉の顔面目掛けて拳を振りあげ――。
『――鬼塚さん、ストップ!!!』
後数センチで顔面に渾身の一撃を食らわせるとところで、東雲の声がイヤモニから聞こえて来てそれを制した。
『気持ちはわかるけど……。こっちの裏も取れたし、そのオッサンの自供もばっちり得られたからそれ以上は……』
「……く……ッ」
理人は忌々しげに舌打ちを漏らすと、渋々と朝倉から離れた。
「……おい、テメェ。……出世だかなんだか知らねぇが、娘がそうなった原因はお前だろ!」
「なっ! 知った口を利くなっ!!」
「知らねぇよ。知りたくもねぇ! けど……、てめぇの娘は寂しいんじゃねぇのか? 父親は自分の事しか考えて無いクズだし、母親は男作って蒸発……確実に愛情に飢えてんじゃねぇか……」
「な……ッ」
「……お前は、親として失格なんだよ。出世なんかより、もっと大事な事があるんじゃねぇのか? どうせ娘の表面的な事ばかりしか見てねぇんだろ! 変な男に金詰んで事実をもみ消すより先に、娘とちゃんと向き合ってやったのか? それをしねぇで誰が悪い、コイツのせいだって……いい年したオッサンがガキみたいな事言ってんじゃねぇぞくそ野郎が!」
理人は吐き捨てるようにそう言うと、ソファに置いてあった上着を手に取った。
同時に計ったかのようなタイミングで扉が開き、警察手帳を手にした間宮が姿を現す。
「朝倉壮一郎。轢き逃げを教唆した罪で君を署に連行する」
朝倉の顔が絶望に染まる。
「なっ!? 警察なんて聞いてないぞ!? ……くそ…っハメやがったな!?」
「言い訳は署で聞く。……行くぞ」
間宮が有無を言わせず朝倉を引っ張り起こすと、そのまま部屋から出て行ってしまった。
「くそっ、くそくそくそっ!! なんでこんなことに! こんな筈じゃ……っ」
朝倉の悲痛な叫びが遠ざかって行く。
理人はそれを見送りながら拳を握り締めると、奥歯を噛み締めた。
「……終わったみたいですね」
「ああ。最後まで胸糞悪い奴だった……」
「あとは大吾に任せておけばいいですよ。さーて、正月早々大仕事も片付けたし、どっかご飯食べに行きますか?」
東雲が理人の肩をポンと叩く。だが、理人の表情は晴れない。
「鬼塚さん?」
「……悪い、埋め合わせは今度だ。用事を思い出したんだ」
「おやおや? もしかして、彼氏さんに報告ですか?」
「……」
ニヤリと笑われ、理人は思わず黙り込んでしまった。東雲が驚いたように瞬きをする。
「え? まさか、ホントに? 冗談のつもりだったんですが」
「……悪いかっ」
「いえ、全然。ただ意外だったので」
「……帰る!」
ニヤニヤと笑みを浮かべる東雲の視線に耐えきれず、理人は踵を返すと逃げるようにしてその場を後にした。
理人が病院に到着したのは面会時間終了間際。ぎりぎりの時間帯だった。受付を済ませエレベーターに乗り込むと瀬名が入院している7階のボタンを押した。扉が開くまでの一分一秒すら惜しくて、理人は早足で廊下を歩き出す。何故だろう……どうしてこんな気持ちになるのかわからないが、無性に瀬名に会いたくて仕方がない。
病室に着くと、瀬名はベッドに座って本を読んでいる所だった。モサっとした前髪が目にかかって見えにくくないのか? なんてそんな事を考えつつもその姿を見ると、ほっとしたような感情が湧いてくる。
ふと、自分の気配に気付いた瀬名が顔を上げ、姿を確認すると一瞬驚いたように目を丸くし、その後嬉しそうに破顔した。途端、心臓が大きく跳ね上がる。
「理人さん? 珍しいですね。こんな時間に……今日は用事があるって言ってたから来ないのかと――」
「……っ」
全てを言い終わる前に駆け寄ってそのままの勢いで抱き着いた。驚いて瀬名が固まるのがわかったが、構わずに抱きしめる腕に力を込める。
「ちょっ、理人さん!?」
瀬名の焦った声が頭上から降ってくる。
「あ、あの……どうしました?」
「……っなんでもねぇ……」
何でもなくはないが、それを上手く言葉にする術を理人は知らない。
ただ、こうやって触れていないと落ち着かないのだ。この温かい身体にずっと触れていたい。それだけは確かだ。
「えーと……とりあえず、離れて貰えるとありがたいのですが」
「……無理」
「即答っ!?」
だって、今は離れたくない。もう少しだけこのままでいたかった。
「もう、理人さん。なんか変です……よ……?」
困ったような声で言っていた瀬名の語尾が不自然に途切れる。背中に回されていた手がそろりと動いて、あやす様に優しく撫でられた。その温もりに何故か泣きたくなる。
「理人さん……何かありました?」
「……別に、何もねぇ」
