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君にだけ、氷の微笑

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君にだけ、氷の微笑

22 - 第17章:氷室の苦悩2

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2025年09月30日

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住宅街に入ると俺たちの間に、夕方の涼しい風が静かに滑っていった。

家までの道を半分ほど歩いたところで、氷室が唐突に足を止める。街灯のオレンジ色が、彼の髪と肩を柔らかく縁取っているのが目に優しく映った。


「……奏。昨日、神崎と昼休みに話をしたこと、俺に教えてくれただろう?」


不意を突かれて、思わず足が止まる。


「うん、そうだね」

「帰り道に奏から話を聞いて、いろいろ思ったことがあったんだが……あの時、君が随分と落ち込んでいたのもあって、うまく言葉にできなかった。本当はもっと慰めた言葉をかけたかったのに、俺には余裕がなくて――」


氷室はそれ以上はなにも言わず、ふたたび歩き出す。けれど、その横顔にはどこか影が差していた。


「神崎のこと、嫌ってるわけじゃない。でも……アイツと話す君の顔を見ると、胸の奥がざわつく。怖くなるんだ」


告げられた”怖い”という言葉が意外だった。氷室にとって「怖い」は敵意や怒りではなく、もっと別の意味を含んでいるのだろうか。


「なんで怖いの……?」


氷室はしばらく沈黙し、それから低い声で言った。


「俺は……人を信じるのが、もともと得意じゃない。神崎みたいに、心の奥を隠したまま笑えるヤツを前にすると……昔を思い出す」

「なにを思い出すのかな?」


優しく問いかけると、氷室はまぶたを伏せ、ぽつぽつと語った。


「小学生のときに使ってた、練習ノートに並んだ真っ赤な×印と、それを見た母の顔。俺がなにかで失敗したとき、同級生の笑顔の奥に潜んでいた視線。どれも声はないのに、ただ“離れていく”という予感だけが妙に頭に残っている」


語るたびに、氷室の横顔は少しずつ暗い色を帯びていく。俺はどう声をかけていいのかわからず、気づけば氷室の腕に縋りついていた。


「神崎が……ああいう感情を持つ人間が、俺の傍にいる大事な人に近づくのは、どうしても警戒してしまう」


冬の入り口を告げるような冷たい風の中で、俺たちは少しずつ言葉を重ねていく。氷室は、ほんの僅かに歩幅を速めた。まるで、この話から逃げるように。俺は必死に、その歩幅に合わせる。


息を切らしながら、横目で見た氷室の顔には完璧さの奥に、子どもの頃から積もり続けた孤独と緊張が見え隠れしていた。


俺は氷室を安心させたくて小さく息を吸ってから、大きな声で告げてやる。


「蓮……俺は大丈夫だからね。蓮から離れたりしないよ」


ハッキリ言ってのけたのに、声が少しだけ震えてしまった。


氷室はなぜか返事をしなかった。ただ次の角を曲がったとき、腕に縋りついていた俺の手を外して、そっと握りしめる。その手のひらは冷えているのに、冬の朝、冷たい空気の中で差し出された湯飲みのぬくもりのように、深く安心させる温度に感じた。


俺の家の近くまで来ても、氷室は俺の手を離さなかった。つないでいる彼の指先だけが冷たすぎて、不思議と離れたくない温度をしている。それがあまりにかわいそうで反対の手を添えて、あたためてあげた。


「……蓮、冷えてるよ」


何気なく言うと、彼は僅かに笑った。


「俺、昔から手先が冷たいんだ。空気が冷たくなると特にな」


その笑顔はいつもより淡く、夜の色を帯びている。沈黙が少しだけ流れたあと、氷室がぽつりと口を開いた。


「さっきの話……まだ続きがある」


歩く足が自然と緩む。目と鼻の先に、俺の家が見えたせい。


「完璧でいるように求められてたって言ったろ。……家では、もっとなんだ」


街灯の明かりに照らされた氷室の横顔が、さらに影を落とす。


「父は仕事一筋で、母は常に“正しい子”を求めた。成績や態度、言葉遣い……。褒められるのは、誰にも負けない結果を出したときだけだった」


氷室の声は穏やかだったけれど、その奥には冷たい冬の空気のような孤独が混じっていた。


「蓮は偉いね。俺はそんな環境……絶対に耐えられないな」


思わずぼやいた俺の言葉に、氷室は苦笑いを浮かべた。


「その環境に慣れてしまえば、どうってことないんだ。トップを目指すべく、ただ黙々と勉強をこなして、毎日を過ごしていく。同じことを繰り返せばいい、それだけなのにな……」


言葉が途切れる。俺は握っている手に、少しだけ力を込めた。


「蓮……」

「……いや、今こうして君に話していること自体が、俺にとってはもう十分に大げさなのかもしれない。でも、そのうち“失敗しない自分”を演じるのが、癖みたいになった」


緩やかに息をはいて、氷室は俺を見た。切なさと悲しみが混在している眼差しに、イヤでも胸が痛んでしまう。


「だから奏といると、ちょっと不思議なんだ。俺が弱いところを見せても、君は逃げないだろう?」


胸がぎゅっと詰まる。俺が隣にいて、氷室を守りたい――そんな思いが自然に湧き上がった。


「俺は逃げないよ。そんなの当たり前じゃないか」


それだけ言うと、氷室は小さく「ありがとう」と返した。その声が、ほんの少し震えているように聞こえた。


氷室の胸の内を聞いた夜道は、思ったより早く終わってしまった。家の前まで来ると氷室から手を放し、ほんの少しだけ名残惜しそうに笑った。


「じゃあ、また明日」

「うん……おやすみ、蓮」


別れて玄関の扉を閉めたあとも、手のひらに残る冷たいぬくもりは消えなかった。その感触は、冷たさなのに不思議と心をあたためてくれる。氷室の弱さに触れられた夜は、俺にとってなにより特別な夜になった。

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