今日は俺の人生が決まる、最悪な日。
鍛冶師として名をはせてきた俺の曽祖父。時代は進み、名家として成り上がった俺の家系は、新たな事業拡大のため、政略結婚という手段を持ち出した。
それが、よりによって俺なのである。
はっきり言って、絶対に嫌だ。なぜなら、俺には幼少から想いを寄せる人がいたからだ。
しかし、それはもう叶わない。
政略結婚うんぬん関係なく、二年前にその人は不慮の事故でこの世を去ったのだ。
だからと言って、政略結婚に応じるなど言語道断!
誰か、どうにかならないものか。
今目の前にいるこいつもまた、名家の生まれ。
端麗な顔立ちで、寄ってくる男は数知れず。だが俺は惑わされない。俺は知っているぞ、こいつのとてつもなくわがままで自分勝手な性格を。
「結婚したら、もちろん家事全般はあなたがやってくださるのよね?」
「え、え?」
「何? この美しい私の言う事が受け入れられないのかしら?」
勘弁してくれ。自分で『美しい』なんて言う女、痛すぎるだろ。
「いや、そうじゃなくて、やっぱりそういうのは分担というか……」
「分担? なぜ私があなたに譲歩しなくてはならなくて? 理解に苦しむわね」
間違いなく奴隷になる未来が見える。こいつに話は通じないようだ。
「あのお、美梨愛さん。そろそろ名前で呼んでもらっても……」
「名前? ああ、名前なんてあったのね。というか、気安く呼ばないでもらえる?」
名前すら呼んでもらえない。それどころか、こいつの名前を呼ぶことも許されないとは。
美梨愛の一方的な会話を聞き流し、縁談は終了。そもそもこんなのはお飾りで、俺たちが結婚することは決定されている。
「あんな奴と結婚したくない!」
俺は一人、部屋で叫んだ。そして、冷たい布団に潜り込む。
あの人が生きていたら、俺は今頃、幸せな結婚を掴んでいたかもしれないのに。
目が覚めた。いつの間にか眠りについていたようだ。
季節は冬、のはずだが、なぜか着ているのは夏服。寝る前は確か、もこもことした分厚いローブを着ていた記憶がある。
「なんか、暑いな」
室内を照りつける日差し、まるで、いつかの夏の日を追体験しているような。このだるい感覚を、俺は知っている。
「今何時だ?」
近くに放り投げられていたスマホに目をやる。電源ボタンを押し、表示された日時を見た俺は目を疑った。
「八月……に、二年前!?」
まず季節が変わっていることに驚き、その後、ホーム画面に表示されているカレンダーの年が、二年前に遡っていることに気が付いた。
「どういうことだ……そうだ、母さんたちは……」
俺は状況を整理するため、居間にいるであろう母さんのもとへ駆けつけた。
「慎悟、そんなに慌ててどうしたのですか?」
和服に身を包んだ聡明な姿が、俺の目にうつる。母さんは俺を、不思議そうな目で見つめている。
「い、今、俺は何歳だ?」
「何を言っているのです? 十七の歳になったばかりでしょう?」
おかしい。政略結婚をするはずだった俺は、二歳若返ったというのか。
「政略結婚は? 美梨愛さんは?」
母さんは俺の言葉に目を見開いた。
「本当におかしな子ですね。美梨愛さん、金森家のご令嬢でしょう。結婚なんて話、一度もした覚えがないですよ」
嘘をついている様子もない。これはもしかして、そういうことなのか?
「二年前に……戻ってる……」
「呆けたことを言っていないで、早く学校に行きなさい」
そうだ。本当に過去に戻っているなら俺は今、高校二年生ということになる。まだあの人が生きている、青春の真っ只中の夏。
「ご、ごめん、寝ぼけてたみたいだ。急いで支度する!」
俺の強い思いがそうさせたのか、理由なんてどうでもよかった。
これはチャンスだ。神は俺に言っている、あの人を死から救い出せと。
「菅野さん!」
学校に着いて、中庭の花壇にいる想い人に声を掛ける。
「篠崎くん……?」
カラフルな花々にジョウロで水をあげるその姿は、まるで舞い降りた天使のよう。長い髪を耳にかけ、俺の声に反応する。
「お、おはようございます! 俺、手伝いますよ!」
彼女は菅野園実。俺より一つ年上の先輩だ。入学してすぐ、花壇の手入れをしていた彼女に、俺は一目惚れした。
「ありがとう。もうすぐチャイムが鳴っちゃうから、助かるよ」
俺は高校生活の全てを、彼女との関係発展に費やしていた。しかし、このままいけば、彼女はまた、不慮の事故で亡くなってしまう。
俺は考えた。彼女を救うためには、どうしたらいいのか。
放課後、彼女を中庭に呼び出し、話を持ちかける。
「菅野さん……俺、話したいことがあるんです」
「どうしたの? 大事な話かな?」
きょろきょろと周りを気にする彼女は、少し緊張しているようだ。
「あの、今日から俺と一緒に帰りませんか?」
「え?」
彼女は甲高いうわずった声を出し、口に手を当てる。俺たちの間に、気まずい空気が流れていく。
「ダメですかね」
「い、いいよ! 一緒に帰ろう!」
俺はそっと胸を撫でおろした。
彼女の家は、俺の家までの道中にある。彼女が家に着くまで一緒にいれば、何かあっても防げるかもしれない。
楽しい話の後、彼女は少し不安そうに口を開いた。
「実は、最近誰かに見られているような気がして」
俺は未来を知っている。だからこれが、彼女の杞憂だと思えなかった。
「そういうことなら、俺が探ってみます!」
そこから毎日、彼女と一緒に帰るたび、俺は辺りを注意深く観察する。
そして、鋭い視線をどこからか感じるようになった。
一体誰が、何のために彼女を狙っているのだろう。
「菅野さん、後ろに誰かついてきているみたいです。あそこの角を曲がって待ち伏せしましょう」
「う、うん……」
不安そうな彼女は、横を歩きながら、俺の服の裾を掴んでいる。
これは、頼られている……!
