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四月一日 璃
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#宇佐美リト
Kojigyu
812
ちょっとグロめの暴力シーンがありますが、苦手な方は台詞だけ読んでも内容は分かると思います。今回のセンシティブ要素は主に暴力の方のみです。
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「はあ……美味かったあ……」
「んふふ、きみそれ何回目?」
「いやだってさあ、ほんとに初めて食ったんだもん、俺。お前の落語で物自体は知ってたけどさ……蕎麦って啜るとき、ほんとにあんな音すんだね」
「でしょ。研究してっからね」
再び小道から路地へと戻ったふたりは、緩やかな足取りで大通りへと向かう。この辺りは開発が急速に進んだため道や土地が複雑に絡み合っていて、どこへ行くにも治安の悪い裏路地を介さなくてはならない。
タクシーでも拾って帰ることができれば楽だが、生憎飴屋はこの辺りのタクシー会社から総じて出禁を食らっているため呼ぶことができない。……彼が何をしてそんなことになっているか、噺家には聞く度胸など無かった。
「……そういえばさ、今日急に呼び出しちまったけど、良かった? その格好じゃ用事かなんかあったんだろうし……」
「あぁ、言ってなかったっけ。別に大した用事じゃないよ、ただ──協会の本部に直接、文句を言いに行ってやっただけ」
噺家の言葉を聞いた飴屋はすぐさま顔を険しくする。噺家が一門から冷遇されているという話は聞いていたし、それに黙っているような男ではないことも、上層部に物言いをするためわざわざ正装に身を包む意味も、飴屋はよく知っていた。
「怖い顔しないでよ」と軽く笑って退けた噺家は、しかし平素よりは幾許か眉根に力を入れている。
「いやね、まぁ……結果としては、何の成果も得られませんでしたって感じなんだけど。……あれだよ、ついでみたいに接待とかさせられないだけマシだったかなって」
「……接待?」
飴屋の声が、ワントーン低くなる。しまったと思ったときにはもう遅く、高価そうな革靴は泥水混じりの砂利を踏んで歩みを止めた。
「お前、協会の奴以外とも相手させられてんの?」
「あ、いや……その、」
「本業もさせてもらえねえのに、お前を、そんな扱い……」
そこで噺家ははっと顔を上げる。
てっきり飴屋は、不特定多数の相手に身体を許してしまっている自分に怒り、詰め寄っているのだと思っていた。しかし今の言い分から察するに飴屋の怒りはおそらく、噺家へまともな仕事も与えずに汚れ仕事ばかりを任せている上層部へと向けられている。
きっとそれだけではない。今まで噺家が枕を共にしてきた全ての人間、噺家を見殺しにしてきた全ての人間、そしてそれをどうすることもできない無力な自分自身に対しての怒りが、ぐらぐらと煮え立つ瞳の色からありありと見て取れる。
初めて目にした獰猛な感情を剥き出しにする飴屋に、噺家は背筋が凍りつくのを感じた。
「そ、そんな、怒らないでよ。僕はもう慣れてるし、大丈夫だから……」
「……大丈夫じゃねえよ。慣れちゃ駄目だろ、そんなの。しかも『ついでに』って……そんなふうに消費されていい人間じゃないんだ、お前は、もっと──」
──ばしゃん。
道路横の深い水溜まりを踏む音がして、反射的にそちらに目を向ける。飴屋の背中側に見えたその人影はまるでぼろ雑巾でも纏っているかのような見窄らしい格好で、その癖妙に目を爛々と光らせていた。
「だ、だんなぁ、へへ、やっと見つけた……ねぇだんな、おねがいしますよ、後生ですから……」
「……俺今忙しいの。見て分かんねえ?」
「へ、へへ、わかりますよ。だんな、『やり手』ですもんねぇ。へへ、だからよ、早くきょうのぶんの飴をくれよ。ね、わかるでしょう? わかりますとも、ねぇ、えぇ……」
