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現在非公開の長編短編集の代わりに文をぶん投げます(文だけに)
とーーーーーっても、呆れそうなほど、素敵な人生でした。なんて、そんなわけなかろうと、これを聞いた貴方はそう思うでしょうね。もしくは、羨望や嫉妬だったり、素直な祝福でしょうか。まあ、実際そんなわけないと。今から死ぬのにこんな明るいテンションでいるわけないと。そんな明るいテンションでいるならもう少し考え直せと。でもねぇ、貴方。この世で生きながらえるには、自分が道化にならなければいけない。それがどんなに辛くとも、自分の失敗話を面白おかしく話して、周囲の笑いを誘わなければならない。でも、そりゃあ残酷な話でして、生きながらえるためには道化にならなきゃいけないが、道化になるのは自分自身を殺しているのと同義なのですよ、ええ。いわば一番身近なエンターテインメントであり、自分自身がエンターテイナーになる、一種の小規模な落語なのですよ。でも、だって、自分自身を殺すだなんて、たとえ生きながらえるためだとしても、こちらから願い下げしたいものですよ、できるものならば。こんな人間はきっとこの世に一人ではない。もしかしたら、全員が全員道化師なのかもしれません。周囲も自分も騙した、そんな道化がこの世にごまんといるのかもしれません。道化師にも種類があるものですよ、サーカス団にいる道化師だとか、宮廷道化師だとか、コメディアン、トリックスター、アレルッキーノ、クラウン、ピエロ……。なーんて、寝付けない子供のように道化師を数えていても意味がないのです。そして、これも一種のエンターテインメント。別名、遺書。長ったらしく道化に対して細かく、それはもう飽きるほど、どうでもよい情報だけを吐いていくのです。だって、馬鹿馬鹿しいもの。どこまでも道化を演じるのならば、死に方や遺書でさえも滑稽にならなければいけません。けっして濃いメイクや風船を持ち歩いているわけではないけれど、まあそれはすっぴんでオフな道化師だと思ってください、どうか。誰かが迷惑を被るなら、私のエンターテイナーとしての称号に傷がつきます故、一人惨めに死んでゆくことでしょう。さて、これが笑わずにいられるでしょうか?以上、ネタ切れの末の滑稽話でした。