テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
187
5
るな
188
「フリューゲル……じゃなくって『スバル』?って一体どこに行ったら会えるのかしら」
彼の名乗った名前は偽名で、名前が『スバル』であろうこと——それはなかったことになったあの出来事から得た貴重な情報だ。
と言っても彼、スバルはベアトリスのことを愛称で呼んでいたので、ベアトリスが彼をそう呼んでいただけで本名と断定するのも違うとも思うが。
「嘘なんて……するようには見えなかったのに」
結局のところ運命の人だ何だと盛り上がっていたのはエミリアだけで、スバルからすればその日会ったばかりの信用に足らない赤の他人ということなのだろうか。
「そういえば私、スバルに名前で呼ばれてない……」
気付いてしまえば簡単な話だ、付き合いの長そうなベアトリスは『ベア子』と親しげに呼んでいた。
けれどスバルは一度もエミリアの名前を呼ばなかった。
「うぅ……」
であればあの自己紹介は何だったのだろうか、名前を教えてもらって喜んで、名前で呼んでくれるかもなんて期待した自分は、なんとおめでたい奴なのだろう。
「次は仲良くなって名前で呼んでもらうんだから!絶対!」
と力強く宣言した言葉が路地裏に響いたその時、三人分の足音が聞こえて振り返ったエミリアの正面、路地を塞ぐおなじみの三人が立っていた。
「さっきっからブツブツと、何を言ってんだ、あの女」
「だけど珍しい服着てるぜ、金になるんじゃねぇか」
「じゃあ状況を教えてやらないとな、身ぐるみ全部置いてきな!」
エミリアは見慣れた三人を見た。
一度目は助けられ、二度目は殺された。
ある意味全てのきっかけとも言える相手だ。
けれど、
「ごめんなさい」
「あぁ?」
「今ちょっと急いでてかまってあげられないの」
そう言って少し痩せ気味の男——前回ナイフを刺してきた男に一歩踏み出した。
「はっ、何言って――」
「えいや!」
腕を掴もうとした男の手首を掴み返し、そのまま引く。
「うおっ!?」
体勢を崩した男の顔面に膝がめり込み、鈍い音がして男がその場に倒れる。
「今なら許してあげるからそこに倒れてる人を連れてはやく帰って。」
「このアマァ!」
残り二人が飛びかかってきて反射的に身をひねる。
エミリアへ向かっていた拳が行き場を失って空を切り、勢い余った男同士がぶつかった。
「いっでぇ!」
「何しやがる!」
「私何もしてないわよ……」
「調子に乗んな!」
攻撃を避けたら勝手にぶつかっただけだ、という指摘を挑発に捉えたらしく、大きい方の男の頭に分かりやすく血が昇る。
「だから調子になんて――」
「うるせぇ!」
怒鳴りながら男が拳を振り上げる。
「ひゃっ!」
思わず頭を下げると、振り下ろされた拳が隣の男の顔面に直撃した。
「ぐぇっ!?」
「なっ!?」
「だから危ないって――」
慌てて距離を取ったエミリアだったが、気づけば2人はエミリアそっちのけで睨み合っていた。
「てめぇ何しやがる!」
「あいつが避けたからだろ!」
「避けたから、じゃねぇだろ!何回同じことすんだよこのバカ!」
「お前、俺らにひっついてるだけのクソチビのくせによくそんなこと言えたなぁ!?」
「お前こそただデカくて暴れてるだけじゃねぇかよ!」
喧嘩する二人を見ていると、なぜだか胸の奥が少しだけ痛んだ。
あんな風に言い合える相手がいることは、きっと当たり前じゃないのだから。
「もう!」
思わず声が大きくなる。
「そんなに息ぴったりなのに、どうして喧嘩するの!?」
「「は?」」
二人の声が息ぴったりに重なり路地裏に響く。
それに本人たちはまったく気付いていないらしい。
「仲良しなのに喧嘩なんてダメなの!絶対あとで後悔するんだから!だから今は落ち着いて!」
その発言の勢いそのままに、エミリアは二人の頭へ手を伸ばした。
——ぽかん。本当はその程度のつもりだった。しかし左右から聞こえたのは鈍い音だった。
「ごっ」
「ぶへっ」
エミリアの拳がそれぞれの額を捉えた瞬間、二人の身体がぐらりと揺れて、二人揃って石畳に吸い込まれていく。
「えっ?」
