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玄野が横からスクリーンを覗き込みながら言う。
「どうして分かるんですか?」
「昼間、アキヒトに位を譲ったと言っていただろう。今が1130年ごろだとすれば、アキヒトという『イミナ』、つまり本名を名乗った天皇は崇徳天皇しかいない。その人に譲位したのなら、その父親の鳥羽上皇という事になる」
今度はフーちゃんが身を乗り出してきた。陽菜は相変わらずリュックの中の非常食を漁っている。
「でも、ずいぶん若く見えましたけど、あの方……やはり皇族っていい暮らししているから、実年齢よりも若く見えるんでしょうか?まだ30代後半ぐらいにしか見えません」
「いや、ほんとに若いんだよ」
明雄がスクリーンを見ながら答える。
「資料が正しければ、今27歳だな、あの上皇様」
フーちゃんと玄野は同時に叫んだ。
「27歳?!」
明雄が唇に指をあててシッと二人をいさめる。
「ああ、5歳で即位して二十歳で退位して上皇になっている。いや、僕も上皇なんて言うから、もっとよぼよぼのおじいさんを想像していたよ」
「え、と言う事は」
玄野は別の意味で驚いていた。
「あの人っていうか、上皇様だっけ、あの人若く見えているんじゃなくて、老けて見えているんですか? フーちゃんが言ってたように、30代に見えますよね?」
「この時代は平均寿命が短いからね」
明雄はタブレットPCをリュックにしまいながら答える。
「それに、陽菜のセリフじゃないが、都の貴族だってろくな物を食べていない。栄養状態も悪いから、この時代の人たちの年齢の感覚は僕らの時代、21世紀のそれに比べると5割から6割増しってところなんだろうな。21世紀の10歳はこの時代の15歳、二十歳なら30歳という風にね」
その夜上皇は屋敷になかなか戻らなった。陽菜たちは日が暮れてしばらくは待っていたが、蝋燭どころか小さな皿の上に乗った油を細い芯で灯すだけの薄暗い照明しかない屋敷の中ではする事もなく、驚きの連続の一日だったせいか自然とまぶたが垂れ下がってきて、いつの間にか全員眠りこんでいた。
翌朝、薄い御簾が垂れ下がっているだけで開けっぱなしに近い部屋に差し込む朝日の光で目を覚ました陽菜は、近くにフーちゃんがいないのに気付いた。板張りの床を這うように廊下へ出ると、庭園の池の端あたりから男女の声が聞こえた。
そちらを見ると、あの若い上皇とフーちゃんが庭の池のほとりに並んで座りこんで何やら楽しそうに話をしていた。上皇の手には半分広げた紙の巻物が載っていた。陽菜が耳を澄ますと二人のこんな会話が聞こえてきた。
「だからね、上皇様。この荘園で米を作って、そっちの荘園では麦を作ればいいんですよ。そして貢物の量をこっちが十石ならそっちは十五石にすれば、領民の負担は同じぐらいになるでしょ?」
「なるほど、なるほど! そちらの水の乏しい土地の荘園からも米を上納させていたのが悪かったという事であるか?」
「はい。一口に荘園と言っても、水とか土の良し悪しとかいろいろ違いますから」
「では、山奥の荘園であれば他の作物を上納させてもよい事になるか。その分量を多くすればよいはずじゃな?」
「そうですね。ほら、昔から五穀豊穣と言いますでしょ? 五穀のうち一種類だけに偏るから不作になる時は全ての荘園が不作になってしまうのです。上皇様は豊穣を祈願する神官でもいらっしゃるんですから、これぐらい気付いて下さらないと困ります」
「あ、あははは、いや、これは一本取られたのう! これ、是清!」
上皇がそう叫ぶと、どこに潜んでいたのか、一人の貴族らしい狩衣姿の年老いた男が上皇の元へ走り寄った。上皇は筆で巻物にさらさらと何かを書きつけると、その貴族に渡した。
「これを御所に届けよ。いや、この娘、見かけどおりただ者ではない。朝廷のボンクラ公卿どもが三年がかりでも解けなんだ難問を半時とかからずに、あっさり解決してみせおった。これで荘園の領主との争いは落着のはずじゃ」
「はは、お上! かしこまりましてございます」
巻物を受け取った老貴族はそのまま屋敷の門へと走り去っていく。上皇は上機嫌でフーちゃんの方に顔をよせながら言った。
「そなたのように美しく、しかも知恵に優れた者をいつまでも放ってはおけんのう。今宵にでも、そなたの寝所へ忍んで行くとするか?」
フーちゃんもニコニコほほ笑みながら答える。
「あら、上皇様。わたしはまだ歌の一首もいただいておりませんよ。最低でも三日は歌の一首も抱えて通いつめるのが、都人の習わしではございませんか?」
「ホ、ホホホ、あははは! これはまた一本取られた。いやいや、タマモには八百万の神もかなうまい。では出直すとしよう。朕もそろそろ御所へ出向かねばならんでの」
「では、上皇様」
そう言って未来人の少女は着物の下の銀色のスーツのポケットから、小さな箱を取り出しパカッと二つに開いた。そしてその中にあるピンポン玉ほどの大きさの丸い球体を上皇に向けて差し出した。
「これをわたしだと思って、肌身離さず持っていて下さいませ」
「ほう。これはまた美しい物であるな」
上皇はその球を手に取り、ためつすがめつ見つめた。
「黄金(くがね)にはあらず、かといって銀(しろがね)でもないのう。両方を合わせたような色じゃ。それにしても見事なまでに丸い形をしておるのう。しかもこの表面、まるで鏡じゃ。このような珍しき物、宮中でも見た事がない。タマモよ、これは何じゃ?」
「それがわたしも詳しい事は。我が一族の家宝とだけ聞いておりまして。東国を逃げるように去る時、あわてて持ち出したものですので」
「そのような大切な物を朕が持ってよいのか」
「はい、お守りとでも思って肌身離さずお持ち下さい」
「おお! 無論じゃ。これがあれば片時たりともタマモの事を忘れんでな」
上皇は上着の袂から布を取り出し、その球をくるんで大事そうに胸元にしまった。そして立ち上がり、名残惜しそうにフーちゃんの元を去った。フーちゃんはまた池の側に座ってぼんやりと空を眺め始めた。