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その少女と出会ったのは、ほんの偶然だった。
机の脚が折れたからと修理に向かい、添え木で応急処置を施したものの不格好だなんだと文句を言われて、支払いを渋られてしまった。
別に金目当てで家具職人をしている訳では無い。
大金が欲しいなら、以前のように冒険者を続けていた方がずっと稼げただろう。
とはいえ、貰える金を貰えないというのは流石に納得がいかない。
家への帰り道、誰かの気配を感じた時に、つい不機嫌な声を上げてしまった。
自分でも気付かないうちに苛立っていたのだろう。
声をかけた先に居るのがまだ年端もいかない少女だと気付いた時には、慌てたものだ。
ヴァージニア・デインズと名乗った少女は、世の中の全てに絶望したような目をしていた。
線が細く小柄で年は定かでは無いが、見た目だけならば六、七歳くらいの子供に見える。
デインズ伯爵家がこの村に逗留するというのは、俺も聞いている。
宿屋兼食堂を貸し切るために、今日は食堂を使えないと村人に通達があったからだ。
養子とはいえ伯爵家の一員である少女が供の者も付けずに暗くなった村を歩いているなど、信じられなかった。
いったい彼女はどのような生活を送っているのだろうか。
ホワイトブロンドの髪に、薄水色の瞳。間違い無く、美少女と言って良い容姿だ。
だが、彼女の瞳は深い悲しみを湛えていた。
まるで年老いた老婆のように、自らの生に絶望して見えた。
無骨な俺などが触れれば、壊してしまいそうなほど華奢な身体。
手を伸ばすことさえ躊躇われた。
宿へと一人歩く少女の後ろ姿は、あまりに儚く、そして無力だった。
家に帰ってからも、少女の姿が目に焼き付いて離れなかった。
伯爵家であの少女がどういった扱いを受けているのか――想像するに難くない。
酒でもかっくらって忘れようにも、家には飲む酒すら置いていない。
そうだ、毎日あの食堂で飲んでいたから、買い置く必要が無かったのだ。
「……チッ」
舌打ち一つ。
今頃、あの少女は宿に戻ったのだろうか。
ちゃんと飯は食えているのか。
あの細さ、抱きしめれば折れてしまいそうな身体つき。
とても満足な食事が与えられているとも思えない。
俺は金の入った革袋だけをひっつかんで、家を出た。
食堂は貸し切りだと言われているが、酒を買うくらいは許してもらえるだろう。
ついでにあの子がちゃんと食事を取っているか確認して、もしまともな物を食べていないようなら、店主に少し金を握らせて作ってもらえば良い。
そんな暢気なことを考えてちんたらと歩いていた自分が、思い返せば腹が立つ。
もっと早くに辿り着いていれば、あんなことは防げたかもしれないのに。
俺が食堂の裏口に差し掛かった時、悲鳴にも似た声が聞こえてきた。
あれは店主の声だ。
普段おっとりとした男が、珍しく慌てた声を上げている。
嫌な予感がして、勝手に裏口から入らせてもらった。
店主の声は、食堂から響いてくる。
食堂には貴族の家の使用人達が大勢立っていた。
一つだけ使われているテーブルでは、やたらと飾り立てた連中が飯を食っている。
いや、そんなことよりも。
「――おい!!」
そこは異様な光景だった。
#ハッピーエンド
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#異世界転生
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337
#回帰
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#聖女
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倒れた少女の周囲には血溜まりが出来ていると言うのに、使用人達は顔色一つ変えずに立ち尽くしている。
誰も彼も、その少女に目を向けようとはしない。まるで居ないものとして扱っている。
「大丈夫か!!」
「あ、ああ、グレンさん……」
「どうしよう、俺のせいでこの子が……」
反応したのは、店主とその息子だけだった。
赤く染まった床に倒れたヴァージニアの肌は蒼白だった。
額がばっくりと割れて、止め処無く血が溢れてくる。
「すぐにタオルを!!」
「は、はい!」
慌てる店主に声をかけ、ヴァージニアを抱き上げる。
席に座っている奴等とは比べものにならない質素なワンピースは、血でべっとりと濡れていた。
「ふん、そんな奴放っておけ!」
「本気で言ってるのか、あんた」
一番偉そうな男が、信じられないようなことを言った。
幼い少女がこれだけの血を流して倒れているというのに、何を考えているのか。
どうやら男は随分と酒が入っているらしい。
使用人らしき連中の一人が、新しいグラスを持ってきては年代物のワインを注いでいる。
少女の周辺には、割れたワイングラスらしき破片が散らばっていた。
まさか、こいつが――?
