テラーノベル
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黒猫ている
#異世界転生
#婚約破棄
目が覚めた時、私は見知らぬ部屋に居た。
綺麗なシーツに、柔らかな布団。陽が差し込む温暖かな部屋。
あまりの居心地の良さに、ほう……と息をつく。
どうしてこんなところに居るのだろう。
記憶を辿れば――そうだ、私はワイングラスを投げられて、血を流していて……。
恐る恐る、額に触れてみる。
さらりと、指先が滑った。
何も引っかかるものは無い。
「おや、目が覚めましたか?」
声がして顔を上げれば、優しそうな男性が居た。
着込んだ司祭服から、おそらく神官なのだろう。
にこやかな笑顔は、見る者を安心させる。
「あの、ここは……?」
「教会です。グラディスが貴女をここに運び込んだんですよ」
「グラディス?」
聞き覚えの無い名に、思わず首を傾げる。
神官様は扉を開け、廊下に声を張り上げた。
「グラディス、目が覚めたみたいです」
「本当か!!」
声と共に姿を現したのは、あの村であった家具職人のグレンさんだった。
優しかったあの人。
彼が私をここまで運んでくれたのだろうか。
「グレンさん……え、でも、グラディスって……?」
「ああ、グラディスは本名って言うか……あの村では、別の名で通していたからなぁ」
「そうなんですか」
頭を掻くグレンさん――もといグラディスさんの様子に、あまり突っ込まない方が良いのかなと大人しく頷く。
そんなことよりも、もっと言わなくてはいけないことがある。
「グラディスさんが私を教会まで運んでくださったのですか?」
「あ、ああ」
「有難うございます」
「あっ、いや、その、礼を言われるようなことは……っ」
頭を下げれば、慌てたような声が返ってきた。
「……あんな怪我をしてる子を前にして、放っておく他の連中の方がおかしいんだよ」
あの家では、ずっと私に何があろうと見ないふりをされていた。
こんな風に言ってくれたのは、彼が初めてだ。
「傷は治っても、血は流れたままですから。しばらくは大事にしてください」
「あの、治療は神官様が……?」
「ええ」
優しそうな神官様にも、改めて御礼をする。
「有難うございます。まさか、治療して貰えるなんて……」
この先ずっと傷を背負って生きていく、それが運命なのだと思っていた。
覚悟をしていた訳では無い。そうとしかならないだろうと諦めていたのだ。
それが、グラディスさんと知り合ったことで、こんな風に変わるなんて。
神官様は私の様子を見て、何やら難しそうな顔をしている。
グラディスさんと顔を見合わせ、小さく頷いた。
どうしたのだろう。私が分からないだけで、二人の間に何かやりとりがあったのかもしれない。
「これは……流石に反対も出来ませんね」
「だろう?」
神官様の言葉に、グラディスさんが頷く。
そして私の手を取り、腰を屈めて私の顔を覗き込んできた。
「あんな家に帰ることは無い。良ければ、俺と一緒に暮らさないか?」
「え――…」
グラディスさんの言葉に、ぱちりと目を瞬かせる。
言葉の意味を理解するまでに、暫しの時間を要した。
だって、それは、予想もしていなかった内容だったから。
「私……あの家を、出られるの……?」
「ああ。申し訳ないが、君が寝ている間にデインズ家のことを調べさせてもらった」
思わず息を飲み込む。
自分の悲惨な生活が知られてしまったことは、なんともばつが悪い。
「君があの家で、幸せになれる未来が見えないんだ。無論、伯爵家を継承するには家に戻った方が良いんだろうが――…」
「嫌です。私、帰りたくない」
グラディスさんの口から出た言葉に、咄嗟に反発してしまう。
目元が熱くなり、じわりと視界が霞む。
「グラディスさんと、一緒がいい」
「……そうか」
グラディスさんは安堵したように笑い、ぎゅっと私の身体を抱きしめてくれた。
……温かい。誰かにこんな風に抱きしめられることなんて、今まであっただろうか。
幼い頃、乳母がこうして抱きしめてくれた気がする。でも、その乳母も居なくなってしまった。今では温もりどころか顔も名前さえも覚えては居ない。
ボロボロと涙を零す私をあやすように、グラディスさんが優しく背を撫でる。
大きくて温かな手。この人が、今日から私の家族になるんだ……。
「しかし、相手は伯爵家だ。向こうが本気で探そうと思えば、なかなかに厄介な相手ですよ」
「なぁに、大丈夫だ。あの村では、俺は家具職人のグレンで通っていたし」
神官様の言葉に不安を覚えてグラディスさんを見上げれば、優しい掌がぽんぽんと髪を撫でた。
「金も稼がないといけないしな……また冒険者稼業に戻るかぁ」
「冒険者……」
私が呟けば、グラディスさんの深い翠色の瞳が不安げに揺れた。
「やっぱり伯爵令嬢から冒険者の娘ってのは、差がありすぎるか……?」
グラディスさんの言葉を否定するように、ぶんぶんと首を横に振る。
「冒険者、嫌じゃない。伯爵令嬢の方が、もう嫌です」
これまで、どうやって小説の展開から逃げるかばかりを考えていた。
それ以外の生活なんて、想像すらしていない。
想像する余裕さえ無かったというのが正しいのかもしれない。
そんな私が、冒険者の娘として暮らして行けるなんて。
熱いものが次々とこみ上げてくるのは、決して悲しいからでは無い。嬉しいからだ。
「じゃー……っと、そうだな。名前、どうしたものか……そのまま名乗ってたんじゃ、伯爵家に見つかるかもしれないし……」
「新しく名前をつけた方が良いでしょうね」
神官様の言葉に、グラディスさんが頷く。
名前。ヴァージニア・デインズとしてこの世界に生を受けた私の、新しい名前。
「……カレン」
「え?」
「新しい名前。カレンが良いです」
真っ先に思い浮かんだのは、前世の名前――下条可憐。私の魂の名前。
「そうか。じゃ、今日から君はカレン・アストリーだ」
「はい!」
今度はこちらから、ぎゅっとグラディスさんに抱きつく。
冒険者をしていたというだけあって、大きくて逞しい胸。
私の身体なんて、すっぽりと収まるくらい。
この人が、今日から私の家族なんだ。
もうヴァージニア・デインズは居ない。
今の私はカレン・アストリーなのだ。
小説の展開から外れてしまえば、これから先どんな未来が待ち受けているかは分からない。
でも、この人とならきっと幸せな未来が待っている――不思議と、そんな予感がしていた。
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