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ロジン、初めて教壇へ立つ
緊張の朝
ロジンは、明け方4時に目を覚ました。
胸がざわついて眠れなかった。
今日―
初めて日本語学校で授業を受け持つ日。
ヒカルはまだ眠っている。
可愛い寝顔を見つめながら、
(大丈夫、私はここまで来れた。
怖くない…怖くない。)
自分にそう言い聞かせた。
制服代わりの白いブラウスのシワを丁寧に伸ばし、
講座で作った教案を何度も確認する。
家を出ると、少し冷たい朝の空気。
ロジンは深呼吸した。
(よし……行こう。)
教室へ足を踏み入れる
日本語学校の廊下は、
色々な国の言語が飛び交っていて、活気に満ちていた。
担当の教務主任がロジンを見ると、
優しく笑った。
「今日は初授業だね。緊張してる?」
ロジンは小さくうなずいた。
「大丈夫。ロジン先生、あなたならできますよ。」
その言葉に、ロジンの背中が少し押された。
教室のドアを開けると、
すでに8人の学生たちが座っていた。
・ベトナムの青年・フオン
・ミャンマーの姉妹
・ブラジルの陽気な青年
・中国人留学生
・ネパールの料理人志望の男性
みんなの視線がロジンに集まった。
ロジンの胸が高鳴る。
けれど、ゆっくりと深呼吸して、続ける。
「みなさん…おはようございます。」
緊張で声が少し震えた。
しかし
学生たちは口々に返してくれる。
「オハヨウゴザイマス!」
その瞬間、ロジンの緊張が少し溶けていった。
授業の始まり
今日のテーマは「自己紹介」。
ロジンはホワイトボードにゆっくり書く。
《私は ○○ です。》
学生たちがノートを開き、真剣な目で見つめる。
その姿が、ロジンの胸を温かくした。
まずは自分から。
「私は…ロジンです。
クルドの出身です。」
学生たちが真剣に聞いている。
ロジンは続けた。
「私は、日本語がすきです。
みなさんと勉強
できてうれしいです。」
言い終えると、
学生のブラジル人の青年が小さく拍手した。
次は学生の番。
フオンが立ち上がり、
カタコトながらも誠実に言った。
「わたしは……フオンです。
ベトナムから…きました。
日本で……エンジニアになりたいです。」
ロジンは胸が熱くなった。
(みんな…夢を持ってここに来ている。)
ロジン、初めての壁にぶつかる
授業の後半、ネパールの男性が言った。
「センセイ、『は』と『が』のちがい……わからない。」
ロジンは焦った。
助詞の説明は日本人でも難しい。
彼女自身も、勉強で苦労した部分。
けれど、逃げなかった。
ロジンは、当時の自分を思い出しながら、ゆっくり言った。
「むずかしいですね。
でも、だいじょうぶ。
少しずつ、いっしょに覚えましょう。」
簡単な例文を使い、
絵を描き、
ジェスチャーで説明する。
学生たちは徐々に理解の表情を浮かべた。
教室が温かさで満ちていく。
授業の終わり、ロジンの涙
授業が終わると、学生たちがロジンの元へ来た。
ミャンマーの姉妹が言った。
「ロジン先生、やさしい。
とてもわかりやすかった。」
ブラジルの青年が笑った。
「先生、もっと授業してください!」
ロジンの目に、涙が浮かんだ。
(私…本当に、先生になれたんだ。)
胸が熱くなり、涙が一粒こぼれる。
学生たちが慌てて微笑む。
「先生、ないてる?」
ロジンは涙を拭き、
笑った。
「うれしい涙です。
みなさん、ありがとう。」
その日、ロジンは
初めて“教師としての自信”を手に入れた。
家に帰ると、ヒカルが待っていた
家に帰ると、
ヒカルが玄関へ飛び出してきた。
「ママ! 今日どうだった?!」
ロジンは笑った。
「うまくいったよ。
ちょっと、泣いちゃったけどね。」
ヒカルは驚き、でも優しく抱きつく。
「泣いていいんだよ。
ママ、すっごく頑張ってたもん。」
ロジンはヒカルの頭を撫でた。
「ありがとう…あなたがいるから、私は頑張れる。」
その晩、
ロジンとヒカルは食卓で
今日の出来事を嬉しそうに語り合った。
街で出会った“亡霊”のような男
風の吹いた、あの日
土曜日の昼下がり。
ロジンは、ヒカルをバスケの練習に送り出した帰り道だった。
駅前の商店街は、休日らしい賑わいに包まれている。
ふと、横断歩道の向こうで、
目を疑う光景を目にした。
(え!?)
