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第一話「満開の下で」
満開の桜が、空を覆っていた。
校門をくぐった瞬間、風に乗って花びらが舞い落ちる。
春の匂いと、新しい場所に踏み出す緊張が胸に広がった。
高校の入学式。
人の流れの中で、ふと足が止まる。
――その中に、君がいた。
風に揺れる黒髪。
少し伏せた目元。
それなのに、不思議と目が離せなかった。
名前も知らない。
話したこともない。
それでも、ただ一つだけ思った。
綺麗だな、と。
⸻
入学式はあっという間に終わった。
帰り道、桜並木を歩きながら、さっきの光景が何度も頭をよぎる。
ただの同級生。
それ以上でも、それ以下でもない。
――この時は、そう思っていた。
⸻
次の日。
教室のドアを開けた瞬間、視線が止まる。
窓際の席。
昨日の、あの子。
偶然にしては出来すぎている。
声をかける理由なんてない。
それでも、気づけば足が動いていた。
「あのさ」
少しだけ声が震えた。
彼女が顔を上げる。
近くで見ると、昨日よりもずっと綺麗で――
一瞬、言葉を忘れそうになる。
「同じクラスだよな。俺、高橋秀一」
ほんの少しの沈黙のあと、彼女はやわらかく笑った。
「草壁みゆき。よろしく」
その笑顔で、何かが決まった気がした。
⸻
それからの日々は、驚くほど自然だった。
最初はぎこちなかった会話も、すぐに普通になって。
くだらないことで笑って、どうでもいい話で盛り上がって。
放課後、一緒に帰るのが当たり前になっていた。
夏になっても、秋になっても。
冬を越えても、その距離は変わらなかった。
むしろ、少しずつ近くなっていた気がする。
言葉にはしなかったけど、
お互いに何かを感じていた。
そんな関係だった。
⸻
そしてまた、春が来る。
高校三年の春。
桜は、あの日と同じように満開だった。
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その日、俺は学校にいなかった。
白い壁と、消毒液の匂いに囲まれた場所にいた。
病院の診察室。
目の前には医者がいて、静かにカルテを見ている。
やけに時間がゆっくり流れている気がした。
「高橋さん」
名前を呼ばれる。
その一言だけで、なぜか心臓が強く打った。
「検査の結果ですが――」
言葉が続く。
けれど途中から、うまく聞き取れなかった。
ただ一つだけ、はっきりと耳に残った言葉がある。
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「次の春を迎えるのは、難しいでしょう」
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一瞬、何を言われたのか分からなかった。
理解が追いつかない。
現実感がない。
まるで他人の話を聞いているみたいだった。
けれど、じわじわとその言葉が胸に沈んでくる。
逃げ場もなく、静かに。
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窓の外では、桜が揺れていた。
ひらひらと花びらが舞っている。
あの日と同じ景色。
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(来年の春は、見れないのか)
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その事実が、ようやく形になった。
頭に浮かんだのは、みゆきの顔だった。
笑っている顔。
少し怒った顔。
何気ない会話の中で見せる、あの表情。
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言えるわけがなかった。
こんなこと。
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診察室を出ると、やけに世界が静かに感じた。
さっきまでと何も変わっていないはずなのに。
全部が、少し遠い。
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同じ頃。
教室では、みゆきが窓の外を見ていた。
満開の桜。
去年と同じ景色。
でも、隣にいるはずの人がいない。
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(遅いな…)
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ほんの少しの違和感。
それだけのはずなのに、胸の奥がざわつく。
スマホを開いて、メッセージを打つ。
「大丈夫?」
送信。
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既読は、つかない。
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桜は、何も知らないみたいに咲いている。
ただ綺麗に、変わらずに。
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その下で、二人の時間は――
少しずつ、ずれていき始めていた。
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