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黒いナノマシンは、ただの群体ではなかった。 細い触手のように伸び、鋼鉄をも容易く絡め取ろうと、ヴァルヘッドの車体へと襲いかかる。
「くそっ、化け物め!」
ボリスが機銃を乱射する。火花と炸裂音が触手を砕くが、すぐに再生しては再び伸びてくる。
レナの荷電粒子砲が閃光を走らせる。撃つたびに触手の群れは焼き切られ、煙を上げる。
だが、それも一瞬の抑止に過ぎない。群れは絶え間なく湧き出し、ヴァルヘッドをじわじわと包囲していく。
「下がるぞ!」
カイがギアを叩き込み、ヴァルヘッドは重い車体をきしませながらバックで逃走を始めた。
砂塵を巻き上げ、後輪を引きずるように後退していく。
しかし触手の群れもまた地面を這い、背後から追いすがる。
まるで後退の軌跡をなぞるように黒い流れが迫り、距離は一向に開かない。
「このままじゃ呑まれる!」
ボリスの焦りが混じった声が車内に響く。
銃声のただ中で、黒い塊の中心がうごめく。
無数の粒子が渦を巻き、粘液のような蠢きが形を変えていく。
その中心から、ゆっくりと一人の影が姿を現した。
ナノマシンの海から押し出されるように、クロエが現れる。
黒い粒子はまだ全身に絡みつき、まるで彼女自身がその群体に抱かれているかのようだった。
「……………これが 私たちの……!“スウォーム・サルヴァドゥス” 真の兵装よ。恐怖と救済を同時に与える刃……!」
クロエは微笑を浮かべ、滴り落ちる黒い触手を指先で払った。
その眼光は、先ほどまでの冷笑を超えた、異質な輝きを放っていた。
操縦席からライルが口を開く。
「まさか……この力を使うことになるとはな」
彼の声は低く、しかし迷いはなかった。
黒い粒子が彼の腕にも絡みつき、装甲服の表面を浸食していく。
敵車両の上に立つクロエが、淡々と狙撃銃の弾倉を外し投げ捨てた。その動作は、静かで確信に満ちていた。
すると、地面を這っていたナノマシンの群れがぞわりと動き、液体のように弾倉へと吸い込まれていく。
「装填完了――」
クロエがライルに視線を流す。
次の刹那、鉄の塊とは思えない動きが戦場に走る。
重量級の車体が地を蹴り、獣のように横滑りしながら一瞬で姿勢を立て直す。
まるで運転手の意思と機械が完全に融合し、反応速度が人間の限界を超えたかのようだった。
「っ……!」
カイが驚愕の声を上げる間もなく、黒い車両は蛇のように進路を切り替え、瓦礫を跳ね飛ばしながら加速する。
砂煙を巻き上げ、瞬く間にヴァルヘッドの側面をかすめ――次の瞬間にはその背後へと回り込んでいた。
背後から迫る殺意を察知し、カイが歯を食いしばった。
「舐めんなッ!」
ハンドルを切り、ヴァルヘッドが急旋回する。
タイヤが地面を削り、砂煙を巻き上げながら軌道を逸らした。赤黒い光弾は虚空を裂き、直撃は免れる。
だが――安堵する間もなく、前方に黒い影が現れる。
「……っ!」
サルヴァドゥスがすでにそこへ回り込んでいた。
まるで軌道を読んでいたかのように、異常な反応速度でヴァルヘッドの進路を塞いでいたのだ。
次の瞬間、クロエの銃口が赤黒い光を帯びる。
放たれた弾丸は通常の火薬弾ではなかった。
圧縮されたナノマシンの塊が炸裂し、地面ごと抉り飛ばす高威力の一撃となってヴァルヘッドを襲う。
「シールド展開!」
ボリスの声と同時に、ヴァルヘッドの周囲で電磁誘導ディフレクターが稲光を走らせる。
過去の戦いで改良を重ねた最新の防御機構――はずだった。
しかし。
赤黒い弾丸は、磁場が干渉するよりも早く装甲へと突き刺さった。
電磁波が弾道を曲げる前に、すでに直撃していたのだ。
