木でできた茶色の立派なドアを引くと、取り付けられた鈴がカラカラと音を立てて来客を告げる。この店はそこそこ人気なお店のようで、ほとんどの席は埋まっていた。その中で見つけた数少ない空席に私たちは腰掛ける。貴音さんはメニューに軽く目を通すと、垣原に渡す。私は垣原の横からメニューを覗き込み、目に留まった物に決めた。注文から少しして、3人分の料理が運ばれてくる。貴音さんはナポリタン、垣原と私は海鮮丼だ。私は手を合わせてから海鮮丼に手をつける。近くの港で取れたばかりの新鮮な魚は、プルプルとして柔らかく、口に入れると醤油のしょっぱさと魚の甘味が広がった。美味しい。思わず言葉が溢れる。それを聞いた貴音さんは嬉しそうに目を細めた。その眼差しを受けて私はどこか懐かしさを感じる。いつだろう、そう思い記憶を遡り、見えてきたのは彼女だった。
私たちは並んで少し硬いソファに腰掛ける。向かいには1人の女性が座っていた。隣の彼女は立てられていたメニューを取って、しばらくそれを見つめていたけれど、整った眉を下げ、困ったように笑った。
「どうしようユナ、どれも美味しそうで選べないや。海鮮丼も、唐揚げ定食も食べたい。」
私は春華が開くメニューを覗き込み、彼女と同じような顔をして笑う。結局、熟考の末に選ばれたのは唐揚げ定食だった。決めては春華の母の早くして、という言葉だ。少しして、3人分の料理が運ばれてくる。春華は私の目の前に置かれた海鮮丼を見て、少し羨ましそうな顔をするが、すぐに自分の唐揚げ定食に向き直る。魚を揚げて作った唐揚げは揚げたばかりのようで春華が噛むとサクッと音をたてた。私は私で海鮮丼に手をつける。プリプリの海老を箸で掴み、口に運ぶと入れすぎたワサビの味がして辛かった。その後も海鮮丼を食べ続けるが、ワサビが辛くて私は半分しか食べれない。それを見た春華が目を輝かせ、自分の唐揚げを小皿に取り分けると私に差し出してくる。
「ユナの海鮮丼と私の唐揚げ、交換しない?」
春華の提案を断る理由もないので、私は頷くと海鮮丼と唐揚げを入れ替える。受け取るや否や春華は海鮮丼を頬張った。その顔には柔らかい笑顔が浮かんでいて、それを見たおばさんが私たちを見て微笑んだ。
「2人とも、本当に仲良しなのね。」
その言葉を聞いた私は少しこそばゆくなって、おばさんから目を逸らすと唐揚げを齧る。唐揚げはとっくに冷めていたけど、絶妙な塩加減で、思わず美味しいと言葉が溢れる。それを聞いた2人は目を細めて嬉しそうな顔を見せた。私たちの間に和やかな空気が流れる。小さな定食屋は、ただ暖かかった。
目の前の貴音さんが心配そうに私の顔を覗き込んでくる。それに気づいて我に返った私は急いで海鮮丼をかき込んだ。手前に置かれた水を手に取り、飲み干す。溜まっていた海鮮丼が押し流される感覚がした。私の様子を見て、目をパチクリとさせていた貴音さんは、自分のナポリタンに再度手をつける。少し太めの唇には赤みの強いオレンジ色がついていた。食べ終わった貴音さんは備え付けのティッシュで口元を拭うと微笑んだ。
「ごめんね、私が食べ終わるまで待たせちゃって。そろそろ行こうか。」
先に車に乗っていて、そう言うと貴音さんは車の鍵を垣原に手渡す。立ち上がった彼は、受け取ると私を横目で見た後に出口へと歩いて行った。私はその背中を追いかける。垣原が扉に手をかけた時、入店時と同じようにカラカラと鈴が鳴った。彼は急に立ち止まった私を不思議そうに見ている。その姿は遠い幻の春華と重なって見えて、なんだか懐かしかった。何でもない、そう言って笑うと、私は垣原を店の外に向かって押して行く。私も外に出ようと扉をくぐるその前に、私はもう一度店内を見渡す。3人で笑い合った時間を頭の中で思い浮かべた。よし、忘れてない。瞬きするたびに瞼の裏に浮かぶのは、あの日の暖かかった光景で、声が聞こえる気がする。
「またいつか、来ようね。2人とも。」
幻が1つ、私たちの夏の中に溶けていった。
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