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台所に入った善悪は、先程死に掛けた男だとは思え無い速度で、流れる様に夕食の支度に取り掛かって行った。
お米を研いで炊飯器にセットすると、冷蔵庫から食材を取り出し、種類毎に下拵(したごしら)えを整え、一度確認するかの様に全体を見回した後、調理を始めて行く。
コユキは、件(くだん)のダイニングテーブルに座って、最初に善悪が準備してくれた、カルピス六対四のちょっと薄目を、時折口にしながらその姿を目で追っていた。
コユキは思う、
――――この男の人は…… そうだ! センセイだ、それはそうなんだけど…… 何のセンセイだったか? 分からない…… で、でもっ、自分にとって掛け替えの無い人だって事は分かる! さっきこの人が死ぬんじゃ無いかって思った時、……あれ? 思ったかな? …………たぶん、思ったと思う…… けど…… そうだ! 思い出した! この人の知り合いの人、確か鯛男(タイオ)さんだったか? が『おしょさま』とか言っていたんだった、だからこの男の人は『おしょさまのセンセイ』に違いない! そうだった、そうだそうだ! あぁー思い出せて良かったよ、ドキドキしちゃった~…… ん? センセイが『おしょさまのセンセイ』なのは分かったけど、アタシは? えっと、あれ? あれれ? アタシって誰だっけ……? んんーと、確か真っ白いご飯に透明なスープが目の前に有って…… 有って? っ違った! 『おしょさんのセンセイ』がいつも置いてくれてたんだった! 何で忘れてたんだろう? で、アタシは? そうだ! その甘くてお腹が一杯で幸せになるご飯の上に、『おしょさんのセンセイ』が用意してくれたしょっぱくて美味しい『塩』って言うヤツを掛けて食べさせて貰ってたんだった! あぁー全部思い出せた~、良かった良かった♪ あれ? って事は? アタシってセンセイに飼って貰ってるペット、なのかな? んーちょっと違う気がするけど…… ペットっていうよりも…… 色々と訓練? 戦い方も教えて貰っていたし…… そ、そうか! アタシはこの人が何かと戦う時に、役に立つ為にここにいるんだ! この立派な『おしょさまのセンセイ』の盾になり、戦いを有利に進めるための道具、武器や装備と同じ一個の戦いの手段として、ここでご飯を貰っているのに違いない! そうだ、アタシのアイデンティティはこの立派な『おしょさんのセンセイ』のお役に立つ事だった…… 気がする! そうだ、『おしょさんのセンセイ』じゃない、もっとアタシの存在の全てであるこの人にふさわしい立派な呼び方をしなければイケない気がする…… それに…… 自分の事だって、アタシなんかじゃなくもっと立場に則した呼称で表現しなくちゃいけないわね…… う~ん……
思っていると、善悪がコユキに声を掛けた。
「コユキ殿、お米が炊けた様でござる、申し訳無いがお茶碗によそって欲しいでござるよ! あと、お箸の準備も頼むのでござる」
すかさず立ち上がってコユキは答えを返した。
「了解でっす! 閣下(かっか)の御命令に従い、この虫けらが確実に遂行するのでありまっす!」
「え? かっか? むしけ…… ら?」
訝(いぶか)しく見つめる善悪のことを気にも掛けずにス――と足も動かさずに移動して、指示された事を黙々と遂行して行くコユキ。
その姿は、鍛え抜かれた下級仕官が、尊敬する上官に仕える喜びに溢れた所作、そのものであった。
見つめる善悪の表情は『なんなの?』であったが、彼の耳に、放置したフライパンからのパチパチという乾いた音が聞こえて来ると、慌てて意識をフライパンに戻し、レンジの弱火を完全に消して、仕上げの蒸らしを始めるのだった。
数分間、料理の様子を見守って、主菜をプレートに取り出した後は、フライパンに残った油に白ワイン、バター、ローズマリー塩、胡椒とホンの僅かなウイキョウを加えて一煮立ちさせ、ソースを完了させ、別に茹でた後色留めして置いた付け合せの野菜と共に主菜の横、そして上に丁寧に飾り付けていく。
次いで、別鍋で同時に作っていた豆乳に追い大豆をたっぷり加えたコンソメベースのポタージュに、大きめにちぎったパセリと、麦フスマを粗めに砕いた物をクルトン代わりに浮かべてスープカップに注いでいった。
「ふぅ~、完成でござるな」
言いながら振り返った善悪はコユキの姿を見て、ギョギョッとしていた。
コユキは白米をお茶碗によそって、箸を準備した後、次の命令を待つ忠実な兵士のように、その手を腰に深く回して、テーブルの脇で直立していたのである。