衝撃でヴァルヘッドの外装が大きく抉れ、黒い粒子が煙のように散り、装甲表面を蝕んでいく。
「弾速が速すぎる……! ディフレクターの反応限界を超えてる!」
ボリスが歯を食いしばる。
砂塵が爆ぜ、車体の装甲に深い裂け目が刻まれた。
「くそっ……っ!」
カイがハンドルを切り、スピンターンとスラロームで直撃を避ける。
だが――その同線の先に、すでに黒い影が回り込んでいた。
「……っ、馬鹿な!」
カイの目が驚愕に見開かれる。
サルヴァドゥスは人間業とは思えぬ反応速度で進路を塞ぎ、まるで獲物の逃走経路を読んでいたかのように迫ってくる。
「…ナノマシンが操縦に介入してやがる……!」
歯ぎしり混じりに吐き捨てるカイの声。
その言葉の通り、サルヴァドゥスの動きはもはやライルだけの操縦技術では説明できなかった。
レナは即座に粒子砲を構え、クロエを狙って引き金を引いた。閃光が直線を走り、敵のシルエットを射抜く。
しかし――弾丸は届かなかった。
クロエの周囲から伸びた無数のナノマシンの触手が、まるで生きた盾のように広がり、光線を受け止める。
粒子は触手に吸収され、砲弾は表面で弾かれ、爆ぜて消える。
「弾かれる……!?」
レナの目が驚愕に見開かれる。
ボリスの機銃も鳴り響く。だが鉛の雨はすべて、ナノマシンの壁に阻まれた。
触手は弾丸を絡め取り、空中で砕いてしまう。火花と煙が散るだけで、クロエの影は一歩も揺らがない。
「無駄よ」
クロエの声が、戦場の喧噪を圧するように響いた。
「この力がある限り、私に届く弾丸なんて存在しない」
その瞬間、ナノマシンの触手が一斉にヴァルヘッドへ伸びる。
カイは必死にハンドルを切り、後退と急旋回を繰り返す。
ヴァルヘッドは砂煙を巻き上げ、必死にその触手を振り払うが、反撃の余地はほとんどなかった。
「くそっ、防戦一方じゃねえか!」
ボリスが歯ぎしりをしながら弾種を変えながら引き金を引き続ける。
だが、どの弾薬もただの牽制にしかならず、次々と迫る黒い触手を食い止めるのが精一杯だった。
レナの粒子砲も撃つたびに遮られ、光が霧散する。
ヴァルヘッドは巨体を揺さぶりながら後退を続け、完全に押し込まれていた。
そのとき、カイがハンドルを握り直し、短く言った。
「電磁誘導を展開しながら……体当たりする。この車を弾丸にする」
「馬鹿か! そんなの、フレームごとブッ壊れるぞ!」
ボリスが即座に怒鳴る。
だが、レナは粒子砲を構え直し、カイを真っ直ぐに見つめた。
戦場の轟音の中、ほんの一瞬だけ二人の視線が絡む。
「――行って。……大丈夫。あなたの操縦なら、私は怖くない」
レナの声は揺るぎなく、そしてどこか優しさを帯びていた。
その瞳には恐怖も迷いもなく、ただ彼を信じ切る光が宿っている。
「何度だって私は撃ち抜く。だから、あなたは迷わず走り続けて…」
その言葉に、カイの胸に熱が走る。
吸い込まれるように見返すと、彼女の瞳が戦場の炎よりも強く輝いていた。
「……おいおい、そんな顔されたら…………『全部冗談でした~』って言えなくなっちまったじゃねぇか………」
苦笑混じりに呟きながら、気づけば、腰のポーチにしまい込んでいた小さな箱を指先で探っていた。
あの訓練の日々――肉体を仕上げ、集中力を保つために、何ヶ月も“それ”を断ってきた。
だが今だけは、その蓋を開ける。
一本を咥え、ライターを弾く。
カチリ、と音が鳴り、青白い光が一瞬だけ彼の顔を照らす。
火が先端を赤く染め、煙が立ちのぼった。
肺へと吸い込み、ゆっくりと吐き出す。
その仕草には、諦観ではなく――決意が宿っていた。
「行くぞ……弾丸になる」
ハンドルを握るカイの瞳は、もう迷っていなかった。
