作戦内容自体は簡単だ。例の魔術で『死霊も通さぬ堅き門』をその場から引き離し、アギムユドルの街中を行進させる。まるで凱旋門自体が凱旋行進をするような非現実的な光景が繰り広げられることだろう。それだけだと門自体が奇跡を起こしたと思われかねないので、ユカリが門のそばで目立つ。
「目立つとは?」ユカリは作戦の根本に疑問を持ちながらも念のために詳細を詰める。
「なんでもいいよ。あんたがこのとんでもないことをやってるんだなって、みんなに思わせられればいいのさ」とジニはユカリに放り投げる。
「これで良いんじゃない?」とエイカがユカリの首飾りを指さす。「私まだユカリの解呪の活躍見てないし」
「いいね。それでいこう」とジニも乗り気になる。
ユカリは受け取りつつもまだ作戦を疑っている。「そもそも移動させられるからって、こんな巨大なものを動かせるんですか?」
「確かに巨大な壁を動かすのは難しいことだけどね、壁に空いている穴だけ動かすのはもっと難しいよ」
前者が『死霊も通さぬ堅き門』で後者がありふれた家屋の扉のことだ。
ジニにもっともなことを言われ、ユカリは降参する。元より魔法の知識で敵うはずもない。
「それじゃあ私、門の上で待機してますね」そう言ってユカリはジニとエイカとカーサを見つめる。
二人の母と協力する日が来るなど夢にも思わず、想像したこともなかった。不思議な気分だ。
「どうしたんだい?」とジニが尋ねる。「走る門の上で歌うのなんて初めてって顔してるよ」
「よく分かりましたね」
ユカリは門の天辺へと上り、紫水晶の首飾りに心を傾ける。一瞬の内に魔法少女の衣は光の放散となって弾け飛び、新たに紡ぎ織られた歌い手の衣装へと早変わりする。拡声の杖を握り、もぬけの殻のアギムユドルを眺める。しかしアギムユドルの市民は門を通じて、門を介して繋がっている。次は自分が人々を繋ぐのだ、とユカリは意気込む。
そしてヴォルデン領を解呪する。もしかしたら呪いは再び戻ってくるかもしれない。しかしひと時でも他者の姿が見え、すぐそばにみんながいるのだと知ってくれたなら、再び呪いに沈んだとしても救いを示す希望となるだろう。
特に合図も何もなく、門がゆっくりと動き出した。街の外周、深奥においては崩れていない城壁を『死霊も通さぬ堅き門』が互いにぶつかることなく、干渉することなくなぞる。山の如き巨大な門が街の周囲を巡り出す。あまりにも異様な光景だが、奇跡とはそのようなものなのだろう。
緊張を解きほぐすべく深呼吸をして肩の力を抜いたユカリの隙を突くように、辺りに光が迸った。無数の光線が門を囲むようにしてユカリを照らし出す。小さく悲鳴をあげ、慌てて身構えるユカリは頭上にとんでもないものを発見する。それは光が結び合わさって形作られたユカリの幻像だった。ユカリの生き写しを拡大した巨大な像はユカリ自身に連動している。こんな大掛かりな魔法が使える者はジニしかいない。
こんな話は聞いていないが、意図は分かる。大袈裟に派手に目立って信仰を集める算段だろう。黙っていたのは、我が娘は恥ずかしがって拒むだろう、と予想したからに違いない。ならば、とユカリは眉宇に決意を漲らせる。堂々とやってやる。
杖を構え、見えないが見られている沢山の人々に語り掛ける。
「今から、私が、この地の呪いを解きます!」
【これが二度目だ。覚悟を決めて思い切る。やはりまたもやユカリの霊感には収まりきらない詩心が降りてきて、魂を激しく揺さぶり、溢れ返らんばかりに歌を発する。ラゴーラ領を救った寄り添うような優しい歌と違って、絶望に沈んだ者を支え、鼓舞する、とても力強く勇ましい歌だ。
