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秋が足早に過ぎ去ってしまったのか、急激に朝晩冷え込むようになった日の夕方、クリニックを再開しようやく以前のようなペースで診察が出来るようになったウーヴェは、今日の診察も無事に終えられた安堵の溜息を零し、二重窓の外へと目を向ける。
冬の寒さを視覚化しすでに暗くなっている空は今すぐにでも雪を降らせそうだったが、石畳の上を風に煽られて舞い上がりどこかへと飛んでいく落ち葉が我が身を翻弄する初冬の風の強さを教えてくれていた。
雪か雨が降る前に帰る事が出来ればと二重窓から室内へと顔を戻し、自然な流れでデスク横に立てかけてあるステッキへと目を向けたウーヴェは、雪が降ることで思い出される何かよりも物理的に足下が不安定になることへの危惧だけを覚え、何となく一つ溜息を零したときにドアが勢いよくノックされて驚きに身体が小さく跳ね上がる。
ノックと到底呼びたくはないそれを心のどこかでは懐かしく感じつつもそれを遙かに上回る呆れからどうぞと声を掛けると、季節を逆行したような熱を身に纏った男が満面の笑みを浮かべて入って来る。
「ハロ、マイダーリン。今日も仕事頑張ったかー?」
陽気な声を上げて入って来たのは、己の仕事を終えて総てから解放された気分を身体全体で表現している己の伴侶であり永遠の恋人でもあるリオンだった。
「……もう一仕事したような疲れを感じたところだ」
「あー、何だよ、それ」
せっかく今朝の出勤以来ぶりに再会したのにどうしてそんな素直じゃない事を言うんだと、頬を膨らませつつ窓際のカウチで溜息を吐くウーヴェの後ろに回り込んだ後、痩躯を抱きしめて頬を白っぽい髪に押し当てる。
口では皮肉を言うウーヴェの本心がどこにあるのかをしっかりと見抜いているリオンは、程なくして溜息一つの後に手が髪を撫でてくれる事も見抜いていて、その通りに髪を撫でられて安堵の笑みを浮かべる。
「……お前はどうだった?」
「頑張ったぜ。今日の最後の仕事はボスのおやつを奪い取ることだったんだけどな、あまり好きなおやつじゃなかったから突き返してやった」
「……」
その光景をありありと想像出来たウーヴェの口から再度溜息が零れるが、いい加減にしないと雷が落ちるぞと己の過去の体験から忠告すると、雷は躱すのが楽しいのだ、人の楽しみを奪うなと返されて絶句する。
だがそんな憎まれ口を叩きながらも本当はリオンにしか出来ない仕事ぶりを発揮していることを疑わないウーヴェが顔を振り向け、労うように眼鏡の下で目を細める。
「今日もお疲れ様、リーオ」
「うん。頑張ってきた。オーヴェもお疲れ」
嬉しそうに細められる目に頷いたウーヴェは最近また伸ばし始めたくすんだ金髪に手を差し入れて力を込めると、リオンの顔がより近くなる。
互いの仕事を労いお疲れ様と言葉に出した後に小さな音を立ててキスを交わすと、リオンが嬉しそうにもう一度ウーヴェを抱きしめる。
「オーヴェ、今日の晩飯どうする?」
「まだ何も考えていない。何か食べたいものがあるか?」
腹が減っているのならゲートルートで食事をしてから家に帰るがまだ大丈夫ならスーパーかお気に入りのデリカテッセンで総菜を買って帰ろうかと再度リオンを振り仰ぐと、ゲートルートも捨てがたいが今日は何か他の国の料理が食べたいと笑った為、最近お気に入りになりつつあるトルコ料理はどうだと問いながら手触りの良い髪を撫でる。
「イイなぁ。トルコアイス食いたい」
「メインを食べる前にデザートを食べるのか?」
リオンの言葉にくすりと笑みを零したウーヴェにリオンが更に笑うが、その時ドアがノックされる音が響いて二人同時にそちらを見つめてしまう。
「リアはもう帰ったよな?」
「ああ。今日は友人と食事をして映画を見ると言っていたからもう帰った」
ならば誰だろうと思いつつウーヴェがどうぞと声を掛けるが、その後ろではリオンが前職時代を彷彿とさせる顔でドアを睨んでいた。
リオンのその顔をもちろん見ることが出来ないウーヴェが再度どうぞと声を僅かに大きくして呼びかけると遠慮がちにドアが開き、隙間から室内光に輝くプラチナブロンドが見えて咄嗟にウーヴェがリオンの腕を振り解いて立ち上がる。
「こんばんは。お邪魔しても良いかな?」
「ルッツ!」
ドアを開けてはにかんだ笑みを浮かべながら挨拶をしてきたのは大学時代からの付き合いがあり、夏の結婚式にも参列してくれた友人のマウリッツで、ここに来ることが本当に珍しいことからウーヴェが満面の笑みになって友人を歓迎するように一歩を踏み出すが、マウリッツの方から大きく一歩を踏み出しウーヴェの痩躯にやんわりと腕を回す。
「久しぶりだね、ウーヴェ」
「ああ。……入院中、見舞いに来てくれてありがとう」
「何度も言わなくても良いよ。それよりも足の具合はどう? 最近寒くなってきたから痛むんじゃないか?」
冷え込んでくると傷が痛むことをマウリッツも熟知していて、ウーヴェの足を気遣うように足下を見下ろすとウーヴェがただ感謝の思いを込めて頷く。
