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典礼局の追手を振り切り、
三人が辿り着いたのは、
エデンへと続く街道の途中にある「七色ヶ原」と呼ばれる広大な花畑だった。
見渡す限りの色とりどりの花々が、柔らかな風に揺れている。
「わあ……綺麗……!」
元貴は馬車(といっても荷車に近いものだが)から飛び降りると、花畑の中へと駆け出した。
黒い髪をなびかせ、琥珀色の瞳をキラキラと輝かせる姿は、まるで自由を手に入れた子猫のようだ。
「おい、元貴! あんまり遠くへ行くなよ!」
若井が笑いながら後を追う。
肩の傷は元貴の癒しの歌のおかげですっかり良くなり、足取りも軽い。
「大丈夫だよ、滉斗。ここには誰もいないみたいだし、少し休もうか」
涼ちゃんが木陰にシートを広げ、お茶の準備を始める。
元貴は花に囲まれて座り込み、スカーフを解いて黒い猫耳を解放した。
風が耳を撫でるたびに、耳が幸せそうにピクピクと動く。
「ねえ、若井。……僕に、歌の作り方を教えて?」
元貴がノートを広げながら、隣に座った若井を見上げた。
「え? お前、あんなに凄い歌が歌えるのに、作り方は知らないのか?」
「……いつもは、頭の中に流れてくる音をそのまま出してるだけだから。若井みたいに、誰かの心に届くように『組み立てる』やり方を知りたいんだ」
若井は少し照れくさそうに鼻を擦り、自分のリュートを元貴の膝に乗せた。
「……教えるなんてガラじゃないけどさ。……いいか、作曲ってのは、今の自分の『気持ち』に名前をつける作業なんだよ」
若井が元貴の背後に回り、包み込むようにしてリュートを持つ手を導く。
「例えば、今。この花が綺麗だとか、風が気持ちいいとか、……隣に俺たちがいて安心するとか。そういう小さなドキドキを、音にするんだ」
若井の指が、元貴の細い指の上に重なる。
「……こうやって、弦を弾いて。
……そう、その音。それが今の元貴の『色』だ」
若井の体温が伝わってきて、元貴の顔がふんわりと赤くなる。
「……僕の、色……」
元貴がポン、と弦を鳴らす。
それは、どこか甘くて、少しだけ切ない、柔らかな音だった。
「……あは、いい音。若井の隣にいると、優しい音がするね」
元貴が屈託なく笑い、若井の胸に背中を預けた。
黒い猫耳が若井の顎の下でワサワサと揺れ、喉からは「ゴロゴロ……」と音が漏れ出す。
「お、おい……。近すぎるっての。耳が当たってくすぐったいだろ」
若井は文句を言いながらも、元貴を突き放すことはせず、その黒い髪を優しく撫でた。
少し離れた場所で、涼ちゃんがフルートを吹きながら、そんな二人を眩しそうに眺めている。
「ふふ。……あの二人、本当の兄弟みたい。……いえ、それ以上かな?」
涼ちゃんの奏でるフルートの音が、二人の周りを踊るように包み込んだ。
元貴はノートの端に、小さな音符をいくつか書き留めた。
それは伝説の楽譜とは別の、元貴が初めて自分の「意志」で描いた、
三人のためのメロディだった。
「……若井、涼ちゃん。
僕、いつかこの曲を、大きな場所でみんなに聴かせたいな。……獣人も人間も、みんなが笑って聴ける場所で」
「ああ。約束だ。エデンに着いたら、一番でっかい広場で演奏しようぜ」
若井が元貴の頭をポンポンと叩く。
その時、元貴のノートが淡く光り、三つ目の音符が刻まれた。
文字の形は、『共鳴』。
三人の心が重なり、穏やかな時間が流れる。
しかし、元貴がふと空を見上げたとき、琥珀色の瞳がわずかに曇った。
「……ねえ、若井。……空の色が、少しだけ濃くなった気がする」
それは、元貴の感覚が鋭敏になり始めている証拠であり、代償の予兆でもあったが、今の若井には、元貴がただ空を愛でているようにしか見えなかった。