テラーノベル
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──舞台裏のバックヤード。
遮音性の高い扉が閉まった瞬間、リコが膝に手を置いて大きく息を吐いた。
「……ハァ、ハァ、今の……一体、なんやったんや? 途中から、まるで別のネタやってるみたいに噛み合ったで」
寿司子もまた、上気した顔のまま、自分の両手を見つめて興奮を抑えきれずにいた。
「……分かんない。でも笑いの来る場所が、全部見えた気がしたの」
出番後の余韻を引き裂くように、楽屋前の狭い廊下に鼓膜を震わせる大声が響き渡った。
二人が驚いて振り向くと、そこには先ほどのサイリウムの観客が立っていた。
近くで見ると、その容姿の異様さはさらに際立っていた。小柄で童顔。中学生と言われても信じてしまいそうな顔立ちなのに、メガネの奥にある眼光だけが、獲物を狙う肉食獣のように場違いに鋭い。
胸元には、様々な芸人やアイドルたちの大量の缶バッジが重なり合うようにピンで留められている。片手にはまだ光を持ったサイリウム、そしてもう片手には、分厚いリングノートが握りしめられていた。
「握手お願いします!! あと、今日のネタの感想を言ってもいいですか!? いえ、言わせてください、今すぐに! 脳のメモリが溢れる前に!」
「こ、ここ関係者以外、立ち入り禁止やで!?」
普段は誰に対しても物怖じしないリコが、思わず半歩後ずさるほどの威圧感だった。
「今のネタ、めちゃくちゃ良かったです!! 特に後半!! ネタ佳境の段階からの『間の修正』、完全に客席の空気とアジャストさせましたよね!?」
寿司子が目を丸くする。
「……気付いたの?」
「分かります!! 分からないわけがないでしょう!! だって客席の笑いの波形が、途中から明らかに変化してましたからっ!!」
「は? 波形……?」
リコが眉をひそめて首を傾げる。しかし、少年のような男はノートを激しくめくりながら、マシンガントークを止めない。
「はい!! 今までの、あなたたちのネタは、ただ自分たちの世界を押し付ける『提示型』でした!! でも今日、『ぐるなび』のくだりから、客席の呼吸を巻き込んで一緒に笑いを作る『共有型』にシフトした!!
素晴らしい機転です!!」
「何言うてんの、この子……」
リコが本気で困惑した表情で真顔になる。しかし、男の指摘はさらに深く、容赦のない領域へと踏み込んできた。
「でも!! まだ三箇所、完全に笑いを取り逃してます!! 特にラストの『閉店』のくだり!! 客席がツッコまれるのを身構えて待つ速度に対して、リコさんの発声がコンマ二秒遅い!! 客席の脳がツッコミ待ちに入るのが早すぎたんです、あそこはもっと食い気味にいかないと! 0.2秒のロスは致命的です!!」
「細かっ……!」
「あと、『大トロ』のボケの前の間は、客の緊張が限界に達するまで、あと0.5秒は引っ張れました!! あなたたちはスベリを恐れて、自分でブレーキをかけている!!」
「怖っ……!」
リコは完全に圧倒され、言葉を失っていた。
だが、寿司子は彼のトークを聞きながら、恐怖よりも先に、胸の奥から湧き上がる『共鳴』に奇妙な高揚感を感じていた。
この人、確かに変だ。どうかしてると言ってもいい。
でも──誰よりも客席を見ている。
自分たち以上に、異常なほどの解像度で。
そのとき、廊下の向こうから、聞き慣れた足音が近づいてきた。
「あ、いたいた。やっぱりここに来てたのね」
呆れ気味の声の主は猫田だった。
「ね、猫田さん、助けてやぁ!このサイリウム小僧、うちらの漫才にワケわからん解説してくるねん!」
リコが救いを求めるように叫ぶ。
「誰が小僧ですか!! 私は至って論理的な大人です!!」
猫田は小さくため息をつき、手にしていた進行表を丸めて、男の頭を軽く小突いた。
