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#溺愛
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私は庭園に立っていた。
指を広げ、新調した黒い手袋の感触を確かめる。
噴水に注ぐ陽光はやわらかく、整えられた低木の影が石畳に規則正しく落ちている。
風が葉を揺らし、白い柱の間を抜けていく。
穏やかな昼下がりだった――彼が来るまでは。
白のスーツに身を包んだグレイヴ卿は、私に気づくと帽子を上げ、軽く会釈した。石畳も噴水の石材も白なのに、彼の白服が背景に溶け込むことはない。
病的なまでに汚れを拒絶する彼の潔癖さが、半端な白を寄せ付けない異質な純度を保っていた。
「ノクス坊やは何を好んでこんな城に住むんだい? 吸血鬼にでもなるつもりかな?」
澄み切った少女の声が、静寂を裂いた。
その声は、目の前にいる、三十半ばの男から発せられている。
「……相変わらず不気味な声だ。貴殿と会話すると頭がイカれる」
「はは、じき慣れるよ」
グレイヴ卿は年齢に見合う、渋い魅力のある笑みを浮かべる。
私は舌打ちで応じた。
「貴殿は西の辺境に遠征中のはず。何故ここにいる? 職場放棄か?」
「大丈夫だよ。こう見えて、仕事はちゃんとやってる」
「フィオの居場所は誰から訊いた?」
「カルヴァン伯爵の坊やさ」
「……誰だ?」
「ほら、いかにも貴族のボンボン風の奴。取り巻きの大男二人に身体強化魔法をかける」
「……ああ」
口調も仕草も見た目通り。落ち着いた雰囲気の、三十半ばの男性のそれだ。
その口から少女らしい声が発せられるものだから、脳が混乱する。
「……会話を重ねてもまるで慣れない……何なんだ、その声」
「僕は乙女になりたいんだ」
「は?」
「僕はね、性交渉のセの字も知らず、コウノトリが赤子を連れてくると本気で信じてる少女になりたいんだ。この世の穢れに何一つ触れず、その純真さで人々を魅了し、守られる。そんな乙女に、僕はなりたい」
「貴殿自身が汚穢なのに?」
「夢の実現のため、僕はリスクは怖れない。手術で声帯を改造したんだ」
「意味がわからん」
「おや、言い回しが難しかったかな? 語彙や文法を教えようか? 教職の資格なら持ってるし」
「世界の広さは今学んだ、ありがとう。帰れ変態」
「すぐ帰るさ、フィオを連れてね。僕も君に感謝してるよ、ノクス坊や。君はある意味、奴隷市に身を落とした彼女を保護してくれたわけだから」
グレイヴ卿が微笑みかける。
彼とは六大名家の縁で幼い頃から顔を合わせている。そのせいか、今日会ってからずっと、成長した甥っ子に再会したときのような、目尻がゆるむような優しさをまとっていた。
生暖かい視線を感じつつ、私は言った。
「フィオは私の弟子になった。誰の手にも渡さない」
彼は微笑みを崩さない。
それでも肌を刺す空気でわかる。
優しさが、消滅した。
「君は敵だ。僕とフィオを引き裂く悪魔め」
私は眉間を押さえる。
大体わかった。
グレイヴ卿は、自らをヒロインとした少女向けロマンスに支配されている。
清純無垢な魔法少女(グレイヴ卿)が勇気を奮い、闇の魔術師(私)に囚われた王子様(フィオ)を解放すべく戦う……という物語が、彼の脳内で展開しているらしい。
これが十の子どもの夢物語なら暖かい眼で見守るが、三十半ばに達した男の妄執となれば、ある種の病気だ。
グレイヴ卿が片手で顔を覆う。指の隙間から見える目に、殺気が宿る。