男が舌を伸ばしながら下品に笑ってみせるたび、公衆便所のようなひどい悪臭が鼻にまとわりつく。目は明らかに焦点が合っておらず、荒い呼吸とともに喋っている最中にも取り憑かれたように両腕を掻きむしっている。言っていることも支離滅裂で、かろうじて意味のわかることは「飴をくれ」という訴えのみで。重度の依存患者だろう、というのは、誰に教えてもらわずとも分かる。
こういった相手への対応に慣れているはずの飴屋だが精神的に余裕のない状態ではそうもいかないらしく、低い声で長くため息を吐いた。
「だから……金が無きゃやるもんもやれねえの。あと今はマジでどっか行ってくんねえ?」
「かね、金は用意します。できるんです。でもね、飴が必要なんですよ。はやく、まずはそれからでしょう。金はよういします。だからはやく、飴、飴を……」
「……うるせえなあ」
ぎぃん、と鈍い金属音がして、噺家は始め何が起きているのか分からなかった。ぱちぱち何度か瞬きをしてようやく、飴屋が男の頭を掴み、手近な配管へと思い切りぶつけた音だと気付く。
副作用で抜けてしまったのか、それとも自分でむしったのか。男の頭皮には所々血が滲んでおり、見るからに質の悪そうな髪もまばらにしか生えていない。それを片手で持ち上げている飴屋は男の足が地面を離れるほどまで掲げると、そのままぱっと手を離した。
べちゃ、と意思のない肉袋が地面を叩く。
「なあ兄ちゃん、言ったよなあ俺。あと三日は待ってやるって。待ってやるっつってんだから、約束くらい守れねえと。なあ?」
「へ、ひひ……わ、わかってるんです、でも、でも……」
「あーー……分かってねえなあ、」
痛覚が麻痺してしまっているのか、この期に及んでへらへらと笑う男の頭を飴屋は再び掴み上げる。噺家の方からはよく見えないが、飴屋が今どんな顔をしているのかは、男の表情が引き攣っていく様子から察することができた。
「こっちもさあ、商売なのよ。覚えてる? 俺がいっっちばん最初にした『お約束』。言えるよなあ、兄ちゃん」
「あ、ぅ……」
「言え」
有無を言わさず返答を促す飴屋の声は聞いたことがないほど低く、怒りと狂気に満ち満ちていた。
「ひ……い、言えるさ、あれだろ、金払いは渋るな、だんながプライベートのときは話しかけるな、あと、このことはだれにも言うな……」
「んー……ちょっと違うなあ。俺がプライベートのときは話しかけるな……それと? あとなんだっけ?」
「それと……? あと、あと……」
腰が抜けたと思しき依存患者の男はこんな目に遭ってもなお飴が欲しいのか、飴屋の近くの地面をひっきりなしに引っ掻いている。思い出せないことに苛立っているのかその頻度は徐々に高くなり、男がぶつぶつ何事かを呟く声と割れた爪が地面で削れていく音だけが、辺りを耳障りに反響していた。
「わかってる、わかってるんですよ、あとひとつ……ああだめだ、あの飴がねえと頭がうまく働かねえ……だんな、お願いですから、飴を──、」
「──時間切れ」
言い終えるが早いか、飴屋は掴んだままの男の頭を勢いよく地面へ叩きつけた。まるで腐った果実が落ちたときのような重たい音がして、男は声にならない悲鳴を上げる。どうやら爪が目に入ったらしく、飴屋が抑えつけている頭の代わりに激しく痙攣する背中を見て、噺家は思わず吐き気を催した。
それでも飴屋は手を緩めることはなくむしろより一層力を込めて地面へ押し付けるので、ミチミチと筋繊維のちぎれる音がたるんだ薄い皮膚の下から聞こえる。それに上げた悲鳴でさえもすぐに声にならない呻き声へと変えられて、被せるように飴屋が口を開いた。
「……俺がプライベートのときは話しかけるな。それと?」
「そ、ぇ゛と……」
「寄って来て良いんだっけ? なあ、俺がお前みたいな奴から金巻き上げてるところをさ、見せていいの? 俺の大事なお友達にさあ……」
「あっ゛、痛だ、いだいぃ……!」
「痛いじゃなくて。近づいていいの? どうなんだっけ」
「だめ、だめです! 近づきもするな、だんなの『ご友人』には、近づかな──」
「絶対に〜?」
「ア゛ッ、ぎィッ……!! ……ぜ、ぜったいに゛っ、近づかない゛ッ!!」
男は口の端に黄色い泡を溜めながら、死に物狂いで絶叫した。妙な臭いがすると思えば男は恐怖のあまり失禁したらしい。