いやいや、自惚れている場合ではない。もうすぐ曲がり角だ。
俺たちは角を曲がり、さっと身を隠す。
黒服の誰かがこちらに近づいてくる。俺は背中に彼女を隠し、しっかりと守る姿勢をとる。
俺たちを突け狙うのは一体誰なのか。その正体は予想外なものだった。
「こ、狛沢……?」
「慎悟様……気づいておられたのですか」
狛沢は篠崎家に仕える執事、俺の世話係だ。そんな狛沢が、なぜここに?
「何してるんだよ。菅野さんが怖がってるじゃないか」
「お言葉かもしれませんが、慎悟様にはもっと相応しいお方がおられるはずです」
「狛沢、もしかしてそれで菅野さんに危害を加えようとしているんじゃないよな?」
細い目を大きく見開いた狛沢は、否定しなかった。
「篠崎くん……この人は?」
「俺の家の執事です。菅野さん、ここから一人で帰れますか?」
「うん。もうそこだから、大丈夫だよ。ありがとう」
俺は彼女を見送り、目の前に佇む狛沢と、決着をつけるために話をする。
「車の事故に見せかけた暗殺、そうだよな」
「そこまで見抜いておられるのですね。返す言葉もございません」
「どうして、どうして彼女なんだ!」
怒りが抑えられない。不慮の事故だと思っていたことが、まさか身内の仕業だったなんてな。
「慎悟様が金森家のご令嬢とご結婚なされば、篠崎家は安泰なのです」
「母さんはそんな話、一言もしてなかったぞ」
「そうですね。あくまで、私の願いですから」
篠崎家では、執事であってもかなりの権力を持っている。執事長の狛沢は、篠崎家に口出しできるほどの立場にいるのだ。
「お前の愚行、俺は許さないからな」
「それは非常に残念、篠崎家の未来を楽しみにしていたのですがね」
その表情は悲しいより、悔しそうに見えた。
俺は狛沢の件を母さんに全て話した。
狛沢は解雇となり、平穏が訪れた。これでもう、菅野さんが事故で死ぬことはない。俺は彼女の未来を守ったのだ。
あの一件以来、彼女と俺は親密な関係になり、よく一緒に過ごすようになった。
「私、好きな人がいるの」
その言葉に心が動いた。俺か、もしくは他の知らない野郎か。
「この前、彼氏と別れたばかりで、それで悲しい時にそばにいてくれたのは、篠崎くん、あなただった」
心臓の鼓動がどんどん強くなっていく。
「だから、私とこれからも一緒にいてくれますか?」
そんなの、答えは最初から決まっている。
「もちろん! 俺が菅野さん、いや、園実さんを守ります!」
「ふふ、篠崎くんは頼もしいね」
そこからの日々はとても楽しかった。
学校のお昼休みには一緒にご飯を食べ、放課後には一緒に下校し、休日には遊園地に遊びに行ったりもした。
そんなある日、俺は彼女にファッションを見てもらいたく、慣れない自撮りをしていた。
するといきなりスマホ画面にエラーが表示され、知らない奴からメールが届いた。
『お前の自撮りは保存した』
その内容に俺は青ざめ、すぐに名家の力を使って犯人を特定した。
幸い犯人はすぐに捕まり事なきを得たが、結局自撮り写真は恥ずかしいので消すことにした。
別の日には映画を観に行った。
ラブシーン満載の恋愛もので、ポップコーンを食べながら気を紛らわす。
彼女も気まずそうに、ポップコーンばかり食べている。
同時にカップに手を突っ込んだ結果、ちょっとだけ彼女の手に触れることが出来た。
幸せな日々は突然幕を閉じた。
彼女は、菅野園実は不慮の事故で亡くなった。
俺は仕組まれていたのではないかと調べたが、そんなことは一切なかった。
過去に戻ってきてまで俺は、幸せを掴めなかったのだ。
あれから数日が経った。
もう何も考えられない。
なんなら、またあの嫌な政略結婚を持ち込まれるかもしれない。
もうどうにでもなれ、俺がそう思っていた矢先、玄関のドアが開いた。
「慎悟、元気にしてたか」
「と、父さん?」
離婚して篠崎家を追い出されたはずの父さんが、俺を訪ねてきた。
「お前、アイドル興味あるか?」
「急になんだよ」
「慎悟は意外と顔立ちがいいからな、アイドルに向いてるんじゃないか? どうだ、やってみないか?」
父さんは会社を経営していて、アイドルを募集しているらしい。
だからって、実の息子をスカウトにくる父親がどこにいるんだ。まあ、やらないとは言っていないが。
俺は結局、父さんのごり押しでアイドルになり、歌やダンスを練習した結果、今ライブとして武道館に立っている。
いきなり過去に戻されて、やり直した結果は、望んだものとは違う。
でも、政略結婚は阻止できたし、少しだけ彼女と楽しいひと時を過ごせた。
逆らったのは、間違いではなかったのだ。
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