イザは約束した通りに、少年の全てを受け入れた。
少年は、その情を全てイザにぶつけた。
そして、夜通し繰り返される行為に、情に、イザは少しだけ思い出してしまった。
全て捨てたはずの、乙女だった頃の想いを。
愛するフラガへの、熱い情念を。
「もう、やめて」
夜明けの光が、厚いカーテンの隙間から入り始めていた。
「もういいでしょう。……出て行って頂戴」
イザは腕で目を隠して言った。
だが、そのか弱い仕草に少年は、嗜虐心を刺激されてしまった。我を通そうと、イザの腕を掴もうと手を伸ばし、けれど止めた。
直感的に、死がそこに迫っているのを感じたからだった。
そして、イザの泣きそうな声を聞いた。
「これ以上するなら、殺すわ」
弱々しくも、恐ろしい言葉。
それは本気であり、悲痛な想いで紡がれたものであることを、少年は察した。
イザの上から体を引くと、そのままベッドを降り、そして脱ぎ捨てたままの服を手に取る。ズボンだけを急いで履き、「ありがとうございました」と一礼して部屋を出た。
少年の銀髪が一瞬だけ光を受けて浮かび上がり、すぐに扉の外へと消えた。
「……魔族なら、私に本気の愛なんて注がないでよ。蔑みながら魔力だけ注げばいいのに」
フラガへの愛が、フラガからの愛が、イザの心を掻きむしった。
もう一生、手の届かない世界を羨望して。
フラガはもう居ない。
だから彼への愛は、復讐のために捨てた。
そのはずだったし、そのお陰で力を手に入れたというのに。
また、再び苦しむことになるなんて。
イザはベッドの中で幼子のように小さくうずくまり、頭を抱えて嗚咽した。
**
その日のイザは、最悪の気分で過ごしていた。
憂さ晴らしとして、朝食を摂ってすぐに魔力を求めたにもかかわらず。
なぜなら、少年と一晩過ごしたという話はすでに広まっていて、イザをなじる言葉が普段よりも下衆なものだったから。
お陰で、魔力は満たされても腹立たしさも際立っていた。
そのため、昼を過ぎる頃には行為を切り上げた。
そして謁見の間に、呻き声を繰り返す国王を眺めに行くほどに荒んでしまった。
**
玉座の近くに寄ると、それ(・・)の中空に巣食う大量の蜘蛛達が、主であるイザに平伏するように一斉に向き直り、その頭部を垂れた。
イザがここに来たのは、この状態にしたきりの半年ぶりだろうか。
「おりこうね。ちゃんとエサを食べてくれて」
そのエサとは、元国王。蜘蛛達に上半身を覆い尽くされ立ち尽くしたまま動かないが、イザの気配を感じて懸命に声を上げた。
「イザかッ! 殺してくれぇ! ころ――」
「ころひて! こ――」
体を貪り喰われては再生の魔法で傷が癒える。
その不自由な身で、声が出る瞬間に懇願しているのだ。
だがイザは、元国王であったそれに対して冷たい声で拒否した。
「まだ元気そうね。寿命が来るまでせいぜい苦しみなさい」
「ゆるしてくれ! ゆ――」
元国王は、常に喉を喰い破られるせいで一言を伝えるのがせいぜいだった。
「私のフラガを返せる? お前のせいで殺されたの。許すと思う?」
イザは何の感情もなく、その言葉だけを告げる。
だが、この無残な愚か者を見ると、少しだけ気分が晴れた。
復讐は何も生まないと誰かが言っていたが、しないよりはマシだと思った。
しなければ、ずっと泣き寝入りのままで心が死んでいく。そう直感したのだ。
それにこんな極悪人なら、これっぽっちも心は痛まない。
それの足元にある小さな黒炎も、しっかりと骨まで焼き続けている。それが再生する度に、皮も肉も骨も焼き、激痛を与えている。
ずっとずっと、苦しみ続ければいい。
私の痛みは、こんなものではないのだから。
イザは、その心に刻まれた恨みを、そして昨夜思い出してしまった悲しみを、ほんの僅かだけ紛らわせられると信じて眺めていた。
それが発する声には、もう何も答えない。
ただ眺めて、復讐を成した事の満足感を噛みしめていた。
――すると、どこから見ているのか、ムメイが窘めにやってくる。
いつも、満足感が薄れて苛立ちを覚える頃に現れるのだ。
「イザ。あまりそれを見るな。病むぞ」
いつも淡々としているムメイは、今日もやはり、同じ声のトーンだった。
それがどこか安心出来るが、物足りなさもある。
「……ムメイ。放っておいて。今はこいつでも眺めていないと、やってられないのよ」
「それならヤケ酒の方がまだマシだ。酒でも飲もう」
一定の調子で話すムメイからの、これほど楽しくなさそうな誘いは無い。イザはそう思ったが、彼に酒を飲もうと言われたのは初めてだった。
「お酒なんて、アルコール臭いだけで美味しくないわ。でも、一杯だけなら付き合う」
いつの間にか、ムメイが付き合ってもらう形になっていたが、彼は満足そうに頷いた。
