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『クラピカの寿命がほんの僅かだった世界線』
急を聞きつけて駆け付けたのは、
1カ月ほど前のことだった。
人里離れた簡素なロッジ。
その一室で眠るクラピカは 、
かつての溌溂とした様相とは異なり、
血色が悪く、以前より筋張っていた。
薄っすらと本能的に酸素を取り入れる口元にはわずかに皴が寄り、
目の周りは暗く陰っていた。
見た目は20代だというのに、まるで死期の近い老人かのような衰弱ぶりだった。
いや、ゆるやかな呼吸の動きがなければ、
生と死の向こう側に渡ってしまったかのようでもあった。
「……レオリオ、来たのか」
入室者の気配を感じ取って、 そう言った声色からは、何の感情も見えてこない。ただ、生気がないことだけは確かだった。
「…………」
掛ける言葉が思い浮かばないまま、
レオリオはゆっくりとベッドの側により、スツールに腰を掛けた。
「センリツから連絡があった」
そう言うと、クラピカは諦めたように短く嘆息した。
「連絡するなと言ってあったんだがな」
「どうして――」
「これは私の業が招いたことだ。
レオリオや皆に知られれば、きっと平静ではいられないだろう。それは私の望むところではない」
そして再び、気だるさに負けたように瞼を落とした。
センリツからの連絡はこうだった。
「クラピカが倒れたの! 心音がどんどん小さくなっていく……まるで寿命の近づいた老人のように。きっともう長くない。お願い、側にいてあげて!」
突然のことに、レオリオは携帯を取り落としそうになった。
医大に就職して数年、
長時間勤務は日常茶飯事、ようやく解放されたと思ったところで救急搬送に駆り出される。そんな息つく間もない、心身ともに疲弊が集る毎日。
だが夢のスタート地点に立ったレオリオにとって充実した日常が続いていた。
電話を受けたのは、
72時間ぶりに家に帰れる、さて貰った2連休をどう楽しむかなと寝不足でギリギリと痛い頭でぼんやりと考えていたときのことだ。
「どういうことだ? クラピカに何があったんだ?」
「……私の口から言っていいことか分からないわ。でも長くないのは確かよ。そして、彼もそれを受け入れている」
それが溜まらなく悲しい。私にはどうしてあげることもできない。せめて最期を大切な人たちに看取ってほしい。
本人に嘘が通用しないというだけでなく、センリツの言にはいつだって真に迫るものがある。
レオリオは退勤とともに長期休暇を申告し、その足で飛行船の乗船口へと向かった。
躊躇うように、レオリオはゆっくりと手を伸ばし、そっと骨と皮のような額を撫でた。痛ましい姿に、手が震えそうになる。
「詳しいことは聞いてねぇ。ただ、お前がもう長くないってだけだ」
「そうか……」
「何があったんだ。話せるか?」
「…………」
「…………」
「センリツは、お前がこの状況を受け入れているっつってた」
「本当に、彼女に隠し事はできないな」
軽口をたたくクラピカは、少し愉快そうに口元を緩めた。
「……話せば、きっとレオリオは、怒るだろう。だから、墓場まで持っていくつもりだ」
細々と紡がれる言葉に、レオリオはしばし考えた。
クラピカと話すまでは、誰かに死に至る念を掛けられたのではないか。少しずつ相手の生命エネルギーを奪うようなそんな念に。その可能性も考慮に入れていた。
それならば、かつてクラピカが幻影旅団の団長に掛けた念が解かれたのと同様、
除念師を探せば事足りる。
もちろん悠長なことは言っていられないが。だが、
念能力は使い手によって様々とはいえ
、
尋問するでもなしに、
ただ時間を掛けて殺すなんて非効率で回りくどい念を使うケースはあるだろうか?
