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第三章 影の胎動
夜が明ける前の薄闇。
天空神殿と地下帝国、その境界に位置する峡谷は不穏な沈黙に支配されていた。
葵は軍勢の前に立ち、冷たい風を受けながら目を閉じる。
深く吸い込むその息は、戦場の土と血の匂いを混ぜた、馴染んだ空気だった。
——円。見ていろ。
——私は、私が選んだ道を行く。
黒い外套が揺れたとき、葵の背に隠れた炎が、またひとつ強く燃え上がった。
◆天空神殿・本陣
一方、天空神殿では四季が静かに地図を見つめていた。
淡い光が射し込む作戦殿には、彼女の長い影が伸びている。
玉はその横に立ち、落ち着かない様子で尻尾をそわそわさせていた。
「四季……どうしてそんな顔してるの?」
「……怖いんだよ、玉。」
玉の目が丸くなる。
「四季が怖がるなんて、珍しい……。」
四季は地図の一点、地下帝国軍が集結している地点を指先でなぞった。
「葵が来る。あの人は、誰かの死や痛みを胸に閉じ込めるほど、強くなるタイプだから。」
玉は唇を噛む。
「じゃあ……四季は、やっぱり葵と戦うつもりなの?」
四季は首を振らず、ただ小さく息を吐いた。
「戦わないと、止められない。
でも……戦ったら、きっと……」
言葉の先は、玉が代わりに飲み込んだ。
——戻れなくなる。
四季の指は震えていた。
戦の総大将としての責任、親友を斬らなければならないかもしれない苦悩。
全てが彼女を押し潰そうとしている。
「玉。もし私に何かあったら——」
「四季!」
玉は尾で四季の腕に触れ、強引に言葉を断ち切った。
「そんな話、やめてよ。四季は死なない。葵だって死なせない。
だって……私たちは、戦うためだけに生きてるんじゃないでしょ?」
四季は小さく微笑んだ。
「……うん、そうだね。ありがとう、玉。」
しかしその笑みの奥には、深い影が落ちていた。
◆地下帝国軍内の不穏
地下帝国軍の後方では、黒衣の参謀たちが密かに集まっていた。
「……総大将葵様は、四季討伐に固執しすぎている。」
「ここで消耗すれば、我々の『本計画』が遅れる。」
「“あの御方”の降臨のためにも、戦いは長期化させねばならん。」
その言葉にひとりが小声で問う。
「では、葵様には……?」
参謀長は冷たい目を細めた。
「——操りやすい“闇”を、もっと注ぎ込む。」
黒い薄霧が彼の指先から立ち上る。
それはまるで、誰かの強い感情に付け入るように渦を巻いていた。
「葵様は強い。だが、強すぎる心ほど折れやすい。
円の死は好機だった。」
「総大将を……利用するのか。」
「平和のためでもある。“あの御方”が復活すれば、この大陸は新しく生まれ変わる。」
薄闇が静かに広がる。
誰も知らない——大戦の裏に、巨大な影が息を潜めていることを。
◆葵の胸中
夜明け。
葵は天幕を出る直前、胸元の手紙をそっと取り出した。
円の筆跡。円の願い。
——死ぬ気で幸せになりなさい。
——葵様を頼んだよ。
葵は握りしめた手を震わせた。
「……馬鹿なやつだ。私に幸せになる道など……」
彼女の足元に、黒い影がわずかに揺れた。
それは焚き火の影ではなく、もっと冷たく、もっと深いもの。
「四季。お前が立ちはだかるというなら——」
葵は立ち上がる。
黒い炎のような気迫が、軍全体の空気を変えた。
「——私は、友であっても斬る。」
副官は息を飲んだ。
しかし葵の目は揺らがない。
ただ、静かに、狂気すれすれの決意だけが宿っていた。
◆玉の葛藤
天空神殿の見張り塔で、玉は夜の名残を見下ろしていた。
「……四季、また泣くんじゃないか。」
玉の胸に渦巻くのは、恐れと、焦りと——ほんの少しの、嫉妬だった。
四季は優しすぎる。
葵のことも、円のことも、敵でさえも救おうとする。
「四季は……誰のために戦ってるの?
天空神殿のため?
妖怪のため?
それとも、葵のため?」
答えのない問いが、眼下の霧に吸い込まれていく。
玉は拳を握った。
「……もし四季が傷つくなら、
その原因を——私が、倒す。」
決意の裏に潜む感情は、まだ玉自身も気づいていなかった。
◆大戦前夜 ― 影の胎動
天空の光が昇る。
地下帝国軍の黒い旗が揺れる。
四季は剣を手に、葵の来る方角を見据えた。
葵は軍勢を率い、静かに前へ進む。
そして、同じ時刻。
地の底で蠢く影が、ゆっくり目を開いた。
それは戦争を望み、争いを餌に育ち続ける存在。
——大戦は、まだ始まってすらいない。
——“それ”は囁く。
もっと争え。
もっと憎め。
もっと血を流せ。
影の胎動が、世界にひび割れを生み始めていた。
◆つづく
地下帝国軍大佐円 ↑