テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
#1 告白の海
omr side
夕暮れのスタジオには、少しだけ潮の匂いが混じっていた。
スタジオの窓から見える海は、もう太陽に染められてオレンジ色に揺れている。
僕はギターを抱えたまま、何度も弦を弾いては止め、弾いては止め、と繰り返していた。
涼ちゃんは、僕の向かいに腰かけていて、穏やかな目で僕を見ている。
その視線が昔から好きだった。僕の全部を知っていて、全部を受け止めてくれるようなあたたかさ。
「元貴、若井。ちょっと話したいことがあるんだ」
涼ちゃんが、いつもより少しだけ低い声でそう言った。
隣にいた若井も、ギターを置いて顔を上げる。
僕は、その声の震えに気づいてしまった。
涼ちゃんが、こんなふうに声を震わせるなんて、珍しいことだった。
胸の奥が強く締めつけられる。
「…どうしたの?」
声がうまく出なくて、小さくしか言えなかった。
涼ちゃんは、僕の目を見てから、一度だけ深く息を吸った。
「僕さ、医者に余命を宣告されたんだ」
言葉が耳に入ってきても、意味がわからなかった。
「……え?」
「病気で、あとそんなに長くは生きられないって」
涼ちゃんは微笑むように言ったけど、その微笑みは悲しくて、優しくて、どうしようもなく僕を苦しめた。
「嘘、でしょ…? 涼ちゃん……」
僕の声は震えていて、自分で何を言ってるのかもわからない。
若井も、何も言えないまま俯いていた。
「ごめんね。元貴、若井。本当はもっと早く言うべきだったんだけど…なかなか言い出せなくて」
涼ちゃんは、そう言って視線を落とした。
その横顔を見た瞬間、僕の中で何かが崩れる音がした。
「なんで……なんで謝るの……? 謝ることなんて、ないよ…!」
声が大きくなった。止められなかった。
だって、涼ちゃんは何も悪くないのに。
悪いのは病気なのに、どうして涼ちゃんが謝るんだよ。
「ごめん、ごめんね……」
涼ちゃんの目が少し潤んでいて、僕はそれを見た瞬間に言葉を失った。
怖かったんだ、きっと。
僕や若井に話すのが怖かったんだ。
自分がいなくなるってことを、本当にしてしまうのが怖かったんだ。
「ふざけんなよ……涼ちゃん……いなくなるなんて……」
言いかけて、声が詰まった。
目の前が滲んで、涼ちゃんの顔がうまく見えない。
「俺ら、また3人で始めたばっかじゃん……やっと戻ってこれたんじゃん……」
若井の声も震えていた。
普段、弱音なんて吐かない若井が、声を詰まらせていた。
「そうだね……ごめん。でもね、本当に楽しかったんだよ、僕」
涼ちゃんは、少しだけ笑った。
それが痛いくらい優しくて、胸の奥を切り裂かれるようだった。
言葉なんて、何も出てこなかった。
こんなときに、僕は何も言えない。
何を言っても、涼ちゃんの命は戻らないんだって思ったら、ただ泣くことしかできなかった。
涼ちゃんは、僕の手をそっと握った。
「ありがとう、元貴。元貴が声をかけてくれたから、僕は音楽と出会えたし、何より…元貴たちと出会えて、本当に良かったって思ってるよ」
その言葉が、胸に突き刺さる。
僕は泣きながら、ただ首を横に振った。
「やだよ……そんな言い方、しないでよ……!」
声にならない声が喉を突き上げてきて、苦しくて、息ができなくなりそうだった。
「……ごめんね」
何度も謝らないでよ。
僕が守れなかっただけなのに。
海の向こうには死者の世界がある_そんな話を、昔涼ちゃんから聞いたことがある。
もし本当にあるなら、涼ちゃんはそこへ行くのかもしれない。
でも僕は、どうしても認められなかった。
涼ちゃんはまだここにいる。
僕のすぐそばにいるんだって、思いたかった。
「僕、どうしたらいいの、?……涼ちゃんがいない世界で……どうやって生きたらいいんだよ……」
呟いた声は、自分でも驚くほど小さくて震えていた。
涼ちゃんは僕を見つめて、何か言おうとしたけど、その唇は微かに震えて、結局何も言わなかった。
スタジオの外では、もう夜の気配が近づいてきていた。
海の匂いが少し強くなって、潮騒が遠くから聞こえてきた。
僕たちは3人で、ただそこに座っていた。
沈黙の中で、胸の奥を締めつける痛みだけが、はっきりとあった。
何も変わらないでほしかった。
この時間がずっと続いてほしかった。
だけど、変わってしまうんだ。
どうしても、変わってしまうんだ。
その日から、僕は生きる理由を少しずつ失っていった。
大切な人がいなくなる世界で、どうやって前を向けばいいのかなんて、まだわからないままだった。
部屋、片付けます
多分