テラーノベル
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君と同じで背が高いと思っていた向日葵を見下ろした日。あぁ、もうそんなに日が経っていたんだ。と初めて思った。
あの日、君は「引っ越す」と言って今頃の時期にこの土地を離れた。
もう、顔も声も覚えていない。そんな人。
「ワンッ!」
ビクッと一瞬、体が強張った。どうやら向かいの家の犬が吠えたらしい。懐かしさから引き戻されるように足早にその場を後にした。
いつもすれ違うサラリーマンが捲ったシャツの袖で額の汗を拭っている。
緑の葉を揺らして通り抜けていく風も熱気を運ぶばかりで涼しさの欠片も感じない。そんな日でもどこからか聞こえる幼い子供の無邪気な笑い声は、セミの鳴き声に負けないほど元気に響いていた。
教室も快適と言うには少し蒸し暑さが残るがクラスメイト達は気にした様子無く、やいのやいのと友人と談笑している。
それを横目にドサッと机にカバンを置けば、友人が朝の眠気を吹き飛ばすような声で呼びかけてきた。
「ナオー!!聞いた?今日の数学__」
適当な相槌を打ちながらたわいも無い話を続けて、チャイムが鳴れば席に着く。
朝のホームルームで担任が
「明日から初めての高校生としての夏休みだが、この学校はバイト禁止だからな。羽目を外しすぎないように。」
一言、釘を刺して普段通りの学校生活が始まった。
学校を終え、帰宅する頃には朝思っていたことなどすっかり忘れていた。
数日後。
冷房の効いた部屋で、棒アイスを咥えながらカチカチとゲーム機のボタンを押している。
迫力のある電子音が響き、のめり込むように画面を見ては瞬きさえも忘れていた。ただ指だけが迷い無く、忙しなく動いている。
「_ォ…ナ_……ナオ!!」
「うわっ!?」
意識の外から降ってきた声に、情けない叫びをあげた。咥えていた棒アイスが落ちそうになって慌てて掴めば、その拍子に画面に「GAME OVER」と表示される。
「あー!母さんのせいじゃん!」
「私のせいって……。準備もろくにせずにゲームしてるアンタが悪いんでしょうよ!」
振り返ってそう文句を言ったのも束の間。「準備もろくにせず」と言葉を連ねられたが心当たりが浮かばず首を傾げる。
「準備…?なんの?」
「アンタねぇ…朝に言ったじゃない。明日海にバーベキューしに行くよって。」
こめかみを指の腹で押えて、そう告げた母親に「そうだっけ?」と返せば「寝ぼけてたんでしょ。」と小言を言われた。
残りのアイスを口に入れ、棒をゴミ箱に投げ入れると、ゲーム機を持ち直し自室へと歩みを進めた。
水着はいる、ゲーム機はいらない、イヤホンはいる。
冷房を付けたばかりで生ぬるい部屋の中、一年ぶりに取り出した黒のリュックサックを広げて荷物を詰めていく。
……やっぱりゲーム機はいるかな。暇つぶしには最適だもんな。
そんなことをゲーム機片手に考えるが、またあの母親に文句を言われる未来が想像できてしまい、ため息をつきながらそっとしまった。
夕食にテーブルを家族で囲う。名前も知らない野菜の料理を頬張っていれば、ふと母親が告げた。
「明日、車で行くからね。七時には起きてよ。」
「はーい」
口の中のものをゴクリと飲み込んで、適当に返事を返した。母親が一瞬、こちらを「本当に分かったのか」と疑う目線を向けた気がした。
翌日。ジリジリと強い日差しが肌を照り付ける。車内はエンジンを付けたばかりで息を吸うのも嫌になる。まるで巨大なオーブンの中に入ってしまった気分だ。
毎朝食べているトーストの食パンもこんな気持ちだったのか……。
そんなどうでもいいことを考えているうちに車がゆっくりと走り出す。次第に車内も涼しく、心地良い室温になってきた。
そっと、イヤホンを耳に差し込む。お気に入りの音楽たちが、忙しなく変わる窓の景色と相まっていつもより活き活きして聞こえた。
「……ナオ、起きて。着いたよ」
肩を揺さぶられる感覚で目を開ける。強い日差しと、ザァとイヤホンをしていても聞こえる海の音。
「……もう着いたぁ?」
寝ぼけ混じりにイヤホンをケースにしまいながらそう問いかける。
「着いたから道具出すの手伝って」
そんな断らせることなど微塵も考えていない言葉で返ってきた。
車から降りて凝り固まった体をほぐすように伸びれば、不思議な心地良さを感じる。頬を撫でた風がどこかひんやりとしていて海の近さを感じた。
「ナオはこれ持って。」
父親が預けてきた保冷バッグを片手で持つ。思いのほか、重量のあるそれにギョッと目を見開けば慌てて両手で持ち直す。「ほら行くぞ。」と父に呼びかけられて三人並んで歩き出す。
汗がポトリと一滴垂れた。
潮風が髪を揺らす。
サーフィンを楽しんでいる人から海を泳ぐ人、砂の城を作っている人。
微かに漂ったソースの匂いに鼻をくんくんと小さく鳴らして目線を動かせば海の家が見えた。食欲をそそる匂いの出処はそこらしい。
「ナオー!なにしてんのー!」
ビクッと体を強ばらした。慌ててそちらに顔を向けたら、いつの間にか先に進んでいた両親がそれぞれなにか言いたげに足を止めてこちらを見ていた。
慌てて近づいて「先に行かないでよ」と文句を一つ。「よそ見してるほうが悪いんでしょ。」と母に情もなく言い返されてしまった。ぐうの音も出ない。とはこのことだろう。
足場の悪い砂浜をしばらく歩く。ビーチサンダルに乗っかった砂が素足に付いて気持ち悪さを感じた。
「ここでいいんじゃない?」
その母の言葉で荷物を置いた。先に水着に着替えて来てと母が言えば父親と共に更衣室に向かった。
母が引いてくれたレジャーシートに荷物を置いて、父と共に、バーベキューの準備を進める。
その時だった。
「うわっ!?」
ヒヤッと首元に冷たい感覚が走った。勢いよく振り返る。
結露したサイダーのペットボトルを白く細い指が持っていて、シャンプーのCMさながらの黒髪が潮風になびいている。透き通ったサファイアブルーの瞳はいたずらに細められていた。目を奪われるような綺麗な人。知っている。この人のことを。
「クルミ姉さん!?」
十年前、引っ越して行った幼馴染み。ついさっきまで名前も顔も忘れていたはずの人。この一瞬で全てが鮮明に蘇ってきた。
「久しぶり。ナオくん」
コメント
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久々に狼ちゃんが投稿してる!と思ったら、見ない間にすごい語彙力蓄えてきててビックリした すごいスラスラ読めちゃった 好きです