警察官の制服を着た青年。
短い黒髪。
目元の鋭さ、凛とした立ち姿。
歩き出す姿まで―
それは、カイに見えた。
ロジンの足は勝手に前へ出た。
息が止まるほど、胸が締め付けられる。
「カイ…?」
瞬間、青年が振り返った。
黒い瞳。
面差し。
顎のライン。
驚くほど “同じ” だった。
しかしその目には、カイが持っていた影や哀しみではなく、
純粋な好奇心が宿っていた。
「あの、何か?」
ロジンは固まって声が出なかった。
不審者扱い
青年は眉をひそめ、ロジンに近づいた。
「さっきからこちらを見てましたね。」
ロジンは慌てて首を振る。
「ち、違うの…あなた、誰…?
カイなの…?」
青年は困惑し、さらに警戒を強めた。
「ちょっと話を聞かせてください。
こちらへ。」
腕を掴まれる。
ロジンの心臓は早鐘を打った。
(違う…この人は…カイじゃない。
でも…どうしてこんなに…似ているの!?)
青年は、ロジンを近くの交番へ連れていった。
交番の中で
交番は静かで、冷たい蛍光灯が灯っていた。
青年警察官は椅子を指し示す。
「どうぞ、座ってください。」
ロジンは、震える手で椅子に腰を下ろした。
青年は机に座り、柔らかい口調で尋ねる。
「僕の顔を見て、“カイ”と呼びましたよね。
それは誰ですか?お知り合い?」
ロジンは唇を噛んだ。
「…私の夫です。
でも…亡くなりました。」
青年は言葉を失ったように固まった。
やがて静かに頭を下げた。
「それは…お気の毒に…失礼しました。」
しばしの沈黙。
ロジンは勇気を振り絞って言った。
**「あなた…カイに、とても似ている。」
青年は眉を寄せた。
「そう言われるの、初めてですね。でも…」**
少しだけ真剣な表情になり、
「あなたが僕を追ってきたのは、
“似ていたから” だけですか?」
ロジンは小さく頷いた。
「あ…ごめんなさい。
あなたの顔を見たら…動けなくなって…。」
青年はため息をひとつ吐いた。
青年の名は――
青年は胸ポケットから名刺を差し出した。
「僕の名前は 白石 凌(しらいし りょう)。
千葉県警の巡査です。」
ロジンは震える手で名刺を受け取った。
白石凌。
カイとは違う。
でも…顔立ちは、本当に瓜二つ。
白石は続けた。
「日向ロジンさん名前的に?
外国の方でしょう。日本語がとても上手ですが…
何か困っていることはありますか?」
ロジンは首を振る。
「いいえ…あなたに会って、驚いただけ。」
白石は少しだけ口元を緩めた。
「まあ、似ている人は世の中に三人いるって言いますからね。」
ロジンは胸が痛んだ。
(カイ…あなたの“もう一人”が、
こんな場所にいるなんて…。)
白石の疑念
白石は机に肘をつき、
慎重に言葉を選び始めた。
「日向さん。
正直に言いますが―
あなたを見た時、少し『気にかかる』ことがありました。」
ロジンは目を見開く。
「私…何かした?」
「いえ。
ただ…あなた、普通の人には見えない。」
白石は続ける。
「動きが…訓練された人間のそれに見えた。
僕の父は元警察官で、兄は自衛隊にいます。
だから…わかるんです。」
ロジンの目が細くなる。
気づけば、自分も“戦士の表情”になっていた。
白石は驚いて目を見張る。
「今の目。
やっぱり。
日向さん、あなたは…」**
ロジンは静かに口を開いた。
「私はもう、戦う人じゃない。
ただの、日本語教師よ。」
白石はしばらく黙った後、
深く息を吐いた。
「わかりました。
信じますよ。」
そして名刺を指で叩きながら言う。
「何か困ったことがあれば、いつでも来てくださいね。」
交番を出て、ロジンの胸に残ったもの
外に出たロジンは、胸に手を当てた。
風が吹き、木の葉が舞い上がる。
(カイ…
あなたに、会ったの?
それとも…ただの夢?)
