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「はあ、疲れた」
旅館まで来て荷物を置いたけれど、案の定部屋は一緒だった。
この男が、部屋を別々にしてなんて聞くようなタイプなら、あんな事件もそもそも起きていないだろうから、わかってはいたけれど。
「あんたね、部屋別々にしてって言ったのに」
「しないよ、一緒にここで飯食って酒飲んで寝るだけで何か問題?」
「いい年こいた男女なんだから問題だらけでしょうが」
先ほど、受付で駄目元で「もう一部屋空いてませんか」と聞いてみたけれど、空いていないと言われて仕方なく諦めた。
どうしようもないことで時間を割くのも馬鹿らしい。
そう気持ちを切り替え、雅に話しかける。
「さて、お酒買いに行く? 日本酒気になるし」
「待って、着替えるから」
スーツのジャケットを脱いでハンガーに掛け、箪笥を開けて浴衣を取り出すと、雅はそのままこちらに向けて見せてきた。
「ここの旅館の浴衣着てこの辺なら歩く人多いらしいよ。浴衣で行かね?」
「へぇ、オシャレね」
浴衣で歩くのも旅館の醍醐味らしいので、受け取るとそのまま着替えに向かった。
問題は解決したし、こんなに良い旅館に来たのだから、せっかくなら楽しまないと勿体ない。
浴衣の上に紺色の羽織を羽織り、髪を結い直して部屋に戻ると、雅もすでに着替え終わっていた。それがまた、すごく似合っている。
一日に顔が良い男のスーツ姿も見られ、さらに浴衣姿も見られるなんて、どれだけの贅沢しているのかわからない。
後は、このまま話さずに黙っていてくれれば完璧なのだが、そうもいかないだろうと溜息を吐く。
「うわあ、ムカつくけど何着ても似合うわね」
「まあ俺だし?」
そう言いながら、私の首筋に触れてくる手を、反射的に思いっきり払う。
誉めただけで簡単に触れられていいわけがない。隙を見せたら、簡単に入り込まれる。
「いいじゃん、触れても。エロすぎて触んなとか無理」
「本当そういうことばっか言ってたら慰謝料としてここ全部あんた持ちにするから」
「やっすい慰謝料だな。お前そんな安く買えるの」
「調子のんな」
この男が少し笑い肩を竦めるのを見ると溜息を吐き、一緒に部屋を出る。
廊下には温かい間接照明が灯り、廊下を柔らかな光が包んでいる。そのまま町に出ると、薄暗い街灯の光が交錯し、人々の笑い声や風鈴の音が遠くから聞こえてきた。
親への挨拶のために来たはずなのに、この男とこんな旅行みたいなことをしている自分に、少しだけ違和感を覚えた。
まなこ〜友
117
#ますしき
T
5,800
日本酒が美味しいと評判のお店に向かい、店内で試飲を重ねる。
「美味しすぎる……。お酒最高」
「口コミ通りだわ、温泉街最高か」
二人して感動のあまり語彙力が死滅していた。
結局、試飲で気に入った一升瓶を二本購入した。さらに歩きながら飲む用に紙コップ一杯分の日本酒も買い、荷物は雅に任せて、自分は口元に日本酒を運んでいた。
「でも、二本ってお前これ自分のお土産?」
「そのつもりだけど、無くなったら明日また寄って帰ればいいのよ」
「無くなる前提で買っただろ」
それは否定しない。
二人で飲めば、一升瓶もあっという間に空になるだろうし、宿泊する旅館の料理とも合いそうだから、このペースだと確実に予備が必要になる。
「おつまみも買ってく? あ、温泉卵食べたい」
「食う事か飲む事しか考えてないな」
「玲くんへのお土産も買って行かなきゃ……、って明日で良いか」
「そもそもお土産いる? 人に嘘吐く為に行ってきた場所で買ってきたお土産ですって言って渡すわけ?」
「あんた、言い方」
そう言い合いながら、店内を見て回り、一通り買い物を終えると、二人は温泉街の石畳を踏みしめながら、旅館に向かった。
夕暮れの街灯が石畳に淡く光り、浴衣姿の二人の影が長く伸びている。
街のざわめきとお酒の余韻が混ざり合い、ふわふわと心地よい酔いと笑いに包まれていた。
⏲
夜、露天風呂でゆっくり体を温めた後、部屋に戻ると、テーブルの上にはすでに豪華な料理が用意されていた。