飴屋は薄く笑みを浮かべたまま手を離し、抜けた毛髪とフケと血のついた手のひらをまるで湯呑みに浮いた蝿でも見るような目で見つめ、男の服で雑に拭った。そしてすっと立ち上がったかと思えば、今度は地面と挟むようにして男の顎に足を乗せる。
「なんで分かってるのに破るかなあ。それって契約違反っつの。約束破ったら針千本飲まなきゃいけねえんだって、知ってた?」
「ア゛、がッ……」
「黙ってちゃ分かんねえよ、なあ。じゃあ針千本と同じくらいのお仕置きが必要だよな? なあ、兄ちゃん」
当然男は顎を固定されているのだから喋ることができるはずもなく、ただその場で見悶えすることしかできない。飴屋は徐々に足に込める力を強くしていき、やがて小枝でも手折るような音がして、顔周りのどこかの骨が折れたようだ。
それを飴屋は、無表情で見つめている。
「金が無きゃあ飴はやれない。約束を破れば罰が下る。考えれば分かることだろ? なんで守れねえの? ええ?」
「……ゥ゛、」
男は今更噺家の存在に気付いたらしく、助けを求めるように手を伸ばす。それを男の頭上から、金色の瞳が追いかけていた。
「──どこ見てんだ?」
「あ゛、」
そうして、ペキ、とあまりに軽い音と共に男の顎は二度と閉じなくなった。顎が砕かれようと片目が使えなくなろうと人というのはそう簡単に死ねないらしく、男は地面に嘔吐しながらも泡混じりの喘鳴を上げている。
飴屋は男の身体を蹴り払い、更に重い一撃を喰らわせようとし──その体勢でぴたりと動きをやめる。
「リトくん」
「……テツ、」
「きみは僕とのおしゃべりより、そいつと遊んでる方が楽しいの?」
「……ううん」
「そっか。……じゃあ、もう帰ろうよ」
飴屋の腕を後ろから引いていた噺家は血のついた拳をほどき、きゅっと上から握ってやる。飴屋はそれをどこかぼうっとした目で眺め、連れられるまま足を踏み出す。獰猛な殺意などすっかり消え失せ、瞳孔が開きっぱなしだったびいどろ色の奥の瞳はいつも通りの橙色へと戻っていた。
後ろで男が悶える声が聞こえていたがふたりは一切気にすることなく、じんじんと熱を持った手を繋ぎ目としながら、大通りを目指して歩き続けた。
§ § §
「ごめん」
赤に変わった信号機の下。車通りも無い横断歩道で律儀に立ち止まった噺家は、飴屋の呟きにすぐには答えることをしなかった。それは謝罪と呼ぶにはあまりに唐突で、そのたった三音を聞き逃していれば独り言として流してしまっていたかもしれない。
噺家は未だ繋がれたままの手を一瞥し、視線を飴屋へと向ける。
「……それは誰に対して、何への謝罪?」
「え、と……お前を怖がらせたこと、の……」
消え入るようなか細い声は、先ほどまで人を恫喝していたのと同じ人間とは思えない。飴屋は大きな背丈を丸めて縮こまりながら上目遣いで噺家の様子を窺っている。……これが計算尽くなのだとしたら末恐ろしいな、と噺家は思った。
ここまでひと言も交わすことなく歩いてきてしまったが、飴屋を引いてきた華奢な手のひらから伝わるひんやりとした汗の感触、指先の震え、早鐘のように打つ脈の振動──それら全てから伝わってくるのは、取り繕うことを諦めてしまうほどの緊張と怯えの感情だった。
それに罪悪感を覚えているらしい飴屋はと言えば、あんなにも凶暴に輝いていた眼光はどこへやら今やすっかり萎れてしまい、心許なさげに足元ばかり見つめている。
人目に付かない場所とはいえ想い人の目の前でああも暴力性を剥き出しにしてしまうくせ、冷静に嗜められただけでこうも萎縮してしまうとは。『私にだけ優しい殺人鬼』なんて言葉がいつかあったような気がするが、残念ながら今の噺家は「自分は飴屋にとって特別なんだなぁ」と喜べるような楽観性は持ち合わせていなかった。
「それだけ?」
「だけ……って、」
「きみが謝りたいのは、僕を怖がらせたこと……だけ?」
「……?」
飴屋は戸惑ったように瞳を揺らし、噺家の目を見たまま二、三度瞬きをした。どうやら本気で何を問いただされているのか分からないらしい。
