テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
kurara
10,190
────八月十九日。
冷房の効いた部屋に二人。片やギターを抱え片や課題の片付け中。
「元貴〜…これなに、意味わかんない」
若井がシャーペンで問題を示す。
なんかよく分からない英文。長ったらしい。
「俺に分かると思う?」
「思ってないけどさ」
いや、実際分からないけど。
素直に思ってないって言われるのはなんか違くないですか。
相変わらずのテンポで会話を続けられるこの瞬間はいつも通りで当たり前で。
そんな当たり前でも、名前のついた感情を抱えている今は少しだけ特別だった。
軽口を叩き合いながらもギターを爪弾いていた指先の動きは止まっている。
目の前の若井の姿を見て無意識に気が抜けていた。
やっぱり調子狂う。見られてると集中出来なくなるし、そうじゃない時だってこっちの視線を奪うのは全部若井。
それすらも別にいいか、なんて思ってしまう自分が居る。そうしていられる時間が無性に愛おしくて大切に思えるから。
ギターを鳴らして音色を部屋に響かせれば若井の指先がリズムを取るように小さく机を叩く。
此方に意識が向き始めているのは明らか。
「集中してくださーい」
顔を上げないまま、弦を鳴らしたまま。
若井は机に肘をついてペンをノートの上に転がした。頬杖をつく手の上に顎を乗せて笑う。
「ちょっと休憩させてよ」
その仕草にまた目が離せなくなりそうで、意図的に視線を弦へ固定した。
「はいはい。休憩ね。十分も続けてないのに休憩。」
「言わないで」
少なくとも今若井が勉強に戻る可能性は極めて低い。残念なことに。
呆れたように息をつきながらも、少し嬉しかった。
若井が手を止めてまで意識を向けるのは自分が鳴らしている音だと言うこと。
彼はいつも言う。この音を鳴らす度、新しく音を作る度。
「元貴の音楽、ほんと好き」
頬杖をついたまま若井は笑った。いつもそうやって言うように、今日もまた。
それでもその一言が今までよりも強く響いた。
ギターを抱える手に僅かな力が入って胸のずっと奥の方がじわじわと熱くなる。
「嬉しいこと言うね。ありがと」
さらっと返したが、上手く返せていただろうか。
いつも通りの表情を見せる事が出来ていただろうか。
本当は思ってること、それだけじゃない。こんな言葉で表せる程この気持ちは小さくも薄くもない。
今までその言葉通りに受け取れていた言葉が、今は「好き」の一言で過剰に反応してしまう。
どうしようもなく嬉しくて、いつかその「好き」がこっちにも向けばいいなんて。
自分が創り出す物を好きだと言ってもらえるのは嬉しい反面、ちょっとだけもどかしい。
また柄でもなくそんなことを考える。
こんなこと思うなんてキャラじゃないしらしくもない。けど、確かに本音で本物の感情だった。
結局数分そのまま。片やギター、片や課題中の二人は音を鳴らす方とその音に目を瞑る方に変化した。
軽く一曲弾き終えて若井にちらりと視線を向ける。
「終わり。早く勉強やりなよ」
「はいはい」
若井は惜しむような表情を作りながらも気の抜けた返事を返した。
机上に放られていたペンを手に取ってノートに視線を落とす。
勉強を再開しても完全な静寂にはならない。
時々若井が何か口にして、それに言葉を返して、若井が笑って。
たったそれだけの時間がどれだけ心地良いかってこと、また実感する。
「ねー元貴」
ペン先でテキストを叩く若井が間延びした声で名前を呼んだ。
「んぁ、なに」
弦を弾く手を止めて顔を上げる。
若井は机に腕を置き、指でその中の一問を示した。
「これ。これ教えて」
「うーわ、分かんないって言ってんのに。」
「分かるかもじゃん、こっち来てよ」
