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体がけだるい、昼前の教室。曇り空を薄く遮るカーテンが窓端に揺れている。夏の熱気が残る風は、塗り替えられて日が浅い青緑色の壁の、ペンキの匂いを部屋中に押し流している。
俺は一番後ろの列の、窓際の席から外を眺めている。
灰色の空と町外れの森の境目に、古い城壁が左右にたなびいている。いつ頃に建てられたものかは知らない。ローマ時代の遺跡かも知れないが、何一つはっきりしたことは分かっていない。それよりも、あの赤い城壁がいつから心の中の重要な部分を占めるようになったのか、そちらの方がよく分からない。ただ、俺の中で日に日に堅固になっていく。
天国は、どこにあるのだろう? 薬局前の電柱より先を歩けば、どこかにあるのだろうか。突き当たりの大通りを渡った向こう側にあるだろうか。それとも、道を辿った先の森の中にあるのだろうか。その先の、あの城壁の向こう側にあるのだろうか。それとも、地上に浮かぶまぼろし、蜃気楼なのか。あの城壁の上に広がる、今は雲と青空に遮られて見えない、星屑のどれかにあるのだろうか。それともやはり、人間の想像のみが創る世界なのだろうか。
「クタイ! 肘付くな。背筋伸ばせ。黒板向け」
頭上から先生の声が響いた。反射的に背を伸ばし、肘を机から落とした。黒板にはチョークで「平均点 六十三点」と書いてある。
「本文、きちんと読み返したか?」
俺は首筋に手をやり下を向いた。机の上の藁半紙、四角く区切られた点数欄には「二十三」とある。
「授業、ちゃんと聞いてんのか」
先生の太い黒縁メガネには、チョークの白い粉がついている。
「よく前後を読んでみろ」
二つの目玉は、獲物を捕らえた鷹のように、上空に止まったままのようだ。俺は昨日美容院で仕上げたばかりの、赤ショートを両手で軽く逆立てた。
「どこ読んでる、問六だぞ」
そこには「傍線四の指し示している部分を含む文の、最初の一文節を書き抜け」とあり、本文に目を移すと、傍線の横に「その話題は」とあった。
「『その話題は』の『その』がポイント。傍線問題はどこを見ればいい?」
俺の口が言葉を捜しているうちに、隣の赤ショートの女子が、ケマルの下敷きで細い首筋を扇ぎながら「すぐ前の行あたり」と答えた。
先生は彼女の方を向いた。
「そうだそうだプナール。そこにヒントがあることが多い」
先生は再びこちらに出っ張った腹を向けた。チャックが三分の一ほど開いている。引き上げるようジェスチャーを送った。こっちのヒントの方が大事だと思うが、先生は気づかない。
「問いをよく見ろ、文頭の最初の一文節だぞ」
余風が隣の女子の解答用紙を開いた。問六の解答欄には丸がついている。俺はそこに書かれている文字を読んだ。
「答えは『いつの頃か』です」そんな答えが、俺の人生といかほどの関係があろうか。
意外にも、先生は妙に感心した様子でうなずいている。
「ついでに問十も、」読んでみろと先生は言う。俺はしぶしぶ問題用紙を手に取った。
この文章で作者が最も言おうとしていることは、次のうちどれか。AからDまでの選択肢から一つだけ選べという問題だった。
「最も、というところに注意しなさい、最も筆者がイイタイことは何か」
黙っていると、先生は俺の机の端を指先でトントンと鳴らす。俺はとりあえず、A、と言ってみた。はずれだった。
これがくじだったら粗品くらい出るものだが。
「いい加減に答えるのはよせ」代わりにゲンコツが一個降ってきた。
先生は別の生徒を次々当ててまわったが、結局誰も当たらなかった。
「クタイ、何だ」
「いえ、別に」
「いいから、言ってみろ」
「いえ」
「いいから」
俺は背を丸め、か細い声を出した。
「ってことは、文章の方にも問題が」
教室中の視線が集まる。軽く手ぐしで、ケマル風にサイドを流した。
「だって、誰も当てられないんだったら」
うまく伝わらなかったのか、先生は目をぱちぱちしただけだった。
「なんだ、ダメじゃん」プナールとかいう奴は隣から首を伸ばして、俺の点数を覗いていた。
「勝手に見るなよ」俺は解答用紙を丸めて、隅のゴミ箱へ放り投げた。