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ずっと、思い出さなかった記憶がある。
それは、フリッツがまだスクールに入る前、故郷の村で、ごく普通の生活を送っていた頃。
フリッツは偶々村に居ついた男から棒術を習っていた。
特に理由があったわけではない。
勉強ができる子ども達が、頭のいい学者崩れから字を習うように。身体を動かすことが得意だったフリッツは、友人達とともに棒術を習い始めただけだった。
それでもあえてなにか理由を上げるとすれば、それは外の世界への憧れであった。
外からきた男の技術を身につければ、フリッツ自身も外の世界へと飛びだせるかもしれない。
はっきりとした形にもならない、漠然とした憧れ。それは男について学ぶうちに、徐々に徐々に、大きくなっていった。
しかし意外にも厳しい指導に、友人は一人やめ、二人やめ――やがて季節が二回巡る頃には、通う子どもはフリッツだけになっていた。
フリッツはまだ十二歳。ただ棒術を楽しみ、まだ見ぬ世界に想いを馳せるだけの少年でしかない。
しかし既に、その才能は花開こうとしていた。
「やああああああっ!」
幼さの残る、だが気合いを込めた声が、フリッツの口から零れる。それとは裏腹に、棍は大人でも難しいほどの速度で繰り出される。
棍を持った男が、かろうじて体を横に捌いて避ける。だが、フリッツの棍は生き物のように男の身体を追いかける。横薙ぎに振るわれた棍が、男の脇腹へと吸い込まれる。
男は懸命に棍で受けようとするが、その速度はフリッツにくらべて明らかに――遅い。
「ぐっ!」
フリッツの一撃を受けて、男が呻きをあげて倒れた。フリッツが棍を突き出した姿勢のまま、油断なく男を見据える。
男はしばらくフリッツの隙を伺って、やがて諦めたように座ったまま口を開いた。
「見事だ」
「ありがとうございました!」
男の賞賛を受けて、フリッツが一礼する。
普段ならそこで終わりだが、男はフリッツを見上げ、続ける。
「約束通り、明日。奥義の伝授を行う」
フリッツの顔が、ぱっ、と輝いた。
「はい! よろしくお願いします!」
フリッツは溌溂とした声で答え、そのまま家の方へと走り去っていった。
一人残された男は、嘆息とともに、呟く。
「やれやれ……こんな、暇つぶしのような場所で、後継者に出会うとはな」
その声は、呆れているようでもあり、しかしどこか満足気でもあった。
結局、世界はフリッツという才能が埋もれることを選ばなかった。
奥義の伝授。子どもの身体で使うなど、師である男ですら半信半疑であった。
だが、フリッツは成した。
七つの光が流星となって煌めき、ただの棒が、男の身体を貫いた。
「え……?」
「力を得るというのは、こういうことだ」
呆然とするフリッツに、血溜まりに沈んだ男は師匠としての最後の務めを果たすべく、優しく語りかける。
「お前は無自覚なまま、望んで、力を手に入れた。それを制御する術を、身につけなくてはならない」
男がゆっくりと身体を起こし、無理矢理フリッツの両手に何かを握らせる。
――それは見事な、金で出来た腕輪だった。太い螺旋を描くそれは、ごく自然な動きで緩やかにフリッツの左腕に巻き付いた。
「それを持って、スクールに行くがいい。お前の世界は、そこから無限に広がる」
それだけ言うと、満足したかのように、男は動かなくなった。
「師匠……」
呟くフリッツの手は、ぬるり、とした血で覆われていた。
赤い赤い、血。
――誰が男を殺したのか?
その事実に気づき、フリッツは絶叫した。
そして、絶叫の中、それでも残るものがあった。
――それでも世界を見てみたい。
漠然としていた想いは、今確かな形となって、フリッツの中にある。
血で塗り固められたかのように、強固な想いとなって。
少年、フリッツはまだ十二歳。
しかし彼は、一つの誓いと一つの想いを持って、村を出る。
――二度と、人を殺めない。
――世界を、見てみたい。
その誓いと想いは常にある。
――だが、その理由は、今まで思い出すことを避けてきた。
何故今、思い出すのだろう?
ふ、と隣に眼をやる。
視線に気づかないはずもないだろうが、シウムはただ、ずっと景色を見つめていた。
フリッツも再びそれにならう。
――世界の敵、真魔。
耳にこびりついたその言葉を、左腕の腕輪を押さえることで、意識から逸らす。
月光を浴びて煌めく腕輪は、もちろん何も語らない。
とにかく、起きている事が自分の理解を軽く超えている。
クリスが感じたのはそういうことだった。
窓から見えた金色の光は、フリッツが放ったものだった。
そして、よくわからなかったが、闇の中で何かと戦い、それを蹴散らして彼は何事もなかったかのようにシウムと並んで座っている。
得体の知れないものと戦って、たとえ勝利したとしても、クリスにはそこまで平静でいられる自信がない。
そして、アリシアをあのような状態にしたシウムと、並んで会話などできるはずもない。心の整理は、それほどすぐにはつかない。
彼らと出会って、散々思い知った事だが――クリスは、自分の無力さを改めて痛感した。
この世界でたった一人の妹。
それが眼を覚まさなくなったのは、ちょうど五年前。
何一つ手を打たない父に苛立ち、自ら判断して城を飛び出して、危険な目にもあって、目覚めさせる方法を探したのにも関わらず、結局は命を救われ、その縁で妹の身に起きていることを理解することができただけ。
クリス自身では、何一つ手にしていない。
その事実が今、洪水となって少女を襲う。
「ごめんね、エリス……お姉ちゃんは、ダメだったよ。エリスを助けられる場所には、たどりつけてない」
膝をつき、肩を落とす。理解を超えた事態に、少女は膝を屈した。
頬を伝った水滴が、絨毯に小さな染みを作る。
誓ったはずの想いが、涙とともに零れ落ちていく。