仕方なくギターを置いて若井の近くへ移動した。
右隣から前屈みになって示された課題に視線を落とす。
問題を読み込んで数秒。ギリギリ。ギリ分かる範囲だった。
「これは……まずここからね。」
教科書の一文を指さして軽い解説を挟む。
若井はシャーペンを下唇に押し当てて要約したその説明を聞いていた。
何かを理解しようとする時 たまにやってる。
片手が机を叩くその動き。
解説しながら些細な仕草を捉えていた。
指綺麗だな、とか前からこの癖あるな、とか。
「あぁ、何となくわかった。何となく。」
「何となく強調されると不安なんだけど。」
なんて言いながらも若井は解答を記していく。
その間、そっと隣に腰を下ろしてその横顔を見つめていた。
ずっと隣で見てきた横顔。中学時代、一番最初に見るのは勿論家に迎えに来た若井の事。
高校は違えど、こうして一番よく会うのも、会いに来てくれるのも。
そんな事をぼんやりと頭で考えながら視線は若井を捉え続けていた。
「……よっしゃ、これでどうよ」
若井が顔を上げた瞬間、互いの間に一拍の間が落ちた。
瞬時に理解出来たのはひとつだけ。
思ったよりもずっと、距離が近い。
至近距離にあるその瞳が映しているのは自分だけ。
自分だけが若井を映して。映されて。
一瞬固まった後、ばっと頬杖をついていた腕を外した。
心臓が煩い。
自分にしか聞こえていないはずの鼓動が彼にも聞こえてしまうんじゃないかと思う程。
頬の熱さを感じたくなくて、感じたら耐えられない気がして。
何か言おうとしたけど上手く言葉を見つけられず、それなのに視線を外せなかった。
見たことの無い表情に、目を奪われた。
いつも真っ直ぐな瞳が僅かに揺れて、よく笑いを零すその口からは一言も言葉が出てこない。
なにそれ。こんな表情、初めて見た。
赤く染った様に見える頬にどうしようもなく触れたくなった。
同じような熱があるかどうか、確かめたかった。
再度一拍の静寂が落ちて、若井が口元を覆うように片手を当てる。
「う、わ……びっくりしたぁ………」
普段通りのトーンだった。いつも通りの声。
「ごめん、さっき元貴立ってたから」
まだ煩く鳴り続けている鼓動へ意識が行かないように、どうにか言葉を返す。
「…いや、平気平気。」
不自然な間を作ってしまった気がしたが、若井はそれに気付いていないのか特に気に留める様子はなかった。
再度シャーペンを手にする姿を見てもうそろそろ戻っていいかな、と思い始めた時。
若井の視線がまた此方に向いた。先程よりは開いた距離で目が合う。
ページを捲りながら、若井は小さく笑った。
「なんかちょっと照れたかも。」
息が詰まるような感覚。時計の音も、冷房の音も、空間の音がまるで遠いように感じた。言葉もすぐには出てこなくて。
何で。何でそんな顔して笑うの。
出来そうになかった。平気で居るなんて。
熱に浮かされた鼓動の音が何より雄弁に語っている。
このまま見ていたらもっと溢れてしまいそうな気がして、揺れる感情を抑えながら同じように軽く笑い返した。
ローテーブルの反対側に座り直してギターを抱える。
若井の視線はもう机上に落ちていた。
その姿を視線の端で捉えながら、いつもより少しだけ丁寧に音を紡ぐ。
好きだと言ってくれた音楽を好きな人に返す。
この感情はまだ言葉にして伝えられないけど、今はただ音を聞いて。
コメント
2件
すごい好きですTT
うわあ、この空気感、すごく好きです。リズムで会話が成立してるというか、ギターの音と若井の指先の動きだけで通じ合ってる感じがたまらない。それでいて「いつも通り」の裏にある元貴の心のざわめきが、すごく丁寧に掬い取られてて。最後の「この感情はまだ言葉にして伝えられないけど、今はただ音を聞いて」って一文、静かに胸に来ました。まだまだ続きが気になります。