白石の顔は、あまりにも、あまりにも似ていた。
歩きながら涙があふれた。
「会いたい…
カイ…会いたい…。」
しかし次の瞬間、ロジンは必死に涙を拭いた。
(私には…ヒカルがいる。)
いつかまた白石に会う日が来る
その予感が、ロジンの胸に静かに残り続けた。
父の影を映す人
親子参加日の朝
月曜日の朝。
ヒカルは珍しく早起きしていた。
「ママ、今日“防犯訓練”だよ!
警察のお兄さん来るんでしょ?」
ロジンは微笑んだ。
「そうね。しっかり勉強しなくちゃね。」
ヒカルは得意げに胸を張る。
「ヒカル、絶対逃げるの早いもんね!」
その言葉に、ロジンの胸が少し痛んだ。
逃げ足の速さは、カイとそっくりだったから。
(今日も、ヒカルが安全でありますように)
ロジンはそんな願いを胸に、学校へ向かった。
体育館に響く声
体育館には、親たちと子どもたちが集合していた。
壇上には校長と教頭が立っている。
「今日は、不審者対応訓練として、
千葉県警より担当の方に来ていただきました。」
その言葉に、ロジンの心臓が小さく跳ねた。
そして―
壇上にひとりの警察官が上がった。
白石 凌。
背筋の伸びた姿勢。
短髪。
清潔感のある佇まい。
そして何より、カイにあまりにも似た横顔。
ロジンは息を飲んだ。
ヒカルも目を丸くした。
「ママ。
あの人…パパそっくり。」
ロジンはヒカルの肩を抱き寄せるだけで精一杯だった。
白石は学校の講師として、穏やかな声で話し始めた。
「今日は“自分の身を守るための行動”について学びます。
怖がる必要はありません。
皆さん、ゆっくり一緒にやりましょう。」
その声は優しく、
“命を守る者の声”だった。
ロジンの胸がざわついた。
(こんなにも…似ているなんて…。)
白石の視線が止まった先
実技講習が始まった。
子どもたちが逃げる練習、
大声を出す練習、
距離をとる練習。
白石は丁寧に指導していた。
ふと、彼の視線がロジンの方へ向いた。
一瞬、固まった。
そして―気まずそうに、わずかに微笑した。
ロジンも小さくうなずく。
再会はまるで偶然ではなく、
“引き寄せられるような必然”だった。
ヒカル、白石に接近する
休憩時間。
ヒカルはロジンの手を放し、
まっすぐ白石の方へ駆け寄った。
「あの!
おまわりさん!」
白石が屈んで目線を合わせる。
「どうしたの?」
ヒカルは真剣な顔で言った。
「おまわりさん…
パパにそっくり。」
白石は目を見開き、言葉を失った。
ロジンが慌てて走ってくる。
「ヒカル、やめなさい。」
しかしヒカルは続けた。
「ねえ、おまわりさん。
ママを、泣かせたりしない?」
白石は戸惑いながら、落ち着いて言う。
「泣かせたりしないよ。
もし、困ったことがあれば
何時でも助けに向かうよ。」
その言葉が、
ロジンの胸を深く締め付けた。
白石とロジン、二人だけの会話
休憩が終わり、
子どもたちは教室へ戻った。
体育館に残ったロジンと白石。
静寂の中、白石はぎこちなく口を開く。
「本当に、また会うとは思いませんでした。」
ロジンは笑った。
「私も…驚いているわ。」
白石はロジンをじっと見つめた。
「娘さんも…“パパに似ている”と。」
ロジンは小さく頷いた。
「ええ。
あなたは本当に…カイに似ている。」
白石は言った。
「日向さん。
もし、ご迷惑なら言ってください。
僕は…無理に近づくつもりはありません。」
ロジンは少しだけ悲しげに微笑む。
「迷惑なんかじゃない。
ただ…あなたを見ると…
胸が痛くなるだけ。」
白石は黙って目を背けた。
白石の手が差し伸べられる
授業が終わり、
体育館の片付けに入る。
帰り際、白石が言った。
「日向さん。
この前、交番で言えなかったことがあります。」
ロジンは振り返る。
白石はまっすぐな目で言った。
「僕は警察官として、
あなたとヒカルさんを守りたい。
それだけです。」
ロジンは一瞬息をのみ、
小さく頷いた。
「ありがとう…白石さん。」