「静かにしなさい、ロジカ君。扉の向こうでは、まだ舞台は続いているのよ。
……二人とも、紹介するわ。フリーの舞台演出家、白石ロジカ君」
「演出家って……成人しとんの、この子!?」
リコが叫ぶ。
「こう見えて、あなたたちより年上よ。 駆け出しだけど、腕は悪くないわ」
猫田の言葉に、ロジカは即座に噛みついた。
「駆け出しじゃないです!! ほぼ一人前です!!」
「その“ほぼ”の隙間に、プロとしての何百時間の壁があるんやろがっ!」
リコが呆れたようにツッコむが、ロジカは気にした風もなく、自分のノートを二人の目の前に突き出した。
「これを見てください!!」
そこには、恐るべき光景が広がっていた。
手書きのノートには、過去のイナリズシの漫才のタイムラインが秒単位で刻まれており、それぞれのセリフの横に、客席の笑い声の大きさや、拍手のタイミング、さらには客席の『集中度』を示す独自のグラフ──波形が、狂気を感じさせるほどの密度でページの隅々まで、びっしりと書き込まれていたのだ。
「ネタは、ただ舞台の上から『見せる』だけじゃ弱いんです!!」
ロジカの眼鏡の奥の目が、爛々と輝く。
「観客を、その場の空気に『参加させる』んです!!」
その言葉が、寿司子の脳を真っ直ぐに貫いた。
「……参加、させる」
「そうです!! 観客は、ただ受動的に笑わされたいだけじゃない。自分たちが今、この劇場の、この瞬間だけの特別な空気を作っているんだ、という当事者意識を感じたい生き物なんです。それをコントロールするのが、演出家であり、演者の役目です!!」
その瞬間、寿司子の脳裏に、鮮明なイメージが浮かび上がった。
それは、回転寿司のレーン。
流れるネタ──それを選択し、消費する客。
これまではただ一方的に流すだけだった。もし、客の腹の空き具合や、表情を見て、次に流すネタの種類やスピードを自在に変えることができたなら──。
「……リコ」
寿司子が静かに、だが熱を孕んだ声で呼んだ。
「おう」
「……これ、形にできるかも。私たちの笑い、次のステージに行ける」
リコはロジカのノートと寿司子の顔を交互に見比べ、それから観念したように苦笑しながら言った。
「……チッ、しゃあないなぁ。やっと、武器がカタチになったっちゅうことやな」
ロジカは満足そうに、手にしたサイリウムを、まるで勝利の旗のように高く掲げた。
「次の舞台は、もっと精度を上げますよ!! 客席に『選ばれるネタ』を僕がロジックで作ってみせます!!」
「アンタほんま、言うてることは凄いけど……圧と中身のクセが強すぎるわ!!」
リコの鋭いツッコミが廊下に響き渡る。その声に、ロジカは我が意を得たりと深く頷いた。
寿司子は、そんな騒がしい三人のやり取りを、少し離れた位置から静かに見守っている猫田へと視線を向けた。
猫田は気づくと、やれやれと言わんばかりに肩をすくめてみせた。
「……はぁ。また、うちの事務所に面倒なのが一人増えたわね」
けれど、そう溢す猫田の口元は、微かに綻んでいた。その表情は、どこか安心しているようにも見えた。
迷い、立ち止まりかけていた二人の若き芸人の目が、今はまっすぐに前を向いている。
彼女らが立っている舞台は、まだ地下の、小さく薄暗い場所だ。けれど確かに、この瞬間、未来へ続く大きなレーンが動き始めていた。
──続く。
コメント
3件
ロジカさん、まさかの成人男性……!? 中学生くらいだと思ってました🫢 癖が強くて、とても面白かったです!
第29話、めっちゃ熱かったです…! ロジカさんの登場シーン、あの異常なほどの観察眼とマシンガントーク、リコが完全に圧倒されてて笑いました😂 でも寿司子が「参加させる」って言葉にハッと気づく流れ、すごく自然で胸が熱くなりました。猫田さんの“また面倒なのが増えた”ってセリフも、口元が綻んでた描写も、全部好きです。三人のレーン、これからが楽しみです🤍