この作品はいかがでしたか?
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一時間経ち、課題曲の練習は終わった。
やり始めたばかりの曲ということで、演奏が何度も止まり、指導が入る。
『激情』というタイトルの通り、この課題曲は早い旋律で、自身にある激しい感情をヴァイオリンで表現しないといけない。譜面に指示があるのだが、奏者ごとに独自に解釈して弾くことが多い。
譜面の通りに弾くことを心掛けてきた私とは相性が悪い曲。
この曲に向いているヴァイオリン奏者は、リリアン・タッカードがまず浮かぶ。
自信満々で、感情を表に出すような性格のリリアンにぴったりの曲だ。
「この曲で、ヴァイオリン奏者は正確さではなく、表現力が求められる。ロザリーとは相性が悪い曲かもしれない」
練習の総括として、クラッセル子爵は私にそう告げた。
「でも、君の演奏技術はトルメン大学校の音楽科に通用するものだ。卒業生の僕が保証する」
「ありがとうございます」
「この曲は時間をかけて完成させてゆこう」
「はいっ」
私はクラッセル子爵の励ましに胸を打たれた。
感情をヴァイオリンの音色に乗せて演奏するのは、私が苦手とする奏法だが、時間をかければ克服できるはず。当日まで練習に励もう。
「あの……、お父様」
私の呼びかけに片づけをしていたクラッセル子爵が振り返った。
「お話したいことがあるのですが、お時間はありますか?」
「あるよ。誰にも聞かれたくないのなら、執務室へ行こうか」
「お願いします」
「グレン君、娘の練習に付き合ってくれてありがとう。また明日もよろしく」
「はいっ! 呼ばれたら何時間でも付き合いますのでっ」
よかった。用事はなかったみたい。
クラッセル子爵は私の練習に付き合ってくれたグレンに礼を言う。
グレンはピアノの椅子からビシッと直立の姿勢で立ち上がり、ハキハキとした口調でクラッセル子爵に告げた。
「さあ、行こうか」
「はい」
これから嘘をついたと謝り、無謀なお願いをするんだ。
私は呼吸を整え、クラッセル子爵と共に、執務室へ入った。
☆
「最近、ロザリーとここで会話することが多いね」
「……そうですね」
トキゴウ村の孤児院について詮索するなと忠告された時だ。
「お義父さま、トキゴウ村の孤児院について再度お話があります」
「その件については、詮索しないようにと――」
「ごめんなさい」
約束を破ったことで、クラッセル子爵は眉をひそめた。
静かな怒りを私に見せる。
叱られるのが怖い。
けれど、話を切り出さなきゃ。
私はすうっと息を吸って、話題を切り出した。
「あの孤児院は五年前に……、火事で無くなったのですよね」
私がそう告げると、クラッセル子爵は額に手をやり、深いため息をついた。
「お義父さまが私を孤児院から遠ざけようとしたのは、それを知ったら私が塞ぎこむとお思いになったからですよね」
私は続けてクラッセル子爵に話しかける。
トキゴウ村の孤児院。五年前の惨劇。
私はクラッセル家に拾われてから、孤児院のことなど忘れていた。
母を失い、ひとりぼっちになった私の悲しみを、マリアンヌとクラッセル子爵が幸せへ変えてくれた。そして、音楽という生きがいを貰った。
孤児院の子供たちや、私に意地悪をしていた幼少期のルイスのことを思い浮かべる時間などなかった。
けれど私の前にルイスが現れた。
それをきっかけに、五年前の惨劇を知ってしまった。
「真実を知って、私は絶望しました。短い間しか一緒にいませんでしたが、でも――」
「君の言う通りだ。僕は君を悲しませたくなかった。だから、黙っていた」
「ルイスだけは生き残り、私に会いにきてくれました」
「やはり、孤児院のことを知ろうとしたのは……、あの子に会ったからなんだね」
「はい……、ルイスのことでお義父さまにご相談があるのです」
「……なんだい?」
クラッセル子爵に大反対される。
分かり切ったことだが、私はクラッセル子爵にお願いをする。
「ルイスと二人でトキゴウ村へ行きたいのです。お許しを頂けないでしょうか」
「だめだ。僕は認めない」
「あと少し経つと、あの事件から六年目になるのです。私は生き残りの一人として、彼と共に孤児院の皆を弔いたいのです」
「……ロザリー、君ももう大人の女性だ」
じりじりとクラッセル子爵が私へ歩み寄る。
私は頬を平手打ちされるのではないかと、目をきつく閉じた。
(えっ)
私の予想とは違い、クラッセル子爵は私の腕を掴んだ。
腕を引っ張られ、私は態勢を崩す。
そっと私の背にクラッセル子爵の手が置かれ、私の身体がふわっと持ち上がる。
いつの間にか、絨毯の上にあおむけに寝転がっていた。
「異性と二人きりになるとどうなるか……、君は知るべきだ」
私の上にクラッセル子爵が馬乗りになる。
吐息がかかるほど顔を近づかれ、私の心拍数が跳ね上がる。
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