先程までの喧騒が嘘のように静寂が路地裏を包んだ。
△▼△▼△▼△
「どうしよどうしよ……先に襲ってきたのはあっちだから正当防衛?でもここにそのままにするのは……」
思いがけずに三人を撃退してしまったエミリア。
先を急ぎたい気持ちもあるが、ここに倒したまま放置しては追い剥ぎなんかに襲われてしまうのではないか。
自己責任だと割り切るには元の世界の倫理観が邪魔してくる。
「女性が襲われていると聞いて来たのですが……」
あたふたしているエミリアの背中に声がかかる。
視線の先に青年が立っているのが見えた。
目を惹く赤い髪と尋常でない威圧感を放つ騎士剣は彼がただ者ではないと物語っている。
しかしそんな彼にもこの状況は予想外だったのか、赤い瞳がわずかに見開かれる。
「終わっちゃったみたい」
「そのようですね——これはあなたが?」
「えぇそうなの……けど!これは正当防衛で……とにかく……」
慌てて状況を説明しようとしてみるものの、中々言葉が出てこない。
そんなエミリアを見かねて青年は親しげに口調を和らげて言う。
「本来は詳しく話を聞かなければならないところだけど……あいにく今日は非番だからその必要はない、この三人は僕に任せてくれていいよ。」
「いいの?非番って言ってたのに」
「休日である前に騎士だからね、それとお節介かもしれないが街でこういう輩に襲われた時は助けを呼ぶ方が賢明だよ。」
「ありがとう。それと一つだけこのあたりで白いローブ着た銀髪の男の子見てない?」
「白いローブに、銀髪……君はその人を見つけてどうするんだい?」
「落し物……探し物?それを届けてあげたいの」
もっとも、それはまだエミリアの手元にはないし、ひょっとしたらまだなくしてすらいないのかもしれないのだが。
「ううん、すまない。ちょっと心当たりはないな。もしよければ探すのを手伝うけど」
「そこまで面倒はかけられないわ。大丈夫、あとはなんとか自分で探してみる。」
手伝いを申し出る青年に手を挙げて立ち上ろうとした瞬間、大切なことに気がついて最後に再び彼に向き直る。
「私の名前はエミリア、ただのエミリアよ。あなたの名前を教えて?」
それを聞いた青年は一瞬ハッとしたような顔をしたかと思うとすぐに目を合わせ——
「ラインハルト・ヴァン・アストレア。実はここではちょっとした有名人でね、困ったらまた僕を頼ってくれ」
「何から何までありがとうラインハルト、このお礼は必ず!」
「気をつけて」と最後まで爽やかに送り出してくれたラインハルトの言葉に背中を押されエミリアは無傷の損害ゼロで路地裏からの脱出を果たしたのだった。
△▼△▼△▼△
「これは確かに恐れ入ったわい。もしも儂が取り扱うなら、聖金貨で十五……いや、二十枚は下らずにさばいてみせる。それだけの価値はある」
「やった!フェルトこれで信じてもらえる?聖金貨で二十枚以上の品物とあなたの徽章を交換したい。それが私のお願いよ。」
「ま、それが金になるって保障がついたのは素直に嬉しいさ……けどあんたなんでそんなに急いでんだ?」
痛い所を突かれエミリアの背筋が伸びる。エルザを避けるためと正直に言っても仕方がない場面だ。
どうにかごまかして——
「急いでるとかそんなことゼンゼンないのよ?ただ……そう!時間って有限だから大事にしないとって母様に言われてて……とにかく!私は徽章を返してほしいだけなの。」
「返すって……もともとあんたの物じゃねぇだろって——まさか持ち主に返すとか言わねぇよな!?」
うぐ、と思わず息が詰まったのを見られて、エミリアは自分の失言を自覚する。
その後の沈黙にフェルトはほんのわずかに口の端をゆるめた。
「この徽章は、なんだ? 実はこいつには、この見た目以上の価値があるんだ。だから欲しがるんだろ? それはつまり、魔法器以上の金になる価値ってことだ」
「……フェルト。どうもこの小娘が隠し事をできるようには見えんが」
「ロム爺までほだされんなよ。冗談に決まってんだろ? 持ち主に返す? 大金まで払って盗んだ相手から買い戻してかよ? 馬鹿馬鹿しい。衛兵のひとりでも連れてきて、アタシをとっ捕まえちまえばそれで済む話じゃねーか」
その頑なな態度がフェルトの心変わりを固く禁じているのがわかる。