「嘘」
断定的な口調で言われ、頬に手が触れ上向かされる。視線が絡みコツンと額がくっついた。
「理人さんの目、少し赤いです。それに……」
瀬名が一度言葉を区切る。
「なんだろう? すごく不安そうな顔をしてる」
そう言った瀬名に理人は眉根を寄せた。
「そんな顔……してねぇ」
「ううん、してる。何か嫌な事があったんでしょう?」
「……」
「大丈夫。僕はここにいますから。だから安心して。ね?」
安心させるような声色で瀬名は言う。理人は答えず、代わりに唇を重ねた。柔らかい唇が触れ合う感触が心地よくて、離れがたい気持ちにさせられる。
「理人さん……、積極的なのは嬉しいんですが……あまり積極的なのは……」
「……いやか?」
「いや、では無いんですが……」
理人はじっと瀬名を見つめた。困ったような顔をしているが本気で拒絶されているわけではない事はわかっている。むしろ――。
「もっと、したい」
「……っ、それは……ダメ、です」
「なんで」
「……なんでって、これ以上はちょっと流石に……というか、僕も男なので……理人さんにそんな積極的に迫られたら我慢できなくなっちゃうじゃないですか」
目を逸らし、耳まで真っ赤にして恥ずかしげに瀬名が言う。
「俺も、我慢出来ねぇよ……」
再び口づけようとすると、瀬名の手に阻まれた。
「ん……っ、こら、駄目だって……」
「……」
「あぁもう、そんな不満そうな顔して……。退院してからって自分が言ったくせに」
「…………チッ」
理人はむぅと不満気に目を細めた。確かに退院したら覚えてろと言ったのは自分だ。でも――。
「そんなの、反故にすればいいじゃねぇか……」
「そういうわけにはいかないでしょう。いくら隣のベッドが空いてるからって、鍵は掛からないですし。それに、もうすぐ面会時間終わっちゃいますよ」
時計を見ればあと十分ほどで消灯の時間だ。残念だがそろそろ引き時だろう。
「チッ、わかった」
渋々納得すると、理人は大人しく身を引いた。それでも瀬名と離れたくなくてそのままギュッとしがみつく。子供のような仕草だとは思うが、こうしていたい気持ちの方が勝った。
「ホント今日はどうしたんですか? 随分甘えたさんなんですね……そんな理人さんも可愛くて好きですけど」
「……お前にだけだ」
「~~~ッあーもー! そんな可愛い事言うなんて……。僕の理性を試してるんですか!?」
悶絶して頭をぐしゃぐしゃっと掻き乱す様子が可笑しくて、自然と理人の口元に笑みが浮かんだ。
丁度その時、面会終了の時間を知らせるアナウンスが流れ、理人は最後に軽く触れるだけのキスをすると名残惜しそうに身体を離した。
「……また来るから」
「はい、待ってますね。あ、理人さん……。もしかしたら退院早まるかもしれないので、決まったらすぐに連絡します!」
「あぁ」
「それじゃ、おやすみなさい」
別れ際、ほんの少しだけ寂しそうな表情を浮かべた瀬名に後ろ髪を引かれつつ、病室を後にした。
「みんな。長い事留守にしてすまなかった。少々ブランクは出来てしまったが、これから頑張るのでまたよろしく頼む」
新年が明けてから最初の月曜日。宣言どうり、仕事始めに合わせるようにして片桐課長がフロアに復帰した。
皆が拍手で出迎える中、理人はホッとしたように息を吐く。これでようやくいつもの日常が戻って来た。
朝倉の件は、翌日に理人から社長へと報告を入れておいた。社長によれば、片桐と理人それぞれの昇進が決定した時、朝倉だけが不服だと直談判に来たと言う。
出世を夢見るのは勝手だが、実力が伴っていないことを理解できていないのは痛い。勝手に解雇することは出来ないが、野放しにしておくわけにもいかない為、数日のうちに北海道支社への転勤が発表されるだろう。
間宮によれば、朝倉は取り調べを受けている間も自分は悪くない! の一点張りで全く聞く耳を持たなかったと言う。
何処までも馬鹿な男だ。嘘でも大人しく罪を認めていれば、事情聴取だけで済んだかも知れなかったのに。警察側は再犯の恐れありとしてしばらく監視下に置いておくつもりらしい。
結局、理人の話なんて彼の耳には何も入っていなかったという事だ。
出世することばかりに拘り、家庭をないがしろにしてきた父親と、自分磨きをする事に忙しく幼い理人を放置していた母親。見栄とプライドだけは一人前に高く、褒めるのはいい成績を残した時のみで後は全くと言っていいほど無関心。
朝倉を見ていると、何故だか自分の両親を思い出して虫唾が走る。 何処までも自分勝手な大人たちに振り回される子供の心の闇は、どれほどのものだろうか?
