テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
「ほら!」
羽理の方を向いたと同時、湿っぽくて柔らかな肉球を鼻先へ押し当てられた大葉は、そのことに驚かされてしまう。
そうして、嗅ぐつもりはないのに吸い込んでしまったピンク色の肉球の香りは――。
「おい、こっちも全然変わんねぇじゃねぇか!」
やっぱり唾くさかった。
それもそのはず。
毛皮の額から唾液臭がしたのは、その手をしっかり舐め舐めして顔洗いした結果なのだから。
「えー、嘘っ」
大葉の言葉に異議あり! という顔をして、抱き直した毛皮の肉球に鼻を寄せた羽理が「あ……、ホントだ」とつぶやいた。
「だろっ!? だから今はきっとこっちんが……」
言いながら大葉は羽理が抱いた毛皮のもっふもふタプタプのお腹に顔を埋めて。
「ほら、形用はし難いにおいだが、ここなら唾臭くない」
スンスンしてから羽理に告げた。
「形用し難いって……手抜きしないでちゃんと説明して下さいよぅ」
言うなり羽理は大葉と同じように毛皮のお腹に鼻を埋めて「んーっと、これは……〝お日様のにおい〟です!」と言い切る。
「太陽のにおいなんて嗅いだことねぇから分かんねぇわ!」
「何それ、自分の名前に引っかけたダジャレですか?」
途端ブハッと笑った羽理が、意地悪くそんなことを言うから。
「んなわけあるか!」
と答えた大葉だったのだが。
「あらぁ~、屋久蓑さんったらうーちゃんと対等に渡り合ってぇー。ホント面白い方ね♥ 私、そういう人、嫌いじゃないわ♪」
のほほんと間延びした声が聞こえてきて、大葉は今更のようにここが羽理の実家の玄関先で――あまつさえ羽理の実母と祖母の目の前だったことを思い出してハッとした。
「あ、あのっ、すみません。これは――」
つい荒木一家の、何とも言えない風変りな空気感に呑まれてしまっていたことに慌てる。
動揺の余り、振り回した腕に掛けられたままだった『あんころポーネ最中』の紙袋が、右に左にぶらぶら揺れてガサガサと音を立てた。
「わしはてっきり今日屋久蓑さんが来たんは『お嬢さんを俺に下さい!』かと思うちょったんじゃが、違うたんかの?」
その姿を見て羽理のおばあさまがしたり顔でククッと笑う。
「もぉ、おばあちゃん、屋久蓑さんにもタイミングっていうのがあるでしょう!」
そのタイミングを崩しまくったのは他ならぬ彼女たちなのだが、その辺はキッチリちゃっかり片隅に追いやって、乃子にまでクスクス笑われてしまった。
その展開に、大葉はグッと言葉に詰まったのだが。そんな大葉の横で、毛皮を抱いたままの羽理が
「あれっ? ひょっとして私、今日の訪問理由、猫吸い以外にもちゃんと伝えられてたりした!? わー、だとしたら朝大葉にお小言いわれて損しちゃったぁー」
毛皮をモフモフしながらいや、お前の記憶力大丈夫か!? という発言をする。
「うーちゃんはそんな出来た子じゃないでしょう?」
「わしも乃子から『りっちゃんの彼氏が猫吸いしに来る』としか聞いちょらんわな」
二人に呆れた顔をされた羽理が「二人してまたそうやって私を出来ない子みたいに言うー」とぶつくさ言っているのを横目に、大葉はやっと心の整理が出来てきた。
(考えてみりゃ、当たり前だよな)
スーツ姿でネクタイまできっちり巻いて、手土産まで持参した――恐らくは結婚適齢期な娘(孫)の彼氏が、そこそこ遠方にある彼女の実家を訪問しているのだ。
最初からその意味を理解していないわけないではないか。
「あの……」
居住まいを正した大葉が恐る恐る口を開いたら、
「とりあえず玄関先で立ち話もなんじゃ。家ん中へ入りんちゃい」
おばあさんがスッと横へ避けて、上がるように促してくれた。
コメント
1件
たいようってばすっかり空気に飲まれちゃって(笑)