つまり交渉は、失敗に終わったということだ。
「とにかく、相手方の意見も聞かなきゃフェアじゃねーだろ?だからちょっと待ってもらうぜ」
ちょうどその時扉を二度叩く音が蔵の中に響き渡った。
三人が顔を見合わせ、ロム爺が「符丁は?」とフェルトに問うと、
「あ、教えてねーや。まだ早い気がするけどたぶんアタシの客だし、見てくるわ」
フェルトはそう言いながら扉の方へ向かい、まだ怒気の冷めやらない顔のまま戸に手をかける。
その背中を見つめていて、エミリアは急速に込み上げてきた焦燥感に気付く。
「――開けないでフェルト! 殺されちゃう!!」
制止の声は戸を開けるフェルトの動きを躊躇させることはできなかった。
扉が開かれて、夕焼け色の光が盗品蔵の薄闇をぼんやりと淡く振り払う。
すると、
「いきなり殺すとか、そんなおっかねぇことしねぇよ。」
「え!?」
開け放たれた盗品蔵の扉、そこから姿を見せた相手の姿にエミリアは目を見張る。
エミリアの予想を裏切り冒頭の一言と共に現れたのは、件の銀髪の青年と彼のパートナーの精霊だ。
「ベティはそうでもないのよ、おとなしく徽章を返さないなら手段は選ばないかしら」
徽章の所有者の突然の登場、それを見てエミリアが思ったのは、「私がいないと、こんなに早くちゃんと盗品蔵についちゃうんだ!?」という、自分が猛烈に足を引っ張っていたことがわかってしまった衝撃だった。
「やっと見つけたぜいたずらっ子、今すぐ徽章を返してくれるってんなら見逃してやるけどどうする?」
「そうよ、フェルトここは負けを認めて徽章を返してあげて、おとなしく返せばこの人はきっと何もしないわ」
「——?なんでこの小娘はスバルに親身なのかしら、立場がよくわからん奴なのよ」
この場は睨み合う両者よりも、状況が見えているエミリアが取り成すべきだと思ったのだが
「納得いかねーのはアタシも同じだよ。姉ちゃん、結局アンタはなんなんだよ。この徽章、アンタも欲しかったんじゃねーのか?」
「私は元々、持ち主に返してあげたかっただけだから……」
不貞腐れたフェルトにエミリアがそう答えると、スバルは「俺に……?」と目を丸くする。
どうやって説明したものか、とエミリアが腕を組んだ——その時だった。
「――――」
滑るように黒い影が、瞬時に青年の背後に現れるのを見た。
「――後ろ! 危ない!!」
とっさにエミリアの声が出るのと、閃いた刃がスバルのうなじに迫ったのはほとんど同時だ。
だが、刃が青年の細い首を刎ねるより早く、
「EMM!」
「かしら!」
危機一髪、かろうじて『死』を免れた青年は即座に前に飛び込み、刺客から距離を取る。
「すごい……!」
「ギリギリのギリギリだったけどなんとか間に合った……ナイス掛け声。」
凶刃からなんとか逃れ、親指を立てて、お互いの存在を認め合うスバルとエミリア。
そして、その妨害に遭い、後ろへ跳んで全員から距離を取った人影――エルザがゆらりと立ち、ククリナイフを揺らしてみせる。
「――精霊、精霊ね。ふふふ、素敵。精霊はまだ、殺したことがなかったから」
「おい、どーいうことだよ!」
青い顔色をしたフェルトは、自分に盗みを依頼した相手の暴挙にそう抗議する。だが、エルザはそんな真っ当な抗議の通じる相手ではない。
「盗んだ徽章を、買い取るのがお仕事。持ち主まで持ってこられては商談なんてとてもとても。だから予定を変更することにしたのよ」
案の定、エルザはフェルトの訴えに白けたような目を向ける。
その視線に射抜かれ、「あ」とフェルトの瞳が揺れた。
「この場にいる、関係者は皆殺し。徽章はその上で回収することにするわ」
慈母の微笑みのまま、酷薄に告げて彼女は首を傾ける。それはもはや交渉の余地がどこにもないことを示していた。
「シャマク!」
エルザの周りに煙幕が張られ、視界は急激に悪化する。
「ムラク!なのよ!」
間髪入れずに行われる魔法の詠唱、それに合わせてエルザの後ろの煙からから巨体が浮かび上がる。
「こんなに身体が軽いのは30年ぶりじゃ!」
雄叫びを上げて、背後からエルザに飛びかかったのはロム爺だ。
その巨体に見合わぬスピードでエルザに近づき棍棒を振り下ろすその瞬間——