その瞬間、
ヒカルがロジンの腕に抱きついた。
「ママ、帰ろ!」
白石は微笑む。
ロジンはヒカルの手を握り、
「さようなら、白石のお巡りささん。」
とだけ言って校庭を歩き出した。
背後で白石が、静かに見送っていた。
まるで―
ロジンとヒカルの背中を守るかのように。
◆ 不穏な影
千葉郊外。
ロジンが日本語学校で授業の準備をしていたある昼下がり、スマートフォンが震えた。
学校の緊急連絡網からだった。
「本日の昼13時頃に、学校敷地内で不審者が、確認されました。児童は先生方の付き添いで避難させています。」
ロジンの胸がざわついた。
ヒカルは今日、放課後のバスケ自主練に残っている。
急いで学校へ向かう途中、パトカーのサイレンが響き、次々と警察車両が学校の方へ向かっていくのが見えた。
ロジンの脳裏に、一瞬だけ過去の戦場がよぎった。
あの時も—
大切な人を、守れなかった。
「ヒカルは絶対に守る!」
ロジンは走り出した。
◆ 誘拐
校舎に到着した頃、すでに校庭は警察の黄色い規制線で囲まれていた。
担任の先生を見つけて駆け寄る。
ロジン「ヒカルは!? うちの娘はどこに!?」
先生は震える声で言った。
「ヒカルさん、さっきの不審者に連れ去られた可能性があります。どこにも、見当たらなくて…。」
ロジンの足から力が抜けた。
息が詰まり、視界が揺らいだ。
そんなロジンの肩に、そっと手が置かれる。
「日向さん…落ち着いてください!!」
振り返ると、そこには白石がいた。
白石の横には、警視庁から応援に来ていた二人の警察官、
相良(さがら)と村瀬(むらせ)が立っている。
白石「娘さんは必ず助けます。俺を信じてください」
その言葉に、ロジンはかすかにカイの面影を見てしまい、胸が熱くなった。
◆ 手がかり
監視カメラの映像を分析すると、
黒いフードの男がヒカルの腕を引いて校外に消えていく姿が映っていた。
白石「こっちです。男は徒歩で住宅街の方へ—。まだ、近くにいる可能性が高い。」
ロジン「どうして…ヒカルが」
白石「目的は分からない。ただ、今は追うことが先です」
相良「住宅街の路地に、ヒカルちゃんのハンカチと思われるものが!!」
◆ 救出作戦
警察官たちは連携しながら路地裏を捜索した。
しばらく進むと、小さな空き倉庫の前で村瀬が叫んだ。
村瀬「中から、女の子の声がしました!」
白石は即座に判断する。
白石「突入する! 日向さんは下がって!!」
ロジン「娘を助けてください!!」
白石は短くうなずいた。
白石「分かりました。任せてください!!」
合図と同時に、警察官たちが静かに倉庫の扉を開ける。
中では、ヒカルがロープで椅子に固定されていた。
不審者の男が焦ったように振り返り、ドアの方へ走りかけた。
白石「動くな!!」白石が拳銃を向ける。
男が拳銃に気を取られているうちに、
相良がすかさずタックルし、男を床に押さえ込む。
そして、村瀬が手錠をかけた。
ヒカル「ママぁ!!」
ロジン「ヒカル…!!」
ロジンは走り寄り、震える娘を強く抱きしめた。
ヒカルも泣きながらしがみつく。
白石はその光景を見て、ほっと息を漏らした。
◆ 感謝
事件後、救急隊がヒカルを診察し、軽い擦り傷と打撲のみで済んだと分かった。
ロジンは白石に深々と頭を下げた。
ロジン「白石さん…本当に、ありがとうございました。もしあなたがいなければ、ヒカルは…。」
白石「守れたのは、あなたが必死でヒカルちゃんのことを想っていたからですよ」
ロジンは、改めて白石の横顔を見た。
やっぱりカイと似ている。
けれど、カイとは違う人生を歩んだ日本の男。
ヒカルも白石を見上げた。
ヒカル「お兄さん…ありがとう。パパみたいだった。」
白石は驚き、そして優しく微笑んだ。
白石「君のパパは、きっとすごい人だったんだね。」
ヒカル「うん! たぶん、ママが好きになったくらいだから!」
ロジン「こらっ…!!」
親子の笑い声が、夕暮れの学校前に響いた。