私とリズは一旦釣り小屋で待機することになった。小屋の中に入って間もなくして、リズが泣き出してしまう。私自身もかなり動揺していたのだけれど、隣でしゃくり上げるリズを見ているうちに、何故だか頭の中は変に冷静になっていく。
部屋の隅にあった長椅子に彼女を座らせると、私もその横に腰を下ろした。リズの手を握り、背中をさすってあげる。しばらくして、ルイスさんが小屋に戻って来た。私達が座っている椅子まで近寄ると、彼は泣いているリズの頭を優しい手付きで撫でた。
「姫さんは大丈夫? 気分とか悪くなってない?」
大丈夫だと頷くと、彼は『そっか』と安心したように呟いた。表情はとても険しくて、周囲に重苦しい空気が漂っている。さっき釣り堀で起きた出来事を考えれば当たり前だ。
「リズが落ち着いたら、すぐに王宮へ帰ろう。ごめんね……こんなことになって」
「いいえ……。あの、レナードさんは?」
「あいつは生簀の周りを調べてる。ちゃんと詳しく調査しなきゃ分からないけど、多分事故だと思うよ」
「事故……」
生簀の中から見つかった遺体は、この釣り堀の管理人さんだった。私が釣り上げた猫の刺繍の帽子は、その管理人さんがよく被っていたお気に入りの物だったそうだ。大人の男性が被るには些か可愛らしいその帽子を、レナードさんはよく覚えていたのだという。
「レナードの話だとここの管理人……かなりの飲んだくれらしくてね。昼間から酒瓶抱えてご機嫌だったんだって。ただでさえ水場は注意して歩かなきゃいけないのにね……」
室内をよく見てみると、釣り道具に混じってお酒の瓶らしきものが転がっていた。管理人さんが酒好きというのは本当みたい。
酔っ払って足を滑らせてそのまま……というのがおふたりの考えだ。生簀は足を踏み外して落下してしまっても、大人なら上によじ登ることができる。しかし、それはあくまで正常な状態ならという前提だ。泥酔して足元がおぼつかなくなっていたのだとしたら……底に足がつかない生簀でパニックになり、溺れてしまっても不思議ではない。
「落ちた時に周りに人がいなかったのも運が悪かったな。巡回の兵士でも通りかかってくれてたら、助かっていたかもしれないのに……
」
冷たい水の中で苦しくて怖かっただろうな。本人の不注意だったとしても、亡くなった時の状況を想像すると胸が痛くなる。
その時、入り口のドアノブを回す音がして、私達は一斉にそちらに振り返った。小屋に入って来たのはレナードさんだった。ルイスさん同様、表情は固い。普段の和やかな雰囲気はすっかりなりを潜めてしまっている。彼は管理人さんとそれなりに交流があったのだ。私達よりもショックは大きいに違いない。
「レナードさん、あの……管理人さんのこと、お気の毒でした」
「酒は控えろって何度も言ってたんですけどね……」
こんな時なんて声をかければいいのだろうか。私はそれ以上何も言うことができなくて俯いてしまう。レナードさんは私の側へ歩み寄り膝を折ると、下から見上げるようにして顔を覗き込んだ。
「彼の死に心を痛めて下さるのですね。あなたとリズちゃんには、辛い所に立ち合わさせてしまいました。今日はもうルイスと一緒に王宮にお戻り下さい。後の事は私に任せて……」
「はい……」
「ルイス、ふたりをお願いね。王宮へ着いたらクライヴに報告して。それと……」
私との話が終わると、レナードさんはルイスさんの方へ行ってしまった。何となく部屋の壁にあった時計を眺める。時刻は13時になるところだった。お昼はとっくに過ぎていた。持参したバスケットの中にはお弁当が入っている。せっかく用意して貰ったのだけれど、今は食事をするような気分には到底なれなかった。
「クレハ様、すみません……わたし……」
「どうして謝るの? リズ」
泣いていたリズが私に話しかけて来た。会話ができる程度には落ち着いたようで良かった。しかし、その顔は悔しそうに歪んでいた。
「クレハ様、リズは情けないです。クレハ様が気丈に振る舞っておられるのに、側仕えの私がこんな体たらく……本来なら私がクレハ様を支えてあげなくてはならないのに」
彼女は主人である私を差し置いて泣き喚いたことが相当不本意だったようだ。そんなの気にしなくていいのに……
「はぁ!? 事故じゃないかもって……どういうことだ」