「ヴィータ!」
棍棒が地面に強く引っ張られるように加速しエルザの身体を捉えた。
元の状態でも10キロは下らない鈍器は、重さを変えて威力を上げる。
並の敵ならこれだけで致命傷であり、決着のつくはずの攻撃、それを喰らってなおエルザは立ち上がった。
「今のは……感じたわ。私、人より少し身体が丈夫なのそんな攻撃で倒せるなんて思わないことね。」
エルザの刃が真横に振られる。
位置はロム爺のこめかみの高さ、直撃はそのまま頭部が吹っ飛ぶ勢い。
「させっかーっ!」
カインッ、小さなナイフの投擲が横一文字の斬撃を叩いた。
真下からの衝撃に刃の動きはわずかに乱れ、刀身の腹が高速のまま巨体の頭部を打った。鋼が骨を打撃する鈍い音が響き、ロム爺の体は弾かれるように横倒しになる。
「悪い子」
「――ぁぅ」
身軽に着地して、視線だけで振り返るエルザがフェルトを見た。
「覚悟も戦う力もない。ならばせめて部屋の隅で、小さくなっているべきだったのに」
踏み込みの音は高く、エルザの黒影は一瞬で滑るようにフェルトの眼前へ。
フェルトは蛇に睨まれた蛙状態で動けないまま致命の攻撃を受けるその刹那。
「やぁぁぁぁぁぁーーっ!!」
とっさにフェルトの身体を抱き寄せながら地面を転がる。
たまたますぐ近くで縮こまっていたことが幸いし凶刃からフェルトを逃がすことができた。
「大丈夫!?フェルト!」
「大丈夫だよ――っつか、どうして」
「体が勝手に動いたの!これって奇跡よね!?覚えてないと思うけどこれで前助けてもらった分はチャラよね!?」
二回目の世界で、エルザの凶行から助けてくれたフェルト。この世界では意味のない記憶で、けっきょくはエミリアもフェルトも彼女の凶刃の前に倒れることになってしまったのだが。
――それでも、受けた恩義は消えてなくならない。そして動けたのならば、このあとにしなくてはならないことも決まっている。
「よく聞いてフェルト。私が今から時間を稼ぐ。頑張って隙を作るから、その間に逃げるの。分かった?」
「――! わかんねーよ! なんだそりゃ、アタシにケツまくって逃げろってのか!?」
赤い双眸が睨むように見上げてくるのを、エミリアは顔を近づけて受けて立つ。
「フェルトは十五歳で、私は十八。私の方がお姉さんなんだから一番年下のあなたが逃げるのが当たり前なの。わかる?」
一瞬、こちらの気概にフェルトが怯んだような顔をするのを見逃さずに畳み掛ける。
そうして反論したがる額を押して黙らせ、エミリアは屈伸しながら立ち上がる。
と、足下に転がっているのは鞘のない裸の日本刀だ。
あたりを見回せば戦いの衝撃で盗品蔵に置かれていた物が散乱している。
「なんとか一撃くらいなら……昔剣道やってたの、このときのためだったのかも。」
正面、エルザは飛んでくる紫色の結晶を避けて、叩いて、踏み潰して、ベアトリスとスバルの攻撃をいなしているようだった。
もともと、隙があるかどうかなんて実戦経験の皆無なエミリアにはわかるようなものでもない。
故に、エルザの視界が完全にこちらを死角に入れた瞬間、エミリアは呼吸すら忘れて刀を振り下ろしていた。
「——えい!!」
火事場の馬鹿力が出たのか、振り下ろされた刀は予想以上の速度で加速した。
「狙いは悪くないけど……バレバレよ。」
真後ろからの打撃に対し、エルザは刃の峰で刀を叩き折る。
「行って、フェルト――!!」
「――――ッ!!」
エミリアの叫びに弾かれるように、フェルトの矮躯が風に乗って駆け出す。
速度は一歩目からトップスピードだ。まさしく目にもとまらぬ速さで室内を駆け抜けていく。が、
「行かせると思う?」
エルザが懐から抜き放った投げナイフがそれを阻む。
それは真っ直ぐに、逃走するフェルトの背中を狙い撃っていた。
「お願いだから行かせて!!」
真横にあったテーブルを勢い良く蹴り上げて、エミリアはそのナイフの進路を阻んだ。
内心で自分のミラクルぶりに思わず拍手。しかしそこにエルザの長い脚が飛んでくる。
それをすんでで避けるもバランスを崩して勢い良く壁に激突。
「珍しく、少しだけ腹立たしいと思ったわ」
「私のほうがずっと怒ってるんだから!」
