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目が覚めた時、私は見知らぬ部屋に居た。
綺麗なシーツに、柔らかな布団。陽が差し込む温暖かな部屋。
あまりの居心地の良さに、ほう……と息をつく。
どうしてこんなところに居るのだろう。
記憶を辿れば――そうだ、私はワイングラスを投げられて、血を流していて……。
恐る恐る、額に触れてみる。
さらりと、指先が滑った。
何も引っかかるものは無い。
「おや、目が覚めましたか?」
声がして顔を上げれば、優しそうな男性が居た。
着込んだ司祭服から、おそらく神官なのだろう。
にこやかな笑顔は、見る者を安心させる。
「あの、ここは……?」
「教会です。グラディスが貴女をここに運び込んだんですよ」
「グラディス?」
聞き覚えの無い名に、思わず首を傾げる。
神官様は扉を開け、廊下に声を張り上げた。
「グラディス、目が覚めたみたいです」
「本当か!!」
声と共に姿を現したのは、あの村であった家具職人のグレンさんだった。
優しかったあの人。
彼が私をここまで運んでくれたのだろうか。
「グレンさん……え、でも、グラディスって……?」
「ああ、グラディスは本名って言うか……あの村では、別の名で通していたからなぁ」
「そうなんですか」
頭を掻くグレンさん――もといグラディスさんの様子に、あまり突っ込まない方が良いのかなと大人しく頷く。
そんなことよりも、もっと言わなくてはいけないことがある。
「グラディスさんが私を教会まで運んでくださったのですか?」
「あ、ああ」
「有難うございます」
「あっ、いや、その、礼を言われるようなことは……っ」
頭を下げれば、慌てたような声が返ってきた。
「……あんな怪我をしてる子を前にして、放っておく他の連中の方がおかしいんだよ」
あの家では、ずっと私に何があろうと見ないふりをされていた。
こんな風に言ってくれたのは、彼が初めてだ。
「傷は治っても、血は流れたままですから。しばらくは大事にしてください」
「あの、治療は神官様が……?」
「ええ」
優しそうな神官様にも、改めて御礼をする。
「有難うございます。まさか、治療して貰えるなんて……」
この先ずっと傷を背負って生きていく、それが運命なのだと思っていた。
覚悟をしていた訳では無い。そうとしかならないだろうと諦めていたのだ。
それが、グラディスさんと知り合ったことで、こんな風に変わるなんて。
神官様は私の様子を見て、何やら難しそうな顔をしている。
グラディスさんと顔を見合わせ、小さく頷いた。
どうしたのだろう。私が分からないだけで、二人の間に何かやりとりがあったのかもしれない。
「これは……流石に反対も出来ませんね」
「だろう?」
神官様の言葉に、グラディスさんが頷く。
そして私の手を取り、腰を屈めて私の顔を覗き込んできた。
「あんな家に帰ることは無い。良ければ、俺と一緒に暮らさないか?」
「え――…」
グラディスさんの言葉に、ぱちりと目を瞬かせる。
言葉の意味を理解するまでに、暫しの時間を要した。
だって、それは、予想もしていなかった内容だったから。
「私……あの家を、出られるの……?」
「ああ。申し訳ないが、君が寝ている間にデインズ家のことを調べさせてもらった」
思わず息を飲み込む。
自分の悲惨な生活が知られてしまったことは、なんともばつが悪い。
「君があの家で、幸せになれる未来が見えないんだ。無論、伯爵家を継承するには家に戻った方が良いんだろうが――…」
「嫌です。私、帰りたくない」
グラディスさんの口から出た言葉に、咄嗟に反発してしまう。
目元が熱くなり、じわりと視界が霞む。
「グラディスさんと、一緒がいい」
「……そうか」
グラディスさんは安堵したように笑い、ぎゅっと私の身体を抱きしめてくれた。
……温かい。誰かにこんな風に抱きしめられることなんて、今まであっただろうか。
幼い頃、乳母がこうして抱きしめてくれた気がする。でも、その乳母も居なくなってしまった。今では温もりどころか顔も名前さえも覚えては居ない。
ボロボロと涙を零す私をあやすように、グラディスさんが優しく背を撫でる。
大きくて温かな手。この人が、今日から私の家族になるんだ……。
「しかし、相手は伯爵家だ。向こうが本気で探そうと思えば、なかなかに厄介な相手ですよ」
「なぁに、大丈夫だ。あの村では、俺は家具職人のグレンで通っていたし」
神官様の言葉に不安を覚えてグラディスさんを見上げれば、優しい掌がぽんぽんと髪を撫でた。
「金も稼がないといけないしな……また冒険者稼業に戻るかぁ」
「冒険者……」
私が呟けば、グラディスさんの深い翠色の瞳が不安げに揺れた。
「やっぱり伯爵令嬢から冒険者の娘ってのは、差がありすぎるか……?」
グラディスさんの言葉を否定するように、ぶんぶんと首を横に振る。
「冒険者、嫌じゃない。伯爵令嬢の方が、もう嫌です」
これまで、どうやって小説の展開から逃げるかばかりを考えていた。
それ以外の生活なんて、想像すらしていない。
想像する余裕さえ無かったというのが正しいのかもしれない。
そんな私が、冒険者の娘として暮らして行けるなんて。
熱いものが次々とこみ上げてくるのは、決して悲しいからでは無い。嬉しいからだ。
「じゃー……っと、そうだな。名前、どうしたものか……そのまま名乗ってたんじゃ、伯爵家に見つかるかもしれないし……」
「新しく名前をつけた方が良いでしょうね」
神官様の言葉に、グラディスさんが頷く。
名前。ヴァージニア・デインズとしてこの世界に生を受けた私の、新しい名前。
「……カレン」
「え?」
「新しい名前。カレンが良いです」
真っ先に思い浮かんだのは、前世の名前――下条可憐。私の魂の名前。
「そうか。じゃ、今日から君はカレン・アストリーだ」
「はい!」
今度はこちらから、ぎゅっとグラディスさんに抱きつく。
冒険者をしていたというだけあって、大きくて逞しい胸。
私の身体なんて、すっぽりと収まるくらい。
この人が、今日から私の家族なんだ。
もうヴァージニア・デインズは居ない。
今の私はカレン・アストリーなのだ。
小説の展開から外れてしまえば、これから先どんな未来が待ち受けているかは分からない。
でも、この人とならきっと幸せな未来が待っている――不思議と、そんな予感がしていた。
#異世界転生
#婚約破棄
#ハッピーエンド
千椛