「あらぁ、いらっしゃーい。こないだの子、もう来てるわよ」
「……あぁ」
仕事を終え、待ち合わせの場所へ向かう。 案内されたのはいつものカウンターではなく、奥まったテーブル席だった。 赤を基調としたベルベットのカーテンで仕切られた、半個室のような空間。間接照明の柔らかな光が降り注ぐ中、瀬名がソファにゆったりと腰掛けて読書をしていた。
あの野暮ったい髪型は、どこにもない。 さらりと整えられた黒髪が頬にかかり、切れ長の瞳が長い睫毛の陰から、そこはかとない色気を放っている。
(髪型と小物だけで、これほど印象が変わるものか……)
思わず立ち尽くしていると、瀬名は本をパタンと閉じ、柔らかく微笑んだ。
「お疲れ様です。すみません、無理を言って」
「別に、お前のために来たわけじゃない。たまたま飲みたい気分だっただけだ」
ぶっきらぼうに答え、ジャケットを脱いでハンガーにかける。 仕方なく瀬名の隣に腰を下ろしたが、そこは二人掛けの狭いソファだった。
「たく、なんで野郎二人でカップルシートなんだ。狭いだろ」
「いいじゃないですか。こうやって密着できるから、僕は好きですよ」
するりと腰に手を回され、耳元で甘く囁かれる。 背筋をゾクりとした感覚が走り、思わず息を呑んだ。
「てめぇ、もう酔ってんのか? 暑苦しいから離れろ」
「ほんと、つれないな……」
牽制を込めて睨みつけるが、瀬名は大げさに肩を竦めて見せるだけだ。 その表情はどこか楽しげで、こちらの拒絶を本気にしていない。まるで見透かされているようで、居心地が悪い。
「あらやだ、イチャイチャしちゃって。もしかして、理人の彼氏だったの?」
カクテルを運んできたナオミが、すかさず茶化してくる。 「違う」とだけ返して黙らせると、ナオミは器用に野太い声を出しながら去っていった。
「はぁ……。悪いな。騒がしい奴だが、悪気はないんだ」
「気にしてませんよ。それに、僕は『彼氏』でも全然構いませんけどね」
「ブッ……! は、はぁっ!? てめっ、やっぱ酔ってんだろ」
シレっととんでもないことを言われ、口にしたばかりのカクテルを噴き出しそうになった。慌てて口元を手の甲で拭う。
「いいじゃないですか。どうせヤることはヤったんだし」
「あ? お前は一回寝たら恋人同士になるなんて、お花畑の住人か?」
ギロリと鋭い眼光を向けるが、瀬名は全く動じない。それどころか、余裕すら感じられる。
「まさか。そんなおめでたい思考は持ち合わせてませんよ。ただ――」
瀬名の視線が、理人の唇から瞳へと這い上がる。
「僕は、あの夜の貴方の姿が、どうしても忘れられないだけなんです」
真っ直ぐに見つめられる。その瞳は、逃げ場を塞ぐような妖艶さを孕んでいた。
「……チッ。どうでもいいが、こういうことがしたいならキャバクラにでも行け。俺は酒を飲みに来たんだ。あんまりセクハラまがいのことしてると、もう二度とてめぇの誘いには応じねぇぞ」
「それは困るな……」
瀬名はクツクツと喉を鳴らして笑うと、やっと理人から少し距離を取って座り直した。
「たく……。心配しなくたって、後でちゃんとソッチの方も付き合ってやる」
「えっ!? 今、なんて?」
「……っ、なんでもねぇ!」
ぼそりと呟いた言葉は、はっきりとは聞き取れなかったらしい。瀬名はキョトンとした顔で問いかけてくる。 理人は不機嫌そうに鼻を鳴らし、誤魔化すようにグラスの酒をグイッと一気に飲み干した。
「おい、次は何を飲むんだ?」
「僕ですか? じゃあ、『アイオープナー』で」
「……これまた、随分クセのあるモン頼むんだな」
アイオープナー。ジンをベースに卵黄、オレンジキュラソーなどをシェイクした黄金色のカクテル。見た目は華やかだが、辛口でアルコール度数も高い。
「飲んでみたかったんです。貴方と。……僕は、運命の出会いだと思ってますから」
「……チッ。恥ずかしいヤツ」
不意打ちのように真顔で告げられ、理人は頬が熱くなるのを感じて顔を背けた。 注文して間もなく、ニマニマと笑みを浮かべたナオミがカクテルを運んでくる。
「ゆっくり楽しんでってね! あぁ、でも……。あまり”変な声”は出しちゃ駄目よ。理人ってば声大きいから」
意味深な含みを持たせた言い方をしてウインクしてくるナオミに眉根を寄せると、理人は小さく舌打ちをした。
「ケンジてめぇ……調子乗んなっ! 俺が一度でもテメェと関係を持ったような言い方すんな、気色悪いっ!」
「やぁねぇ、本名で呼ばないでちょうだい!」
理人が一喝すると、ナオミは心外だと言わんばかりに唇を尖らせて踵を返した。そのやり取りを、瀬名が楽しそうに眺めている。
「部長って、会社の時とほんっと別人ですよね……」
「あ? それはてめぇも同じだろ。眼鏡はどうした」
「あぁ、アレですか。伊達です。……前の会社で、色々あって」
瀬名は少しだけ言葉を濁し、黄金色のカクテルに口を付けた。
「なんだか、不思議な味がしますね。でも、思ってたより飲みやすいです」
美味しそうに目を細める瀬名に、「物好きなヤツだ」と呟きながら、理人は新しく注文したウイスキーを煽った。






