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第二話「少しだけ遠くへ」
病院を出たとき、空はやけに青かった。
何も変わっていないはずなのに、世界の見え方だけが変わっている。
人の声も、車の音も、どこか遠い。
ポケットの中でスマホが震えた。
取り出す。
画面には、みゆきの名前。
『大丈夫?』
たったそれだけの一文。
いつもならすぐに返していたはずなのに、指が動かない。
何を返せばいいのか分からなかった。
“大丈夫じゃない”なんて言えるわけがない。
“問題ない”なんて、嘘をつくのも違う気がした。
結局、そのまま画面を閉じた。
⸻
家に帰っても、何もする気が起きなかった。
ベッドに横になって、天井を見上げる。
さっきの言葉が、何度も頭の中で繰り返される。
次の春は、迎えられない。
それはつまり――
今ある全部に、終わりがあるってことだ。
⸻
翌日。
学校には行った。
行かない理由を作る方が難しかったからだ。
教室のドアを開けると、いつもの空気が流れている。
何も変わっていない日常。
その中に、みゆきがいた。
目が合う。
一瞬だけ、ほっとしたような顔をして――
すぐに立ち上がった。
「昨日どうしたの?大丈夫?」
近づいてくる。
その距離が、やけに近く感じた。
昨日までと同じはずなのに。
「…ちょっと、用事」
「連絡くらいしてよ」
「悪い」
短く、それだけ返す。
それ以上、言葉を続けなかった。
続けたら、いつもの会話に戻ってしまいそうだったから。
⸻
みゆきは少しだけ黙った。
「ほんとに大丈夫?」
「大丈夫」
即答だった。
それ以上踏み込ませないように。
⸻
沈黙が落ちる。
こんな空気、今までなかったのに。
「そっか」
小さく頷いて、みゆきは席に戻った。
その背中が、ほんの少しだけ遠く感じた。
⸻
(これでいい)
そう思った。
近くにいればいるほど、いなくなった時に苦しくなる。
だったら最初から、少しずつ離れた方がいい。
そうすれば――
(あいつも、楽だろ)
⸻
昼休み。
いつもなら一緒に食べていた弁当も、その日は一人で食べた。
みゆきは、何度かこっちを見ていた気がする。
でも、目を合わせなかった。
気づかないふりをした。
⸻
放課後。
「一緒に帰る?」
当たり前みたいにかけられた言葉。
今まで、断ったことなんてなかった。
それなのに――
「今日はいい」
口にした瞬間、自分でも少し驚いた。
でも、引き返さなかった。
「用事あるから」
嘘だった。
でも、真実よりはマシだと思った。
⸻
みゆきは何か言おうとして、やめた。
「…そっか」
それだけ言って、少しだけ笑った。
無理してるのが分かる笑顔だった。
⸻
帰り道。
一人で歩く桜並木。
花びらが、風に乗って舞っている。
去年は隣にいた。
当たり前みたいに、隣に。
⸻
(これでいい)
そう思いながら歩く。
でも――
胸の奥が、少しずつ痛くなっていく。
⸻
夜。
スマホを見ると、みゆきからのメッセージが来ていた。
『なんかあった?』
少し時間を置いて、もう一通。
『無理してない?』
⸻
画面を見つめる。
指が、止まる。
⸻
返信しなかった。
⸻
それが一番、楽なはずだったから。
⸻
でも。
⸻
(こんなに苦しいなら、意味ないだろ)
⸻
そう思っても、もう遅かった。
⸻
距離は、少しずつ広がっていく。
戻そうと思っても、戻せないくらいに。
⸻
桜は、まだ満開だった。
なのに――
何かが、確実に終わりに向かっていた。