エルザの注意を引きつけて、床に落ちていた手斧を手に取る。
武器なんて持ったこともないし、危ないからと刃物すらあまり触らせて貰えなかったことを思い出すが、手ぶらよりはずっとマシだ。
「ベティ達相手によそ見なんていい度胸かしら!」
正面からの相対、それを背後から急襲する紫色の結晶。
後ろを振り返りもせずに刃を振るい、それをことごとく打ち落とすエルザ。
「そのお遊びもそろそろ見飽きたのだけれど……まだ私を楽しませられそう?」
「スバル、このままじゃ倒す前にマナが切れるのよ」
「俺のミーニャは全部撃ち落とされるし、なんとか当ててもすぐなんともないみたいに立ち上がるしでこれじゃジリ貧だな」
「なんかすごーく派手な必殺技なんかない?内緒の切り札!みたいな」
「……切り札はあるにはあるけど、ここで使うと俺とベア子以外残んねぇかもな、まだこんなに一生懸命、君が頑張ってんだ、切るのはホントの最後の最後にするよ。」
仕方なさそうに、そう語って苦笑いを見せる彼を見て、エミリアの心に火が灯る。
「そんな顔させる為に来たわけじゃないもの、切り札なんて切らなくていいくらい私が頑張るんだから!」
その場から手に取った斧をエルザに放り投げ、それをおとりに接近、落ちていた棍棒を手に取ってエルザの側頭部へフルスイング。
直撃すればそれなりのダメージを与えそうな攻撃だったが、エルザは慣れた動きでさらに姿勢を低くし、それこそ地を舐めるような移動でこれを回避してきた。
「蜘蛛みたい――!」
「糸に絡め取られたのは間違いないけれどね」
下から伸び上がってくる刃が見えて、とっさに体を後ろへ倒すも逃げ切れずに凶刃にかかりそうになるその瞬間、紫色の結晶が刃の進路を塞ぎエルザを退ける。
「てやっ!」
そこで生まれた隙を見逃さずすかさず回し蹴りをお見舞いし、エルザの手から武器が離れる。
丸腰になったエルザに飛びかかり勝負を——
「丸腰になった敵に飛びかかるのはいい判断ね、けど私は敵の前で丸腰になるほどバカじゃないのよ?」
そう言ったエルザの手にナイフが閃く。
「――っ!」
服の下に隠していたナイフが踊るように現れて、がら空きのお腹にナイフが向かう。
激痛と鮮血の予感に顔が青ざめ背筋が凍り——
「――そこまでだ」
屋根を貫き、盗品蔵の中央に燃え上がる炎が降臨する。
焔はすさまじい鬼気でもって室内を席巻し、エルザの蛮行すらもその動きを止めた。
「危ないところだったようだけど、間に合ってなによりだ。さあ――」
「あ、あなたは……」
炎が揺らぎ、足を前に踏み出す。
向かう先は大きく飛びずさったエルザ。彼女はククリナイフを握り直すと、その表情から初めて余裕を消して、正面の存在に相対する。
「『腸狩り』エルザ・グランヒルテ」
「――『剣聖』の家系、ラインハルト・ヴァン・アストレア」
室内の視線を一身に集めて、なお欠片も揺らがないその端正な面持ち。
ただひたすらに純粋な、『正義感』を空色の瞳に映した青年が、かすかに微笑み。
「舞台の幕を引くとしようか――!」
紅の髪をかき上げて、そう宣言したのだった。
△▼△▼△▼△
「剣聖がこんなところまで来てるなんてちょっぴりびっくりしたのよ」
剣聖ラインハルトの登場に一番に反応したのはベアトリスだった。
物知りそうだという印象があったのでそれ自体に驚きはない。が、それ以上にベアトリスは場の空気がラインハルトによって変わったことをいち早く気づいたらしい。
「貴方からは特別な力を感じます、只者ではない……高位な精霊とお見受けしました。」
「ベティのことなら——当たりなのよ、お前がいると調子が狂うから、はやくそいつをやっつけちゃうかしら」
よく見ればベアトリスの顔には汗が浮かんでいる。
スバルも小刻みに浅い息を繰り返し、苦しげな様子だ。
「あんたの体質と俺等が合わないみたいだな、けどどっちみちジリ貧だったんだ。遠慮せずにぶちかましてくれないか。」
それを聞いたラインハルトは小さく頷き、地面に落ちている剣を手に取る。
「――なにを見せてくれるのかしら?」
「アストレア家の剣撃を――」
直後に剣気が膨れ上がり、放たれた白い光――そう、光だ。
