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過去編.2 さよならの準備
fjsw side
夜の静けさがやけに耳に残る。
エアコンの音すら消えたような気がして、
窓を閉め切ったこの部屋に、ただ自分の鼓動だけが響いていた。
机に向かい、白い便箋を目の前に置いたまま、もうどれくらい経っただろう。
ペンは手に持っているのに、最初の一文字が書けない。
書いたら終わってしまうようで、怖かった。
でも_書かなきゃいけない。
俺がいなくなったあとも、元貴が生きていけるように。
ちゃんと歩いていけるように。
あれは、まだお互い若かった頃。
目の奥に炎を灯して、真っ直ぐに「一緒にバンドやろうよ」って言った元貴。
自分のことよりも、音楽の未来を信じてた元貴の横顔が、今も忘れられない。
レコーディングで寝不足のとき、差し入れのコーヒーを僕の分まで買ってきてくれて、
「ほら、涼ちゃんもブラック飲むでしょ?」って、ニッと笑った元貴。
あの頃の僕は、笑いながらも、「好きだなあ」って、心のどこかで確信してた。
それを口に出すまで、ずいぶん時間がかかったけど。
付き合ってからも、バンドのことで何度も衝突して、 でもそのたび、泣いたり怒ったりしながら、ちゃんと向き合ってくれた元貴。
喧嘩の翌朝、何も言わずに台所に立って朝ごはんを作ってた姿。
不器用で、でも真っ直ぐで、ずっと変わらなかった。
海に行ったあの日のことも、思い出す。
夕焼けの中で、波の音に耳をすませながら、
「海の向こうには、死者の世界があるんだって」
そう言った僕に、元貴はずっと一緒にいようって約束してくれた。
今の僕は、元貴に何を残せるだろう。
未来を語るには、時間が足りない。
でも、想いを伝えるには、この手紙一通で、きっと足りる。
大丈夫。きっと、届く。
そう信じて、ペンを持ち直す。
便箋の端に、静かに一文字目を書くと、
そこからは不思議なくらい、スラスラと手が動いた。
思い出が、言葉になって溢れていく。
笑った顔、怒った声、泣いた夜。
すべてが今の僕を支えてくれている。
そして_これからの元貴の背中を押す、力になるはずだ。
書き終わったあと、しばらくペンを置いたまま、じっと便箋を見つめた。
涙は出なかった。ただ、胸の奥があたたかくて、苦しくて。
封筒に手紙を入れ、そっと名前を書いた。
『元貴へ』
たったそれだけで、何か大切なものがすべて詰まっている気がした。
これでいい。
これで、僕は行ける。
元貴の未来を、ちゃんと願いながら。
部屋の電気を消して、暗闇の中で目を閉じた。
そのまぶたの裏には、
初めて手をつないだ夜の、元貴の笑顔が浮かんでいた。
低気圧のせいで頭痛が…!!