状況によって場当たり的な対応が求められるハンターにとって、
そんな悠長な念を作り出す限りなく少ない。
攻撃を受けた際に、
何かしらの反動で相手に念を跳ね返すカウンタータイプはいる。それでも、戦いの最中でなく遅効性にする意図は理解しがたい。
そしてクラピカの口ぶりで、
その可能性はゼロになった。すべて分かって受け入れているとなれば、
その基軸になるのは、クラピカ本人だ。
「何かの念の影響か?」
言われて、驚いたように薄く開いた眼をレオリオに向けたところを見ると、
念能力が関係しているのは間違いないようだ。
「……相変わらず、変なところだけ鋭いな」
かつてより色彩を失ったような、どこか白を帯びたような髪を梳きながら、黙ってレオリオは次の言葉を待った。
「私は念能力のブースターとして、自らの寿命を掛けた。そして、終わりが近付いている。ただそれだけのことだ」
「――――」
あまりの告白に、言葉の意味が頭の中で形を失った。どういうことだ。と問いかけたくなるが、声にならない。
「言っただろう。これは私の業が招いた結果だ。
仇を討ち、仲間を取り戻す。それだけが、私の生きる理由だった。
仲間は取り戻せた。復讐に関しては意図していた形とは変わってしまったが、旅団が再起することはないだろう。
私はやるべきことを終えたのだ。後悔はしていない」
「――どうにも、ならないのか……」
「ならない。緋の目での念能力使用時に、1秒ごとに1時間の寿命を掛ける。それがこの念能力の制約と誓約だ。失った時間は取り戻せない」
「―――んな……」
レオリオの声は震えていた。
「…………?」
「んな、悲しいこと言うんじゃねぇよ」
「――――っ……
なぜ……なぜ泣くんだ?」
クラピカは緩慢ながらも上体を起こして、レオリオの顔を見やった。
「分かんねぇのかよ……賢い頭してんのに。お前は、そういうところが――――
」
顔を真っ赤にし、口元を悔しそうに曲げ、
目からも鼻からもダラダラと溢れてくる。
「ダチの命があぶねぇってのに、悲しまない奴がいるかよ……」
巨体を小刻みに震わせながら、
レオリオはひと回りもふた回りも縮んでしまったクラピカを抱き寄せた。
「なんで言ってくれなかったんだ。無茶しがちなのは知ってたけど、そんな無茶、無茶どころじゃねぇだろ……」
寄せられた温かさに、
今度はクラピカの目頭が熱くなる。こうやって心配してくれるだろうから、
余計に誰にも言えなかった。特に、友達を亡くして医者とハンターを志し、
どこまでも真っすぐで、友人にどこまでも心を砕くレオリオ。この男には……。
「……すまない……すまなかった」
こんな自分を知られたくなかった。向けてくれる優しさを知っていた。
分かっていた。だからこそ、立ち入られれば、きっと迷いが生じる。
同胞の亡骸を目の当たりにしたあの日から、目的を達成するまでは、何ものでも犠牲にするつもりで生きてきた。
たとえ、すべてが叶ったときに、何も残っていなかったとしても、
それならば同胞のもとへ向かうだけだと。そう自分に言い聞かせなければ、当時は立ち上がることさえままならなかった。
でも、レオリオたちに出会い新たな仲間を得て、そして念能力を覚えてからは、
見える世界が一変した。目的……自分の生きる意義のためにも、
一筋縄ではいかない残酷な世界を生き抜くためにも、自分を戒めるしかなかったのだ。
「自分で分かるもんなのか、残りの時間……?」
レオリオは真っ直ぐにクラピカの瞳を見つめた。
「……おそらく、あと1カ月程度だろう」
嘘はつけなかった。
「1カ月………」
レオリオは目線を外し、何か思案するように眉間にしわを寄せた。
そして大きく天井を仰いで鼻をすすり、
「よっし!」
と声を張った。
何事か、とぽかんとしてその様子を見つめる。
「クラピカ、体はどんくらい動かせるんだ?
やりたいことはねぇか?
やれること、思い残さないよう全部やっちまおうぜ」
「………………?」
「行きたいところがあったら俺が連れてってやる。
そんで、そんでよ…………」
頬骨も、口角も無理やり上げてはいるが、またボトリと端整な瞳から大粒の涙がこぼれた。
「そんで、お前の母ちゃんや父ちゃん、ダチに思いっきり良い報告してやれよ。緋の目を集めただけじゃなく、ちゃんっと人生楽しんだって、胸張って言ってやれるようによ。な?」
「…………」
「お前、言ってたじゃねえか。ハンターは高潔だって。冒険譚みたいなハンターに憧れたって」
「――ッ!」
「残り1カ月。俺が付き合ってやる。な?」
「レオ…リオ……」
「ん? どうよ?」
「私には……過ぎた望みだ。考えたことなど、なかった」
「じゃあ、今から考えようぜ」
******
「レオリオ、今日は、起き上がれそうにない」