「……鬼塚君?」
気が付けば随分考え込んでしまっていたようだ。皆の視線がこちらに向けられていて、理人はハッと我に返った。
「えー、ゴホン。新年早々すまない。今日から早速仕事始めだ。今月中には大きなプロジェクトが控えてる。各自、気を引き締めて業務に当たってくれ」
「はい!」
全員が一斉に返事をする。その様子に満足したように笑みを浮かべると、理人は自席に戻った。
「課長、至急この書類に目を通していただきたいのですが」
「えー、早速? 復帰したばかりなのに相変わらず容赦ないなぁ」
「時間は有限ですから。何事も最初が肝心でしょう? 片桐課長も暢気に構えていると時間内に終わりませんよ」
「おやおや、手厳しい」
提出期限が短い書類の束をどさりと課長の机に置きながら理人は事も無げに言い放つ。
その様子に、他の社員たちは苦笑いを浮かべた。
「さっすが部長。戻って来たばかりの課長にも容赦ねぇ」
「まあ、あの人だしな……」
そんな会話を右から左に聞き流しながら、理人は自分の仕事を片付けるべくデスクに戻る。
するとタイミングよくスマホが震え、メッセージが入っていることに気が付いた。
するとタイミングよくスマホが震え、メッセージが入っていることに気が付いた。
差出人は――瀬名。
〈退院日、決まりました〉
短い一文なのに、胸の奥が一気に熱くなる。
――どうしよう、すごく嬉しい。
思わず表情が緩みそうになるのを必死に堪え、画面を胸元にそっと隠す。周囲に気取られてはいけないのに、口元の緩みまでは止められない。
手元の書類が少しぼやけて見えるのは、嬉しさのせいか、それとも安堵のせいか。
どちらにせよ、近いうちにまた彼に会える。その確信だけで、今日という一日が俄然色づいて見えた。
それから1週間後。待ちに待った瀬名の退院の日がやって来た。昨夜は中々寝付けず、ずっとそわそわして落ち着かなかったくらいだ。
理人が迎えに行くと、瀬名は見送りに来ていたナース達と楽しそうに談笑していた。その姿に若干イライラさせられたが、顔に出そうになるのをグッと堪えて瀬名の元に歩み寄った。
瀬名は足音に気付いたのかこちらに顔を向けると嬉しそうに笑う。その笑顔を見ると、今まで感じていた苛立ちが嘘のように霧散していった。
――我ながら単純だな……と思いつつも仕方がない。彼の事が好きだと自覚してしまってからというもの、どんな些細な事にすら一喜一憂してしまう自分がいて、戸惑ってしまう。
以前なら煩わしいとしか思わなかった感情なのに、今はそれが心地良いと感じている節があるから驚きだ。
「――おい、荷物はこれだけなのか?」
「あ、はい。元々そんなに物が多いわけでもないですし……」
理人がボストンバックとキャリーケースを指差すと瀬名は少し照れくさそうに頬を掻く。それをひったくるようにして受け取ると、挨拶もそこそこに駐車場の方へと歩き出した。
「理人さん、タクシー乗り場は……」
「必要ない。今日は車で来たからな」
「えっ!?」
驚きの声を上げる瀬名を無視して、車に荷物を載せ助手席のドアを開けてやる。
「なんだ、乗らないのか?」
「あ……いや、理人さんが車持ってたなんて知らなくって……普段は電車通勤だし」
「普段は使わん。仕事帰りに酒が飲めなくなるだろうが」
「あ、そういう……。ははっ確かに」
苦笑しながら瀬名が乗り込むと、理人は運転席に乗り込んでエンジンを掛ける。サングラスを掛け、瀬名がシートベルトをした事を確認してから勢いよくアクセルを踏み込んだ。
「わっ、ちょっ……飛ばし過ぎですよ! スピード違反で捕まりますって!!」