肺が伸縮し、喉が震え、口の中を強く意識させられる。舌が歯を打ち、吐息が唇を震わせ、打ち寄せる大波の如く歌が深奥に響き渡る。打ち付けるかの如き響きは打楽器どころか、破城槌にも劣らない。全力疾走した体に血を送る心臓のように絶え間ない速度で言葉が溢れ、聞く者の耳の奥の魂を打ち据える。
その姿が『死霊も通さぬ堅き門』の上に映し出され、光線が音に合わせて宙を彩る。
ユカリの歌がアギムユドルの街に流れ込むと同時に、孤立の呪いが形を成す。それは壁だ。失われた城壁にも似ているが、遥かに高く強固で邪な壁だ。呪いの壁がアギムユドルの街だけではなくヴォルデン領に生き残る全ての街を細分化し、人々を孤立させ、深奥に幽閉している。
しかしユカリから紡ぎ出される歌唱が勇敢な王の率いる軍勢のように怯むことなく呪いの隔たりに挑みかかり、深奥の果てまで林立する壁を打ち壊してゆく。
その時崩れる壁の向こうからまた別の存在が飛び出してきて、歌うユカリと対峙した。それは緑の目の克服者だ。それもこの土地の孤立する呪いを克服した者ではなく、ユカリがクヴラフワで初めて訪れたラゴーラ領で遭遇した黒い霧を纏う『這い闇の奇計』の克服者だ。それにマローガー領へ向かっていた時にも残留呪帯を渡る際に邪魔された。執拗な克服者だ。
解呪の歌唱が効いているのかいないのか、黒霧の克服者は獣のように猛り狂いながら向かい風に逆らうように黒霧をはためかせ、ゆっくりとユカリへと近づいてくる。
解呪は最終段階へと移っている。破壊された壁の向こうからは克服者だけでなく、孤立していた人々が街の通りや家々の窓辺に蝋燭に灯った明かりのようにぽつぽつと現れた。
初めは何が起きているのかと警戒していた人々も、歌に破壊された壁の向こうに見知った顔を互いに見つけ合い、長い孤独に委縮しきった魂が蘇り、歓声を上げる。金切り声で喜びを表す者。涙を溢れさせて愛する人を抱擁する者。驚きのあまり脱力して膝をつく者。無数の救いと共にユカリは歌い終える。】
丁度門が街を一周したその時、暗闇に包まれていたアギムユドル市の深奥は、濃緑の空へと塗り替わる。どちらにしても呪われた空であることは残念だ。
砂塵を巻き上げる旋風のように門を覆っていた合掌茸の胞子が吹きあがり、ユカリの元へと集まってくる。ただし、胞子は形を成さず、既にユカリの首を飾っている紫水晶の中へと吸い込まれていく。いつも通り新たに手に入ると予想していたのだが結果は違った。
「この期に及んでまだ新しいことが起こるなんて。今度の魔導書は分からないことだらけだよ」風のグリュエーに話しかけるように襲撃してきた執拗な克服者に愚痴る。それと同時に黒霧の克服者がユカリに向かって突進してきた。「どうして私を狙うの? ドーク」
途端に吹き消された灯火のように克服者の双眸の緑の輝きが失せ、月光が夜闇を照らす時のように瞬く間に黒霧が晴れ、中から少年が現れた。メグネイルの街で出会い、崩れ行くマルガ洞に消えた少年ドークが無事な姿を見せた。あの時と同じ、他の土地の少年たちと変わらない、はにかむような、それでいて生意気な表情に問いかけられる。
「なんで分かったんだ?」
ユカリは少し考えるがはっきりと言えることはなかった。
「なんでって言われても、他に心当たりがないし」
ドークは苛立たしげにユカリを睨みつける。「なんで俺に心当たりがあったんだよ」
ユカリはメグネイル市でのドークとの会話をゆっくりと思い出す。
「最初に不自然に思ったのは、『這い闇の奇計』に呪われた土地で本を読んでるって言ってたから、かな。あの時はまだ克服者なんて知らなかったから神官たちみたいに特別な魔法でも持っているのかと思ってたけど、それは否定していたし」
「ああ、あれはつまらない失敗だったな」ドークは誤魔化すようにそっぽを向く。「誤魔化せたつもりだったよ。気づいてたのか。なんであの場で嘘を指摘しなかったんだ?」