噺家は小さくため息を吐き、繋いでいた飴屋の右手を両手に取って街灯の明かりの下へと翳す。関節や手のひらの一部は岩のように硬くなっており、何度も同じ傷を重ねては碌に治療もせずに放置していたであろうことが窺える。元はどれだけ深い傷だったのか、小さな切り傷に見えるあれやそれ、手の甲のみみず腫れ、火傷の痕──決して綺麗とは言えない手に浴びて渇いた、先ほどの男の返り血。
噺家はそれをそっと指先でなぞり、自分の手と比べてみる。苦労なんてひとつも知らなそうな、白くて柔らかい、血管の透けるほど薄い手のひら。飴屋の返り血を擦ってもなおまだ白い、それはまるで全く別の世界の生き物のようだった。
飴屋は黙ってそれを見つめ、ちらりと噺家の顔を見遣る。いつの間にかこちらを見上げていた葡萄色と、目が合った。
「リトくん」
「……」
「さっきの人もさ、怖がってたよ。すごく」
「……うん」
「……──きみは?」
「……え?」
「きみは、怖くなかったの?」
てっきり『他人であろうと怖がらせるな』と叱られているのだと思っていた飴屋は不意を突かれて言葉を失う。ぴくりと震えた指先を、噺家はしかと握り込んだ。
先ほど目の当たりにした飴屋の暴力性。それはどこまでも合理的で、また衝動的なものだった。邪魔だったから掴んで落とす。返事が無いから地面に叩きつける。視線が合わないから蹴り飛ばす。──その全てに理由があり、全てが自分本位に行われる。そこに一切の躊躇はない。
当たり前だが、人を殴るのはいけないことだ。もちろん蹴るのも、地面に叩きつけるのも。こうして裏社会に揉まれてまともな倫理観など持ち合わせていない飴屋とてそれは理解している。だからこそ、やるしかなかったのだ。
今まで人を支配するのに最も効果のあったものは恐怖だった。蹴ったり殴ったりしても痛覚の鈍った相手にはまるで効果がない。そんな相手には決まって、本能的な恐怖心を植え付けるのがよく効いた。
『言うことを聞かなければ殺される』『殺すよりももっと酷い目に遭わされる』。そんなふうに、頭より先に本能で理解できるような圧倒的な暴力を、今まで数えきれないほど振るってきた。そうしなければいけなかったから。そうしなければ、今度は自分がこの目に遭わされるから。
ふと気付く。
支配されていたのはどちらの方だろう。飴屋の持つ行き過ぎた力と暴力性を、始めに恐れていたのは誰だっただろうか。他でもない自分の理性の脆さについて、誰よりも理解していたのは。
飴屋は見開いた目を下へ下へと落としていき、次第に橙色は消えてしまって、頭上の明かりと同じ薄荷色が地面を見つめる。一度躊躇いがちに震えた唇が、ぽつりと溢す。
「────俺、いつから人を殴るの、怖くなくなってたんだろう」
その呟きを最後に、ふたりの間には重たい沈黙が訪れた。
飴屋は手のひらをぎゅっと握り込み、迷子に気付いた子犬のような呆然とした表情で噺家を見つめる。そんなふうに助けを求められたところで噺家にできることなどあるはずもなく、再び赤に変わった信号機の下で見つめ合うことしかできない。
……ちぐはぐな奴だと思った。蕎麦屋で見せたあの無邪気な笑顔と、先ほどの男を失禁させるほどの狂気と怒気。それらを思うとあまりにあどけない、今の表情。全てがばらばらで噛み合わなくて、それはまるで情緒の育ちきっていない子供がはしゃいだり、癇癪を起こしたり、大人に縋ったりしているようだった。
無論飴屋は成長しきった大人である。だがそれはあくまで体格の話で、精神は未熟なまま、幼少期から植え付けられた恐怖心によって子供の器に閉じ込められたままなのかもしれない。
あの凄まじいまでの力を制御するには飴屋の心はあまりにも幼すぎたのだ。同情などする気は無いがそれまで頑強に保たれていた精神を揺さぶった当人として、彼の過去は察するに余りある。
穏やかな無表情を崩さない噺家に、まるで仏にでも縋るかのように、飴屋は今にも泣きそうな声で訴えかける。
「なあ、どうしよう。俺……分かってたんだ、最初は。これは最終手段にしようって、変に敵を作っても困るから、暴力なんかは奥の手に留めておこうって。ちゃんと考えられてたんだよ。人を怖がらせるのは好きじゃないから、俺はあいつらとは違うからって。なのに──
