テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
1件
らむね / エモし(語彙力消失)
最後の観測者
高校三年の冬。
天文学部に所属する橘 恒一は、屋上の古い天体望遠鏡を一人で管理していた。
数年前まで賑わっていた天文学部は、今では恒一しか残っていない。
部室には埃を被った星図と、先輩たちが残した観測ノートだけが積み上がっていた。
恒一は昔から、「人は見られて初めて存在できる」と考えていた。
誰にも気づかれなければ、それは存在しないのと同じだ、と。
だから彼は毎晩、誰もいない校舎の屋上で星を観測し続けていた。
星は消える瞬間まで、誰かに見られることを待っているように思えたからだ。
ある夜。
恒一は観測記録の中に、見覚えのないページを見つける。
そこには日付のない文字で、こう書かれていた。
「この星を最後まで観測した者は、世界から静かに消える」
悪質ないたずらだと思った。
けれど、そのページには今夜現れるはずのない星の位置が正確に記されていた。
半信半疑のまま望遠鏡を覗くと、空の端に白く小さな星が見えた。
どの星図にも載っていない星だった。
恒一は毎晩その星を観測するようになる。
星は少しずつ明るくなり、代わりに恒一の周囲では奇妙なことが起き始めた。
クラスメイトに話しかけても返事が遅れる。
提出したはずの課題が「出ていないこと」になっている。
教師に名前を間違えられる。
最初は些細な違和感だった。
だが次第に、誰かの記憶から自分が薄れていく感覚が増していく。
ある日、幼なじみの真白に「……誰だっけ」と言われた瞬間、恒一は確信する。
自分は本当に“消え始めている”。
怖くなった恒一は観測をやめようとする。
しかしその夜、星はこれまでで一番強く輝いていた。
まるで「見届けろ」と訴えるように。
恒一は悩んだ末、再び屋上へ向かう。
もし観測をやめれば、自分は元に戻れるのかもしれない。
けれど、最後まで誰にも知られず消える星を放置することが、どうしてもできなかった。
卒業式の前夜。
星は突然、崩れるように光を放ち始める。
望遠鏡越しに見たその光景は、爆発というより、静かにほどけていく雪のようだった。
恒一は最後の記録をノートに書き残す。
「観測終了。最後まで、確かにそこにあった」
その直後、校内放送の時計が止まる。
風が止む。
世界から音が消えたような静寂の中で、星は完全に消滅する。
翌朝。
卒業式の日。
天文学部の部室は空になっていた。
棚には観測ノートが一冊だけ残されている。
表紙には何も書かれていない。
真白はそのノートを拾い、最後のページを開く。
そこには震えた文字で、
「もしこれを読んでいるなら、俺はちゃんと存在していたか?」
とだけ書かれていた。
真白はしばらく黙っていたが、やがて小さく笑う。
「変なの」
そう呟いてノートを閉じ、窓の外を見る。
春の薄い青空には、まだ朝の星が一つだけ残っていた。