が、そこに伝令が飛んでくる事態となった。
「イザ様! 火急の伝令です!」
よほどの話があっても、この謁見の間に居れば誰もが後回しにして入って来ない。
つまりこれは、本当に緊急事態という事だ。
「会議室で聞くわ」
イザのその言葉に、伝令は心底から胸をなでおろした。
彼女のすぐ後ろには、無数の蜘蛛が蠢いているから。
その無数のそれぞれと、目が合う気がするのだ。赤黒く、腹の大きなこぶし大の毒蜘蛛たち。
それら全ての蜘蛛から興味を抱かれ、次の瞬間には後ろに回られているのではという、言いようのない恐怖に包まれる。
もしもイザの居ない時に入れば、本当に命が無いのかもしれない。
**
謁見の間とは別の階、別の区画にある会議室に場所を移す間に、イザは政務に関する側近たちも呼ばせていた。
元国王の趣味なのか、どの部屋も豪華絢爛で目にうるさい。
比較的おとなしいのが、この会議室だけだった。そこに置かれた豪奢な長テーブルに、いつもの顔ぶれが揃っていた。
普段はイザをこき下ろす彼らも、命令にはしっかりと従う。
それは理性と知性に優れていると自負する彼ら所以で、イザはそういう所を可笑しく、そして可愛いいと思っている。
だから、普段どれだけなじられようとも、何も感じないのかもしれない。
「それで、火急の要件というのは何?」
長テーブルには座らず、イザはそこに座る魔族たちをいつも、立ったまま見下ろしている。
その方が、白い布一枚を纏うだけの艶やかな姿を、彼らに見せつけられるからだった。
いつからか、視線がしっかりと胸元やももに刺さっているのを自覚したのだ。
適当に髪を後ろにかき上げれば、首すじでさえ見られている。
魔族といえども、男は皆そういうものだったろうかと、不思議に思うほど見事に釣られてくれる。
火急の用だというのに、一番いじわるな政務担当たちさえ同じだから、つい気がそちらに向いてしまっていた。
「イザ様! 申し上げます!」
側近を集めて、満足したように髪を後ろにやった時に、しびれを切らした伝令が大きな声を上げた。
「あ、そうだったわね。続けて」
「はっ! 王都以外の領地から、反乱されました! 北西から人間どもが攻めて来ております!」
伝令の彼は、長テーブルの端に座らされていたのに、居ても立っても居られないという体で前のめりになっている。
それを聞いた政務担当たちは、口々に「反乱だと?」と苛立った。
しかしイザは、何という事は無いという様子で淡々と聞いた。
「それで、規模と距離は?」
「この城の物見塔からの確認ですので、すでに間近に来ています! もはや二十キロ程度かと! 規模は見える範囲で三万ですが、確かな数までは分かりかねます! 早くご対応を!」
彼は焦っていた。
こちらは増援が来たとはいえ、魔族の純粋な兵の数は一万程度。
魔力で勝ろうとも、数で押し切られかねない。しかも、王都に居る二十万ほどの市民が、この機に乗じるかもしれないのだ。そうなると、とてもではないが手に負えない。
「二十キロね。じゃあ、届く」
イザはこの場の空気を読まずに、ひとり言のように言った。
それを聞いて、いつも最初に文句を言う金髪碧眼の男が声を荒げる。
「イザ! 何が届くのだ! 悠長にしている場合ではないぞ!」
彼らは想定していなかったのだ。
人間が反乱を起こす事を。
なぜなら、魔族は割と一枚岩であり、互いに殺し合うなどという愚行をしないからだった。
魔力の強さが全てで、強大な魔力をまともに制御出来るという事は、知性の高さも比例している。
彼らはほぼ完璧なトップダウンの指令系統を持ち、そして、他者の意見を柔軟に聞き入れる器もある。そうでなければ、魔族たりうる己のプライドが許さない。
それが魔族という生き物だった。
謀略で相手を貶める手段を持たず、反乱などを起こして貴重な魔族の血を流す事もない。
ゆえに権謀術数には、逆に弱かった。
今起きている反乱に対して、何が有効であるかも即断出来ない。
それがイザには、滑稽だった。
「フフフフ。あなた達って、意外とまぬけなのね」
「貴様! 魔族を侮辱するか!」
先と同じ男が、額に血管を浮かせて大きな声を上げた。
しかしイザは、「本当にバカね」と冷笑した。そして続ける。
「落ち着きなさい。魔王の私が居るのに、人間ごときに何を恐れるの? 有象無象が何万人居ようと、意味がない事を教えてあげる」
「き、貴様も人間であろうが」
プライドだけを頼りに、先程の男も折れない。
「まぁ、いいわ。見せてあげないとね。伝令さん、物見塔に案内しなさい」
イザは視線を伝令に向けると、スッと扉を見やった。
行け、と。
「はっ! 直ちに!」
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