「安心しろ、そんなヘマはしない」
「あぁもう……なんでそんな自信満々なんですか……」
瀬名が呆れたような声を出すが、構わず理人はハンドルを切った。
「そんなの決まってるだろ……」
「え……――うわッ」
慌てて体勢を立て直した瀬名が文句を言うより先に理人は口を開いた。
「早く二人きりになりたいからな」
言いながら、信号で止まると同時にするりと手を伸ばし瀬名の太腿に手を置いた。途端にビクッと身体を震わせる瀬名に理人はフッと意地の悪い笑みを浮かべる。
「……ッ、運転中に悪戯は止めてください」
「別に構わないだろ? どうせ誰にもバレやしないんだ……。それに、スリルがある方が燃えるんじゃないのか?」
「~~ッそうやって煽って……狡いですよ理人さん……」
恨めしげに睨んで来る瀬名に理人はますます口角を上げ信号が変わると同時にアクセルを踏み込み、左手はきわどい部分を悪戯に撫で上げて来る。股間を下から上へと形を確かめるようになぞられて、瀬名は小さく息を呑むと堪らず身を捩った。
「んッ……」
「ほら、もっと色っぽい声で鳴いて見せてくれ」
「~~~~ッ、調子に乗らないでください! このエロオヤジ!」
瀬名は堪らず理人の手を払いのけ、息を荒げながら窓の外へ視線を逸らした。
けれど、耳まで赤くなっているのは隠せない。
「……っ、ほんと、勘弁してください……」
「はは、随分と可愛い反応するようになったな」
愉快そうに笑いながらも、理人はようやく手を離す。
車はビル群を抜け、いつの間にか緑の多い郊外へと差し掛かっていた。
見慣れぬ景色に瀬名は首を傾げる。
「……理人さん、これって……どこに向かってるんですか?」
「決まってるだろ」
片手でハンドルを操りながら、理人はちらりと横目で瀬名を見やる。
低く甘い声で囁かれた言葉に、瀬名の鼓動は一気に跳ね上がった。
「お前と二人きりになれる場所だ」
ハッチバックを開けた車の荷室に腰を下ろし、背後にいる瀬名に身体を預けながら眼下に広がる景色を眺める。真っ赤な夕日と夕映えに輝く海と雲、そしてその奥に浮かび上がる高層ビル群のシルエットが辺り一面に幻想的な風景を作り出していた。 オレンジ色から濃い紫へと変化していく空を彩るのは、夜の始まりを告げる星々の煌めきだ。
「へぇ、凄いですね……」
普段目にしているものとは全く違う光景に瀬名は感嘆の声を上げ何処か嬉しそうに理人の肩に顎を乗せた。
あの後、ずっと行ってみたかったちょっとお高めの高級寿司屋で昼食を済ませ、海に向かって車を走らせ、この海沿いの街の名所でもある美しい公園へとたどり着いた。
海岸を見渡せる絶景のロケーション故に、夏休み前後には多くの若者で賑わっているこの場所も、流石にオフシーズンともなれば人もまばらでほぼ貸し切りのような状態になっている。
「僕、こういう景色嫌いじゃないです」
「そうか、良かった。俺、此処から見える景色が好きなんだ……。お前も海が好きだろう? だから、いつかお前を連れてきたいと思ってたんだ」
「ん? 僕、理人さんに海が好きだって言った事ありましたっけ?」
不思議そうに首を傾げる瀬名に理人は一瞬言葉に詰まる。しまった、うっかりしていた。まさか、探偵に頼んで身辺調査で得た情報だとは言えない。
「……っ、言ったじゃねぇか……忘れたのか?」
「んー? そうでしたっけ? でも、まぁ……嬉しいです。理人さんと一緒にこんな素敵な景色が見れて」
瀬名は少し考える素振りを見せたものの、特に不審に思った様子もなく、再び海の方を向いて眩しそうに目を細めた。
