話し声で目が覚める。
眼の前には白い天井。
…ここは病院だろうか。
…なんで私は病院なんかにいるのだろうか。
考えても記憶は答えてくれない。
そんなことを悶々と考えているうちに病室の扉が開き、男性と医者らしき人物が入って来た。
男性の方は私を見た瞬間、喜び、そして心配するように声を掛けてくる。
「ツキ目が覚めたんだね。よかった。大丈夫?どこか具合が悪かったりしない?」
…この人は誰だろうか。
ツキとは誰のことだろう。
私に話しかけているということは、私ツキ?
いや、でも私の名前は…
そこまで考えた時、私は私が一体誰なのか、憶えていないことに気付いた。
そんなはずがない。
しかし、考えれば考えるほど、私は私自身がどこでいつ生まれたのか、兄弟はいるのか、今何歳なのかすらわからなかった。
嘘だ…嘘だ、嘘だ、嘘だ!!!
…気味が悪い、まるで知らない人の体に乗り移ったような気分だ。
私がそんな恐怖に陥っていることを察したのか、先ほど私の名前らしきものを呼んでいた男性がまた声を掛けてくる。
「やっぱり、僕のこと覚えてない、?」
当たり前だ。自分自身のことすら覚えていないのに、相手のことをどう覚えていろと言うのだ。
私がそんなことを伝えると、その男性は医者らしき人物と何かを話した後、私にこう告げた。
「僕はツキの恋人。つまり、君の恋人なんだ。それで、君は多分記憶喪失に陥っているんだと思う。でも、心配しないで。順番に少しずつ思い出していけばいいから。」
私の…彼氏、?
信じられなかった。
だって、私に彼氏がいるということを知らなかったから。
…でも、きっと事実なのだろう。
なにせ私は自分自身のことを一切覚えていないのだ。
信じないことには何も始まらないだろうし、彼は私の名前も知っているのだから、私がどこの誰なのかも知っている可能性が高い。
そんなこんなで、その後は色々な検査を受け、特に目立った問題もないということで、無事退院することになった。
これから私は彼氏と同棲していたという家に戻るらしい。
それにしても、記憶喪失というのは強いショックから起こると聞いたことがあるけれど、私はどうなんだろうか。
一体どんなことが起きて、記憶喪失に陥ったのか。
まぁ、それも記憶さえ取り戻せば、きっと追々わかることだ。
彼も言っていたように順番に思い出していけば良い。
特別急ぐ必要はないだろう。
それに、記憶喪失なんだから、何をきっかけにして記憶喪失になったのかなんてわかるはずがない。
どうしようもない。
そう、仕方がないこと。
一週間もの間眠っていたツキがやっと目を覚ました。
眠れない日々が続いていたのだが、これでやっと安心してぐっすり眠れそうだ。
ただ、ツキはどうやら、僕のことは疎か、自分自身のことすらわからないらしかった。
いわゆる記憶喪失というものだ。
今は落ち着いているが、正直僕が誰なのか不思議そうな顔をしていたのは結構堪えた。
思い出すだけでも胸が痛い。
あんなに日頃から身近にいて、守っていたつもりだったのに…
いや、ツキもわからないことだらけで辛いだろうに、僕がこんな風じゃきっとツキも不安になるよな。
…起こってしまったことは考えてもどうにもならない。
取り敢えず今は眼の前のことだけに集中しよう。
それに、記憶喪失になったことで、マイナスな面だけじゃなくて、プラスの面もあったじゃないか。
ツキが早く帰ってきた時は焦ったけれど、あの出来事を問い詰められることも、ツキが記憶を取り戻さない限りないということだ。
もし思い出したとしても僕とツキの恋路を邪魔したから、と言えば納得してくれるに違いない。
恋には犠牲が付き物。
ほら、少女漫画でもよくあるじゃないか。
ライバルがいて、そのライバルは結局ヒロインにヒーローを奪われて、失恋してしまうっていう話。
そんな話をちょっと残酷にしただけ。
だって、どれだけ説得しても納得してくれない、諦めもてくれない相手は殺めるしか方法がないじゃないか。
きっとツキも家族や友人達が邪魔だったに違いない。
僕との交際を認めてくれないから。
まぁ、確かにストーカーとの交際なんて前代未聞だから、そう思うのも自然なことなのかも知れない。
でも、ツキと僕らはそれほど愛し合っていたんだ。
ツキは照れ屋で一度も僕とデートをしたり、愛の言葉を送ったりしてくれなかった。
いつも僕が一方的に愛の手紙を送っていた。
でも、きっと心のなかでは僕を好いてくれていたに決まっている。
何もしてくれなかったのも一種の愛情表現なんだ。
それを理解しようとしないやつらもできないやつらも全員土に帰ってしまえば良い。
そう思うことは自然なことだ。
皆思っていることだ。
それにしても、あのときの光景を見たときのツキの顔は堪らなく綺麗だったなぁ。
何が起きているのかわからないって顔。
今までの全てが崩れ落ちて絶望した顔。
ツキの新しい顔を知れて、僕は嬉しいよ♡
やっと、やっとだ。
君を手に入れたんだ。
もう離さない、離せないんだ。
君を記憶喪失に陥らせてくれたことだけは君の家族と友人達に感謝するよ。
そう、全ては仕方がなかったこと。
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