1.記憶の形
院瀬見と再会し、また暫しの別れを告げたその日の深夜。
塩谷は夢を見た。
目を開いて1番最初に飛び込んできたのは、普段の無機質な白い天井ではなく、当時流行っていて好きだったミュージシャンのポスターが貼られた低い天井。
(…あぁ。夢だな)
何故そう思ったのかは分からない。無意識のうちに、自分が今見ているものが現実ではないことを塩谷は悟った。
やけに甲高く鳴くスズメの声に耳を傾けながら、時間をかけてゆっくりと起き上がる。
『今何時─』
『あんたいつまで寝てんの!!母さん忙しいんだから自分で起きてちょうだい!!』
時間を確認しようと壁に密着している柱時計の方を振り向いたとき、少し離れた台所から母親の怒号が飛んできた。塩谷は朝に弱かったため、毎日のように同じセリフを聞かされていた。流石にうんざりする。自分から起きれば済むことなのだが。
『ほら、早く食べちゃいなさい。お父さんなんかもう家出ちゃったわよ』
『あぁ…』
現実ではないと自覚している状態で見る夢というのは不思議なもので、まるで自分が映っている映画を観ているような気分になる。意識はあるのに、目の前に映る自分自身を制御・操作することができないのだ。
食卓に並べられたご飯と味噌汁、調理中にうっかり目を離したらしい焦げた焼き魚を黙々と食べ、のんびりと着替え、時計を見て慌てて家を出る。
いつも通りの朝だった。
2.進路希望調査
『おっはよーう!!』
『うわ』
『よっ、塩谷』
『おはよう。村中、竹内』
通学路を俯きながら歩いていた塩谷の背後に思い切り飛びついてきたのは、長年の仲である村中と竹内だった。
『完っ全に寝起きの顔してんなお前』
『ついさっき起きたからな』
『どーせまたおばさんに叩き起されたんだろ?おばさん怒ると怖そうだしなぁ…』
『お、それ本人に言うぞ?』
『やめろ、合わす顔がなくなる』
竹内の返答に3人は大笑いする。いつもこんな風に、くだらない話をしながら学校まで向かっていた。
『あ、そういや進路希望調査。今日HRの時間で書くらしいけど、お前らもう将来とか決まってんの?』
ふいに思い出したように竹内が言う。2人は揃って首を横に振った。
『ぶっちゃけ何書けばいいか分かんねぇんだよな。大して頭もよくねぇし』
『ったくよ…もう高3の秋だってのに』
『塩谷公務員とかやってそう』
『俺!?』
『見た目だけの話だろ』
村中の言葉に、竹内が塩谷の顔をチラリと覗きながらツッコんだ。塩谷はスクールバッグを担ぎ直し、小さくため息をつく。
『公務員は無理。俺も頭良くねぇし』
『俺”も”ってなんだお前勝手に俺とお前をひとくくりにすんな』
『さっき自分で言ってたじゃねぇか!』
村中のとぼけにすかさず返す塩谷。しばらく置いてから3人はまた顔を見合せて笑った。
ここまできてやっと、少し遠くに校舎が見えてきた。
3.バカやって
1時間目。2時間目。3時間目。どんどん時間が過ぎていき、気がつけばあっという間に放課後。外は日が暮れようとしている。進路希望調査は進路の決まっていない人があまりに多すぎて、提出が来週に持ち越しになった。
『塩谷ー、帰ろーぜ』
『竹内。お前部活は?』
『休んだ。今日母さんも父さんも帰り遅いらしくて、妹の面倒見なくちゃなんねぇから』
『ふーん…大変だな長男ってのも』
『一人っ子は楽でいいよな。アイツ最近段々と生意気になってきやがった』
そんなこと言うなよ、となだめる塩谷を尻目に、竹内はスクールバッグを縦に起こしてリュックのように背負った。離れたところにいた村中も呼び、3人で教室を出る。
日が先程よりも傾き、影が長く濃くなってきた。近くの公園からはまだ小学生のはしゃぐ声が聞こえている。その小学生たちと同じくらいの声量で、高校生である3人もはしゃぐ。ハタから見ればやたら声のデカい三馬鹿が騒いでいるだけだが、塩谷たちにとってはこの時間が他のどの時間よりも一番楽しかった。
『じゃ、また明日!』
『じゃあな』
『おう』
3人は途中の道で別れ、そこからそれぞれ別の帰路を辿った。
当たり前のように朝起きて、学校に行って、友達とバカ騒ぎして、帰宅して、当たり前のように夜を迎える。
これが毎日続いていた。
だから、明日も同じだと勝手に思い込んでいた。
4.一変
午前3時。けたたましく鳴る風の音と瓦礫の崩れる音で、塩谷は目を覚ました。
(…竜巻…か…!?)