旅に出て、1カ月と2日経ったときのことだった。開け放った窓からは穏やかな陽光と、鳥たちのさえずりが流れ込んでくる。
ここ数日、朝の日課となった検温でも、低体温が続いている。命の灯が、消えかけているのは2人とも感じていた。
「そうか……」
「レオリオには世話になった」
「…………」
少し冷ましたスープをクラピカに渡しながら、レオリオは言葉に詰まっていた。スープを手に持ったまま、クラピカは遠くを見つめて続ける。
「この1カ月、生まれ変わったようだった。
私にこんな感情が残っているとは思っていなかったよ。
深い森の中にある4色に輝く湖、
空を染める光のカーテン、地平線から沈まない太陽、どこまでも広がる神秘の渓谷、空よりも高い古代遺跡。どれも素晴らしかった」
「ただの観光みたいになっちまったけどな」
「だが、ハンターライセンスのおかげで非公開エリアにも入れた」
「そうだな」
療養している保養所でのクラピカは、
ほとんど生気を失っていた。
やせ細った身体を連れ出すのは無理ではないかと思ったが、
元来の丈夫さは残っていたようで、足場の悪いところも、高山も一般人よりもサクサクと進んだ。
それどころか、初めて見る光景は、クラピカを元気づけたようだ。
その土地の食事も「なんだこれは! 初めて食べる味だ!」
なんて声を上げるほど。
それが生来のクラピカの気性なのだろう。
青白い顔が、
ほんのり血色良くなる姿には、レオリオも寿命なんて忘れそうになった。
だが、時にはベッドから起き上がれない日もなかったわけではない。
丹念に診察をし、栄養剤を投与したこともある。
「こんな穏やかな日を過ごせると思っていなかった。レオリオのおかげだ」
口を付けないスープをベッドサイドテーブルに置き、クラピカは目を細めてレオリオを見つめた。
「だが、そろそろ別れを告げなければならない」
「クラピカ……」
レオリオは吸い寄せられるようにベッドへと腰かけ、クラピカを胸に抱いた。
「私の誤算は、君に出会ったことだ。
すべてが終わったら、私はそのまま朽ちていくだけだと思っていた。
本来の夢も、あの日……故郷を失ったあの日から、何もかもが変わってしまった……。
だから、こんな穏やかに、誰かに看取ってもらうなんて予想だにしなかったのだよ。それがまさかレオリオだったなんて……」
「クラピカ、もう、何も……」
「聞いてくれ。レオリオ。きっともう、最期なんだ」
「――ッ」
ギリっと歯嚙みしながら、レオリオは優しくクラピカを抱き寄せる。
「私には、過ぎた1カ月だった。一族を失い、帰る場所もなく、
迎える人もいないと思っていた。この手で人を殺めたこともある。
目的のために、他人の人生を踏みにじったことだって。そんな罪を負った私を、レオリオは、温かく受け入れてくれた」
「俺だけじゃねぇ、きっとゴンやキルアだって……」
「そうだな。今なら、心からそれを受け入れられる」
「あいつらには、会わなくていいのか」
「構わない。レオリオがここにいてくれるから」
「……」
「レオリオ……」
クラピカはゆっくりと頭を傾げ、体をレオリオの胸に預けた。
折れそうなほど痩せた手をそっとレオリオの輪郭に這わせる。
レオリオは崩れそうになる表情を必死に堪えて、じっとクラピカを見つめ返した。
「こんな生き方でなければ、もっと、2人で色々なところを旅してみたかった。
それでも、レオリオが会いに来てくれて、連れ出してくれて、嬉しかった。心から、感謝している。君と出会えて、本当に良かった……」
言って、クラピカはふっと瞼を閉じた。
「ありがとう――」
スッとレオリオの頬から手が離れ、
力を失ったそれは制御のないままベッドへと沈んだ。
寄りかかった身体がずしりと重くなる。
「クラピカ……おい、クラピカ……!」
呼びかけてもクラピカは応えない。レオリオにだって分かっていた。
ここ数日の低体温、弱々しい脈拍。医師だからこそ、終わりは近いと。受け入れる準備はしてきたつもりだ。
「目を…覚ませよ、クラピカ……。まだまだ行きたいところリストは残ってるぜ。
こんな旅行じゃなくてよ、ハンターしか出入りできない場所に、もっと行ってみようぜ」
だけど、理屈じゃない。
「ちくしょう。俺はまた…………」
大事な人を、救ってやれないのか――
「クラピカ、なあ、頼むよ、クラピカ――」
力のない身体を掻き抱きながら、レオリオは声を絞り出すように呼び続けた。
――なあ、
母ちゃんや父ちゃん 、
ダチに良い報告なんて言ったけどさ、
もしクラピカの家族が見てるんだったら、
どうか、こいつをまだ連れて行かないでくれ。
2人で色々なところを旅したいって、まだまだ足りねぇんだよ。クラピカに、楽しかったって、幸せだったって、そう思う生き方をさせてやりてぇんだよ。
「頼むよ……まだ、連れて行かないでくれ……」