「ふん、そんな出来損ないがどうなろうと別に構わん」
「どうなっても構わないというなら、俺の好きにさせてもらおう」
俺の声を聞いて、男が一瞬動揺した様子を見せた。
どうやら声に籠めた殺気に気付かないほど、酔い潰れて居る訳では無さそうだ。
俺の低く凄んだ声に、貴族の男だけでなく周りの使用人達、宿の親子までもが怯えた表情を浮かべている。
ダメだ、落ち着け。
そう自分に言い聞かせ、ゆっくりと息を吐く。
「この子は連れて行く」
「……勝手にしろ」
吐き捨てるような男の言葉を背に、俺はヴァージニアを抱きかかえたまま店を出た。
俺の後を追ってきたのは、タオルを手にした店主だけだった。
「すまないが、どこかで馬を一頭借りられないか?」
「馬ですか。馬ならうちにも一頭だけ居ますが、もう年老いた荷馬で良ければ……」
「ああ。助かる」
店主と共に厩舎へ。
あの貴族が連れてきたのだろうやたらと立派な馬達が居並ぶ中、端に追いやられた年老いた貧相な荷馬が小さく縮こまっていた。
「あの、どこかへ向かわれるのですか?」
「ああ。医者もいないこの街じゃ、まともな手当も出来ないだろう」
「確かに、そうですね……」
厩舎を見渡し、古ぼけた棚にある鞍を手に取る。
きっと真新しい鞍は、貴族のものだ。
年老いた荷馬に鞍を置いて、少女を抱えたまま跨がる。
久方ぶりの荷を得てか、馬がぶるると鳴いた。
夜通し馬を駆り、目指すカトラルの街に辿り着いたのは、もう夜も明ける頃合いだった。
いまだ空が薄青い中、欠伸をしながら門番が城壁の扉を開ける。
「よう、朝早くからご苦労さん」
「ああ、本当に早番はきつ――って、グラディスさん!?」
俺の顔を見て、門番が一気に目が覚めたように驚きの声を上げた。
捨てたつもりの名を呼ばれて、思わず苦笑いが零れた。
「アルフィーに会いに来たんだが、教会か?」
「ええ、そちらにいらっしゃると思います」
昔なじみの門番は、敬礼でもしそうな勢いで俺と少女を通してくれた。
変な詮索をされなくて助かる。
早朝の街は、人気もほとんど無い。
血塗れで気を失った少女を抱えていても、騒がれないから好都合だ。
目指す教会には、すぐに辿り着いた。
建物の前を掃き掃除していた修道女が、俺が抱えた少女を見て顔色を変える。
「まぁ、なんてこと! すぐに手当しなくては……」
「ああ、アルフィーの奴に頼もうと思って来たんだ。グラディスが来たと伝えてくれ」
「アルフィー様に? グラディスというのは……ッ」
言葉を発した後に、驚いたように息を飲む。
その瞳は好奇心に彩られてはいたが、少女の怪我を見て急を要すると判断したのだろう。
すぐにアルフィーを呼びに行ってくれた。
アルフィーというのは、俺が冒険者をしていた頃に知り合った司祭だ。
聖職者としては型破りな奴で、俺みたいなならず者一歩手前の冒険者にも気軽に話しかけてくる奇妙な奴だった。
神官としての腕は確かで、特に癒やしの魔法はかなりの威力を誇る。
だからこそ、額に怪我をした少女をここに連れてきたのだ。
「グラディス? 本当にグラディスなのか!?」
しばらくして、教会の中から小走りに駆けてくる姿があった。
寝起きだったのだろう、いつもよりもラフな格好で、常に一つに束ねている薄茶色の髪も、今は乱れたままだ。
「お前、今までどこに――…って、この子は」
突然冒険者を引退して姿を消した俺に、色々と問い質したいことがあったのだろう。
だが、そんな声も俺が抱きかかえた少女を見るなり止まる。
「彼女を治してやってほしいんだ」
「わかりました。とりあえず、中へ」
教会の中にある寝台に少女を寝かせれば、ようやく一息付けた気がした。
もっと近い村で医者を探すべきだったのかもしれないが、どの村に医者がいるかなんて俺は知らない。
それよりは、傷を確実に治せる旧友に少女を託したかった。
抱きかかえていた間の少女の重さが、今も腕に残っている。
人一人を抱いているとは思えないほど、少女の身体は軽かった。
かなりの血を流して、少しずつ冷えていく体温に、不安は増すばかりだった。
アルフィーに少女を託して、ようやく安堵した自分に気が付いた。
「は……はは」
見下ろす自分の手が、小さく震えていた。
それほどに不安だったのか。
あの小さな命が、いつ消えてしまうかもわからなくて。
冒険者をやっていたくらいだから、人の死にも慣れたと思っていた。
だと言うのに、こんなにも心が掻き乱されるとは。
ガタリと扉が開いて、アルフィーが姿を現した。
促されるままに部屋に入れば、少女は静かに寝息を立てていた。
多くの血液を失ったからだろう、顔色はまだ蒼白のままだが、傷は綺麗に塞がっていた。
ばっくりと割れていた傷口は、今では影も形も無い。
「良かった……」
傷痕も残さずに治療されたことに、安堵の声が漏れた。
「炎風のアストリーとも思えぬ姿ですね」
「その呼び方はやめろ」
炎風のアストリーとは、俺――グレンことグラディス・アストリーの冒険者時代の二つ名だ。
別に自分で名乗った訳では無い。
剣に炎を纏わせ、疾風のように駆ける。そんなところからついた名だ。
今ではもう、捨てた名だと思っていた。
今更呼ばれるのも、なんともこそばゆい。
「どうしたんですか、この子。まさか、貴方の子供ということは無いでしょうけど」
「俺の子……に、見えるか?」
「いいえ、全然。でも、年齢的にはこれくらいの子供が居ても別におかしくは無いでしょう」
「そうか……」
アルフィーの言葉を聞いて、気持ちが固まった気がした。
いや、本当はもっと前から決めていたのかもしれない。
夜通し不安に駆られながら荷馬を強引に走らせていた時から、ずっと。
「なぁ、アルフィー……俺、この子を引き取ろうと思うんだ」