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第一城壁のアルト門をくぐり、水路を越えると、水の流れに逆らうようにゆっくりと馬車は北上していく。
北から流れ込むノルド川が三つに分割され、第一城壁を囲っている。
南の方に目を向けると第二城壁が見えた。
「ここからは見えないけど、ノルド川は壁の向こうで再び一つになっているんだよ」
馬車に揺られながら、アベルがそんなことを言う。
トロンの領地は東西に長い、大通りを通るならそのまま西に進むべきだったが、なぜかアベルは馬車を北に向かわせた。
しばらくして先ほどまで過ごしていた不在城の姿が見える。
不在城の裏手にあるのは第一城壁とノルド川、それを囲むように第二城壁があった。かなり間隔が狭い。ここから侵入しようとするなら壁を登り、川を泳いで、さらに壁を登る必要があるだろう。もちろん、その間中ずっと矢を射かけられることになる。
城塞都市トロンが攻められたどの過去でも、第一城壁が攻め落とされるのは最後の最後だった。これなら父が攻めあぐねるのも頷けるわ。と令嬢は思った。
第一城壁の最北に突き当たると、6つの門のうちの1つブレイズ門があった。門番がこちらに気づいて敬礼し、そのまま硬直する。有り体に言えば見惚れていた。
「?」
令嬢は肌が透けて見えるほど薄い白モスリンを使ったシミューズドレス、肩にはショールをかけていて、髪には弟切草の黄色い髪飾りをしている。元々透明感のある令嬢がより幻想的に見える。
アベルは白い軍服だ。軍服だが、流石にここまで白い服で戦場に出ることはないだろう。儀礼用のものに違いなかった。一見燕尾服のようにも見えるけれど。縁や肩には金モールが施されている。
人通りはけして多くないのに、馬車が通る度、道行く人が振り返る。
誰もが全員振り返っている。
純白の衣装に身を包む二人の姿は、どこか結婚式を思わせるのかもしれなかった。
(……悪い気はしないわね)
そこまで考えて、大通りを避けた理由に気づく。人垣ができるのを避ける為だろう。自分がそこまで他人に興味を持たれると思っていなかった令嬢には想定外のことだった。
第一城壁を伝って馬車はトロン最北の通り、ブフ通りを西に向かう。
ブフ通り並ぶのは基本的に住居で、店はほとんどない。
洗濯物が陽気に当てられ、のどかにはためいている。
(なんとなくデートみたいな気持ちでいたけど、これってアベルのお仕事に無理を言って付いてきてるだけなのよね)
(それにしてものどか、ここが戦場になるなんて誰も思っていないでしょうね)
そう思った矢先、遠くから馬のいななきが聞えた。
「ひっ」
反射的に父が攻め込んできた姿を連想して、令嬢が青ざめる。いやいや、まだ時期が早すぎる、そんなにすぐ攻めて来るわけないと思っていると。馬のいななきがどんどん増えていく。え、嘘。そんな。
馬の……馬? 牛っぽいような。やっぱり馬? あ、これは豚だわ。
コッコッコッコって音、これは? あ、これはわかる! 鶏!!
コケコッコーーーーッ!!
コルテ・モンス通り、マデラン門前には、まるでこの世すべての動物を集めてきたような雑多な市があった。所々で動物たちがセリにかけられている。
「え、何ここ。議事堂に行くんじゃなかったの?」
商人達が「安いよ安いよ!」とか「ほら産みたての卵だよ!」とか「この毛長馬でかいだろう? 北の海を渡ってきたんだ」とか言う声に、令嬢の言葉がかき消される。
金髪に透き通るように青い瞳の王子様然としたアベルが、腹を抱えて笑っていた。
令嬢がどきどきしたりびっくりしたりしているのが面白かったらしい。
それにしてもすごい喧噪だ。
大声を出さないと何も聞えないだろう。
でも令嬢はそんな大きな声なんて出したことがなかった。
アベルはひとしきり笑うと、にこにこしたまま市の方を指差す。見たこともない大きくて黄土色をした四つ足の生き物がいた。かわいそうに背中にコブのようなものが二つできている。病気だろうか。
商人が言うには砂漠の果てからやってきたらしい。
よく見ると頑丈そうな檻の中には猛獣までいる、大丈夫なの!?
「アベル様じゃないか! 視察かい!?」
「その女の子は誰だい?」「お人形さんみたいだな」「細いねぇ、ちゃんと食べてるのかい?」「うちの卵をお食べ」「焼いてからもってこいよ」「金くれ!」
物凄く話かけてくる。アベルは手振りをしながら何か話しているが、そのすべてが喧噪にかき消されていく。それでも商人には聞き取ることができるのか、頷いたり、質問を変えたりしていた。
熱気が、熱気がすごい。
溶けてしまいそうだ。
令嬢はループ知識から、この辺境城塞都市トロンが交易の街だと知っていた。東西南北からあらゆる品が流れ込み、取引され、去って行く場所だ。
でも、知識として知っているのと実際に見るのとではまた違う。人というものがこんなに熱量のあるものだとは思わなかった。
「どうだい! すごいだろう!」
アベルがすごく大きな声でそう言う。なんとか聞き取れた。
「そうね!!」
令嬢はめいっぱい大きな声で、いままで出したこともないくらい大きな声でそう言った。
自分からこんなに大きな声が出るとは思いもしなかった。