ボリスはちらりとその横顔を見て、深く息を吐く。
「ったく……毎度毎度、無茶しやがる」
やれやれと肩をすくめつつも、指はしっかりとトリガーを握り直す。
その心の奥では、覚悟を固めていた。
――アレクセイ。もしものときは、母さんを頼むぞ。
脳裏に浮かんだのは、戦場の外に残してきた家族の顔。
それでも引く気はなかった。
彼は傭兵である前に、仲間を守る戦友だった。
「……しゃあねぇ、やるか」
ボリスは最後にニヤリと口元を歪め、機銃を構え直す。
ヴァルヘッドの車内に、重苦しくも揺るぎない覚悟が満ちていった。
次の瞬間、粒子砲とボリスの射撃が息を合わせるように炸裂。
閃光と銃声が重なり、黒い触手の壁を切り裂く。
ナノマシンの群れが断ち割られ、わずかに口を開けた突破口が戦場に現れた。
「うおおおおおッ!」
カイが叫び、アクセルを踏み抜く。
ヴァルヘッドは電磁誘導を最大出力に解放し、青白い稲光をまとった巨獣と化した。
重戦車にも等しい巨体が、雷を纏う弾丸のごとく突進する。
地面が轟音を立てて裂け、砂煙と破片が後方へと吹き飛ぶ。
クロエは目を見開き、咄嗟に銃口を向ける。
「いいわ、そのまま撃ち落としてあげる!」
ライルは視線を外さぬまま、低く短く吐き捨てた。
「――油断するな。奴らの命がけの特攻だ」
銃弾の雨がヴァルヘッドへ殺到し、火花を散らす。
電磁誘導の磁場が軌道を狂わせ、多くは虚空へと逸れていった。
だが全てを防ぎきれるわけではない。残った弾丸が装甲を叩き、鋼鉄の外殻に鈍い衝撃音を刻み込む。
閃光と衝撃が交錯し、機体は稲光に包まれたまま突進を続けた。
次の瞬間、衝突。
青白い雷光を纏ったヴァルヘッドの車体が、敵車両とその表層を覆う黒い群体に叩きつけられる。
音と共に、数百万のナノマシンが爆散した。
黒い霧となって空に散り、周囲の大地へ降り注ぐ。
だが、ただ四散するのではない。
飛び散った一つひとつが微細な火花を発し、焦げた金属片や瓦礫に叩きつけられるたび、焼け付くような音を残す。
耳を塞ぎたくなるほどの甲高い破裂音が連続し、視界一面が黒と蒼の閃光で満たされた。
「うああああぁあぁッ、まだ生きてるか、俺たち……!」
ボリスの声が震えを帯びながら響く。
ヴァルヘッドは激突の衝撃で大地を抉り、その場に停まったまま軋む。
対する敵車両も黒い群体に覆われながら、動きを失い沈黙していた。
先ほどの衝撃でナノマシンの大半が剥ぎ取られ、かつての装甲を覆っていた黒い鎧は所々で剥落している。
露出した金属肌は焼け焦げ、火花を散らしながらむき出しの傷口をさらしていた。
それでもなお、残された群体が蠢き、必死に車体を覆い直そうと波打っていた。
ヴァルヘッドの計器は赤く点滅し、限界が近いことを告げている。
そこへ無線が割り込んだ。
『HQより全隊へ――コード・ヴァルガ(Code: Valga)発令。この一帯に絨毯爆撃を実施する。直ちに離脱せよ』
全員が息を呑む。戦場は決着を許さぬまま、上からの“裁き”によって幕を引かれる。
「……チッ、水入りか」
カイが悔しげに吐き捨てる。
粒子砲を構えたままのレナは、狙いを外さずに敵車両を睨み続けていた。
指先にはなお力がこもり、わずかに震える照準がいつでも火を噴けることを示している。
その時、ヴァルヘッドのフロントガラス越しに、カイとライルの視線が交錯する。
互いに言葉はなく、ただ一瞬だけ視線を合わせた。
憎悪と共に、そこには戦士としての確かな敬意が宿っていた。
次の瞬間、両者は同時にハンドルを切り、爆撃域からの撤退を選ぶ。
炎と黒煙の戦場に背を向け、二つの巨獣はそれぞれの影に消えていった。
戦いは終わらない。ただ、引き分けとして一時の幕を下ろしたに過ぎなかった。