リズを宥めていると、ルイスさんの声が耳に飛び込んできた。驚いて彼の方を見る。ルイスさんも『しまった』というような顔をして私達を見ていた。今、事故じゃないって言ったよね……だったら管理人さんは……
「なにやってんの……」
「わりぃ」
レナードさんは額に手を当て、呆れたようにルイスさんを窘めた。さっきルイスさんが大声で言ってしまった内容は、私達に聞かせるつもりではなかったのだろう。
「少し気になることがありましてね。でも、今の時点では何とも……色々な可能性を視野に入れて調査しなければなりませんから」
「ふたりが心配するような事は無いから。リズも泣き止んだみたいだし、俺たちは先に王宮へ帰ろうか」
リズの様子を見て、ルイスさんは帰り支度を始めたので私達もそれに続いた。リズは私の頭に帽子を被せる。必要最低限の荷物だけを持ち、私は椅子から立ち上がった。
釣り小屋から出ると、少し強めの風に煽られる。また帽子を飛ばしそうになってしまったので、手でしっかりと押さえた。ちらりと生簀の方へ視線をやると、私達が釣りをしていた場所に大きな布に包まれた物体が横たわっていた。あれはきっと……亡くなった管理人さんだ。私はすぐにそこから目を逸らしたのだが、逸らした先に人影を発見してしまい、心臓が止まるかと思うほどに驚いた。
「おっ、女の子……?」
生簀へと繋がっている桟橋の手前に10代半ばくらいの少女が立っていた。黄色の髪に黄色の服……全身を黄色で統一した少女は、小屋から出てきた私達をじっと見つめている。王宮で働いてる子かな。それとも誰かの家族? この子も釣りをしに来たのだろうか。だとしたら事情を説明して帰って貰わなくては……今はとても釣りなんてできる状態ではないのだから。
「……ルイス」
「ああ……」
ルイスさんはレナードさんの呼びかけに頷くと、腰に携えている剣を握った。そして、私達へ後ろに下がれと命じる。彼のまとう空気が刺すようにピリピリしている。訳が分からないまま、私はリズと一緒にルイスさんの後ろへ隠れた。
黄色の少女に向かってレナードさんが一歩踏み出した。そのままニ歩目三歩目とゆっくりと距離を詰める。レナードさんが長身ということもあるけど、ふたりが並ぶと少女の小柄さが更に際立った。
「こんにちは、お嬢さん。ここで何をしているのかな?」
私達とレナードさんとの距離は数メートルも離れていないので、会話の内容ははっきりと聞くことができた。彼は少女に挨拶をしている。少女はレナードさんに声をかけられると、私達を見つめ続けていた瞳を彼の方へ向けた。
「今日は釣り堀には入れないよ。だから申し訳ないけど、帰って……」
彼はその言葉を最後まで言うことはできなかった。一瞬だった。少女の右手辺りから槍のようなものが飛び出して、レナードさんの顔を貫こうとしたのだ。少女は武器なんて持っていなかったのに……私は息を呑んだ。レナードさんは体を横に反らし、すんでの所で攻撃をかわした。そしてすぐさま剣を抜き、伸ばされた少女の右腕をためらいもなく切り落としてしまった。
「ひっ……!!」
衝撃的な光景を目の当たりにし、リズが小さく悲鳴を上げた。そんな私達に追い討ちをかけるように、更なる衝撃が襲う。腕を切られたというのに、少女からは血が全く出ていないのだ。地面に転がる少女の腕を見ると、信じられないことに腕自体が長い針のような形をしていた。少女は隠し持っていた武器で攻撃したのではなく、自身の腕を針状に変化させていたのだ。痛みも感じないのか、切断された腕の断面を無言で眺めている。
「動くな。次は首を斬る」
レナードさんの警告も意に介さずといった様子で、少女は着ている服のポケットをかざごそと漁りだす。そして、白い紙束のような物を取り出した。その瞬間、レナードさんは少女に向かって斬りかかった。宣言した通り首を狙い勢いよく……しかし、先程の腕のように切断することは叶わなかった。少女の体はぐにゃりと形を変え、まるで水飴のようにドロドロになってしまった。首なんてもうどこにあるか分からない。ここまできたら疑いようがなかった。
「人じゃない……?」
「ふたり共、小屋に戻れ!!」
ルイスさんが叫んだ。リズは硬直したように動けなくなってしまっていた。私はリズの手を引っ張り、さっきまでいた釣り小屋に向かって走り出した。
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