「隠したいことなのかと思って。色々良くしてもらったし」
ドークは小さく溜息をつき、真剣な表情に戻る。
「むしろ隠したくなかったんだ。俺だけの特別な力だったからな」
「克服者の力のこと?」
「いや、違う。俺のはもっと特別なんだ。福福の祝福の、その原型だよ。俺のは、ただ呪いが効かないってだけ。それだけ」
ユカリはドークの言葉を上手く理解できず首を傾ける。
「それで十分じゃないの? そのためのハーミュラーさんの研究でしょ?」
ドークは集る羽虫を追い払うように首を振って否定する。
「それじゃあ克服したとは言えない」
「どういう意味? どういう意味で克服という言葉を使ってるの?」
ドークは馬鹿にしたような笑みを浮かべる。
「もういいさ。今では俺も克服者なんだからな」そう話すドークの口から黒い霧が溢れ返る。
「まだ最初の質問に答えてもらってないよ。どうして私を狙うの? ドーク」
「巫女ハーミュラーの思し召しだ!」
ドークの瞳が緑に輝くと吐き出した黒霧が溢れ、全身を包む。ユカリもまた紫の光に包まれ、魔法少女へと変身する。飢えた獣のように飛び掛かってきた克服者の伸ばした腕をかわし、ユカリは杖に飛び乗って距離を取る。
ユカリは深奥の濃緑の空から、ドークは『死霊も通さぬ堅き門』の上で睨み合う。
「戦う気はないのか!?」
「そっちこそ。かかって来なよ」
ユカリは決して隊列を崩さない水鳥のように優雅にドークの跳躍では届かない頭上で弧を描く。
ドークは忌々しげに溜息をつき、俯く。が、発条のように飛び上がり、次いで全身から羽毛を伸ばし、両腕を伸長し、羽ばたき、三振りの剣の如き鉤爪のついた足をユカリに向ける。
しかしユカリはまるで待ち受けていたかのように宙でかわして見せ、両手に杖を握ると思い切り振り下ろしてドークを叩き落とす。
鈍い音を立てて門の上へと墜落したドークは怒鳴る。「どうして分かったんだよ!?」
「深奥に潜って来れたってことはこの街にいた克服者と同じことが出来るんでしょ?」
「ああ! そうさ! ご明察だ! 俺だけだ! 俺だけは全ての呪いを克服した! 全ての克服者の力を持ってるんだ!」
ドークは肉を抉るような不快な音を立てながら全身から血と共に剣を生やし、ユカリに向けて射出する。
ユカリは弓矢の味を知る賢い雁のように空を舞うようにして赤く閃く血濡れの刃をかわす。そうでなくてもユカリの杖から噴き出す風のせいで刃の狙いは大きくそらされていた。
「次は蟲の塊? それとも血塗れの獣? ねえ、ドーク! いつまでクヴラフワにいるの?」
「はあ!? 何が言いたい!」
「こんな所に閉じ込められて一生を追えるなんて真っ平御免だって言ってたでしょ? あれは嘘だったの? 本当はハーミュラーの手先になるのが目的だったの?」
「お前こそ! お前は……。これは時間稼ぎだろ!? 母親が助けに来るのを待ってるんだな!? グリシアン大陸を巡る? そんなに寂しいなら故郷に帰るんだな! ああ、家は焼けたんだっけ? しかも当の母親が焼いたんだってな?」
それはドークに話していない。ハーミュラーもまた知るはずのないことを言い当てていた。ハーミュラーの魔法だろうか? あるいは克服者の力だろうか?
「そこまで知ってるならそうなった事情だって知ってるでしょ? 挑発しようったって無駄だよ」
ユカリはドークから目を離さず、獲物の狙いを定める猛禽のように深奥の空を旋回する。
「じゃあお前の知らない秘密を教えてやるよ、ユカリ。お前の母エイカの隠している企み。聞きたくないか?」
ユカリは聞く耳を持たないという態度をとりつつ耳を傾ける。血に塗れるドークの歪んだ冷酷な笑みを視界の端に見つめる。
「あの女はお前を殺そうとしてるらしいぜ」