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朝、洗面所。
侑はいつも通り手を洗って、無意識に左手を拭いた。
その瞬間――指に触れるはずの感触が、ない。
「……?」
もう一度、左手を見る。
「………………」
ゆっくり、瞬きを一回。
「……あれ?」
心臓が、ドンと嫌な音を立てた。
「……ちょ、待て」
指を曲げたり伸ばしたりする。
何度見ても、そこにあるはずの結婚指輪が――ない。
「……うそやろ」
声が震える。
洗面台の上を見る。
床を見る。
排水溝を見る。
「……ない」
一気に血の気が引いた。
「いやいやいやいや。
落ち着けや俺。 まだ“無くした”って決まったわけちゃう」
自分に言い聞かせながら、洗面所をひっくり返し始める。
タオルの下。
棚の中。
洗面台の引き出し。
「……どこや……」
額に、じわっと汗。
「昨日もちゃんと付けてた…
寝る前もあった
じゃあ今朝……?」
頭の中が高速回転する。
その時、リビングから🌸の声。
「侑ー?もうすぐ出るけど、大丈夫?」
「う、うん!!」
声が裏返った。
「だ、大丈夫やで!! 全然!!」
全然大丈夫じゃない。
洗面所を飛び出し、リビングを見回す。
ソファ。
テーブル。
床。
「……ない」
心臓がさらにバクバクする。
「やばい…… やばいやばいやばい……」
その様子を、🌸が不思議そうに見ていた。
「……侑?
どうしたの、さっきから」
「え? 何が?」
もう汗が止まらない。
「いや、別に??
ちょっと探し物してただけや」
🌸はじっと侑の左手を見る。
「……指輪は?」
――来た。
侑の脳内で、警報が鳴り響く。
「……ああ!! 指輪な」
妙にゆっくり返事をする。
「ちょっとな。 今はな」
「今は?」
「うん」
「なんて言うか……」
意味不明な間。
「……位置情報がな、 一時的にズレてるだけや」
「何の話?」
「つまり、無くしてへん」
即断言。
🌸は一歩近づく。
「じゃあ、どこ?」
「……それは」
侑は急に視線を逸らす。
「今、重要なんそこちゃうやろ?
ほら、時間とかさ」
「重要だけど」
「いやでもな… 指輪って、物やん?」
🌸が眉をひそめる。
「さっきまで“命より大事”って言ってた人の発言?」
「それはその…… 比喩表現や」
額から汗が一筋、つーっと落ちる。
🌸は腕を組む。
「侑。 正直に言って」
「……」
一瞬の沈黙。
「……なくしてへんで?」
声が小さい。
「でも、ないよね」
「……見えへんだけや…。
どこからどう見ても 見えへん角度なんや」
その瞬間――
「……あ!!」
侑が急に声を上げた。
「思い出した!! 洗面所や!!」
🌸が止める間もなく、侑は洗面所へ猛ダッシュ。
「やばい、やばい…
絶対ここやと思ったのに!!」
引き出しを勢いよく開けた、その時。
ガンッ!!
洗面台に肘を強打。
「っっっった!!」
それでも止まらない。
次は下の収納。
勢い余って開けた瞬間――
中の洗剤やストックが雪崩のように落ちる。
ガラガラガラ!!
「……」
静寂。
🌸がゆっくり近づく。
「……何してるの?」
侑はその場に固まり、
全身から滝のような汗。
「……ちゃうねん。 これは、事故や」
「指輪探してたんじゃないの?」
「……探してた」
「で?」
「……被害が増えた」
🌸は深く息を吸う。
「侑。 もう一回聞くね」
「……はい」
「指輪、どこ?」
侑は完全に観念した顔で、ぽつり。
「……分からん」
その瞬間、🌸がふっと視線を外す。
「……キッチン、見た?」
「……」
侑の表情が、ゆっくり凍る。
「……見てへん」
二人でキッチンへ。
シンク横、ハンドクリームの横。
――結婚指輪。
「……」
侑はそれを見た瞬間、
膝から力が抜けた。
「……あった……」
でも、安心より先に。
「……俺さ。
今、人生で一番汗かいてない?」
🌸は指輪を手に取りながら、呆れ半分、笑い半分。
「うん、 盛大にやらかしてたね」
侑は指輪を受け取り、そっと指にはめる。
何度も、何度も確かめる。
「……🌸。 先に言えんくて、ごめん」
「はぐらかしたよね」
「……怖かってん。 失くしたって思った瞬間、頭真っ白になった」
🌸は小さく笑った。
「嬉しいけど大事にしすぎ」
「当たり前やろ」
侑はまだ汗を拭きながら言う。
「俺の一生やぞ。 そら、焦るわ」
指輪は戻った。
信頼も、ぎりぎりセーフ。
――ただし、
洗面所の惨状と、侑の汗は、しばらくそのままだった。