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それからどのくらいの時間が経ったのか。
新藤さんはずっと優しく私の髪や肩を撫でながら傍にいてくれた。
「落ち着かれましたか?」
私が声を上げて泣かなくなったのでそう聞いてくれたのだろう。
「律さん、私の昔話を聞いていただけませんか? そのままで結構です」
ぼんやりと空を見つめながら頷いた。
「前に妹の話をしましたよね。彼女も律さんと同じ状態でした。無理ばかりして笑顔で大丈夫だと、辛いとひとことも言わない女性で。原因は不明ですが、妹も今の律さんと同じように子供をお腹の中で亡くしてしまいました。大変悲しく、ショックだったのでしょう。誰のせいでもないのに彼女は自分を責め続けて……子を宿したまま彼女は自殺しました。止められなかった……残された家族は、それは苦しく悲しい時間を今も過ごしています」
「………」
答える事が出来なかった。私も同じことをしようとしていたから。
「酷なことを言いますが受け止めてください」新藤さんが私の顔を覗き込み、訴えるように語りかけた。「きちんとお腹の子を誕生させ、この世に生きるはずだった証を刻んであげましょう。それができるのは律さんだけです。貴女には愛する家族がいるのです。彼らに絶望を見させるようなことをしてはいけません」
彼の言葉は私の心の奥を揺さぶってくる。
「どんなに辛くても、生きていれば必ずいいことがあります。この世の絶望を経験したのなら、それ以上はもうないでしょう。後は這い上がるだけです。ここから始めましょう。どんなに苦しくても必ず道はあります。でも、死んでしまってはその道すらなくなってしまう。ご家族に私のような思いをさせたりしないで下さい」
経験した人だからこそ新藤さんの話は重みがあり、気持ちを理解して寄り添えるのか。
光貴よりも新藤さんの方が常に私の身体を気遣ってくれるのは、私が単純に仕事上の顧客だからではなく辛い過去があり、誰よりも家族を失った悲しみを知っているからなのか。
新藤さんだけが、私の気持ちをわかってくれる。
どうしようもできない、どす黒い負の感情を。
その時、聞きなれたメッセージアプリの着信音がした。
ベッド脇に置かれた私のハンドバッグの中のスマホからの音だ。
光貴か家族からの連絡だろうな。ああ…どうやって報告すればいい?
今、光貴に詩音の事を告げても、きっと二日後に控えたサファイアのメジャーデビューライブをは執行される。
詩音の事を知った上でステージに立った時、光貴はきちんとライブができるか、笑顔でギターを弾けるかどうか……。
無理だ。
光貴はすぐ顔に出るから。
長い付き合いだから手に取るようにわかる。
酷く取り乱してギターが手につかなくなり、悲惨でボロボロなプレイして、なんだアイツって大したギターも弾けないなぁって、これまでのサファイアのファンにバカにされてお終い。最初が肝心なのにその舞台で大ゴケしてしまうだろう。
そんなことになったらサファイアのメンバーとして活動を続けていくのは困難になる。今後の活動に影響が出るだろう。
みんなの期待を裏切ることになる。
ここで私が光貴に寄りかかったら、二人とも潰れてしまう。
光貴の夢を私がこれ以上台無しにするわけにはいかない。
光貴には笑ってギターを弾いていて欲しい。
詩音を失ってしまった今、せめて光貴のライブだけは成功して欲しいと思った。
でもそうしたら、私は誰に寄りかかったらいいの?
一人では頑張れないよ。
辛すぎる。
助けて光貴………。
――ごめん。新曲のアレンジ難航中。今日は帰れない。体調どう? 気ぃつけてね。
届いた短いメッセージは光貴からだった。
彼に頼ることは許されない。光貴はもう私の夫だけでなくなってしまった。『サファイアの光貴』としての人生を歩みだしたのだ。
メンバー・スタッフ・事務所の方々・その他考えるときりがない。ファンのみんなが光貴に注目する大事な、大事なライブなんだ。
アーティストはコンディションが命。
今、詩音のことを知ったら光貴は発狂するかもしれない。
詩音のことは言っちゃだめ。
光貴に言ったら絶対ライブは失敗する。
とんでもない演奏になってみんなに迷惑かけて、ギタリスト生命が終わってしまう。
隠さなきゃ。絶対。ライブが終わるまではなにがあっても。
――連絡ありがとう。出産の準備のために早めに入院することになった。病院だからあまり連絡できないよ。検査も多くて大変だけど、病院だし心配ないから両親たちには連絡しないでね。ライブ頑張って! 出産近づいたら連絡するね。
嘘のメッセージを返しておいた。
かけてくれる言葉は少ない人だけれど、私を大事にしてくれるのはわかっているから。
だからこの苦しい時間を、光貴のために耐えるしかない。
スマホを握りしめると溢れた涙が画面にポタポタと零れて染みを作った。
でも怖い。
つらい。
光貴。
助けて。
一人じゃ乗り越えられないよ。
傍にいて。
今、傍にいて抱きしめてよ――・・・・