思わず「わあ」と声を上げてしまう。部屋に戻ったら、こんなに立派な料理が既に用意されているなんて、幸せすぎる状況を嚙み締めた。
ふと部屋を見渡すと、雅の姿はなかった。
少しだけあたりを見渡していると、バスタオルで髪を拭きながら雅が戻ってくる。浴衣に包まれた肩や首筋が、露天風呂で濡れた髪と相まって、色気が漂っている。
奴のそんな姿に卒倒しそうになりながらも、ここまで豪華だと宿泊費のことが頭をよぎる。
多額の金額を用意してきたしクレジットカードもあるけれど、金額を知らないのは、少し不安になる。
「すげぇ、美味そ」
「あんた、ここいくら?」
「ああ、いいよ。ここは払ってるし既に」
「え、いいわよ。今日付き合わせたし」
「言っとくけど一応俺歳上なんだよね、このくらい払う金は持ってるっつーの」
雅からこんな発言が出るとは思っておらず、少し驚いたが、これ以上言うと雅の優しさやプライドを踏みにじる気がして、素直に「ありがとう」とお礼を伝えた。
私の言葉に、雅は少し笑みを浮かべて、ふわりと私の頭をポンポンと撫でる。その動作は年上男性らしい余裕と優しさを感じさせ、思わず心が少しざわついた。今も、こういう時だけは、ときめきを抑えきれない。
雅は座椅子に腰を下ろし、軽く背もたれにもたれかかる。浴衣の裾や肩のラインが揺れるたび、やはり目が離せなくなった。
「何か急に気持ち悪いわね」
「何でだよ、感謝しろ」
そう言いながら向かいに座り「いただきます」と礼儀正しく手を合わせる。今日買った日本酒を取り出し、グラスを二つ用意して注いだ。
「ああ、絶対お酒に合うご飯。最高」
「めっちゃいいな、温泉旅行。ハマりそう」
「あんたと来るなんて思ってなかったけど、本当に最高」
お酒の香りが鼻をくすぐり、料理の湯気が立ち上る。
今の間に中居が別室で布団を敷いてくれている。至れり尽くせりで、思わずため息が出る。実家にいても、こんなにだらけられることはない。
「こんな自堕落な生活、毎日してたい」
「動かなくなって、デブになりそ」
「あんたデリカシーって知らないでしょ」
確かに、毎日こんなにおいしい料理を食べて、温泉でゆっくりして、すぐ寝られる環境が続けば、体重計の針はぐんっと振り切ってしまうかもしれない。
それでも、目の前にお酒と料理、そしてイケメンがいるこの環境、ただ座って食べて飲むだけで笑い合える幸せを考えると、体重のことなんてもうどうでもいい。
毎日がこんな時間だったらいいのに、と願うことくらい、誰にも迷惑はかけないはずだ。
そもそも、普段の生活で家事をするのが好きではない。本当は仕事だけして生きていたい。でも、そんなことできるはずもなく、日々の掃除や洗濯、料理のこと、となると少し憂鬱になる。
そんなことを考えながらふと名案が浮かび、「あ」と声を出すと、雅が顔を上げてこちらを見た。
「専業主夫になってくれる人探そうかな」
「はは、もう酔ってんの?」
雅は軽く呆れた声を出すが、私の中では真剣だった。
月の給料も悪くないし、生活に困るほどではない。
むしろ、養えるくらいはもらっている。
働きたくないけれど家事は苦じゃない相手と、働くのは好きだけど家事は好きではない私が一緒になれば、win-winなのでは。
「俺の事養ってくれてもいいよ」
「あ、女遊びしないクズ以外で」
件をさり気なく付け加え、雅はお断りだと遠回しに伝える。
自分の夫になる人に浮気なんてされたら、たまったものではない。元々交際していた時には雅に浮気はなかったけれど、今のこいつは信用するに足らない。
とはいえ、そんなことを考えつつも、隣で笑う雅の顔を見ていると、この人とこうやって酒を飲んで馬鹿話している時間が、やっぱり楽しいのだと改めて思う。
コメント
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うわあ、この距離感、めっちゃ好きです。部屋が一緒で「問題だらけ」と吐き捨てるのに、浴衣姿に見惚れたり「この人と酒飲んでる時間が楽しい」って自覚しちゃうもどかしさ。特に「専業主夫探そうかな」→「女遊びしないクズ以外で」の切り返しが、過去と今の不信感を一発で伝えてくる。クズタグなのに、まだクズ成分がほのかで、逆に次が怖い…。