いつものように電車に揺られ、いつものようにマンションの階段を登り、玄関のドアを開けた。
「…あれ?」
ふと、兄─有一郎の靴があることに気がつく。今日は部活で遅くなると言っていたが、変更にでもなったのだろうか?どちらにせよ、苦手に夕ごはんの料理をしなくて済むので嬉しかった。適当に靴を脱ぎ捨ててリビングへ侵入する。そこに───兄の姿はなかった。いつもはキッチンやソファー前の机で宿題でもしているのに。通学カバンは床に置きっぱ、しかも制服は脱ぎ捨ててある。兄らしくない散らかし方に違和感を憶える。自分はいつもとっ散らかしているが、有一郎はきちんと毎回アイロンを掛けてたたんでいた。そして、散々文句を浴びさせられながら、ついでに自分の制服もアイロンをかけてもらったりしている──のはさておき。
──────ぁ、ぅぅ…。
どこからか微かな、注意を向けて聞かないと聞こえないレベルの声。これは、一体…?得体の知れない声に、一抹の不信感と不安を憶えながら、音が出ないようつま先立ちでその声の震源地へ近づいていく。壁に手を這わせて抜き足差し足、その様子は不審者か、それとも忍者か。そうこうしているうちにたどり着いたのは、兄の自室。細く開いた部屋のドアから漏れるLEDの明かりが、一本の線のように床を照らしている。隙間からそろりと覗いてみれば………自慰に真っ最中の兄がいた。
とっさに漏れた間抜けな声さえ聞こえないのか、有一郎は熱い息を吐きながら、身体をぴくぴく痙攣させて局所を刺激するのに励んでいる。身につけているのは、一番下に着用していた白シャツと、膝下まで下ろされた下着のみ。「ぁ…ぁ…。んぅ…」などという官能的な声には、人生最大の覚えがあった。先刻聞こえたあの微かな声は、兄の喘ぎ声だったのである。とんでもない場に居合わせてしまった──と血の気が引く思いをした。とにかくここには居られない。騒がしい足音なんぞ気に留める暇もなく、一目散にリビングへ駆け出した。
「はぁ…はぁハァ……」
ソファーに正座し、肩を揺らしながら必要に息をする。もう今はそれだけで精一杯だった。状況という状況が理解不能だ。というか、本能が理解を拒絶してしまっている。記憶喪失になるにはあまりにも相応しい衝撃的な光景だった。
いや、いや別に。自慰なんて成長の過程においては、至って何も問題はない。むしろ自然な、健康的な成長だ。我は健康体だと盛大に誇るべき事なのだ…が。いざ目の前にしてみればとんでもない事だった。しかも近親者…最も血の繋がりの深い双子の兄の!!真っ最中を!何の躊躇もなくガン見してしまったなんて!!
けれど今更、兄の自室へ戻る勇気はない。土下座したいが気まずくて気まずくて気が狂いそうなのだ。終わってから…ちゃんと謝ろう。出してスッキリしてから…。などと考えていたら、肩にポン……と手が置かれた。ホラーだ。僕は「@&%88㈥#ゑ㋿¥ァ!?」とすっ頓狂な絶叫を上げてソファーから転げ落ちた。無様な僕はブルブル震えながら肩に手を置いてきた相手を見上げる。
「にッ……にぃひゃん…。なんれ……?」
ろくに呂律の回らない自分を無表情で見下ろす兄。シャツ一丁、辛うじて秘部は隠れていたが、動けばチラリズムしかねない。エロいとも言えなくもない景色に、今は凄まじい殺気を感じるのは何故だろうか。
拳をぷるぷる握りしめながら、静かだがドスの効きまくった口調で、(その割には涙目)
……。
ヒュン、と珍妙な音と共に息が止まる。いや、騒がしい足音立てちゃった時点で、絶対これ気づかれたなと思った。ごめんなさい…マジで。僕、見ちゃった……
シャツ一丁の体から放たれる負のオーラに縮み上がっていると、兄はずけずけ近づいてきて、耳元で囁いた。
「責任取って手伝え」
「…え」
間抜けな声が、2人だけのリビングに静かに響いた。
コメント
3件
めっちゃ面白いです! ゆうむい好きなんでもっと書いて欲しいです!
待ってめっちゃ面白い! 続き待ってます!