「……それにしても、理人さんってば大胆ですよね。 運転しながらいきなり人の股間触りだすんだもん。どんだけ飢えてたんですか」
「黙れ! べ、別に……っいつもあんな事をするわけじゃないっ 今日はたまたま……」
「たまたま? へぇ~? それにしても手慣れてましたよねぇ。最初から僕を襲う気だったんじゃないですか? 理人さんのえっち」
「ち、違っ……そんなんじゃねぇっ」
慌てて否定するが、瀬名はニヤリと笑って理人を覗き込んだ。
「違う? じゃあなんであんな大胆な誘い方したんです? 僕、我慢できなくって危うく襲っちゃいそうでしたよ」
「そ、それは……その……っ襲う気なんて無かったんだ。全く期待していなかったと言えば、嘘になるが……」
瀬名の視線に耐えきれず、理人は顔を赤く染めて俯く。
恥ずかしい。穴があったら入りたい。
「~~っ、もー……、ほんっと何なんですかっ」
「う、わ……っ、くそ、離せ馬鹿っ!」
突然瀬名に押し倒され、理人は慌てて上体を起こそうとするが、それを瀬名は制するように両手を強い力で押さえつけると強引に唇を重ねてきた。
「んぅ……っふ、……っんん」
貪るような激しいキスに息苦しさを感じて僅かに口を開けば舌を差し込まれ口内を犯される。口の端からは唾液が零れ落ち、瀬名の指先がそれを拭ったかと思えば今度は首筋に吸い付かれた。
「んぁッ、やめろ馬鹿ッ」
「無理……だって、誘ったのは理人さんでしょう?」
「はぁ!? さ、誘ってねぇ!お前が勝手に……ッ」
瀬名の胸を押し返そうと抵抗するが、まるで効いていない。それどころか瀬名は嬉しそうに口元を緩めると理人の耳に舌を這わせ始めた。
「あ……ふ、……っんん、ばか、何考えて……」
「……嫌なら本気で抵抗してくださいよ」
「――っ」
耳元で囁かれ、ゾクリと肌が粟立つ。
そんな理人の反応を楽しむように瀬名は耳の縁に噛みつき、耳の裏に吸い付いた。
「ン……は……っ」
ちゅぱ……と音を立てて耳から唇を離すと、そのままゆっくりと下降させていき頬に軽いリップ音を立てながら何度もキスを繰り返す。
やがて瀬名はシャツを捲り上げ、露になった乳首にむしゃぶりついた。
「ひぁ……っあぁっ」
片方は舌先で転がすようにして舐められ、もう片方は指で摘ままれる。その間も瀬名は空いた手で脇腹や背中などを撫で回した。
「あ……っあ、だめ……っ、こんなとこで……ここ、外だぞ! 誰かに見られたら……」
「今更何を……さっき僕のをいやらしく撫でていたのは何処の誰でしたっけ?」
それを言われたらぐうの音も出ない。
グッと、押し黙った理人を見て、瀬名はクスリと笑って身体を離した。
「ふふ、冗談です……」
「えっ?」
「最初に言ったでしょう? 主導権握られるのは趣味じゃないって。……だから、さっきのお返しです」
「んな……っ!?」
「だから、続きは……理人さんの部屋で……ね?」
耳元に唇を寄せながら艶のある声で囁かれ鼓膜を震わせる吐息に思わず身体がビクつく。
「……ッ、なんで、俺のマンションに帰る気でいるんだよ馬鹿っ!送ってやるから自分の家に帰れ!」
「えーっ、酷いな。今夜は一晩中ヤり倒すつもりだったのに」
「病み上がりが何言ってんだ馬鹿」
「入院中、理人さんが足りなかったんです。だから、沢山……充電させてください」
いうが早いか、顎を掴まれ深く口付けられた。しっとりと唇を吸われ、熱い舌先が歯列をなぞる。
「ん……ふ、ほどほどにしておけ。ヤリすぎて仕事に支障が出たら困るからな」
理人は応えるように自らも舌を絡めると瀬名の背中にそっと腕を回し自ら身体を密着させ、車内はまた、二人の甘い熱に満たされていった。