凄く嫌な予感がした。
音はすぐ近くまで段々と迫ってきている。寝ている暇などない。一刻も早くこの場から逃げなければ。
『父さん母さん起きろ!!竜巻が来てる!!』
塩谷は急いで布団から飛び起き、隣の部屋で並んで寝ている両親の元へ向かった。そうしている間にも音はますます強くなっていく。両親は眠い目をこすりながらやっと起きた。
『なに…?竜巻…?』
『外の音だよ!ただ事じゃねぇぞ!!とにかく早く逃げ─』
ドガァ!!!
その瞬間、塩谷の言葉を遮るように一気に家の壁が吹き飛んだ。
『…ッ…!!』
もの凄い勢いで次々と窓ガラスが割れ、家中に暴風が吹き込む。塩谷は飛ばされないように物に掴まるので精一杯だった。両親も必死に風圧に耐えている。
『っく……ぁッ…!!』
手が痺れ、掴んでいた柱から手が離れた。自身の身体が宙に舞い、ぽっかり空いた窓から投げ出される。
ガシャァァァン!!!
その投げ出された瞬間に、家が潰れ、瓦礫と化した。風の渦にあっという間に飲み込まれていった。
まだ中には両親がいた。
『父さん!!母さん!!!』
塩谷の伸ばした手は何も掴むことなく空を切った。空中に浮いた状態でふと視界に入ったのは、荒れ狂う音の元凶。
『台風…!?』
どす黒い渦を作り出し、次々と建物を破壊していたのは、巨大化した台風の悪魔だった。
塩谷はその渦に巻き込まれ飲み込まれ、そのまま意識を失った。
5.事実
どれほどの時間が経ったのだろう。目が覚めたときにはもう朝日が昇っていた。
『……』
山のように積み上がる瓦礫の上に仰向けの状態で寝ていたらしい。身体中切り傷だらけで血が滲んでいる。とても痛い。
『ッ!!父さん!!母さん!?』
ハッキリと意識を取り戻した塩谷は両親の存在を思い出し、思い切り跳ね起きた。同時に強烈な目眩を引き起こす。
転びそうになりながらも瓦礫の山を滑り降り、”居間だった場所”の前で立ち止まった。
塩谷は息を飲んだ。
床、壁、天井。あらゆるところに大量の血が飛び散っていて、辺り一面地獄絵図と化していた。
その事実はどれだけ鈍感な人でも、一目見れば直感ですぐに分かるほどだった。当然塩谷もそれを察した。
両親は死んだ。
『…や……おや…』
遠くから声が聞こえた。でも動けない。全身に力が全く入らず、唯一壊れずに残った太い柱に寄りかかって立っているのがやっとだ。
誰かに呼ばれた気がする。誰かに─
『塩谷!!!』
『ッ!』
後ろから誰かに腕を掴まれたことでやっと我に返った。塩谷はゆっくりと振り返る。
『…竹内……村中……!』
背後に立っていたのは、塩谷と同じく全身傷だらけの血まみれ状態の竹内、村中だった。2人はどこかで強打したらしく、揃って頭部から血を流している。
『塩谷……塩谷…』
本当なら再会を喜び合いたい。だが何故だかそれができなかった。2人とも酷く顔を歪めて塩谷の名を呼び続けている。声が上手く出ない。
『塩谷……っ俺…俺らっ……とっ…父さんと母さんが…っ…』
竹内が消え入るような声、呂律の回らない舌でそう呟き、ボロボロと涙を流し始めた。
『しっ…塩谷は…塩谷は……』
村中に言われたことでやっと状況を理解した。
気づけば、塩谷も大粒の涙を流していた。
『おれんちも…しんだ…』
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