「……純潔の乙女は、王子様と結ばれる……物語の邪魔者は消える。それが世界のルールなのさ。さあ、運命を思い知れ」
何の手品か、グレイヴ卿が手首をくるりと回すと、いつのまにか羽ペンが右手に握られていた。
彼が空中にペンを走らせると、光の線が空に広がる。
それは輪郭を得て黒い影となり、地に落ちる。
牛頭の怪物が降り立ち、石畳を踏み抜き砕いた。
全身を覆う筋肉は、鎧のように硬く隆起し、四肢は岩の柱のように太い。呼吸のたびに胸郭が膨れ、空気が震える
存在が、重い。
ただ彼が立つだけで、庭園の空気が押し潰される。
「坊やは初見かな? 素敵だろう。僕の魔法は、僕が思い描いた理想を現実にする」
「貴殿の妄想が現実に? 地獄か?」
怪物が地を蹴り、一直線に駆けてくる。
瓦礫と土煙が巻き上がり、低木が吹き飛ぶ。
視界が揺れるほどの圧。
速い。
彼の巨体では本来あり得ないそのスピードが、衝突時の破壊力を跳ね上げる――はずだった。
「君は強い。だから、悪いな」
私は右手をかざす。その手に触れた瞬間、怪物の突進がピタリと止まった。
怪物が目を見張る。
「少し、魔術させてもらった」
戸惑う時間も与えない。
拳銃を抜いて放つ。
次の瞬間、怪物の頭部が内側から弾けた。
骨も肉も関係なく、存在そのものを抉り取られたかのように消し飛ぶ。血飛沫が溢れるその瞬間、怪物の姿は黒い影となり、やがて光の線の軌跡となった。
「死ぬと絵に戻るのか。助かる。庭を血で汚さずに済んだ」
光の軌跡が空中に霧散するのを目で追って、グレイヴ卿が微笑んだ。
「……質量を加える術式かな? 衝突の一瞬、自分の服を梃でも動かぬ超重量の鎧に変えたね。そしてあの銃弾……衝撃は速さと重さの掛け算だ。千トンの重さを持つ弾丸の前じゃ、筋骨隆々のミノタウロスも粉微塵と……強いなあ」
「知ってるか? 変態に分析されると気分が悪いぞ」
「様子見してよかったよ。覚えた。さ、ここからが本番だ」
グレイヴ卿が空中に光の幾何学模様を描いた。
次の瞬間、絶対零度の世界が広がる。
風が凪ぎ、揺れていた葉が固定される。噴水の水は弧を描いたまま凍りつき、陽だまりも熱を失う。
あらゆる運動が停止し、静寂に包まれる。
私の手足は、白くきらめく霜柱に覆われた。
「これは確か……白凍の魔術師の……」
グレイヴ卿がペンを滑らせ、空中に拳銃を作り出す。
左手で構え、私の心臓に向け発砲した。
凍った身体に動きが鈍る。それでも何とか、私は弾道に右手をかざす。手袋に超質量を宿らせる。
怪物の突進をも受け止めたその右腕は――肘から先が跡形もなく消し飛んだ。
「……今度は、私の真似事か」
ただの銃弾ではなかった。
さっき私が怪物に喰らわせたものと同じ――竜の術式による高密度質量体だ。
血が噴き出すより早く、右腕が凍りつく。
「庭を血で汚さずに済む。感謝してくれ」
銀世界の中、白い息を吐きながらそう言って、彼が笑う。
右腕に再生の魔術をかけるが、凍った傷口は治癒しない。しばらく竜の術式は使えないだろう。
「……厄介な男に粘着されたな、あの子も……」
夢幻の魔術。
絵に描いたものを現実にする術式。
その真価は、先ほどのミノタウロスのような、空想の産物を使役することにない。
グレイヴ卿は魔術を描ける。
彼は他の魔術師の紋を空中に描き写し、顕現させ、その魔術を我が物として使える。
加えて、彼の自由な発想のもとアレンジが加えられた術式は、オリジナルをはるかに凌駕する出力を誇る。実際、同じ術式を使ったにも関わらず、私の右腕は彼の銃弾で粉砕された。
アーノルド・グレイヴは全世界の魔術を掌握した、人類史上最強と謳われる魔術師だ。