振るわれる剣から斬撃が放たれ、それが盗品蔵を、大気を、空を割る光となる。
迸る凄まじさは音を置き去りに、直後に膨れ上がる衝撃波が風となり、盗品蔵はその内側から竜巻を孕んだように爆ぜ、全てが吹き飛んだ。
「きゃあ!?」
逆巻く風が盗品を、木材を、そして人体までもを巻き上げていきそうになるのを、エミリアは倒れたロム爺の巨体を掴み、うなだれて倒れていたスバルとベアトリスを引き寄せてどうにか耐える。
耐える、耐える、耐える、耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて――、
そうして耐え抜いた先、ゆっくりと体の力を抜いたスバルが顔を上げる。すると、そこにあるのは澄み渡る夜空と、満天の星々――。
「た、建物が、なくなってる……」
「よかった。無事だったようだね」
へたり込んだエミリアの声を聞きつけ、振り向いたラインハルトが微笑む。
その彼の手の中、生まれて以来最大の無茶をさせられた凡庸な剣が、その役割を果たしてゆっくりと塵になっていった。
「無事に終わった、のかな……」
「あ!大丈夫? ちゃんと立てる?」
「なんとか……」
エルザとの戦闘とラインハルトの登場に何らかの負荷があったらしく、疲労の色が濃い顔をしているスバルが、エミリアの支えを受けてその場に立ち上がる。
そのしなやかだが、たくましいとは言えない青年の腕に触れながら、エミリアはスバルの傍らの女の子に目を下ろした。
「ベア子ならマナ切れ起こして寝てるだけだよ、ずいぶん無茶させたからしばらくは絶対安静だな。」
「そう……じゃあ命は大丈夫なのよね?」
「ベア子を失うなんて考えるだけで恐ろしいけどそれはない、大丈夫みんな無事だ。」
その言葉に場の空気が変わり安堵で包まれる。
もう大丈夫。その言葉を受けてエミリアは再びスバルに向き直った。
そのエミリアの視線に、青年は目を丸くし、それから居住まいを正す。
やっとゆっくりお話できる。思えば、彼とこうしてちゃんとまた話すために、どれだけの苦労があったことか。そのほとんどはもうなかったことになってしまったが、エミリアはちゃんと覚えてる。
「私の名前はエミリア、ただのエミリアよ。」
だからこそもう一度始めるのだ、彼との関係を今度こそ。
「お願い。あなたの名前を教えて」
「――――」
そのエミリアの言葉に、呆気に取られたように青年の瞳が見開かれた。
そのまま、しばしの無言が二人の間に落ちて、静寂があたりを包む。
「ははっ」
その静寂は、ささやかな笑声によって打ち消された。
口元に手を当てて、白い頬を赤くして、銀髪を揺らした青年が笑っている。
「――スバル、俺の名前はスバルだよ。命を助けて貰ったお礼がこれってちょっと無欲すぎないか?」
彼の口から紡がれる単語にエミリアは涙がこぼれそうになる。本当の名前が知れたことが嬉しくて、ではない彼の名前は周回を経て知ることは出来ていたからだ。
それでも——だからこそ、彼が偽名でなくて本当の名前を名乗ってくれたこと、自分を信頼してくれたことがたまらなく嬉しかった。
スバルはそんなエミリアの反応に姿勢を正し、彼はその手を差し出した。
差し出されたその白い手を見下ろし、エミリアは息を呑む。細くしなやかで、温かな血の通った、男の子の手だ。
「助けてくれて本当にありがとう——『エミリア』!」
その瞬間、胸の奥で張り詰めていた何かが、ぷつりとほどけた気がした。
「――うん」
今、この人は確かに自分を見てくれている。
「私、エミリアっていうの」
もう知っているはずの名前を、改めて口にする。
「ああ、知ってるよ」
「ううん、違うの」
「今度はちゃんと、私のことを覚えてもらいたかったの」
スバルが目を丸くする。
その反応がおかしくて、エミリアは声を上げて笑った。
帰る方法も、自分がここにいる理由も、まだわからない。
けどきっと大丈夫だと思えた。
『あなたは一人なんかじゃないわ』
遠い記憶の中で、母様が優しく笑う。
そうだ。もう一人じゃない。
だから、差し出された手をぎゅっと固く握り返してエミリアは心の底から笑ったのだった。
コメント
14件
最高でした...続きってありますか、?