「ありがとう。痛みは少し強くなることがあるけど、うん、大丈夫だ」
リオンがいるから大丈夫、そう言葉にせずに濁したウーヴェにマウリッツも安堵に頷き、二人を見守るように見つめているリオンへと顔を向ける。
「リオンも久しぶり」
「おー、久しぶり。いつ見てもオーヴェの次に目の保養になるよなぁ」
プラチナブロンドと穏やかな風貌のマウリッツは本当に目の保養になると笑うリオンに二人が顔を見合わせ、リオンもいつの間にかカスパル達のような軽口を叩くようになってきたと声を潜めるが、何か言ったかそこの美人コンビと目を細められて二人同時に何も言っていないとリオンや他の友人達が逆らえない笑顔を浮かべる。
「それよりも、今日はどうしたんだ?」
「うん。ちょっと息抜きをしたくなったから来たんだけど、大丈夫だったかな?」
ソファにウーヴェが腰を下ろして自然とその横にリオンも座り、マウリッツが二人と向かい合うように腰を下ろすと、ちょっと仕事で息が詰まっていると苦笑しウーヴェが眉を顰める。
「問題のある患者が多いのか?」
「いや、そう言う訳じゃないかな。ただ何となく息が詰まるって感じただけ」
大学時代の気が置けない仲間であり専門は違っていても同じ医者として働く者同士に通じる物を感じ取ったウーヴェが愁眉を開きストレス発散のために飲みに行くかと誘うとマウリッツの顔に安堵の色が浮かぶが、瞬間的に申し訳なさそうな表情に取って代わられた事をウーヴェはしっかりと見抜き、その横で目の保養が出来ると浮かれきった顔のリオンも密かにそれを読み取っていた。
「……今日ここに来れたから、それで楽になるかな」
「そうか?」
「うん」
マウリッツの言葉にウーヴェが単語以上の思いを込めて問いかけるが返ってきた言葉に僅かに目を伏せ、そういうことならゆっくりしていってくれと頷くと、マウリッツの目がリオンに向けられるものの、感謝以上の思いが口にされることは無かった。
「……オーヴェ、久しぶりにマウリッツとメシ食ってこいよ」
「リオン?」
三人の間に流れた沈黙を破ったのはリオンで、ウーヴェの頬にキスをした後に何事も無かった顔で立ち上がり、呆然と見上げてくる美人二人を交互に見つめて笑みを浮かべる。
「両手に花ってやりてぇけど、オーヴェが拗ねるしマウリッツにも嫌われたくねぇから止めておこうかなー」
「……誰が花なんだ」
「ん? オーヴェとマウリッツ。さっきも言ったでしょー」
人の話を聞いてないんだからダーリンはと腰を屈めてウーヴェに不敵な笑みを見せつけたリオンは、話の流れについて行けない顔で見上げてくるマウリッツに肩を竦め、ホームに帰ってあいつらと遊んでくる、晩飯は食ってくるから要らないと笑顔で言い放つと再度ウーヴェの頬にキスをして診察室を出て行こうとするが、ドアノブに手を掛けた時に思い出したと呟いて振り返る。
「マウリッツ、ここまで車で来たのか?」
「え? ああ、そうだけど……」
「そっか。じゃあさ、オーヴェを頼むな」
車は乗って帰るからいつもの店で酒を飲むなり静かな店で静かに酒を飲むなり好きにしてくれと手を上げて部屋を出て行ったリオンに二人は何も言えなかったが、マウリッツの顔に罪悪感のような色が浮かびウーヴェが微苦笑しつつ肩を竦める。
「ウーヴェ?」
「……ルッツ、このままで良いか? それともあのソファに座るか?」
驚くマウリッツにリオンなら見慣れているがウーヴェが浮かべるには珍しい不敵な笑みを浮かべてデスク前の一人がけのソファを指し示し、それがどういう意味かを読み取ったマウリッツが組んだ両手を額に押し当てて溜息を吐く。
「……今夜は何か予定があるかな?」
「いや? 今日は何もない。……飲みに行くか?」
「……う、ん、きみが良ければ……」
顔を上げずに聞き取りにくい声で呟くマウリッツにウーヴェが無言で目を細めるものの、友人の気の済むようにさせようと決め、足を組んでソファの背もたれに寄りかかる。
「ルッツが良ければ家で飲まないか?」
例え皆が集まる行きつけのクナイペであろうと少し高級感のある店であろうとも第三者の視線や存在のある場所では話など出来ないだろうと踏んだウーヴェが友人の負担にならないように気遣いつつ問いかけると、額と拳が長時間一緒にいられないことを思いだしたマウリッツの顔が上げられるが、まだ罪悪感が抜けきっていなかったためにやりと笑みを浮かべて膝頭を一つ撫でる。
「……明日の診察に間に合うように帰れば大丈夫だろう?」
「それは、そうだけど……」
「じゃあ決定だ。ルッツと家で飲むのはいつ以来だろうな」
大学の頃はアルバイトが休みの時などに良く飲んでいたと笑うウーヴェに一瞬マウリッツが唇を噛み締めるが、一つ吐息を零した後、見慣れているウーヴェですらも一瞬どきりとするような笑みを浮かべて小さく頷く。
「確かにいつ以来だろうね」
今日はトコトン飲むことにするかと笑う友人に今度はウーヴェも心からの笑みを浮かべるが、どうかその時にこの控え目な友人の胸を一杯にさせている悩みを打ち明けてくれればいいと密かに強く願うのだった。