……まだ怖いと思えないんだ、さっきのこと……」
飴屋は整えられた髪をぐしゃりと掻き乱し、その場に蹲ってしまった。前へ垂れた橙色の髪の隙間から、昏い瞳が透けて見える。
「……俺、いつからおかしくなってたんだろう……?」
かしゃん、と軽い音を立て、ずれたサングラスが地面へと落とされる。左のレンズには蜘蛛の巣状にヒビが入ってしまい、フレームの細部まで繊細な造りのそれはおそらく、新しいレンズを入れ替えるよりも買い替えてしまった方が安く済むだろう。
一分ほど待ってみたが飴屋が立ち上がる気配はなく、噺家は再びため息をひとつ吐く。
「……今更そんなこと知って何になるのさ。過去は取り返しがつかないんだ、過ぎてから後悔したってそれこそ時間の無駄だろ」
「は、……慰めてくれんの? それとも説教?」
「叱ってんのさ。図体はでっかいくせにウジウジ悩んでばっかりのクソガキをね」
ふわりと降った風に顔を上げてみれば、噺家は飴屋と目線を合わせるように片膝を立ててしゃがんでいた。
──なんだ、これじゃ本当にガキでも相手しているみたいじゃないか。頭に浮かんだ悪態すらも口に出す気になれず、その鮮やかな虹彩に吸い込まれそうになるうち、ふと額の辺りが陰ったことに気付く。
「隙あり」
「ッ痛ってえ゛!!」
髪の隙間からちょうど見えた眉間を狙い、思い切り指で弾かれる。そこまでの痛みは無いものの突然の衝撃に驚きが勝ってしまい、飴屋は咄嗟にその場に伏せて臨戦体勢を整えた。
普段あまり見せない機敏な動きに噺家はけたけたと笑い転げ、飴屋は跳ねる心臓を抑えつつ構えを解く。
「だははっ! いいねぇ。やるじゃないか、きみ!」
「てっめえ……お前じゃなかったらどうなってたか分かんねえからな……」
「……うん。だから、大丈夫なんじゃない?」
「……あ?」
言っていることがよく分からず首を傾げる飴屋に、噺家はそっと手を差し伸べる。
「こんなふうに不意打ちを仕掛けられても、きみが僕に危害を加えることはない。恐怖心なんかはどっかに落としてきちゃったかもしんないけど……それでもきみはまだ、守るべき人の区別は付いてるみたいだよ」
「はあ……? ……いや、俺が今お前のことぶん殴ってたらどうするつもりだったんだよ」
「え? しないでしょ。そんなこと」
「……お前なあ……」
飴屋は脱力感に肩を落としつつ、噺家の手を取って立ち上がる。ついでに足元に転がったままのサングラスも拾い上げ、胸ポケットへと仕舞い込んだ。
「さ、お家に帰るよ、坊ちゃん」
「誰が坊ちゃんだよ……いや、どっちかっていうと俺がお前を送り届ける方だろ」
「馬鹿言うんじゃないよ。こんな暗い道を眼鏡も無しに歩かせられるわけないでしょ」
「……」
体裁として躊躇ってはみたものの、あっという間に説き伏せられてしまった飴屋は大人しく案内してやることにする。信号は赤に変わったばかりで、最初に行儀よく立ち止まったのは何だったのかと心の中で毒吐いた。
「手、汚れるぞ」元通りに手を繋いだまま先を行こうとする噺家に飴屋が言う。
「今更だろ」と噺家は答える。
行く先全ての信号が赤だったとしてもこいつは止まる気なんか無いんだろうな、と飴屋は思った。
コメント
5件

客とttとの対応の差にめっちゃ口角が上がっちゃいました! ほんとに色々な言葉や表現があって安易にその場面が想像できてどんだけ長くても飽きないし次が読みたくなります!あと蕎麦屋のところ少しお腹が空いちゃいました🤭 次も楽しみにしてます!!
めっちゃすきです、、
お疲れ様でした、第37話読み終えたよ! 蕎麦屋デート、めちゃくちゃ良かった……。初めての蕎麦に無邪気にはしゃぐ飴屋が可愛すぎて、思わずこっちまでにやけちゃった。噺家が奢るって言い張るところとか、天ぷら奪い合うところとか、ほんと微笑ましい。 でも後半の急転直下、やっぱりこわい。依存患者への制裁シーン、飴屋の「どこ見てんだ?」の冷徹さがエグくて、背筋が凍ったよ。そんな中で噺家が「リトくん」って名前呼びで止めるの、ちゃんと飴屋を飼いならせてるのが分かるし、2人の関係性の深さが伝わってきた。 次も楽しみにしてる!